前回のあらすじ
新必殺技をもって見事角猪を仕留めたリリオ。
老師もといウルウの教えが活きた瞬間であった。
ともあれ、今回はややグロ注意なので気を付けよう。
思ったより早かったというべきか、リリオにしては遅かったというべきか、ちょっと判断に迷う時間がたって、二人が帰ってきた。ウルウの《自在蔵》は本当に底なしだから手ぶらなのは別に驚きはしなかったけれど、リリオの髪がぼさぼさになって、あちこち薄汚れているのには驚いた。
「なに? 苦戦したの?」
「苦戦したというか、何というか……」
「ごめん。私がちょっと遊び過ぎた」
「リリオじゃなくて?」
「今日は私」
リリオが油断したり失敗したり遊んだりというのはよくあるけれど、ウルウが遊んだというのはちょっと意外だった。そもそも戦闘とかにはあんまりかかわらないって言うのもあるけど、生真面目なところがあるのよね、ウルウって。
だからまあ、呆れたは呆れたけど、ちょっと嬉しかったは嬉しかったわよね。
あとでどんな風に遊んでいたのかを聞いてすっかり呆れたけどね。
なによ『超電磁バリアー改』とかって………。
あたしも呼びなさいよ!
そりゃあたしにはできないかもしれないけど、あたしだって必殺技の一つや二つ欲しいわよ!
あたしは辺境の武装女中とはいえやっぱり三等だからね、リリオみたいに上等な武器を下賜いただいたってわけでもなし、やっぱりそう言うの、憧れるわよ。大具足裾払の武具なんて贅沢は言わないけど、飛竜の牙の小刀一揃いとか、それくらいは欲しいわよねえ。
まあ、あたしがあんまり上等な武具を手に入れたって、リリオ程魔力があるわけでなし器用貧乏な使い方になるでしょうけどね。
…………ウルウならあんまり魔力使わないで便利な使い方ができる魔道具とか持ってないかしら。
それ貰って強くなって嬉しいかって言われたら複雑なとこだけど。
ま、いいわ。
ウルウが相変わらず気持ち悪い具合に《自在蔵》からずるうりと大きな角猪を一頭引きずり出した。角は折られているけど……これ、まだ生きてるわね。全く、本当にどんな手品遣ったらこんな風に無傷で気絶させられるのかしら。
「ほおう、ほう。これは成程、見事な御手前ですなあ」
「あなたでも難しいかな」
「拙僧を試しておられるのかな」
ニッ、とウールソさんが笑うけど……成程、《一の盾》の一員であるわけだ。空気が重くなるような圧力さえ感じる。
とはいえそれも一瞬。すぐにその空気も霧散する。
「そうですな。いかなる手段を用いられたかは存じませぬが……やってやれぬことはないことですな」
はっはっはっと鷹揚に笑うウールソさんだけど、下手したら一喝するだけで角猪くらいなら気絶させられる、と言われても信じられそうだ。
《一の盾》の面子とはこれで三度にわたって行動を共にすることになるけれど、ガルディストさんの時も、あのパフィストのクソの時も、そしてウールソさんにしても、まるで底が見えない、とまでは言いたくないけれど、それでもまず敵う気がしない。まるで女中頭達のようだ。
「さって、早速解体しましょうか」
さ。頭を切り替えよう。
秋も深まってきて随分冷えるから、痛む心配はあんまりないけど、目を覚ます前に仕留めてしまった方がいい。
私たちはこの角猪を力を合わせて担いで川辺まで運び、首筋を切り裂いて息の根を止め、川に沈めて冷やした。血抜きの意味もあるけど、冷やすことの方が大事だ。
よく血が臭うというけれど、あれは実際には血が腐るのが早いからだ。傷口から毒が入り、その毒は血に乗って体に運ばれる。だからまず血が腐り、次に内臓が腐り、そして肉が腐る。
これを防ぐために血を抜くし、腐るのを遅らせるために冷やす。
凍りそうに冷たい川の水なら、文句はないわ。
血抜きの間に、傍で火を起こして、小鍋に水を沸かしておく。
猪ってのは総じて脂が多いから、どんなによく研いだ刀でもすぐに切れ味が鈍くなるのよ。そう言うときはお湯につけてやって脂をとるの。
さて、すっかり血が抜けたら、狩猟刀でお腹を開いていく。
あ、わかってると思うけど、素手でやっちゃ駄目よ? あたしみたいにちゃんと革の手袋をしてやること。それに革の前掛けもないとえらく汚れるわよ。
…………武装女中の前掛けって、防具の意味の他にこういう事も意図してるのかしら。
まず喉元から尻まで、お腹の表面の、皮と脂肪だけを切っていく。ここで調子に乗って深く切ると内臓まで切り開いちゃってお腹の内側で中身が漏れるから、皮の下の膜を切らないように気を付ける。
