息苦しく重苦しく、締め付けられるような眠りから目覚めて、妛原 閠は自分がひとりの暗殺者になっていることに気づいた。
自分で言っていても意味が分からないけれど、今もって意味が分からないのだから仕方がない。
ドイツ人作家の真似をしてみたところで文才のない私にはこのくらいが限度だ。いや、果たしてドイツ人だったか。カフカっていう名前はどうもドイツ人っぽくない。作品に興味はあっても作家にはあんまり興味がないので調べたことがなかった。たぶんオーストリア人かチェコ人だろう。
まあ作家のことはこの際どうでもいい。
大事なのは私がグレゴール・ザムザよろしく一夜にして変身を遂げていたことだった。幸いにして私は見るも悍ましい毒虫に変わっているということはなかったのだけれど、環境の変化という意味ではなかなかに大きなもののように思う。
まず、恐らく私は部屋で眠りに落ちた。恐らくというのは、ベッドに入った記憶がないので、多分いつもの通りパソコンの画面を前にゲームプレイにいそしみ、そのまま寝落ちしてしまったと思われるからだ。
いつもであれば騒々しいアラームに起こされ、何度かのスヌーズと戦いながら目を覚ますのだけれど、今朝はちかちかと差し込む日の光の眩しさに起こされ、寝坊したかと大慌てで体を起こしたところ、爽やかな朝の風と囀る小鳥、そしてマイナスイオン漂う木々と遭遇する羽目になったのだった。
一夜にして我が家の壁が倒壊して外気にさらされる羽目になったとしても、都市部に住む身としては広がる緑自体が馴染み薄い。よしんば一夜にして我が家の壁が倒壊して外気にさらされた上に、これまた一夜にして侵略性外来植物が盛大にはびこったとしてもここまで繁茂することはなかろうという森林っぷりである。
こうなると家自体はこの際考えないものとして、私の体自体が一夜の内に運び出され森の中に放置されたものだろうかとも考えたのだけれど、そんなことにいったい何のメリットがあるというのだろうか。
これが仮にコンクリート打ちっぱなしの薄暗い倉庫とかに閉じ込められていたなら、何がしかの違法取引に端っこの方が触れてしまったために拉致されて、コンクリート詰めにされるべく身柄を拘束されているのかもしれないと思えたのだけれど、しかし森だ。今日日徒歩圏内で探すことの方が難しいレベルのすがすがしい空気とマイナスイオンがあふれる森だ。心地よい鳥の囀り付き。
このあたりで段々とはっきり目が覚めてきて、何故の一言が頭の中を巡り続けたが当然答えなど出ようもない。
とにかく何かわからないかと咄嗟に枕もとのタブレットに手を伸ばしたのは現代人としてはいたって普通の反応だとは思うけれど、もちろんそんなものはなかった。なにしろ枕もとどころか枕自体ないし、ベッドもなければコンセントもないしアダプタに接続されて充電していたタブレットもあるわけがない。身一つなのだ。
何ならあるのか。寝巻か。寝巻しかないのか。量販店で一番安いからという理由で買ってきた青無地パジャマ女性用フリーサイズ(夏用)しかないのか。買ってきた後に自分が女性としてはいささか図体がでかいためにフリーサイズとは名ばかりの決してフリーではない制限から微妙にはみ出してしまいやや寸足らずの寝巻しかないのか。いくら夏とはいえそんな薄着で野外をうろつくのは肌寒いにもほどがある。
しかも私は寝るときは下着をつけない派なのだ。身を守るものが布一枚しかないというのはあまりにも無防備だ。
いや、下着一枚増えたところで暴漢相手には何の抵抗にもならないかもしれないけれど、あるとないとでは精神強度がだいぶ異なるのだ。
そう考えるとビキニアーマーは物理防御力は紙に等しいかもしれないが、攻撃に徹する限りはある程度の安心が得られる心の防具なのかもしれない。絶対食い込んで痛いが。
頭を抱えてしばしそんな現実逃避に興じ、とうとう仕方がないと覚悟を決めて我が身を見下ろし、そして私はさらなる困惑に陥った。
ない。
寝巻がないのである。
いや、真っ裸ということではない。
正確に言うと寝巻ではない、ということだ。
スーツ姿で寝入ってしまったということでもなく。
さすがの私も仕事から帰って着替えもせずにゲームに癒しを求めるほど疲れ切ってはいない。と思う。そう信じよう。信じる者は儲かる。その割に薄給だが。
見下ろした私は奇妙な衣服を身にまとっていた。
足元は見慣れない編み上げのブーツを履き、手もよくよく見てみれば手袋をつけ革の手甲のようなものを巻いている。髪に触れる感触に手をやってみれば、フード付きのマントのようなものを着込んでいるらしい。
マントの下には動きやすそうな黒の上下を着込んでおり、腰のベルトにはポーチや用途不明の瓶やアクセサリーや、ちょっとぎょっとしたがナイフらしきものが下げられていた。
勘違いしないでほしいのだけれど、これは全く私の趣味の服装という訳ではない。普段からこんな格好で街なんて歩いたら目立って仕方がない。普段の私はもっと地味で目立たない格好を心掛けているし、そもそも街なんて必要でもなければ出歩かない引きこもりなのだ。その必要さえ通販で済ませてしまいたいくらいだ。
ともあれこの謎の格好に私はしばらく困惑した。
マントに銀糸で刺繍された瀟洒な模様やら、時代錯誤な感の否めない古めかしい衣装やら、腰の瓶に収められたやけにケミカルな色の液体やらに眉をひそめてなんだこのファンタジーグッズはと思い、そしてハタと気づいたのだった。
ファンタジー。
そう、それはまさしくファンタジーの世界のものだったのだ。
立ち上がってよくよく調べてみれば、私の服装――というよりはこう言った方がいいか。私の《装備》は私が寝落ち寸前までプレイしていたMMORPGの使用キャラクターのものだったのだ。
MMORPG、つまりマッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲームとは、インターネットを介して大規模にそして多人数のプレイヤーがリアルタイムで同時に参加するオンラインゲームの一種で、特にコンピューターRPG風のものだ。
私は現実逃避と癒しと時間潰しを目的にそのうちの一つをプレイしていて、学生の頃からコツコツ地道にレベルを上げていまや立派な中毒者だった。ゲームの中ではレベルが上がったのに現実では人間としてレベルが下がってしまった気はするがそんなことはどうでもいい。
ゲームにおけるキャラクターはディフォルメされていてここまでのリアリティはなかったけれど、しかし服装の特徴は確かにプレイしていたキャラクターである《暗殺者》のものと一致した。まあ正確にはその系統の最上位職だけれど、何にせよ毎日のように見ているのだから間違えようもない。
問題はどうしてこんなコスプレをして見知らぬ森の中に寝かされていたのかということだ。コスプレにしてはえらくクォリティが高いけれど、作って作れないことはないのだろうと思う。私は作る気もないし作る技術もないけれど。
とにかく服があるならある程度は安心だと、私は早速情報を集めようと歩き出した。
まあ私の場合はそこまで頭が回っていなかったけれど、良い子のみんなは状況がわからない時に無暗に歩き出すのはお勧めしない。ただでさえ森の中というのは景色に特徴がなく地形を覚えづらいため、普通は半端な目印くらいではすぐに迷ってしまう。唯一の手掛かりである初期位置さえ喪失してしまえばもはや手掛かりは一切失われる。森歩きに半端に慣れているものほど陥りがちと聞くが、私などは都会生まれ都会育ちの悪い奴にも良い奴にも大体友達がいないコンクリートジャングルに育まれたもやしだ。この行動はあんまりにも無防備だといってよかった。記憶に関しては問題ないという確信があったとはいえ普通は怒られる。
