すっかり暗くなった時分、のろのろと帰ってきた翔太は美沙子がいることに驚いた。彼女はキッチンのテーブルでスマートフォンをいじっていた。
「いつ、帰ってきたの」
「帰ったら悪いのかよ」相変わらず口汚く彼女は吐き捨てる。「ここはあたしの家だろ」
「最近帰ってこなかったから……」翔太は奥の部屋を見やるが、他に人がいる気配はない。「今日は、城戸さん来てないの」
「来てねえよ」彼女は冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、再び椅子に腰かけた。「まあ、その必要もすぐなくなるんだけど」
「どういう意味」
「あたしが向こうに行くんだよ」
 ぼんやりと見つめる先で、ぷしゅと音を立てて缶が開く。
「だから、ここ引き払うから」
 咄嗟に意味が理解できず、「引き払うって」と翔太は繰り返した。
「おまえ馬鹿かよ」不味そうな顔で彼女はビールを口にする。「あたし、あいつのとこ行くから。そしたらここ借りてる意味ないだろ」
「待って」慌てて翔太は口を挟む。「そしたら、俺どうしたらいいの」
「知るか。勝手にしな。おまえバイトしてんだろ。その金でここ借りたらいいだろ」
「そんなに貰ってないよ。それに……」無意識のうちに、唇が震える。「それに……もう来るなって、言われた」
 ようやく美沙子は振り返り、「は?」と声を出す。
「まさかおまえ、クビになったのかよ」
 端的に言えば、まさにその通りだ。切り捨てられたのだ。
 意気消沈し項垂れる翔太に対し、美沙子は馬鹿にするように笑う。
「やっぱりおまえは使えないんだよ」
「どうしよう……」縋るように、翔太は彼女を見る。
「知るかよ。自分が悪いんだろ。学校辞めて働けよ」
「辞めたくない」
「わがまま言ってんじゃねえよ。クビになったのはおまえのせいだろ」にやにやと嫌味たらしく笑う。「そんな嫌なら可愛い彼女に泣きつけよ。役立たずのおまえが好きなんだろ」
 思いがけない方向への言葉に翔太が押し黙ると、彼女は畳みかけた。
「あり得ないわ。翔太みたいな根暗がいいとか、そいつ頭おかしいんじゃねえの? それが嫌なら、あの何とか食堂の奴らでも泣き脅したらいいだろ。馬鹿ならガキが泣き付けば何とかするだろ」
 他人の情に訴えて自分の身を可愛がる、如何にも美沙子らしい考え方だった。
「……馬鹿にするな」
 翔太は呻いたが、美沙子はそれを気に掛ける素振りさえなくビールをあおる。
「おまえ普段色々貰ってんだから、そんぐらいいけるだろ。可愛い翔太の頼みなら、そいつらも見殺しにしねえって」
「馬鹿にするな!」
 遂に翔太は美沙子を怒鳴りつけた。共に暮らし始めてから初めてのことだった。
「みんなの悪口を言うな! それに俺は、人の優しさにつけ上がる真似なんかしない!」
「誰に向かって怒鳴ってんだ、翔太!」
「あんたが父さんたちの金を男なんかにつぎ込んだのを、俺は知ってるんだ! それにあの男のせいで、佐々木勝也のせいで俺はバイトに行けなくなったんだ! あんたたちのせいだ!」
「黙れ親殺し!」
 中身のたっぷり入った缶が頭にぶつかり翔太は怯んだ。床に落ちたそれから零れたビールで、靴下が濡れていく。
「てめえ誰が今まで育ててやったと思ってんだよ!」立ち上がり激怒する美沙子は、平手で思い切り翔太の頬を張る。「おまえもあの時さっさと死んどけばよかったんだ!」唾を飛ばして喚いた。
「とっとと野垂れ死ね! クズ野郎!」