そしてなんの収穫も得られないまま二日が経った。
四時限目が終わり昼休みに入った教室に、凛が息せき切って飛び込んできた。「どうしたの」と仰天する翔太に構わず、席までやって来た彼女は「これ」と冊子を突き出す。それは変哲のないアルバイト情報誌だったが、ページの隅に赤ペンで丸が描かれている。
「ここ、連絡してみて」
「知り合いかなんか?」
「ううん」彼女は首を横に振る。「昨日の晩、この欄読んでる夢見たの。だから、ここならきっと受かるよ」
自信満々の彼女に、翔太は「夢なんて」と口が滑りかける。夢が云々と言っている場合ではないと思うが、彼女は至極嬉しそうに笑っている。
「ほんとかなあ」
「大丈夫だって! もし駄目でも損はしないでしょ。それに絶対いいことがあるよ!」
曖昧に頷いて、翔太はそれを受け取った。彼女の夢には、ついこの間も命まで助けられた。超常的なことはあまり信用していないが、信じざるを得ない現象を実際に目にしている。
「ね、お願い、翔太。ここ考えてみて」
それにここまで言われて手を合わせられれば、邪険に扱うわけにもいかない。
「わかったよ。連絡してみる」
「よかった。なにか進展あったら教えてね」
「うん。ありがとう」
翔太が礼を言うと、彼女は軽く手を振りながらあっという間に教室を出て行った。
「なんだったんだ、榎本さん」
彼女がいなくなると、弁当箱を手にした五十川が、翔太の前の席を借りて座る。翔太は彼に冊子を見せた。
「バイト先、いいとこがあるって教えてくれたんだ」流石に夢がどうだのと事情を説明するのは気が引けた。
「そっか、バイトするんだっけ」
「うん。しないとどうにもならない」
「それ、榎本さんも関係あるのか」
「別にそういうわけじゃないけど。中々見つからないから、一緒に探してくれてるんだ」
「へえ」五十川はアルバイトの理由を深く掘り下げようとはしなかったし、その方が翔太は有難かった。彼には授業料が払えないからバイトを始めるとだけ説明していたが、それに対して「難儀だな」と気の毒そうに言うだけだった。
幸いなことに、青南高校で、翔太が勝也のことで後ろ指をさされることはなかった。もともと若葉町で暮らす生徒が少ないことがプラスに働いた。勝也が翔太の住む部屋に入り浸っていたことも、伯母と婚約していたことも、誰も知りようがなかったのだ。
「この丸ついてるやつか」
「そうみたい」弁当箱を机に出し、翔太も彼と一緒に冊子を読み込む。
家からは少し距離のある隣町の雑貨屋。レジ打ちと品出しで一日三時間から。時給は八百五十円。翔太は頭で計算する。三時間入ることが出来れば、一日で二千五百五十円。
「いくら稼げばいいんだっけ」五十川が弁当箱を開きながら尋ねる。
「一か月の授業料が九千九百円だから、最低でもそんぐらいは要る。他の消耗品のこと考えたら、もう少しないといけないけど」
少なくとも月に四日入ることが出来れば、心もとなくとも最低ラインはクリアできる。翔太は真剣な面持ちで考えた。
「ほんとに金出して貰えてないんだな」
自分の弁当をつつきながら、五十川は翔太の弁当箱に視線をやった。それを見て翔太もやっと弁当を開く。これももちろん自分で作ったものだ。
「まあ、仕方ないんだ」
高校の授業料を出すのだからと、美沙子は三百円をくれなくなった。そのため帰ってからの自炊を余儀なくされ、翔太は一抹の寂しさを覚えた。顔を出すだけでも食堂の人たちは普段通り接してくれるだろうが、初めから金もないのに店に行くのは心苦しい。買い物に行って夕飯を作って明日の準備などをしていれば、時間だって中々取れない。翔太は淡い期待を抱いたが、授業料の支払いを拒否してからも、美沙子は三百円については触れなかった。
だがアルバイトをしてほんの少し、数百円だけでも余裕ができれば、月に数度でもよつば食堂に行けるかもしれない。
暗いことだけを考えていても仕方ない。落ち込む時間があれば、その先に僅かでも「良いこと」を見つけるべきだ。この小さな赤い丸が、そう言ってくれている気がする。厳密にいえば、その「丸」をつけてくれた人の心が。
「応募するのか」
「うん。応募して損にはならないし。折角探してくれたんだし」
開きっぱなしの冊子を閉じて机にしまう。その間、五十川は思案顔で口を開いた。
「前から思ってたけどさ、どういう関係なんだよ」
「なにが」
「翔太と榎本さん」
「だから、中学が一緒だっただけだよ。いつも言ってるけど」翔太も箸を手に取り、朝方自分で詰めた白飯を口にする。ふりかけを持ってくればよかったな、と思う。
「それだけで、クラスも違うのにこんなに一緒にいるか?」
「凛は優しいんだ」
「呼び捨てにしてるしさ」
「他に中学同じだった人もいないんだよ。若葉中だった女友達とかいれば、多分こんなに俺に構ってくれないよ」そう言ってから、ふいに寂しくなる。想像して、そんなの嫌だな、などと勝手なことを思う。
「ほんとに、あれだな」
「あれって?」
「変な関係だな」
「変とか言うなよ。みんなが過剰なんだ」ほっといてくれと、翔太はブロッコリーを箸でつまむ。相変わらず腹落ちしない表情で、五十川は曖昧に頷くだけだった。
