泣き疲れた凛は、しばらく翔太の席に突っ伏していた。
 赤くなった目を擦って顔を上げた時分には、教室は窓の外から差し込む陽で橙に染められていた。
「落ち着いた?」
「うん……」窓の外を見ていた五十川に尋ねられ、凛は頷く。「私、最近泣いてばっかりだ」
「仕方ないよ。泣けないよりずっといい」
「ありがとう」
 掠れた声で笑う彼女は、窓の方を見た。グラウンドにプール。運動部の部室棟。敷地の外にはぽつぽつと住居の屋根が見え、更に向こうはきらきらと光っている。
「海だ……」
 その光景に、凛は心を奪われる。海の見える教室。なんて素敵なんだろう。
「榎本さん、この景色好きだったよな。よく写真も撮ってたよ」
「うん。アルバムに残ってた」やっぱり、この高校が大好きだ。「五十川くん、よく覚えてるね」
「なにを?」
「私たちのこと。私や翔太の話したこと、覚えてくれてるんだなって」
「まあね。俺も二人が好きだったから。楽しかったよ」窓際の机にもたれる彼も懐かしそうだ。「最初に翔太に話しかけて正解だった。二人ともいなくなるなんて、すげえ寂しいよ」
「それでも、ここまでしてくれるなんて」凛はいたずらっぽく笑った。「ほんとに私たちのこと好きなんだね」
「そりゃそうだよ」
 五十川が口をつぐむので、凛は小首を傾げる。入院の間に背中を流れるほど伸びた髪が、さらりと揺れる。
「俺もさ」言いにくそうに、しかし笑って彼は言った。「榎本さんのこと、好きだったんだ。告白もしたんだ」
「告白……?」
「もちろん、榎本さんが翔太と付き合う前だよ。あいつが鈍くて、全然付き合うそぶりみせなかったから。チャンスかと思って告白したんだ。フラれちゃったけど」
「そうだったの……」凛は丸くした目をぱちぱちとさせる。
「まあ、仕方ないよな。榎本さんが翔太のこと好きなのも、なんとなく分かってたし」
「もしかして、今も……」
「そりゃあね」
 まるで思いがけない台詞に驚愕する凛を見て、五十川はため息をついた。
「俺、本当に嫌な男だよ。あいつがいなくなって、榎本さんが記憶喪失になったって知った時、もちろん心配した。だけどそれと同時に、もしかしたらって思ったんだ。もう一回チャンスが来たのかもって」
 彼は心底後悔していた。それは苦虫を噛み潰したような表情が物語っている。斜陽がいっそう、その影を濃くしている。
「自分の狡さに吐き気がした。大事な友だちの大切な彼女だって知ってるのにさ、まだそんなこと考えるのかって。最低だよ」
 項垂れながら、彼はそばの椅子を引いて腰を下ろす。それを見ていた凛は、ふふっと笑い声を零した。
「最高だよ、五十川くんは」
 彼女は、太陽のような笑顔を見せる。
「こんなに私たちのことを考えてくれてるなんて、最高の友だちだよ」
「……榎本さんは変わらないな。何度でも好きになれるよ」
 はあ、と息をつく彼もつられて笑ってしまう。たちまち教室には笑い声が満ちる。
「でもやっぱり、榎本さんには翔太が一番お似合いだ。敵わない」再度立ち上がり、彼は伸びをする。
「五十川くんは、私の一番の友だちだよ。誰も敵わない」
「悔しいけど、光栄だな」
「今までも、これからも」凛はにっこり笑い、右手を差し出した。「大好きだよ」
「こちらこそ」凛のもとに歩み寄る彼も、笑ってその手を握り締めた。
 夕闇に溶ける教室に、さよならは響かなかった。