さて。
あんまりにも無防備に無造作に適当に歩き出した私は、落ち着いたとは思っていてもやっぱりまだ冷静ではなかったようだ。本当に落ち着いていたならば、私はもっといろいろなことを考え、いろいろなことに気づき、そしていろいろな問いかけに至ったはずだったのだ。
なぜ日の光が木々にさえぎられる薄暗い森の中で、こんなにもはっきりと物が見えるのか。階段を上るのさえ億劫な事務職が歩きなれない森をどうして疲れもなく歩き続けられるのか。嗅いだこともない川のにおいに気づき、自然とそちらに歩み始める感覚は何なのか。
そして。
「……なんで………」
私はようやくそこに至って初めて問いかけた。
「なんでこんなことが、できるんだろう……」
私の前には、明らかに未確認生物である角の生えた巨大な猪が牙を剥いた状態で断頭され絶命していた。
茂みから、彼あるいは彼女としては十分に不意を突いたつもりで仕掛けてきた奇襲を、私の奇妙な感覚の上でははるか以前から気付いていた獣の襲撃を、反射的に振るわれた私の手刀が一刀のもとに切り捨てたのだった。
たぶん以前の私だったら目で見ることさえできないほど鋭く繰り出された手刀は、分厚く鍛えられた空手家の手がビール瓶の首を切るよりも容易く、それこそ宴会芸よろしくこの獣の首をぞふりと気軽に切り落としたのだった。
いまだ自分が死んだことも理解できないままの頭部がくるくると宙を舞う間に、私は自然な動作で血を払い、断面から血が噴き出るより早く胴体を蹴り飛ばしてどかし、他にはいないかと視線と感覚を巡らせた。
そしてどすんと重たげな音を立てて首が落ちてきてふと我に返り、返り血一つなく、しかし手にははっきりと血と脂のぬめりを感じる自分を見下ろし、あまりのわけのわからなさに困惑した。
目覚めてからこっち、ひたすらに困惑しっぱなしだった。
驚きに叫べばよかったのだろうか。
声を出して泣き叫べばよかったのだろうか。
訳が分からないと喚き散らし、誰かに助けを求めればよかったのだろうか。
これは夢なんだと必死に願って、安穏とした眠りに戻れることを祈って目をつぶればよかったのだろうか。
しかし半端に冷静になった私の喉元で叫びは押し殺され、涙腺は遥か昔に使い方を忘れ、助けを求める相手など神様にだっていやしない。そして夢でないことはどうしようもなく五感を圧迫する刺激が教えてくれた。
息苦しく重苦しく、締め付けられるような現実から抜けて、私は自分がひとりの暗殺者になっている幻想に気づいたのだった。
用語解説
・異界転生譚 ゴースト・アンド・リリィ
いかいてんしょうたん、と読む。
・妛原 閠(あけんばら うるう)
26歳。女性。事務職。趣味はMMORPG。
・MMORPG
Massively Multiplayer Online Role-Playing Game(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム)の略。大規模多人数同時参加型オンラインRPGなどと訳される。
・ゲーム
作中で閠がプレイしていたMMORPG。タイトルは「エンズビル・オンライン」。某MMORPGを参考にしている。
・《暗殺者》
初期《職業》である《盗賊》から派生する上位《職業》及びその系統の総称。
高い武器攻撃力、高い素早さによる連撃、高い器用さによるクリティカルで効果力をたたき出すトリッキーな《職業》。姿を隠したりする直接攻撃力にはかかわらない特殊な《技能》が多い。
妛原閠は《盗賊》→《暗殺者》→《執行人》→《死神》と続く《暗殺者》系統の最上位職。詳細は後述するが産廃職。
『暗殺者と親しくするのはお勧めしない。自分が暗殺者だと公言してる奴なんて、まず長生きしないからな』
前回のあらすじ
26歳事務職の妛原閠は、ゲーム内のキャラクターの体で見知らぬ場所に目覚めた。
そしてついうっかり出会い頭の罪もない野生動物をキリステし、このファンタジー世界の無常を噛み締めるのだった。
少しかじった程度の知識なのだけれど、神道には穢れの概念がある。不浄なもの、好ましからざるものを穢れとする。死や病、怪我も穢れだ。そしてこの穢れは伝染するものとされる。例えば昔の公家などは、出勤中に動物が死んでいるのを見かけて、穢れを祓うためにしばらく籠るということもあったようだ。私も出勤したくない時に使いたい言い訳だと思う。
今まで私はこの穢れという概念をそういった文献上の言葉としてしか認識していなかったのだけれども、今回間近で死に立てほやほやの死体を目にするにあたって、穢れというものを体感した。
恐ろしいとか、自分のしでかしたことに対する不安とか、そういったものよりも先に、暖かさを失っていく物言わぬむくろに私が感じたのはただ一つだった。
気持ち悪い。
ただそれだけだった。
直前まで生きていたものだった。もし彼或いは彼女が友好的で、のんびりと鼻先を出してきたりなどしたら、私はもしかしたらおっかなびっくり撫でてやって、そしてその暖かさや、硬くてちくちくする毛の感触にいちいち驚いたり笑ったりしていたかもしれない。洗っていない獣のにおいに顔をしかめたり、べろんちょと舐められて汚いなあと手を拭ったかもしれない。
しかしそういった出会いは得られなかった。
彼或いは彼女は明確に私を襲うつもりでやってきて、そして私はその敵意に夢現のような心地で反射的にこれを殺戮していた。女としては背が高いとはいえ、どうしても細身な私は大した脅威にも見えなかったのだろう。或いは《暗殺者》系統はそう言った気配を隠蔽する特徴があったのかもしれない。しかし、これでも私は、ゲーム内とはいえ最上位職の最大レベルに到達している中毒者だ。戦闘は得意ではないし、キャラクター自体も素早さと隠れ身を重視して育てたものだけれど、それでも最大レベルのキャラクターの力強さはそこらの獣くらいはまるで脅威にもならぬものだったらしい。
容易く首をはねられ、こうして横たわるむくろは、私にとってはもはや動物とさえ感じられなかった。たとえその毛皮がどんなに柔らかく心地よかったとしても絶対に触りたくなかった。生きている時にはまるで感じられなかったのに、それが死体となった途端に、死んでいるのだと頭が理解した途端に、私は不思議とそこに気持ち悪さと汚らしさを感じたのだった。
虫もたかっていない、腐ってもいない、しかしどうしようもない気持ち悪さがそこにあった。
当然、そんな惨状を作り上げた右手は、どうしようもなく汚れていると感じられた。
あまりに素早い切断だったし、すぐに血を払ったから、一見汚れているようには見えない。しかし手袋越しにも血と脂のぬめりが感じられ、手袋越しだというのに得体の知れない何かがしみ込んでくるような気さえして、吐き気を覚えた。
だくだくと流れ落ち、地に染み込み、そして大気に流れていく血の匂いが、拍車をかけた。
私は吐き気をこらえて駆けだした。川の匂いがしたのは確かなのだ。川の匂いなど嗅いだことはないけれど、しかしもはや自分の感覚を疑う気にはなれない。薄暗い森の中を真昼のように見通し、苔や下生えで不安定な足元をものともせずに足音もさせず駆け抜ける身体能力。それを自然に扱える自分に、いったい何を疑えというのだ。
水の流れる音が聞こえてすぐに、木々が開けて澄んだせせらぎに出た。
私はもういてもたってもいられず、すぐに川辺にかがみこみ、ひやりと冷たい川水で丹念に手を洗った。革と思しき手袋はまるで水を通さず、そのくせひどく薄くて私に流れる水の感触のいちいちまで伝えてくれた。これも見た目通りの品と思うよりも、まったくのファンタジーな品だと思った方がよさそうだ。