四時限目が終わり昼休みに入った教室に、凛が息せき切って飛び込んできた。「どうしたの」と仰天する翔太に構わず、席までやって来た彼女は「これ」と冊子を突き出す。それは変哲のないアルバイト情報誌だったが、ページの隅に赤ペンで丸が描かれている。
「ここ、連絡してみて」
「知り合いかなんか?」
「ううん」彼女は首を横に振る。「昨日の晩、この欄読んでる夢見たの。だから、ここならきっと受かるよ」
自信満々の彼女に、翔太は「夢なんて」と口が滑りかける。夢が云々と言っている場合ではないと思うが、彼女は至極嬉しそうに笑っている。
「ほんとかなあ」
「大丈夫だって! もし駄目でも損はしないでしょ。それに絶対いいことがあるよ!」
曖昧に頷いて、翔太はそれを受け取った。彼女の夢には、ついこの間も命まで助けられた。超常的なことはあまり信用していないが、信じざるを得ない現象を実際に目にしている。
「ね、お願い、翔太。ここ考えてみて」
それにここまで言われて手を合わせられれば、邪険に扱うわけにもいかない。
「わかったよ。連絡してみる」
「よかった。なにか進展あったら教えてね」
「うん。ありがとう」
翔太が礼を言うと、彼女は軽く手を振りながらあっという間に教室を出て行った。
「なんだったんだ、榎本さん」
彼女がいなくなると、弁当箱を手にした五十川が、翔太の前の席を借りて座る。翔太は彼に冊子を見せた。
「バイト先、いいとこがあるって教えてくれたんだ」流石に夢がどうだのと事情を説明するのは気が引けた。
「そっか、バイトするんだっけ」
「うん。しないとどうにもならない」
「それ、榎本さんも関係あるのか」
「別にそういうわけじゃないけど。中々見つからないから、一緒に探してくれてるんだ」
「へえ」五十川はアルバイトの理由を深く掘り下げようとはしなかったし、その方が翔太は有難かった。彼には授業料が払えないからバイトを始めるとだけ説明していたが、それに対して「難儀だな」と気の毒そうに言うだけだった。
幸いなことに、青南高校で、翔太が勝也のことで後ろ指をさされることはなかった。もともと若葉町で暮らす生徒が少ないことがプラスに働いた。勝也が翔太の住む部屋に入り浸っていたことも、伯母と婚約していたことも、誰も知りようがなかったのだ。
「この丸ついてるやつか」
「そうみたい」弁当箱を机に出し、翔太も彼と一緒に冊子を読み込む。
家からは少し距離のある隣町の雑貨屋。レジ打ちと品出しで一日三時間から。時給は八百五十円。翔太は頭で計算する。三時間入ることが出来れば、一日で二千五百五十円。
「いくら稼げばいいんだっけ」五十川が弁当箱を開きながら尋ねる。
「一か月の授業料が九千九百円だから、最低でもそんぐらいは要る。他の消耗品のこと考えたら、もう少しないといけないけど」
少なくとも月に四日入ることが出来れば、心もとなくとも最低ラインはクリアできる。翔太は真剣な面持ちで考えた。
「ほんとに金出して貰えてないんだな」
自分の弁当をつつきながら、五十川は翔太の弁当箱に視線をやった。それを見て翔太もやっと弁当を開く。これももちろん自分で作ったものだ。
「まあ、仕方ないんだ」
高校の授業料を出すのだからと、美沙子は三百円をくれなくなった。そのため帰ってからの自炊を余儀なくされ、翔太は一抹の寂しさを覚えた。顔を出すだけでも食堂の人たちは普段通り接してくれるだろうが、初めから金もないのに店に行くのは心苦しい。買い物に行って夕飯を作って明日の準備などをしていれば、時間だって中々取れない。翔太は淡い期待を抱いたが、授業料の支払いを拒否してからも、美沙子は三百円については触れなかった。
だがアルバイトをしてほんの少し、数百円だけでも余裕ができれば、月に数度でもよつば食堂に行けるかもしれない。
暗いことだけを考えていても仕方ない。落ち込む時間があれば、その先に僅かでも「良いこと」を見つけるべきだ。この小さな赤い丸が、そう言ってくれている気がする。厳密にいえば、その「丸」をつけてくれた人の心が。
「応募するのか」
「うん。応募して損にはならないし。折角探してくれたんだし」
開きっぱなしの冊子を閉じて机にしまう。その間、五十川は思案顔で口を開いた。
「前から思ってたけどさ、どういう関係なんだよ」
「なにが」
「翔太と榎本さん」
「だから、中学が一緒だっただけだよ。いつも言ってるけど」翔太も箸を手に取り、朝方自分で詰めた白飯を口にする。ふりかけを持ってくればよかったな、と思う。
「それだけで、クラスも違うのにこんなに一緒にいるか?」
「凛は優しいんだ」
「呼び捨てにしてるしさ」
「他に中学同じだった人もいないんだよ。若葉中だった女友達とかいれば、多分こんなに俺に構ってくれないよ」そう言ってから、ふいに寂しくなる。想像して、そんなの嫌だな、などと勝手なことを思う。
「ほんとに、あれだな」
「あれって?」
「変な関係だな」
「変とか言うなよ。みんなが過剰なんだ」ほっといてくれと、翔太はブロッコリーを箸でつまむ。相変わらず腹落ちしない表情で、五十川は曖昧に頷くだけだった。