次いで日も暮れかけた頃、三人目のお客様が来店された。
 どうやら彼は、買いに来たのではなく、売りに来たのだろう。格闘技でもやっていそうな屈強な体躯の男性だったが、その両手には大きな段ボールを重たそうに抱えていた。

「すみません、此処って、買い取りもしてますか?」
「いらっしゃいませ。ええ、物によっては引き取れない場合も御座いますが……お品物の方確認させて頂きますね。暫し店内でお待ち下さい」

 お客様は普段こういった店には来ないのか、物珍しそうに周囲を見回す。
 私は段ボールの中に詰められていた古くあまり状態の宜しくない品を確認しながら、どんな風に扱われていたのかと思わず小さな溜め息を吐く。

「失礼ですが、此方は全てお客様の……?」
「いや、来週父親が施設に入ることになったから……荷物整理に」
「左様で御座いますか……確かに、全て施設に連れて、という訳にもいきませんしね」
 持ち込んだ品とそう変わらない商品達を眺めながら、お客様は眉を下げて切なそうに微笑む。
「連れて……はは、そうですね……昔はこいつらを我が子のように大切にしてたようなんですけど、認知症で……突然怒って、乱暴に扱うことも増えたので」
「成る程……大切なものを大切に出来なくなったとなれば、きっと本来のお父様も悲しみますしね」
「はい……思い出もあるし手放すのは惜しいけど、その分また他の誰かに大切にして貰えたらなって」

 査定を済ませて、段ボールいっぱいの思い出の品を、幾ばくかの金銭と交換する。値の付かなかった品も出来れば引き取って欲しいと言われ、了承した。

「……いつか、お父様の大切な思い出の詰まった品は、また誰かの大切なものとなりましょう」
「そうだといいです……今度は、最後まで大切に扱ってくれる人の元に行けると良いんですけど」
「ええ、それが私の仕事です。お任せください」
「ありがとうございます……また落ち着いたら来ます。だから今度は、俺の大切な思い出になりそうなものを、店主さんが見繕ってくれますか?」
「はい、勿論で御座います。お待ちしておりますね」

 お客様は空になった段ボールを畳んで小脇に抱え、一瞬手離した彼等と別れを惜しむように視線を向けた後、頭を下げて店を後にした。


*****


 その後閉店時刻まで、新しいお客様は来なかった。
 今日は三人、いつもこんな感じだ。商売としてはやってられないが、殆んど趣味のような生業なので気にしない。
 扉の内側から鍵を掛けて、硝子越しに見えるよう掛けられた小さな木の板を、『クローズ』側に裏返す。
 その文字もすっかり日に焼け掠れて、色も褪せて読みにくい。やはり日光は、木やインクにとっては大敵だ。
 最後に店内の橙色の強すぎない灯りを落として、本日の営業は終了する。

「よんで!」
「本日は店仕舞いです」

 商品達の期待の声は、閉店後も変わらない。けれど暫し闇に馴染めば、彼等も眠ったように静かになるのだ。
 長い時間を掛けて学んだのだろうか。灯りがなくては、彼等は人に見て貰えない。その辺りはきちんと理解しているようだった。
 また外が明るくなる頃には、差し込むその僅かな光に期待して、また「よんで、よんで」と私にしか聞こえない声を上げるのだろうが。
「よんで」「呼んで」「読んで」と。

 所狭しと犇めく店の本棚から聞こえる声の主は、その本の主人公の想いなのか、それとも作者の承認欲求か。はたまたかつての持ち主の愛書自慢なのか。もしかすると長年愛された本の付喪神なのかもしれないが、詳しいことはわからない。
 何しろ客ではなく店主の私には、商品である彼等の「よんで」という必死のアピールしか聞こえないのだ。

 古くなるまで人に愛されて、色んな来歴を持って転々とし、此処に辿り着いた物語達。
 読まれて初めて存在意義を全うする彼等を、新たな読み手の元に送り出すのが、私の仕事だ。

「本日はお買い上げ、誠にありがとうございます。またのご来店、一同心よりお待ち申し上げております」

 暗がりの中、読んで欲しくて呼んでいる古本達の声を聞きながら、今日もまた、埃と古紙の香りを閉じ込めたこの古書店は一日の営業を終えた。