「ファンタジー、ね」
ありがちな異世界転生ものだとか異世界転移ものだと、物語の冒頭はもう少し運命的なものだと思うのだけれど、ずいぶんと血なまぐさく陰湿な始まりになってしまったものだ。
異世界転生もので文化や価値観の相違に悩まされるのはよくある展開だが、それよりも以前にこんな洗礼を受ける羽目になるとは。
手を洗い、水気を払って、拭くものもないので仕方なくコートの裾で拭い、私は川辺の大き目な石を選んで腰を下ろした。少し休んで頭を冷やさなければ、そう強く意識して体を休めようとすると、奇妙なことが起こった。
うつむいて視線を下ろした先には、私の膝がある。何故だかその膝を透かして、椅子代わりに座っている石が見えるのだ。目の錯覚かと思って何度か目をまたたかせ、ごしごしとこすっても見たが、それでも変わらず半透明に透けてしまった足を通して向こう側が見える。どころかこすった腕自体も半透明で、見れば全身半透明に透けて向こうが見えるのだ。
まさかショックのあまりいつの間にか死んで幽霊にでもなったのだろうか。まあ生きてる時も幽霊みたいないてもいなくても変わらないような人生は送ってきたけれど、そういうことでもないだろう。
少なくとも座っている感触はあるし、相変わらず風の匂いや川のせせらぎも感じられる。ただ透けているだけなのだ。そのただ透けているのが問題なのだけれど。
どういうことなのかと立ち上がってみると、不思議と今度は透けない。太陽に掌をかざしてみれば、ちゃんと掌の形に影が落ちてくる。うろうろと歩き回ってみるけれどやはり変調はない。
「疲れてるのかな……いや体は全然疲れていないっていうかむしろ肩凝りもないし眼精疲労もなければ眠気もないし過去数年ここまで健康だったことない気がするけど」
しかし精神的には随分疲れた気がする。上司の朝令暮改や全く理解していない奴特有の中身のない無意味な指示とかも疲れるが、こうもわけのわからないことが続く疲れは久しぶりだ。
再び腰を下ろしてため息を吐いてしばらくすると、またもや半透明になる。半透明になるが別にそれで変調があるわけでもないし、害がないならそれいいのかなという気もしてきた。ここまで出鱈目なことが続けて起きているのだし、これもファンタジーと思えばいい。ファンタジーに理屈を求めても……いやまて。
そういえばこのファンタジーには理屈があるのだった。
正確に言うと今の私の体のもとになっているだろうゲームには理屈があった。
それに当てはめてみると、もしかしたらこれは無意識のうちに何かしらの《技能》を使っているのかもしれなかった。
ゲームの中では、いわゆる魔法などと同じように、《職業》ごとにポイントを消費して特殊な攻撃や特殊な行動ができるようになる《技能》というものがあった。
私は今自分が使っているものが、《盗賊》から派生する《暗殺者》系統なら必ず覚えることになる《隠身》という《技能》だとあたりをつけた。
これは使用すると一定時間ごとに《SP》と呼ばれるポイントを消費して、自分の姿を隠してしまう《技能》だ。この《技能》を使用している間は感知系のスキルを使われるか、たまたま攻撃が命中したり範囲系の魔法などでダメージを受けなければ解除されない。
《技能》には十段階のレベルが設定されていて、私はこれを最大に上げているため、一度に受けるダメージが最大《HP》の一割を超えなければ解除されることがないし、座っている時は《SP》消費量が自然回復量より少ないので休憩時によく使っていたものだ。というより、この《技能》を使用している間は移動ができないので、感覚の鈍い敵の目をくらませるか、隠れて休憩するくらいにしか使えないのだ。
《暗殺者》系統と言えど、こんな初期《技能》を最大まで鍛え上げるのは余程の物好きか、上位《技能》取得のために仕方なくという場合が多い。私は前者だ。そもそも隠れられるというその一点だけで私は《暗殺者》を選んだのだから。
例えば、《隠身》の上位《技能》である《隠蓑》を私は使ってみる。頭の中で強く意識すると、体は自然に動いた。ゲーム内の小さなエフェクトでしか見たことはなかったが、それと同じように私は外套を羽織るような動作をする。すると不可視の外套が私の体を覆い、先程と同じように体が半透明になる。
この《隠蓑》は《隠身》とは違い、このまま移動することができる。レベルが低いときは移動速度も制限されるが、これも最大レベルまで上げている私は何の支障もなく動ける。《SP》消費は自然回復量ととんとんで、無駄な戦闘を回避したいときや長距離を移動するときに便利だ。やはり感知系のスキルで看破されるし、範囲系の攻撃は受けてしまうが、もちろんこちらも一割くらいのダメージを受けなければ解除されない。ただし、移動はできるけれど攻撃したりスキルを使ったりすると解除されてしまう。
さらに上位のステルス系《技能》があと二つあるが、そちらは効果は確かに高いのだけれど《SP》消費量が自然回復量を上回るので、先行きの不安な今はやめておこう。万が一《SP》回復手段が自然回復以外になかった場合、貴重となるだろう回復薬を消費せざるを得ない状況は作りたくない。
しばらくは危険の回避のためにも、《隠蓑》を常時展開して行動するべきだろう。野生動物くらいなら容易く倒せるのはわかったけれどあまり気分のいいものではないし、他に比較例がない以上あれは最低程度の危険とみておいた方がいい。ありがちな異世界転生展開と甘く見て俺つえーをしてしまうと後が怖い。
それになにより常時《隠蓑》は私の普段のプレイスタイルなので落ち着くのだ。
もともと戦闘したりなんだりが苦手な私が、なんだかんだで長くこのゲームを続けられたのは《隠蓑》のおかげだ。最初は人に勧められて始めたのだけれど、正直自分でプレイするより人のプレイを見ている方が好きだった。かといってプレイ動画はどうしても展開が限られてしまう。しかし《隠蓑》で移動して他のパーティーの後をつけたり、ダンジョンにもぐったりすれば、苦せずして人様のプレイが拝めるのだ。しかもパーティーを組んだりしなければ《隠蓑》中の私は誰にも認識されないので、面倒な絡みや勧誘などとも無縁でいられる。素敵すぎる。人間と会話したくなくてゲームに入れ込んでるのに何が悲しゅうて人間と絡まなければならないのか。MMOプレイする人間としては甚だしく間違っている気もするけれど、世の中にはそういう、人のこと見てるのは好きでも人に絡まれるのが煩わしい人間はいっぱいいるのだ。いるはずだ。きっといる。いると思う。いろ。
ともあれ、だ。
身体能力だけでなく《技能》もゲーム準拠で使用できることが判明したのだ。これからの生活もゲーム時代を基準に考えていいかもしれない。つまり、できるだけ人と絡まず、ストーキングもとい人間観察をしながらのんびり暮らそうということだ。
せっかく肩凝りも眼精疲労も腰痛も寝不足もレクサプロもない人生に生まれ変われたのだ。ただ生きていることを続けていただけの生活に未練はない。死んでいるのと変わりのない、幽霊みたいな生活だったのだ。だったら、開き直ってもいいじゃないか。悲観的で厭世的で無意味で無価値な人生を送ってきたのだ。楽観的で楽天的で無責任で無関係な人生を謳歌したっていいじゃないか。明日も生きていくことに失望しかなくてゲームに逃げ込んだ生活を送るより、明日がどうなるかわからないけど少なくとも逃げ込めた先のゲームもどきファンタジーで自由気ままにロハスロハススタイルで生きた方がいいに決まっている。
私は決めた。
いま決めた。
誰にも見えない幽霊として生きていこう。
幽霊だから、死んでいこうかな?
