「お客さん、よんで」
「わたしを、よんで」
薄暗く静かな店内に響く、弾むような少女の声。その声を皮切りに「よんで」「呼んで」と幾重にも重なる声に、この店の店主たるは私は、やれやれと重たい腰を上げる。
「ああ、そうですねぇ……そろそろ開店しましょうか」
「はやく、よんで!」
舌足らずな少女やしわがれた老婆、元気な少年や憂いを帯びた青年、性別不明の不思議な声色。
数多の声に応じて、古びた扉の内側から鍵を開け、硝子越しに外から見える木の板の『オープン』と書かれた方を表に向ける。そうして私は今日も、店を開けた。
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開店から四時間後。本日最初のお客様は、眼鏡に黒髪の真面目そうな青年だった。まだ大学生くらいだろうか、彼のような若者が、真っ昼間からこんな所に来るのは珍しい。
とある寂れた商店街の、裏道を通り更に端。立地の悪さから人通りは少なく、日当たりも悪く家賃も安い、看板も錆びだらけの一見空き家のようにも見える、古びたこの小さな建物。
若い新規客が訪れるには、些かハードルも高いだろう。
そのお客様は、ぎいと音の鳴る重い扉を開けて中に入るなり、一瞬目を見開き圧倒されたように辺りを見回す。
初めてのお客様に商品の説明をすべきか、何も言わずに先ずはお客様自身で選ぶのを待つべきか。
暫し悩んで、下手に声を掛けて萎縮されても困るので、私は奥まった場所から少し様子を見ることにした。
お客様は、ややあって薄暗く狭い通路を歩き出す。
そして品定めするように、綺麗に並んだうちの商品達をじっくりと眺めた。まるで芸術鑑賞のように、時間を掛けて。
しかし、やがて気になるものがあったのか、ぴたりとその足を止める。
「わたしを!」「僕を!」「私達を!」
お客様の前の商品達は途端に色めき立って、我先にと声を上げ始める。折角お行儀良くしていたのに、これでは台無しだ。
けれどお客様は、そんな声には顔色一つ変えることなく、迷いなく選んだそれに手を伸ばした。
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「お買い上げありがとうございます、こちらの商品は大変古いので、あちこち脆くなっております。気をつけてお取り扱いください」
「ありがとうございます! ……あちこち探したんですけど、まさかこんな所で出会えるなんて……あっ、こんな所、なんて失礼でしたね、すみません……」
「ふふ、構いませんよ。実際古い店ですし……ですが、宜しければこれからも御贔屓下さい」
「はい! また必ず来ます!」
お客様はずっと探していたという商品と出会えたようで、大切そうに抱き締めては、満足気に頭を下げる。
この様子だと、もう『彼女』が手放されることはないだろう。
お客様は、余程感動したのだろうか、何度も振り返っては私に会釈して、店を出ていった。
しかし、良かった良かったと一段落する前に、無人となった店内からは、再び商品達の声が聞こえる。
「よんで! はやく!」
「まったく、お客様は呼んだとて直ぐに来るものではないのですよ……」
催促の声に肩を竦めつつも、私は次の来客があるまで掃除でもしようと店の奥へと向かう。
その途中、再びぎいと鈍い音が響いた。本日二人目のお客様だ。
今度のお客様は、御近所に住む常連様。白髪の老齢の女性だった。
品が良くお化粧もお洋服も拘っていて、実際の年齢より幾分若く見えるが、足があまり良くないようで杖をつきながらも毎週通ってくれている。
「いらっしゃいませ、潮折様」
「あら、こんにちは、店主さん。今日はいい天気ねぇ」
「おや、そうなのですか? 生憎本日は外に出ておりませんので」
「もう、だめよぉ? あなたまだ若いんだから、ちゃんとお日様の光を浴びないと、身体に良くないわ」
「……ふふ、潮折様は日の光を浴びているから変わらずお元気なのですね」
「あらやだ、そう見える? 近頃またあちこち痛くてねぇ……」
こちらのお客様、潮折様は、いつも商品選びの前に私と話をする。大した話題も持たない私と飽きずに語らうくらいには、世間話がお好きなようだ。
夫に先立たれ老齢でのお一人暮らし、退屈な日々の彩りなのだろう。
かつてご夫婦で集められていたうちの商品も、そんな彼女の生活の彩りの一部だ。
「近頃は暖かくなってきたから、お庭で過ごすことも多いのよ。花壇を見ながら、椅子に座ってね……、こちらで迎えた子達とも、お庭で過ごせたらいいのだけど……」
「劣化の原因にもなるので、日の光はあまり宜しくはないですね……ですが潮折様がお迎えになった以上、私がとやかく言う権利はありませんので……潮折様のご判断で扱われて下さい」
「……いいえ、やめておくわ。せっかく此方で大切にされていた子達ですもの」
「そうでございますか……ありがとうございます、あなたのような方に迎えられて、皆とても幸せですね」
「ふふ、そうだといいわね」
そうして暫く、最近あったことや前回購入された商品の感想等、とりとめのない話をしながら、潮折様はのんびりと商品を眺める。
その際の横顔は、少女のように好奇心や楽しみでいっぱいだ。老眼鏡越しに目を輝かせながら、彼女はいつも直感で商品を選ばれる。
その為、彼女が選んでいる間は商品達も静かだ。
「今日はこちらを頂くわ」
「いつもありがとうございます、こちらは私もお勧めです、きっと気に入られますよ」
「まあ、それは楽しみだわ! ふふ、来週もまた来るわね」
「はい、お待ちしておりますね」
抱えた商品分の重さを感じさせない、来た時よりも心なしか軽やかな足取りで、杖の音と共に潮折様は店を後にした。
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