こいつは雄みたいだから、ブツも切り取る。珍味と言えば珍味なんだけど、全体からしたら小っちゃい割に、格段美味しいというわけでもなし、あたしたち乙女にはあんまり人気がない。別にまずいってわけじゃないんだけど、聞こえが悪いじゃない。
あ、でも白子は美味しい。獲れたてじゃないと危ないけど、生で食べるとなかなか乙だ。すこし臭みというか、独特の匂いがあるけど、口の中でねっとりととろける味わいはなかなか他に見ない。
まあこちらもウルウが嫌そうな顔をするので、今回は無理してまで食べることはない。最近慣れてきたとはいえ、リリオよりある意味お嬢様育ちなのよね、ウルウって。
お次は鉈の出番だ。胸骨に沿って肋骨を断っていき、胸元までくつろげてやる。そして骨盤も割って、左右に広げる。肛門のあたりを切り開いて、出口を縛って中身が漏れないようにしてやる。
ここまで来ると後は割と楽だ。胸から腹の膜を切り開いてやり、手を突っ込んでノドスジを掴んでやり、お尻の方へと引っ張ってやれば、ずるりと全体が抜ける。ってウルウに説明したら無理って顔されたけど、まあ二、三回やればコツがつかめるわよ。大きすぎて一度に全体が辛いときは、胃とはらわた、肝臓、肺って具合に三段階に抜くと楽かしらね。
まあ楽って言っても、これだけ大きいとさすがに苦労するわ。交易貫でまあ、二百キログラムいくかいかないかくらいはあるのかしら。あたし五人分とまでは言わないけど、四人分くらいはあるわね。……詳しい数字は秘密だけど。
力自慢のリリオが手伝ってくれるから楽だけど、あたし一人だったらもっと時間かかるわよ。というか無理よ。リリオ一人でも無理かも。力があっても体重差がね。ウルウは上背もあるけど、勝手がわからないしおっかなびっくりだからかえって邪魔だし。
ぼろりと零れ出るように外れた内臓は美味しいは美味しいけど、処理が面倒だから、今日のところはもったいないけど捨てちゃう。いやほんと、面倒くさいのよ。汚物抜いて、綺麗に洗って、内側こそいで。水の神官とかがいてくれたら浄化の術であっという間なんだけど、あたしみたいな半端な魔術使いじゃあ、ちょっとそこまでは無理ね。
それにウルウが気持ち悪そうな顔してるし。
なんだかんだ繊細よね、ウルウって。以前話にだけ聞いた、ほとんど無傷で殺す技って、要するに血を見たりするのが苦手だからなのかしら。だからって針一本で殺すっていうのも大概だと思うけど。
さて、ちょっと休憩したら今度は皮剥ぎ。
猪の類は脂が美味しいから、この分厚い脂の層をできるだけ肉の側に残しつつ、皮を剥いでいくわ。足のところに切れ目を入れて、次はお腹側に切れ目を入れて、それから胸元から鼻先にかけて切れ目を入れて、あとは少しずつ刃を入れて剥いでいく。リリオはこういう作業あんまり得意じゃないから、替えの小刀をお湯で洗って用意してもらうわ。
私の方が得意って言っても、まあ猪の脂ってのは皮としっかりくっついてるから、簡単にはいかないわね。鹿とかなら、それこそリリオ曰く「靴下でも脱がすように」くるくると剥げるんだけどね。人間ならもうちょっと――ごほん。
でも、手早くやらないと、これだけ大きい猪だとどれくらいかかることかしら。
そう思っていたら、さすがに慣れてきたのか、ウルウが手伝いに入ってくれた。
「どうやるの?」
「こう、こう、こうやって」
「こんな感じ、かな」
「そうそう。リリオより呑みこみいいわ」
「ぐへぇ」
ウルウはぎこちないように見えるけど、手先の器用さは抜群ね。おまけに見た目と裏腹に握力が万力みたいにあるから、脂で滑る皮もがっしり掴んですいすい剥いでいく。教えたあたしより速いんじゃないかしら。
何度かリリオの洗ってくれた小刀に交換しながら、あたしたちは綺麗な一枚皮をはぎ終えたわ。
脂の分厚い猪って、皮をはぐと真っ白なのよね。背中はたてがみの跡が残ってるけど、他はすっかり蝋で包んでるみたい。
まあこんなに早く剥げるのは、ウルウの手際が思ったよりいいせいね。普通なら何時間かかかるわよ。疲れてきたのか途中から何人かいるように見えたし。
「実際分身したんだよ」
真顔で言われたけど、ウルウなら本当にやりそうで怖い。
さて、すっかり皮を剥いだら、いわゆる「お肉」の形まで解体していく。ここからはリリオの方が適役ね。
「リリオ」
「はいはい。主遣いが荒いんですから」