朝はぐーぐー遅くまで寝て、気が向いたら起き出そう。
昼はのんびり気が済むまであちこちうろつきまわろう。
夜は誰もが寝静まった町中を、一人気持ちよく歩こう。
満員の通勤電車も人間関係だってないんだ。
会社も仕事も何にも考えなくっていいんだ。
死んだり病気になったりはするかもだけど。
ああ、決めた。
私は決めたぞ。
幽霊は幽霊らしく、生きている人間を草葉の陰から覗いて羨んで笑って弄って、そうしてのんびり暮らすのだ。
妛原 閠はこうして幽霊になったのだった。
用語解説
・力強さ
ゲーム内ステータスの一つ。その他のステータスも含め以下にまとめる。
HP(ヒットポイント):キャラクターの体力を数字で表す。攻撃を受けたりした場合減り、ゼロになると死亡する。時間経過で徐々に回復する。
SP(スキルポイント):《技能(スキル)》を使う際に消費される。足りない場合発動できない。時間経過で徐々に回復する。
STR(ストレングス):力強さ。物理攻撃で与えるダメージに影響する。またアイテムの所持可能重量にもかかわる。
VIT(バイタリティ):生命力、体力。防御力や身体系バッドステータスへの抵抗に影響する。
DEX(デクステリティ):器用さ。命中率、クリティカルヒット率、回避率など確率のかかわる行動に対して影響する。
AGI(アジリティー):敏捷さ。回避率や命中率、また攻撃速度や移動速度などに影響する。
INT(インテリジェンス):かしこさ、知性。魔法の効果や精神系バッドステータスへの抵抗などに影響する。
LUC(ラック):幸運。運の良さ。確率のかかわる行動に影響する他、アイテムのドロップ率などが向上する。
・《技能(スキル)》
SPを消費して使用する特殊な行動。魔法や威力の高い攻撃などの他に、《職業》ごとに特色のある《技能》が存在する。一部のイベントやMobには特定の《技能》がなければ攻略が困難または全くできないものも存在する。
・《職業(ジョブ)》
キャラクターを育てていく上でどのようなスタイルにするかを決定する要素。《職業》ごとに得意な事や使用できる《技能》が異なり、その《職業》でなければ利用できないプレイスタイルも多い。
妛原閠はゲーム開始時点の真っ白な状態である《初心者(ノービス)》から、素早さが高く《窃盗(スティール)》などの《技能》を持つ《盗賊(シーフ)》を選択し、上位職である《暗殺者(アサシン)》、上位二次職である《執行人(リキデイター)》そして現状で最上位職である上位三次職《死神(グリムリーパー)》へと育て上げた。
・《隠身(ハイディング)》
《盗賊》が覚えることのできる《技能》。使用すると姿を隠すことができるが、移動はできない。隠蔽看破魔法や、一部のMobには見破られて無効化される。ダメージを受けることでも解除される。
レベルを上げていくことでSPの消費量は減るが、あまり使える《技能》でもないので育てるプレイヤーは稀。
『死体のように息を潜めろ。本当の死体になる前に』
・《隠蓑(クローキング)》
《隠身》の上位スキル。《暗殺者》が《隠身》を一定レベルまで上げると取得可能。姿を隠したまま移動できる。ただし低レベルでは移動速度が遅く、実用に足るレベルまで上げるのは苦労する。また使用中に攻撃を仕掛けると自動で解除されてしまう。
『アレドの殺し屋は孤独なものだ。仕事の時も休みの時も、死んだ時さえ誰にも見つからないのだから』
・レクサプロ
選択的セロトニン再取り込み阻害薬。一日一回夕食後に服用。副作用に口渇感、吐き気、眠気などがある。慣れるまでは胃薬を一緒に処方されることが多い。
・ロハスロハススタイル
LOHAS(lifestyles of health and sustainability)、つまり健康で持続可能であることを重視する生活スタイル。閠の場合「健康と環境を志向するライフスタイル」と日本的に認識しており、スローライフ、健康、癒しなどを念頭に置いていると思われる。
前回のあらすじ
半分現実逃避のやけっぱちで、セカンドライフを送るのだと気楽を装って正気を保とうとする閠。
耐え難い現実に向き合うコツは、直視することでも目をそらすことでもなく、半分だけ見て半分だけ目をそらすことだ。
さてと。
それでは。
改めまして。
私は新たな人生を幽霊としてのんびり過ごすというろくでもない決意をキメたのだったけれど、問題はここがどことも知れない森の中ということだった。
先程から見る生き物と言えば、出会い頭に悪魔超人も真っ青のギロチンチョップでまさしく出会ったばかりの頭をすっぱり大切断してしまった角猪や、何やら雅な鳴き声を上げる鳥、それにせせらぎにちらほら見える魚くらいだ。
小動物や魚なんかは見ていて癒されない訳でもないけれど、いくら何でも日がな一日眺めて過ごすというのも退屈だ。生産性がない生活を送る気ではいるけれど、そこまでなにもしないのは幽霊どころか死体と変わりない。
川が流れているのだから、最悪川沿いに歩き続ければどこかに出るだろうけれど、必ずしもそのどこかが人里に近いとは限らない。
そこまで考えて、最悪の想像に思い至った。
あの角猪はゲームでは見たことがない獣だった。そのことから必ずしもすべてがゲーム通りではないとは思っていたけれど、そうなるともしかしたら人間そのものがいない世界に転生したという可能性もありうるのではないだろうか。人間というか、知的生命体全般。
この体が必ずしも人体と同じようにできているとは思えないし、私が平然と呼吸して違和感なく体を動かせるからといって酸素濃度や重力値が地球と同じとは限らない。とはいえ少なくとも空の色や陽光の加減、水の状態や動植物から見て、この世界が恐らくハビタブルゾーン、生命居住可能領域であろうということは予想できる。
この時点で天文学的レベルで希少な発達っぷりと言って過言ではないくらい、宇宙には生存に適した惑星が少ないと聞いたことがある。私たちの知らない生命形態に適した惑星はあるかもしれないけれど、少なくとも地球型の惑星でかつ地球のように生命が発達可能な惑星は驚くほど少ないだろう。
その驚くほどレアな世界に来れたのはいいとして、そこで知的生命体が発生し、かつ文明を起こすレベルにまで発達しているという、二重の難易度の壁が立ちはだかる。まだ二足歩行を始めていないとかいうのでも十分好条件で、下手すると環境がそれを許さないために文明を起こすに十分な知性と能力を持った生命体が進化できないかもしれないのだ。
どうして異世界転移した連中はどいつもこいつも楽天的に何とかなると思えるんだろうか。どう考えても奇跡の重ね掛けとしか思えないレアリティではないか。
私とあのハーレム主人公たちと何が違うのか少し考え、そして気付いた。ヒロインである。
ヒロインでなくてもいい、現地人である。
異世界転生やら転移やらで大事なのは現地人との接触が割と早い段階で起こることだろう。全く何もわからない主人公に現地のことをいろいろ教えてくれ、その後キーパーソンとして行動を共にしてくれるヒロインとかそのあたりが大事なのだ。仮に現地人でなくても、頼れる仲間とか、そういうのでもいい。不可思議な状況を前に仲間がいるのは大事だものな。
ご都合主義と言えばご都合主義なのだろうけれど、物語の展開的にも早いうちにそういった手合いと遭遇するのは必須と言えるだろう。話が進まなければ文字通りお話にならない。いつの世も物語はそのように始まるのだ。ボーイミーツガールとかボーイミーツボーイとかガールミーツガールとかヒューマンミーツモンスターとか、出会いは物語を加速させるのだ。
翻って私は何だ。
出会ったのってなんだ。
猪だぞ猪。角付きの猪。しかも全力でこっちを殺しに来る鼻息の荒い角猪。オーエルミーツモンスター。挙句に出会い頭に首ちょんぱだよ。OLの所業じゃないよ。モンスターミーツモンスターだよ。どんな怪獣大戦争だ。
