週末、二人は丘の上に集合する約束をした。その足で夜行列車「ほうきぼし」に乗り、この街を離れる計画を立てた。
 怖くないといえば嘘になる。しかし、二人でいれば何もかもを乗り越えられる。さよならより辛く恐ろしいものなどないからだ。
 凛にはいくらかの罪悪感はあった。自分を厄介者扱いしていても、叔父一家が衣食住を与えてくれていたのは事実だ。例え世間体のためでも、施設に預けず育ててくれた恩はある。
 だが、彼らが翔太の存在に難色を示しているもの事実だった。彼氏など作って浮ついているのが目に余る。どうせろくな相手じゃない。叔父が親戚相手にそう言っているのを聞いたことがある。もしも彼が父の犯罪の被害者だと知られれば、絶望的だ。一緒にいたいと言っても、一生許してはくれないだろう。
 実際、友加里が先日、叔父にあることないこと吹き込んだらしい。叔父には今すぐ別れるように命令された。嫌だと反抗して頬を張られた日は記憶に新しい。
 おまえを「更生」してやってるんだ。叔父も叔母もいつだってそう言った。勉強していい大学に入ってまともな社会人になれ。決してこれ以上恥をかかせるな。せっかく金をかけてやってるんだ、がっかりさせるんじゃない。

 ――がっかりさせて、ごめんなさい。

 それだけを書いた紙を自室の学習机に乗せ、凛は部屋を出た。だが、彼らはがっかりはしないだろうな、と思った。驚きこそすれ、これで厄介者がいなくなったと思うに違いない。その自信は確かにある。
 翔太との約束は午後の六時だ。三十分前に、トートバッグを下げた凛は玄関で靴を履く。
 何だか嫌な予感がする。
 今日も夢を見た。だがその夢は、真っ黒だった。何が起こるわけでもない、ただ上も下も、右も左も黒一色で、そんな空間に佇んでいる夢だった。初めて見る夢だった。
「どこ行くの」
 背後からかけられた声に驚いて振り向く。いつも通り不機嫌そうな友加里が、奥の部屋から出てきていた。
「ちょっと、友だちのところ」
 笑って答えた凛をじろじろと見ながら「ふーん」と彼女は鼻を鳴らす。
「友だちって誰」
「中学の時の、友だちだよ」
「どこに住んでんの」
「えっと……」言い淀む凛は、必死に頭を働かせる。「若葉中の近く」咄嗟にそう答えた。若葉中学校は、公園に行く道の途中にある。
「こんな時間からなにすんのよ」
「週末だし、その子の家でお話ししようと思って。遅くなったらごめんなさい」
 どぎまぎしながらも、凛は笑顔を絶やさない。この家で家族と接する時は常にそうしてきたのだ。それは最後まで変わらない。
「へえー」
「約束してるから、もう行くね。行ってきます」
「それだったらさあ」友加里が少し声を張り上げる。「こっから大通り行く道あるじゃん。あそこ通らない方がいいよ」
「どうして」
「あの道、夜は通行止めらしいから。工事するんだって」
 脳内に地図を描く凛は、はたと首を傾げた。「本当……?」何度も通ったことのある道だが、通行止めなど初耳だ。
「なに? 疑ってんの」
「そんなことないけど……」
「今日、看板立ってるの見たのよ」
「そうなんだ」それならば遠回りをしなければならない。間に合うだろうかと、凛は内心で焦る。
「ありがとう。教えてくれて」
 行ってきますともう一度繰り返し、凛は家を後にした。

 駆け足で裏道を進む。あと二十分だ。待ち合わせの六時に間に合うかはぎりぎりの時間。一刻も早く翔太に会いたい。会って、言葉を交わしたい。
 遠回りの細い道を、息を切らして駆ける。空気の冷え込む夕暮れ。ようやく大通りに出る。信号が青に変わる。あと少し。もう少し。
 横断歩道に踏み出した途端、甲高い音を聞いた。同時に右側から眩い光に照らされる。
 首を曲げてそちらを見たが、視界は一面真っ白だった。

 会いたい――。

 ただそれだけが心の中にあった。