しゃらんと軽やかな音を立てて剣が抜かれ、川原に寝かせられた角猪の体にためらいなく振り下ろされる。普段は器用さなんてまるでないように見えるリリオだけど、こと剣技に関しては目を見張るようなところがある。多少雑に扱っても欠けることさえない大具足裾払の剣だっていうのもあるんだろうけれど……。
「ほう……実に滑らかな」
ウールソさんも感心したように顎をさする。
頭をするりと断ち落とし、返す刃で角猪の分厚い脂の層も、丈夫な背骨も、まるで溶けたバターのようにするりと縦半分に両断しながら、でも寝かせた河原の石には傷一つない。
ある程度腕の立つ辺境の剣士なら同じようなことはできるけど、リリオの恐ろしいところは、失敗するはずなどないという絶対的な確信よね。自分の技を信じることは誰でもする。でも確信することは誰にでもできることじゃあないわ。
それが危うくもあるし、鋭くもある。剃刀の刃のような、そんな。
リリオは剣の脂を拭って、狩猟刀に持ち替える。
「とりあえず、今日食べる分だけ残して、あとは《自在蔵》にしまっておきましょうか」
「私の《自在蔵》なんだけど」
「まあまあ」
足を外すときは、骨の形を確認しながら刃を入れ、関節を外して、切り落とす。
胴、前肩、股の三つのブロックに分け、骨を外して、肉を小分けにして、はー、またこの作業だけでも一仕事ね。またウルウがなんか増えてたから早く済んだけど。
「…………ウルウ殿は、シノビの術を身に着けておられる?」
「西方の魔術でしたっけ。あたしたちもわかりません。あれはああいう生き物だと思ってるので」
「ああいう生き物」
「はい」
「はあ」
私たちは売れそうな綺麗な部分を手分けしてまとめて《自在蔵》にしまい込み、それから骨をどうしようかと相談しました。
「これだけ綺麗だったら標本用に売れないかしら」
「背骨断っちゃってますし。厳しいですよねえ」
「煮込んで出汁とる?」
「骨から出汁とるのって相当時間かかるのよ」
「撒餌にしますかな」
「撒餌?」
ウールソさんの提案にあたしたちは小首を傾げた。
「《一の盾》として活動していたころは、角猪などの害獣の骨や肉を餌に、上位の魔獣などを誘き寄せては討伐していたものです」
「例えば?」
「そうですなあ、熊木菟などがよく釣れましたな」
「よく狩ってたんですか?」
「素材がよく売れますしな。それに、美味い」
これにはあたしもリリオも顔を見合わせた。
というのも、熊木菟の肉は独特の獣臭がきつくてまずいと言うのがもっぱらの噂だからです。
「美味しいんですか?」
「美味いですとも。とはいえ、食い方は秘伝ですが」
「むーん」
「何しろ拙僧は、山椒魚人から学んだ熊鍋の腕で《一の盾》に招かれましたからな」
「えっ」
「クソ忌々しいことにあのメザーガという男は拙僧をしこたま転がした挙句鍋が美味いという理由だけでパーティに引き入れましてな」
「そりゃ怒るわ」
温厚なウールソさんでも思い出し怒りするものらしい。
用語解説
・交易貫
もともと帝国では、長さや重さといった単位をそれぞれの国や種族毎の単位で扱っていた。
交易貫とは交易尺などとともに近年帝都で制定された単位であり、公的事業においてはこの単位を使用することが法で定められており、また交易尺貫法を用いるものが優遇される方針にある。
交易貫はグラムと呼ばれ単位を基準に、キログラム、トンなどと呼ばれる単位が用いられる。
・シノビの術
忍術、ニンポなど。西方の小国で編み出されたとされる独特の魔術。
新必殺技をもって見事角猪を仕留めたリリオ。
老師もといウルウの教えが活きた瞬間であった。
ともあれ、今回はややグロ注意なので気を付けよう。
思ったより早かったというべきか、リリオにしては遅かったというべきか、ちょっと判断に迷う時間がたって、二人が帰ってきた。ウルウの《自在蔵》は本当に底なしだから手ぶらなのは別に驚きはしなかったけれど、リリオの髪がぼさぼさになって、あちこち薄汚れているのには驚いた。
「なに? 苦戦したの?」
「苦戦したというか、何というか……」
「ごめん。私がちょっと遊び過ぎた」
「リリオじゃなくて?」
「今日は私」
リリオが油断したり失敗したり遊んだりというのはよくあるけれど、ウルウが遊んだというのはちょっと意外だった。そもそも戦闘とかにはあんまりかかわらないって言うのもあるけど、生真面目なところがあるのよね、ウルウって。
だからまあ、呆れたは呆れたけど、ちょっと嬉しかったは嬉しかったわよね。
あとでどんな風に遊んでいたのかを聞いてすっかり呆れたけどね。
なによ『超電磁バリアー改』とかって………。
あたしも呼びなさいよ!