殺してしまってるから話も進まないし直後に汚らしいからって手を洗い始めるド畜生だぞ私は。命の尊厳もへったくれもあったもんじゃない。初殺戮の直後で命に敬意払えるほど余裕ある民族じゃないんだよこっちは。
しかしまったくどうしたらいいというんだ。
考えても見てほしい。仮に、仮にだけど、異世界転生ものの新作と期待して読み始めてみたら、いきなりアニメだったら黒塗り必至の殺戮かました挙句、三話目に突入してもひたすら一人語りを続けて現地人の一人も出てこない、しかも主人公が26歳元事務職現暗殺者とか誰が喜ぶというんだ。
そのうえ露出の欠片もないガチ暗殺者スタイルで色気など微塵もない大女だ。
さらには《技能》で隠れているので第三者視点だとひたすら爽やかな朝の空気とマイナスイオン溢れる心地よいせせらぎの流れる森の映像しか流れないんだぞ。放送事故か。私だったら「しばらくお待ちください」とか「映像が乱れております」のテロップ流すわ。
もしこのままさらに一話分、石に腰を掛けた透明人間を映し続けたらある意味伝説回だろうが、その間ひたすら独り言をしゃべり続ける声優が哀れで仕方がない。
などとありもしないアニメ化を妄想して華麗に現実から逃げていたのだが、どうやらこの体の感覚は恐ろしくすぐれているらしく、気もそぞろだというのに耳ざとく物音を聞きつけた。
その物音に耳を傾けると、私の体は私の思うよりも鋭く働いて、すぐにその物音が足音であることを悟った。それも二本足の足音だ。足音だけでなく金属の擦れる音もする。衣擦れの音も。それはつまり、金属を使い、服を着た、二本足の生き物、つまり高確率で人間かそれに近い形の知的生命体であろうと思われた。そのまま集中すれば足音の持ち主の体重や歩き方の癖と言った事までわかりそうだったけれど、あまりに情報量が多く、酔いそうになって止めた。もう少し慣らしが必要そうだ。
私は改めて自分の《技能》である《隠蓑》がしっかり発動し、自分の姿が隠れていることを確認した。……私からは半透明に見えるけれど、周りからは見えなくなっている、筈だ。川面に映らないし。
この《技能》を使っている限り目視は出来ないし、恐らくだけれど気配やにおいもかなり薄くなっている筈だ。感知《技能》や一部の勘の良いモンスターにしか見つからないのだから、少なくとも設定上はそうなっている筈だ。
仮に見つかったとしたらその感知《技能》持ちや一部の勘のいい奴ということになるのでもうどうしようもない。諦めよう。幸い私の身体能力はゲーム時代のステータス情報を引き継いでいるようだから、まあたいていの雑魚なら先程の角猪のように素手で解体できるだろうし、そういう血なまぐさいことになる前に軽く走るだけで簡単に振り切れるだろう。
話をしてみるという選択肢はない。
私はそういう煩わしいのが嫌いなのだ。チャットとか文字での会話なら、考える時間もとれるし相手を人間と認識しづらいからまだ何とかなるが、生身の相手と向かい合って話すとか無理だ。きつい。職場ですら幽霊と陰口たたかれるレベルでひっそりと息をひそめて過ごし、最低限必要な会話でさえロボットと陰口たたかれるレベルで定型文を条件反射で返すような人間だ。初対面の、それも異文化どころか異文明の異世界人相手に朗らかなコミュニケーションとれるほど私はできた人間ではない。異世界転移で一番のチートはあいつらのコミュニケーション能力だと思う。こちとらコンビニ店員の「あたためますか?」にさえ手ぶりでしか答えられないんだぞ。
自虐だか自慢だかわからない感じになってしまったけれど、とにかくそういう次第で、コミュニケーションを前提としないスタイルで行こう。
大体人間と決まったわけでもなし、コミュニケーションが取れる相手かもわからないのだ。異世界チートで言葉が通じればいい方で、ゴブリンとかその手のMobかもしれないのだ。むしろそういう可能性の方が高いと覚悟しておいた方が人間じゃなかった時の精神的ダメージが少ないかもしれない。
ゴブリンならまだましな方という考え方で行こう。あいつら小柄なくせに悪意がとんがってて男は殺して喰らって女は犯して喰らうとかいう、神が悪意と汚物をこねくり回して途中で飽きたのでそこらへんに放り出したら勝手に生まれてきた生き物みたいなダークな印象が強いが、幸い一匹二匹なら最弱レベルだ。それに今日日は善いゴブリンとか、萌え系のゴブリンとかも多い。より強靭なオークとかでないことを祈ろう。オークも最近は紳士的な描き方がされることが多いけれど、まあお国柄だろう。常に最悪を想定しておいた方がいい。現実はその一歩先を行くものだし。
そのような警戒をしながら待ち受けた相手は、そんな私の悲観的な想像を鼻で笑うようにやってきた。
下草を払いながら獣道を抜けて河原に抜けた姿は、最悪の想像よりずいぶん文明的だった。
よく履き古された編み上げのブーツが、河原の丸石をきしぎしと踏みながら、足取りも軽く川へと向かう。
小柄な体は、私の身長が180超えてるから、それと比べて140かそこらといったところだろう。まだ成長期だろう肉より骨の目立つ細身で、布の服の上から胸や膝など部分部分を白っぽい革の鎧で守っている。腰には革の鞘に包まれた剣を帯びて、背中側には手斧のようなものが見えた。ベルトには他にもポーチや巾着など、すぐに使うことのできるように道具が吊るされているようだった。
背には大人用と思しき少しばかり大きめの鞄を背負っており、小さなシャベルや水筒らしき革袋などが吊るされていた。
川の水を汲もうというのだろう、かがみこんで水筒を沈めると、飾り紐で高めに結い上げた銀に近い白髪がきらきらと光った。顔立ちは西洋人のように鼻が高めで彫りが深く、零れんばかりの大きな瞳は翡翠のように煌めいている。まだどこか幼さの残る年頃で、性別の別れる際といった中性的な顔立ちの少女だった。十代半ば、いや前半くらいだろう。
いかにもファンタジーでいうところの駆け出し冒険者といった風情は、ゴブリンの生態を観察するという生産性のかけらもない苦行を予想していた私には、かなりの好条件に思われた。
旅慣れた熟練の冒険者の旅は見ていて安心できるだろうけれど、そこにはハプニングやスリルといったものが欠ける。この垢抜けない印象のある少女ならば、ほどほどに旅を続けながら適度にミスや挫折を経験して成長していく、そういったロマンあふれるストーリーが拝めるに違いない。
水筒を満たし、軽く顔を洗い、しばし休んだのち川を渡って歩き始めるこの年若い冒険者見習いの後に続いて、私もファンタジー世界への旅に出るのだった。
用語解説
・ハビタブルゾーン
生命居住可能領域。宇宙の中で生命が誕生するのに適していると考えられる環境。つまるところ地球と似た環境と考えて大体差し支えない。
・ハーレム主人公
どうした訳か行く先々の重要人物が世界観における男女の階級差や年功序列などを考えると不自然に若い異性に偏っている上、その世界の価値観から考えるとあまり普通でない感性を持っているにもかかわらず、不可解なまでにキャラ被りの少ないアクの強い面子からやたらと好感を持たれて、しかも致命的な不和を招かないままなんだかんだもてはやされる主人公の類型。
・一番のチート
異世界転生や異世界転移で最も驚異的なチート、コミュニケーション能力である。次いで異常なまでの幸運。オタクであったとか地味な人間であったとかもてなかったとか一部購買層に共感を誘うような設定でありながら、何故か異世界で初対面の相手とも自然なコミュニケーションを交わしつつがなくストーリーを進めるチートスキル。
・Mob
語源は諸説あるが、基本的に敵のことを指している。
・ゴブリン、オーク
