月曜日の昼休み、待ち合わせていた銀杏並木のベンチに彼女はやって来た。
「忘れないうちに、これ、渡しとくね」
 凛は翔太に折り畳んだ一枚のメモ用紙を渡す。開いたそこには、電話番号が書かれていた。
「いつでもかけてきていいよ」
「学校で話せるのに」言いながらも翔太はその紙をポケットにしまった。「ありがとう」
「いいえ」
「それで、土曜日に言ってた考えってなに」
「それはね」
 口を開きながらベンチに座り、彼女は隣をとんとんと叩いた。促されるままに翔太も横に腰掛ける。
「登下校は一緒にできないでしょ。放課後も私は部活で、翔太はアルバイトで、食堂でも中々会えないし。でも時間のある日は、出来るはずだよね」
「それは、そうだけど」
「あの丘の上で会おう。……っていうのは、どうかな」
 丘というのが、公園の高台のことを言っているのだとはすぐにわかった。
「あそこなら、何時になっても閉まることはないし。誰も来ないから補導されることもないし」そう言っていたずらっぽい顔をする。
「別にそれは構わないけど。じゃあ、空いてる日はそこに行ってずっと待ってるってこと」
「そんなの、絶対行き違いになるでしょ。だからね、これ、あげる」
 凛がスカートのポケットから取り出したのは、小さな巾着袋だった。手渡されたそれには僅かな重みがある。開けてみると、中にはガラスのおはじきやビー玉、ボタンにリボンといった見覚えのあるものが詰まっていた。
「これ、前に言ってた凛の宝物だっけ」
「そう。たくさんあるから、翔太にもあげる」
「……これが、なんの関係があるの」
 おはじきを一枚取り出してみた。青色の筋が入ったガラスのおはじきは、午後の陽光を浴びてきらりと光る。
「丘の下に目印置いとくの。今日は行けるよって」凛は翔太の手からおはじきを取ってベンチに置いた。
「翔太も私も、学校に行く途中に公園があるでしょ。会いたい日は、朝に目印を置いとくの。例えば、翔太が私と話したいなって日があったら、登校する時に置いといて。そしたら私が、登校の途中か放課後、通りかかった時にそれを回収する」自分の右手で凛はおはじきを握りこむ。「翔太はバイト終わりにそこに来て、目印がなくなってたら丘に上る。もし残ってたら、私は来ないってこと。そうしたら、上り損ってことにはならない」
 ふうんと唸り、翔太は腕を組む、「まどろっこしいな」思わず呟く。
「学校で必ず会えるとは限らないでしょ。それに、翔太が私の教室に来て恥ずかしい思いしなくて済むし」
「別に、恥ずかしくなんかはないけど」
 強がった後、いや、そうでもないなと心中で思い直した。わざわざ榎本凛の教室に行って呼び出して、今日会いたいと素直に言えるかといえば、安易に返事はできない。
 凛はそんな翔太の消極的な心境を見事に理解していた。
「反対に私が会いたいって時は、朝に私が目印置いといて、翔太が帰りに回収して。バイトがあるし、きっと翔太の方が学校から帰るのは早いでしょ。それがなくなってたら今度は私が丘に上る」
 翔太の手におはじきを押しつけ、彼女はふふんと笑った。
「まあ私は素直だから、昼休みに会いに行けるけどね。だからこれは、主に翔太の役割」
「自分で素直とか言うなよ」
 口を尖らせてから、もっといい方法があるはずだと翔太は思った。例えば電話をかけ合うとか。
 しかし、運悪く美沙子が凛の電話を取ってしまったらどうなるだろう。生意気にといって怒りだすかもしれない。勝也の事件があった直後の今は、一層ぴりぴりしている。下手に油を注ぐ真似は避けねばならない。察しの良い凛はそこまででなくとも、居心地の悪い翔太の家庭環境を悟っているのだろう。
「……わかった」
 それほど優しい女の子がこうして考えてくれるのだ。有難く受け入れることにした。
「でも、俺はいいけど凛はいいの」
「いいって、どうして?」
「遅くならないようにはするけど、頑張っても多分八時は過ぎる。そんな時間に外に出てたら危ないよ」
「だから、翔太が来られる日だけにするの。丘に行けば、翔太がいるんだから安心でしょ」
「そういう問題じゃないんだけどなあ」
 彼女も家での居心地はよくないのだろう。それを思い出して、翔太は巾着袋をポケットにしまった。「でも、ありがとう」礼を言うと、「どういたしまして」と凛は楽しそうに笑った。