そりゃあたしにはできないかもしれないけど、あたしだって必殺技の一つや二つ欲しいわよ!
あたしは辺境の武装女中とはいえやっぱり三等だからね、リリオみたいに上等な武器を下賜いただいたってわけでもなし、やっぱりそう言うの、憧れるわよ。大具足裾払の武具なんて贅沢は言わないけど、飛竜の牙の小刀一揃いとか、それくらいは欲しいわよねえ。
まあ、あたしがあんまり上等な武具を手に入れたって、リリオ程魔力があるわけでなし器用貧乏な使い方になるでしょうけどね。
…………ウルウならあんまり魔力使わないで便利な使い方ができる魔道具とか持ってないかしら。
それ貰って強くなって嬉しいかって言われたら複雑なとこだけど。
ま、いいわ。
ウルウが相変わらず気持ち悪い具合に《自在蔵》からずるうりと大きな角猪を一頭引きずり出した。角は折られているけど……これ、まだ生きてるわね。全く、本当にどんな手品遣ったらこんな風に無傷で気絶させられるのかしら。
「ほおう、ほう。これは成程、見事な御手前ですなあ」
「あなたでも難しいかな」
「拙僧を試しておられるのかな」
ニッ、とウールソさんが笑うけど……成程、《一の盾》の一員であるわけだ。空気が重くなるような圧力さえ感じる。
とはいえそれも一瞬。すぐにその空気も霧散する。
「そうですな。いかなる手段を用いられたかは存じませぬが……やってやれぬことはないことですな」
はっはっはっと鷹揚に笑うウールソさんだけど、下手したら一喝するだけで角猪くらいなら気絶させられる、と言われても信じられそうだ。
《一の盾》の面子とはこれで三度にわたって行動を共にすることになるけれど、ガルディストさんの時も、あのパフィストのクソの時も、そしてウールソさんにしても、まるで底が見えない、とまでは言いたくないけれど、それでもまず敵う気がしない。まるで女中頭達のようだ。
「さって、早速解体しましょうか」
さ。頭を切り替えよう。
秋も深まってきて随分冷えるから、痛む心配はあんまりないけど、目を覚ます前に仕留めてしまった方がいい。
私たちはこの角猪を力を合わせて担いで川辺まで運び、首筋を切り裂いて息の根を止め、川に沈めて冷やした。血抜きの意味もあるけど、冷やすことの方が大事だ。
よく血が臭うというけれど、あれは実際には血が腐るのが早いからだ。傷口から毒が入り、その毒は血に乗って体に運ばれる。だからまず血が腐り、次に内臓が腐り、そして肉が腐る。
これを防ぐために血を抜くし、腐るのを遅らせるために冷やす。
凍りそうに冷たい川の水なら、文句はないわ。
血抜きの間に、傍で火を起こして、小鍋に水を沸かしておく。
猪ってのは総じて脂が多いから、どんなによく研いだ刀でもすぐに切れ味が鈍くなるのよ。そう言うときはお湯につけてやって脂をとるの。
さて、すっかり血が抜けたら、狩猟刀でお腹を開いていく。
あ、わかってると思うけど、素手でやっちゃ駄目よ? あたしみたいにちゃんと革の手袋をしてやること。それに革の前掛けもないとえらく汚れるわよ。
…………武装女中の前掛けって、防具の意味の他にこういう事も意図してるのかしら。
まず喉元から尻まで、お腹の表面の、皮と脂肪だけを切っていく。ここで調子に乗って深く切ると内臓まで切り開いちゃってお腹の内側で中身が漏れるから、皮の下の膜を切らないように気を付ける。
こいつは雄みたいだから、ブツも切り取る。珍味と言えば珍味なんだけど、全体からしたら小っちゃい割に、格段美味しいというわけでもなし、あたしたち乙女にはあんまり人気がない。別にまずいってわけじゃないんだけど、聞こえが悪いじゃない。
あ、でも白子は美味しい。獲れたてじゃないと危ないけど、生で食べるとなかなか乙だ。すこし臭みというか、独特の匂いがあるけど、口の中でねっとりととろける味わいはなかなか他に見ない。