どちらもファンタジーでは定番のモンスター。亜人として扱われることも。
大抵は醜悪で邪悪とされるが、最近では人間よりよほど親しみやすかったり紳士的だったりする描かれ方をする作品も見受けられる。
・冒険者
ファンタジー世界の花形。旅をしながら、またはどこかに拠点を持ち、モンスターを倒したり素材を集めたりお使いイベントをこなしたり世界を救ったりする何でも屋のようなもの。
前回のあらすじ
人間観察は好きだけれど人付き合いは苦手という困ったちゃんな閠ちゃん(26歳事務職)。
年端もいかない幼気な少女を付け回して舐めるように観察することを決め、ストーキングの旅が始まった。
百合という名前は、母が名付けてくれたものだと聞いています。他領から嫁いできた母が、故郷でも馴染みのあった花の名前を私につけてくれたのだそうです。私が幼いうちに母が亡くなってしまった後も、この名前と、いろいろなものに刺繍や彫り物として遺してくれた白百合の紋が、今でも優しかった母とのつながりを感じさせてくれます。
母の生まれ育った土地は南の暖かなおくにで、寒さの厳しい当地に馴染むのは随分と大変だったと聞いていますが、それでも母は寒い冬が来る度に、暖炉の傍で私を暖かく抱きしめて、リリオがいてくれるから私は寒くないわと微笑んでくれました。
故郷の花を思い起こさせることで少しでも母の寂しさを和らげられればと、冬の間私はいつも母の傍にいたように思います。まさか言葉通り、子供体温の私を抱っこして暖を取っていると知ったのは後になってからでしたけれど、まあ私も暖かかったのでこれは良い話なのです。
十四歳になり成人を迎えた私が、雪解けとともに早々に旅に出ることに決めたのも、諸方を見て回ってよく学ぶようにという家の方針以上に、母の故郷を見てみたいという思いの強さもありました。母という暖房器具がなくなったので寒さに耐えかねるようになったという理由からではありません。いくらかそのような思いがないわけではないですけれど、母から寝物語に聞いた百合のお話であったり、また騎士道物語や旅のお話を聞くにつけ、私の中で旅への思いが強まっていったのでした。
旅を始めて最初の内は、慣れないことも多く、もう帰ろうかと気弱になることもありました。しかし何度か野営を繰り返すうちに、私は焚火を朝まで持たせる術を学び、手早く野営の支度を整えることを覚え、味気のない保存食をおいしく食べる方法を会得していきました。夜の眠りをしっかりととれるようになると、昼間の活動は驚くほど活力に満ちたものになり、疲れを残さないように行動できれば、あれほど苦労ばかりだった旅路には見違えるほどたくさんの発見が転がっていました。
私に旅の仕方を教えてくれた兄が言っていた意味がようやく分かりました。旅の楽しみは、楽しめるようにならなければわからないと。
あれはこういうことだったのですね。自分に余裕が出てこなければ、見えないものがあります。辛い辛いと思っていたものの中には、見落としているものがたくさんあるのです。
宿場町をいくつか経て、境の森に入った頃には、私は暖かな気候にも随分慣れてきました。くにを出るときに着込んでいた上着や外套はみんな鞄の底で、いまは軽装で過ごしています。これでも随分暑く感じるのですから、もっと南まで行った時が今から少し不安で、そして少し楽しみです。
境の森は北方に連なる臥龍山脈から、南は海の傍まで南北に長く広がる森で、多くの恵みをもたらすとともに、魔獣や野獣などの危険も多い地です。
街道は北方にひとつ、南方に二つ通っていますが、どちらも木々の密度の薄い通りやすい場所に通されているので少しばかり遠回りで、なにより通行税がかかります。荷物の多い商人や郵便馬車、安全を求めるものは街道を利用するのですけれど、旅慣れたものや身軽なものは、森の中を進んで通ることが多いそうです。
私は路銀も節約したいですし、遠回りして時間を取られるのも嫌でしたし、折角ですので旅の醍醐味として悪路を行くのもいいかもしれないと気軽に考えて森に立ち入ったのでした。兄ののんきな物言いから旅を学んだ私は、まだまだ旅の本当の厳しさというものを知らなかったのです。
森の厳しさは、今まで街道を通ってきた私にはずいぶん堪えました。国許のように寒さに凍えることがないのはずいぶん助かりましたけれど、虫や獣も多く、足元は木の根や石ででこぼことして、下草にも随分と足を取られました。焚火をするにも開けた場所を探すのは大変で、野営の準備は大変な物でした。
事前に宿場町で聞いたときは、一日もあれば抜けられるとのことでしたけれど、それは街道を使って抜けた時の数字でした。森の薄いところを通っている整備された街道でそれなのですから、旅人たちが通ってできた獣道同然の道を通っていくのでは、格段に険しいのは当然のことでした。
その当然のことに気づいたのは、ろくに歩かないうちに疲れはじめ、何とか野営の準備を整えている間にとっぷりと日が暮れてしまった初日のことでした。木々が葉を生い茂らせる森の中では昼のうちから薄暗く、日が沈むのも早いのです。
二日目には移動中から薪になりそうな枯れ枝を拾い集めていき、先人の遺した道を急ぎながら野営に適した候補地をきちんと確認し、早めに準備を整えましたけれど、それでも平地を歩いてきた時よりもずっと疲労がたまり、なかなか思うように進めませんでした。
食事も手をかけるのが億劫で、沸かした湯に堅麺麭と干し肉を放り込み、適当な粥として味気なく終えました。それでもまだ火を通して物を食べようとできるだけマシな方かもしれません。強行軍の中、堅麺麭を唾液でほぐしながらかじり、干し肉を何分も口の中で噛み続けたという兄の話を思い出してぞっとしました。
三日目の朝は気だるいものでした。それでも早いうちから目を覚まして荷物をまとめ、重たい足を動かして歩きます。途中で休憩は多めに入れましたけれど、進み続けることが大切です。一日休息に充ててしまえば回復するかもしれないと期待するのは止めた方がいいと、以前聞いたのです。というのは、休むことは大事でも、あまり休み過ぎると気持ちの方がなえてしまって、進む気力が保てないからだそうです。景色が変わらなければ心も切り替わりませんし、ずるずると休み続けてしまうかもしれません。だからほんの少しずつでも移動した方がいいのだそうです。
この教えは私に幸運を導いてくれたように思います。
というのも、昼になる前に私は開けた河原に出られたのでした。久しぶりに差し込む日差しに目を細め、ひやりと心地よい川水を水筒にくみ、私はここで少しの休息をとりました。
背負い鞄を下ろすと、軽く背を伸ばし、革鎧を身に着けたままでもできる程度の軽い体操をして体をほぐし、小ぶりな岩を選んで腰を下ろして、せせらぎに耳を傾けてしばし休みました。
欲を言えばここで野営して英気を養いたいところでしたが、まだ日も高く昇らない朝のうちです。気分が切り替わって元気なうちに距離を稼いでおきたいところです。
ここにしがみついて離れたくないと思う気持ちを振り払い、私は鞄を背負いなおし、小川を越え、再び森の中へと挑みました。
川向の森はいくらか歩きやすくなっていました。木々がいくらか疎らになって、下草も足を取るほどではありません。日差しも少しだけ多くはいるようで、まだ薄暗くはあるものの、ずっと歩きやすいです。
ただ、木々が疎らということは、それだけ大型の動物が移動しやすいということでもあります。木肌に残る傷や、下草の具合から、うかつに獣の縄張りに入ってしまわないように気を付けながら、私は道を急ぎました。
そしてしばらく歩いて、私は警戒していた通りに大型の獣と遭遇しました。
正確には、そのむくろと。
