電車を降りて、別れ道まで一緒に歩く。
「この先、どっちに行くの」分岐点で立ち止まると、凛は「またね」でも「ばいばい」でもなく、そんなことを言った。
「どっちって、真っ直ぐだけど」
「その先にT字路あるでしょ。いつもどっちに曲がる?」
 考えると、確かに彼女の言う通りだ。百メートルほど先で、道は左右に分かれている。
「左だよ。近道だから」
 すると、凛は目を見開いて口元を両手で覆った。
「だめ!」どうしたのと翔太が問いかける前に、彼女は大きな声を上げる。「そっちはだめ、通らないで」
「なに、いきなり」
「お願い。近道でも、左に曲がったら駄目!」
 全く意味が解らない。
 もしかしてふざけているのかとも思ったが、どう見ても彼女は真剣そのものだった。気のせいか、目が潤んでいるようにも見える。
「もしかして……また夢?」
 翔太の台詞に、凛は小さく頷いた。
「どんな夢見たの」
「この、帰り道の夢。ここでばいばいって別れて、俯瞰になるの。それで、カーブミラーのあるT字路で、翔太が右に曲がって帰っていくの」
 彼女が自分の夢を見ていたことに、何だか気持ちがざわつくが、今はそんなことを言っている場合ではない。確かにこの先の別れ道には、カーブミラーがある。
「でも、より良い方が見えるんだろ。それなら、右に曲がったら自販機でジュースでも当たるの」あくまで軽い口調で翔太は返したが、凛はむしろ必死な表情をしていた。
「良いの反対が悪いだなんて言えないよ。でも、何でもいいの。とにかく右に曲がった方が、左よりも良いはずだから」
「近道でも」
「そう」
 随分と大周りになってしまう。二十分は余計にかかる。それが翔太の決断を鈍らせたが、彼女の懸命さを無視したくもないし、その夢が当たるのを実際に見たこともある。
「私もついて行きたいけど、夢に私はいなかったから。だからお願い。私の言う通りにして」
 剣幕にひるみながらも、「まあ」と頷く。
「そんなに言うなら……別に急いでないし」
「絶対だよ。約束だからね」ほっとした顔で凛は笑う。
 それじゃあと手を振り合い、翔太は凛と別れた。
 あれだけ言われれば、なんだか不安になってしまう。振り返ると、遠くなった凛もこっちを振り向いた。手を振る彼女にもう一度手を振る。
 やがて分岐に辿り着いた。右も左もせいぜい一車線の小道。左に行けば真っ直ぐ家の方角を辿れるが、右の道を選ぶと住宅街を大きく回って行かねばならない。左は南、右は北。どちらも静かで平平凡凡としている。しかし、右の道を選ぶとより良い未来があるらしい。
 わかんないなと首を傾げながら、翔太は右に曲がった。
 住宅の間に小さな商店や診療所が点在している、こぢんまりとした若葉町の道だ。田舎寄りの町は住民同士の仲が比較的良いが、外部の人間に厳しい面もある。しかし自分のクラスを考えても、転校生の凛が、それで誰かにいじわるをされているのは見たことがない。恐らく彼女のフレンドリーな性格と、クラスメイトに恵まれたことが大きく関係しているのだろう。
 そんな町は今、疑心暗鬼に深く陥っている。度重なる窃盗の犯人は恐らく同一犯。それでいて町をよく知っている、実際に長年暮らしている人間ではというのが警察の見解だった。
 翔太も、事件の後に二組の鈴木という生徒と話すことがあった。体育の時間、偶然同じ時に見学をしていた。
 彼は「寝られない」と、寝不足で充血した目を擦った。翔太よりも十センチは背が高く、バスケ部員として重宝される体格の彼は、困った風に弱々しく笑った。
「夜が怖くて、寝てるどころじゃないんだ」
 そりゃあ怖いよな、と翔太は思った。自分たちが眠っている真夜中に、知らない人間が家の中に入り込むのだ。想像するだけでぞっとする。もし目を覚まして鉢合わせたらと思うと、肌が粟立つ。彼はその夜のことをトラウマとして、今後抱えなければならない。例え金が返ってきても、心の傷は永遠に埋まらない。
 なんとかして慰められないかと思った。けれど「俺もそうだったよ」なんて言っても、何も知らない彼は怪訝な顔をするだけだ。上手い言葉も思いつかない。
「寝たら」口をついたのは、そんなつまらない台詞だった。「今なら、みんないるから」
 跳び箱を跳ぶ同級生たちを見ながら言うと、彼は頷いた。
「俺、許せねえよ」
 そんな言葉を小さく呟いて。