まあこちらもウルウが嫌そうな顔をするので、今回は無理してまで食べることはない。最近慣れてきたとはいえ、リリオよりある意味お嬢様育ちなのよね、ウルウって。
お次は鉈の出番だ。胸骨に沿って肋骨を断っていき、胸元までくつろげてやる。そして骨盤も割って、左右に広げる。肛門のあたりを切り開いて、出口を縛って中身が漏れないようにしてやる。
ここまで来ると後は割と楽だ。胸から腹の膜を切り開いてやり、手を突っ込んでノドスジを掴んでやり、お尻の方へと引っ張ってやれば、ずるりと全体が抜ける。ってウルウに説明したら無理って顔されたけど、まあ二、三回やればコツがつかめるわよ。大きすぎて一度に全体が辛いときは、胃とはらわた、肝臓、肺って具合に三段階に抜くと楽かしらね。
まあ楽って言っても、これだけ大きいとさすがに苦労するわ。交易貫でまあ、二百キログラムいくかいかないかくらいはあるのかしら。あたし五人分とまでは言わないけど、四人分くらいはあるわね。……詳しい数字は秘密だけど。
力自慢のリリオが手伝ってくれるから楽だけど、あたし一人だったらもっと時間かかるわよ。というか無理よ。リリオ一人でも無理かも。力があっても体重差がね。ウルウは上背もあるけど、勝手がわからないしおっかなびっくりだからかえって邪魔だし。
ぼろりと零れ出るように外れた内臓は美味しいは美味しいけど、処理が面倒だから、今日のところはもったいないけど捨てちゃう。いやほんと、面倒くさいのよ。汚物抜いて、綺麗に洗って、内側こそいで。水の神官とかがいてくれたら浄化の術であっという間なんだけど、あたしみたいな半端な魔術使いじゃあ、ちょっとそこまでは無理ね。
それにウルウが気持ち悪そうな顔してるし。
なんだかんだ繊細よね、ウルウって。以前話にだけ聞いた、ほとんど無傷で殺す技って、要するに血を見たりするのが苦手だからなのかしら。だからって針一本で殺すっていうのも大概だと思うけど。
さて、ちょっと休憩したら今度は皮剥ぎ。
猪の類は脂が美味しいから、この分厚い脂の層をできるだけ肉の側に残しつつ、皮を剥いでいくわ。足のところに切れ目を入れて、次はお腹側に切れ目を入れて、それから胸元から鼻先にかけて切れ目を入れて、あとは少しずつ刃を入れて剥いでいく。リリオはこういう作業あんまり得意じゃないから、替えの小刀をお湯で洗って用意してもらうわ。
私の方が得意って言っても、まあ猪の脂ってのは皮としっかりくっついてるから、簡単にはいかないわね。鹿とかなら、それこそリリオ曰く「靴下でも脱がすように」くるくると剥げるんだけどね。人間ならもうちょっと――ごほん。
でも、手早くやらないと、これだけ大きい猪だとどれくらいかかることかしら。
そう思っていたら、さすがに慣れてきたのか、ウルウが手伝いに入ってくれた。
「どうやるの?」
「こう、こう、こうやって」
「こんな感じ、かな」
「そうそう。リリオより呑みこみいいわ」
「ぐへぇ」
ウルウはぎこちないように見えるけど、手先の器用さは抜群ね。おまけに見た目と裏腹に握力が万力みたいにあるから、脂で滑る皮もがっしり掴んですいすい剥いでいく。教えたあたしより速いんじゃないかしら。
何度かリリオの洗ってくれた小刀に交換しながら、あたしたちは綺麗な一枚皮をはぎ終えたわ。
脂の分厚い猪って、皮をはぐと真っ白なのよね。背中はたてがみの跡が残ってるけど、他はすっかり蝋で包んでるみたい。
まあこんなに早く剥げるのは、ウルウの手際が思ったよりいいせいね。普通なら何時間かかかるわよ。疲れてきたのか途中から何人かいるように見えたし。
「実際分身したんだよ」