道をふさぐように角猪の巨体が横たわり、いまにも襲い掛からんとするように牙をむき出しにした頭がそのすぐ横にずっしりと転がっているのです。角の長さは握り拳二つ分をゆうに超え、体高も私の背丈より高いですから、かなり長く生きた個体だったようです。
角猪は魔獣ではありませんが、半端な矢を通さない丈夫な毛皮に力強い体を持ち、年経たものともなれば知恵も働き、生半な魔獣よりも手ごわい獣です。私では若い個体を、なんとか倒せるくらいでしょう。
それを、こんなに大きく育った角猪を、恐らくは一太刀で倒してしまうというのは全く尋常の技ではありませんでした。そっと近づいて傷口を見てみましたが、鋭利な刃物で切り裂いたというよりは、引きちぎりでもしたかのような荒々しい傷口です。心臓が止まって血はすっかり止まっているようでしたが、それでもまだにじみ出ていますし、触れてみれば体温を残していますから、死んでそれほどは経っていないのでしょう。
私は悩みました。
人であれ魔獣であれ、年経た角猪をこれほど容易く屠ってしまえる存在がこの近くにいること。そしてその存在は、肉を採るでもなく、貴重な素材を採るでもなく、このようにただ放置しているということ。これは全く不思議なことでした。簡単に倒せるということは、素材にそれほど興味がなく、ただ立ちはだかったから邪魔ものとして退けた、ということなのでしょうか。それとも素材を採る準備がなく、いったん引き返したのでしょうか。わかりません。謎です。
そしてまたもう一つのことで悩みました。
それというのも、この角猪から素材や肉を取っていっても大丈夫だろうかということでした。
角猪の角は年経るごとに太く長く成長するのですが、これは武器の材料にもなりますし、また薬の材料にもなり、これほど立派な物であればさぞ高値で売れるものと思われました。一太刀で首を落としただろうために毛皮に傷もなく、うまくはぎ取ればかなり大きな一枚皮が取れるのも魅力的です。結構な荷物にはなりますし、時間もとられることでしょうけれど、それに見合うだけのお金に変わるのは間違いありません。
そしてなにより、お肉です。
しっかりとした血抜きをしていませんけれど、まだほかほかと温かく新鮮な角猪です。近くに川もありますし、急いで処理すれば美味しく食べられるかもしれません。
角猪の肉は独特の獣臭さはありますけれど、しっかりと血抜きをすれば野趣として楽しめますし、胡桃味噌でじっくり煮込んでやると、煮込んでやっただけ柔らかくなり、甘みのある胡桃味噌の味がしみ込んで、噛む度にジワリと溢れてくるのです。また分厚い脂が上質で、ぶりぶりとした強い歯応えと、噛み締めた時にじゅわりと染み出す脂は獣脂だというのに実にさっぱりとした後味で、舌に重いということがないのです。また、とても贅沢なことですけれど、角を削って振りかけるとぴりりとした刺激のある辛みが加わり、得も言われぬ風味となるのです。
バラ肉が特に柔らかく胡桃味噌の鍋に合うと思いますけれど、腿肉や肩肉を塊肉のまま炙り焼きにするのもたまりません。時間も薪も必要ですけれど、それに見合った肉汁たっぷりのお肉が楽しめます。
よく冬の狩りについていっては食べたものです。夏場の角猪は冬場のものに比べて痩せていますし、脂も少ないですけれど、これほど立派な個体です、まずいということはまあまずないでしょう。路銀の節約のためにもあまりいいお肉は食べられませんでしたし、ここらでおいしいお肉もとい良質な栄養源を確保して体力を回復させたいところです。
しかしこれだけの巨体を川まで運んですべて一人で処理するのは本当に大変です。運ぶまでは力任せでどうにでもなりますけれど、その後は時間のかかる作業です。あまり時間を取りたくありません。それに解体してもすべてを持っていくだけの余裕もありません。
それに一番怖いのは、この角猪を仕留めた何者かが戻ってきてしまうことです。肉も食べていませんし魔獣ではないでしょうけれど、人であったら人であったで、今度は盗人扱いされると困ります。これほどの手練れを相手に無事で済む自信はありません。
危険だという理性的な判断と、お腹減ったお肉食べたいという本能的な欲求が天秤を激しく揺らしあいます。そして最終的に本能がおいしいお肉を食べれば元気が出てさっさとこの場から離れられるという希望をちらつかせ、理性が作業を最小限に済ませればそそくさと逃げられるだろうという妥協案を提示して見事和解し、私は解体用の小刀を取り出して今日のご飯分だけいただくことにしました。
盗むのではありません。このまま腐らせてはもったいないですしえーとあとむくろを見かけて放置するのも哀れだけど余裕もないのでその身の一部を食べて供養としますという感じでよろしくお願いします。よし。
私は早速腹のあたりの肉を小刀でできるだけ手早く切り取りました。角猪の毛皮はとても丈夫で、脂肪は分厚く、肉もみっちりと身が詰まっていて簡単な仕事ではありませんでしたけれど、お肉への執念と鍛えた腕力にものを言わせてなんとか今晩の分を確保しました。だいぶ荒々しい感じに抉り取った形ですが、まあ煮込めば食べられるでしょう。
小刀を水筒の水で洗い、拭って鞘に納め、それから少し考えて、手斧を抜いて角も折り取って持っていくことにしました。こちらも頑丈で少し手間取りましたけれど、重量や大きさの割に値が張るので、換金用に是非とも持っていきたいのでした。
素材を革袋に手早くしまい、私は片膝をついて指を内側に組み、境界の神プルプラにこの出会いと縁に感謝の祈りを捧げ、ついでに勝手にとっていきますけど許してねと許しも乞うておきました。
そそくさとその場を後にし、十分な距離を稼いだあたりで、私は手早く野営の準備を始めました。途中で十分枯れ枝も拾えましたし、手頃な石もすぐに見つかったので竈も組めました。これも神の思し召しでしょうか。まあ多分ご飯食べたさに私がいつも以上に頑張ったせいだと思いますけれど。
私は竈に火を起こして鍋を置き、水を注いで適当な大きさに切った角猪の肉を放り込みました。水から炊いた方が、灰汁は出ますが柔らかくなるのです。私は沸くまでの間に少しあたりを歩いて、いくつか香草を集めました。干したものはいつも持ち歩いていますが、やはり生の方がよい香りがするものが多いですし、なにより地物の方が、この地で採れた肉とは合うことでしょう。
香草を加えてしばし煮込み、その間に装備の手入れをします。小刀はいろいろな用途で使いますから欠かせませんし、剣もいざというとき使えないのでは困りますから毎日の手入れが大事です。また革鎧や革靴も、これは生き物と考えて手入れした方が長持ちしますし、よく体に馴染みます。本当ならば靴などは予備を用意して交代で休ませたいですけれど、旅装にそこまでの余裕はありませんでしたから、よく磨いて油を塗りこみ、破れや解れがないか改める程度です。連れがいるなら、鎧を外したり、服を脱いで汚れを拭ったりもできるのですが、さすがに一人旅ではそんな余裕もありません。軽く緩めるくらいが限度です。
そうこうしているうちに肉もよく煮えてきましたので、乾燥野菜を加えてさらに煮込み、胡桃味噌を加えて味を調えます。欲を言えば角猪の角を加えたいところですが、これは換金予定なので諦めます。味が調い、少し火から離してゆっくりと味を染み込ませ、堅麺麭を細かく砕いてとろみをつけて、完成です。
角猪のお肉はおいしいのですけれど、柔らかくなるまで煮込むとやはり時間がかかるのが難点ですね。途中で何度か薪の追加を拾いに行かなければなりませんでした。その価値は十分にありますけれど。
連れがいれば椀に分けて食べますけれど、今は一人です。一人旅で、一人ご飯です。ちょっとお行儀が悪いですけれど、暖かなお鍋に直接匙を入れて食べることができる、この醍醐味はたまりません。洗い物も減らせますしこれは合理的なのです。