真顔で言われたけど、ウルウなら本当にやりそうで怖い。
さて、すっかり皮を剥いだら、いわゆる「お肉」の形まで解体していく。ここからはリリオの方が適役ね。
「リリオ」
「はいはい。主遣いが荒いんですから」
しゃらんと軽やかな音を立てて剣が抜かれ、川原に寝かせられた角猪の体にためらいなく振り下ろされる。普段は器用さなんてまるでないように見えるリリオだけど、こと剣技に関しては目を見張るようなところがある。多少雑に扱っても欠けることさえない大具足裾払の剣だっていうのもあるんだろうけれど……。
「ほう……実に滑らかな」
ウールソさんも感心したように顎をさする。
頭をするりと断ち落とし、返す刃で角猪の分厚い脂の層も、丈夫な背骨も、まるで溶けたバターのようにするりと縦半分に両断しながら、でも寝かせた河原の石には傷一つない。
ある程度腕の立つ辺境の剣士なら同じようなことはできるけど、リリオの恐ろしいところは、失敗するはずなどないという絶対的な確信よね。自分の技を信じることは誰でもする。でも確信することは誰にでもできることじゃあないわ。
それが危うくもあるし、鋭くもある。剃刀の刃のような、そんな。
リリオは剣の脂を拭って、狩猟刀に持ち替える。
「とりあえず、今日食べる分だけ残して、あとは《自在蔵》にしまっておきましょうか」
「私の《自在蔵》なんだけど」
「まあまあ」
足を外すときは、骨の形を確認しながら刃を入れ、関節を外して、切り落とす。
胴、前肩、股の三つのブロックに分け、骨を外して、肉を小分けにして、はー、またこの作業だけでも一仕事ね。またウルウがなんか増えてたから早く済んだけど。
「…………ウルウ殿は、シノビの術を身に着けておられる?」
「西方の魔術でしたっけ。あたしたちもわかりません。あれはああいう生き物だと思ってるので」
「ああいう生き物」
「はい」
「はあ」
私たちは売れそうな綺麗な部分を手分けしてまとめて《自在蔵》にしまい込み、それから骨をどうしようかと相談しました。
「これだけ綺麗だったら標本用に売れないかしら」
「背骨断っちゃってますし。厳しいですよねえ」
「煮込んで出汁とる?」
「骨から出汁とるのって相当時間かかるのよ」
「撒餌にしますかな」
「撒餌?」
ウールソさんの提案にあたしたちは小首を傾げた。
「《一の盾》として活動していたころは、角猪などの害獣の骨や肉を餌に、上位の魔獣などを誘き寄せては討伐していたものです」
「例えば?」
「そうですなあ、熊木菟などがよく釣れましたな」
「よく狩ってたんですか?」
「素材がよく売れますしな。それに、美味い」
これにはあたしもリリオも顔を見合わせた。
というのも、熊木菟の肉は独特の獣臭がきつくてまずいと言うのがもっぱらの噂だからです。
「美味しいんですか?」
「美味いですとも。とはいえ、食い方は秘伝ですが」
「むーん」
「何しろ拙僧は、山椒魚人から学んだ熊鍋の腕で《一の盾》に招かれましたからな」
「えっ」
「クソ忌々しいことにあのメザーガという男は拙僧をしこたま転がした挙句鍋が美味いという理由だけでパーティに引き入れましてな」
「そりゃ怒るわ」
温厚なウールソさんでも思い出し怒りするものらしい。
用語解説
・交易貫
もともと帝国では、長さや重さといった単位をそれぞれの国や種族毎の単位で扱っていた。
交易貫とは交易尺などとともに近年帝都で制定された単位であり、公的事業においてはこの単位を使用することが法で定められており、また交易尺貫法を用いるものが優遇される方針にある。
交易貫はグラムと呼ばれ単位を基準に、キログラム、トンなどと呼ばれる単位が用いられる。
・シノビの術
忍術、ニンポなど。西方の小国で編み出されたとされる独特の魔術。