ごろごろと大きめに切った角猪のお肉は、煮込み時間がやっぱりちょっと短かったので少し硬かったですけれど、ぎむぎむとした歯応えはお肉食べているなという満足感を与えてくれます。香草もうまい具合に香りをつけてくれて、角猪の角には負けますけれど、程よく香ばしいです。脂身は少しごりごりとしますけれど、しっかり力を込めて奥歯で噛むと、ぶりんぶりんと切れて、じゅわじゅわとたっぷりの脂が染み出ます。
乾燥野菜もたっぷり煮汁を吸って膨らみ、じゃきざく、ほろほろと口の中で崩れてはほんのり甘く広がっていきます。お肉ばかりで少し重たくなった頃に心地よいです。胡桃味噌を解いた煮汁は溶かした堅麺麭でとろりととろみがついて、甘味と塩味の加減もちょうどよく、体が温まります。
このまま全部食べてしまいたいですけれど、さすがにお腹いっぱいに満たしてしまっては、すぐには身動きもとれず苦しいばかりです。私は半分ほど頂いて、もう一沸かしさせた後、火からおろしてふたを閉め、厚手の毛布でくるみました。こうすると中に熱がこもって、じんわりと具材に熱を通してくれるのです。これで明日の朝はもっと柔らかくなってくれることでしょう。
それを楽しみに、私は剣を抱いて外套にくるまり、具合のよさそうな木に背中を預けます。薪は多めに用意しましたし、朝までに二度か三度起きて火にくべてやればよさそうです。
お腹の中と、焚火の火と、二つの暖かさに包まれて私は眠りに落ちました。
用語解説
・臥龍山脈
大陸北東部に連なる険しい山々。巨大な龍が臥したような形であるからとか、数多くの龍が人界に攻め入らんとして屠られ、そのむくろを臥して晒してきたからとか、諸説ある。
・宿場町
街道沿いに一定の間隔を置いて作られた、馬や馬車を休めたり取り替えたり、給餌するための施設を宿場という。宿場町はその周りにできた町のこと。
・境の森
大陸東部の森。辺境領と中央部を分けるように南北に長く広がる森。
・堅麺麭(ビスクヴィートィ)
保存がきくように固く焼しめられたパン、ビスケットの類。非常に硬い。
・角猪(コルナプロ)
森林地帯に広く生息する毛獣。額から金属質を含む角が生えており、年を経るごとに長く太く、そして強く育つ。森の傍では民家まで下りてきて畑を荒らしたりする害獣。食性は草食に近い雑食だが、縄張り内に踏み入ったものには獰猛に襲い掛かる。
・境界の神プルプラ
山や川などの土地の境、また男や女、右や左など、あらゆる境界をつかさどる天津神。他の神と比べて著しく祈りや願いに答えやすいが、面白がって事態を悪化させることも多々ある。混沌の神、混乱の神とも。北東の辺境領に信者が多い。
・胡桃味噌(ヌクソ・パースト)
胡桃を砕いて練り、塩などを加えて発酵させた食品・調味料。甘味とコクがあり、脂質も豊富で北国では重要なエネルギー源でもある。
前回のあらすじ
少女リリオは慣れない一人旅で無謀にも馴染みのない森に挑んでしまう。
疲れた足を引きずる中、道中に転がるは無残な獣のむくろ。
あまりにも無造作な、そして圧倒的な殺戮の傷跡を前に少女は葛藤し、そして決める。
美味しくいただこう、と。
ストーカー犯罪宣言の次は、唐突に始まった飯レポ。
いったいこの物語はどこへ進もうというのだろうか。
はっと目を覚ますと、すでに朝日が東の際に見え始めていました。焚火を見れば絶えることなく燃えていますから、覚えはないですけれど、なんとか心地よい眠りに抗って薪をくべることに成功したようです。
朝食として昨夜の残りのお鍋を食べ終え、私は手早く片づけを終えました。昨日食べ過ぎたのでしょうか、それとも朝だから特にお腹が空いていたのでしょうか、思ったより量が少ないように感じました。まああのような幸運はそう続かないでしょうから次のお肉が今から恋しくてそんな思いにもなったのでしょう。
鎧を絞め直し、靴紐を結び、鞄を背負って剣を帯び、私は再び森の中を歩き始めました。
境の森は名前の通り、森を境界として東西を分断する南北に長い森です。そのため森の北と南では植生も、住まう動物の種類も異なってきます。中心に近いこの辺りは、角猪のように毛のある獣や、鹿雉のように羽のある獣、狼蜥蜴のように鱗のある獣が入り混じると聞いています。もっと南にいくと鱗獣が増えてその体も大きくなり、一方で毛獣や羽獣は少なくなり、体も小さくなるそうです。北は逆に毛獣や羽獣が増え、その体もやはり大きくなると聞きます。
他には全域を通して蟲獣も多く、特にかたい殻の中に良質な肉を持つ動きの遅い大甲虫や、地上では目の利かない螻蛄猪などは狩人の良い獲物だそうです。
昨日の角猪のように獰猛な獣も多くはあるようですけれど、魔力を使う魔獣の類はそれほど多くはなく、きちんと準備をして挑めばそれほどの危険はないそうです。
まあ、私の場合は一人旅の上にきちんとした準備も覚悟もできていないうえで来てしまっているので、精一杯気を付けていかなければ本当に危なそうです。あののんきな兄が順調に旅を終えてけろっと帰ってきたので私にも簡単にできると思いましたけれど、あれでも兄は優秀で、それに連れもいましたからね。
さて、四日目となる今日は、良質なお肉を頂いたこともあってか、かなり元気よく進めているように感じます。調子に乗って勢いをつけすぎると後半でばててしまうのは目に見えていますけれど、調子のよいうちに進んでおきたいのは確かです。もう森の半ばは過ぎているはずですので、この調子でいけば明日の夕方には森の際にたどり着き、明後日には森を出ることができそうです。
食料は多めに持ってきていますけれど、森を抜けて次の宿場町までまだかかることを考えると、今日明日はなるべく狩りをして食料を節約したいところです。
とはいえ、狩りも簡単な事ではありません。いくらか経験はあるとはいえ、ここは勝手もわからない他所の森で、その上、弓もないし、移動し続けなので罠を仕掛けることもできません。あ、いえ、野営するときにあたりに罠を仕掛けておけばよかったかもしれません。迂闊でした。今夜体力に余裕がありそうだったら試してみましょう。
ともあれ、狩りです、狩り。
弓がないのなら作ればいい、と言えればいいのですけれど、これが結構手間です。手持ちの道具とそのあたりで拾えそうなもので作ると、手間の割に実用性に乏しそうなものしか作れそうにありません。元々あまり弓が得意ではなかったので、そういう技術も磨いていないのです。
では投石紐はどうでしょう。これは簡単な物であればすぐできます。適当な布を用意して石でも拾えばいいですから。問題は命中率が低いことです。慣れたものならば百発百中と行くのでしょうけれど、あいにくと私はさっぱりです。重さも形も整っていない石を当てる自信はありません。
となると小刀か斧でも投げるか、となりますけれど、うーん、まあ、できなくはなさそうですけれど、小刀で致命傷を与える自信はありませんし、斧を遠くまで狙い通りに投げる自信もありません。
打つ手なしですね。
自分の使えなさに涙が出そうです。
結構いろいろできるつもりでいたのですけれどさっぱりです。
近くにさえいれば自慢の剣の腕を振るえるのですけれど、獲物となるような動物は警戒心も強いので、近寄らせてはくれないでしょう。もし近づける相手がいるとすれば、それは向こうからこちらに寄ってくる、つまり人間くらいは捕食対象としてバリバリ食べてしまえるような、強気で襲い掛かってくるような強い獣たちです。
昨日の角猪(コルナプロ)のように大きなものだと、多分私一人では手に負えないですし、話に聞いていた猛獣たちも一筋縄ではいかなそうです。戦って勝てないなどとは決して言いませんけれど、余裕で勝てる、楽勝だなどとも言えません。お肉を得たいがために満身創痍になって森の中で動けなくなってしまってはたまったものではありません。
……諦めて木の実やキノコ、運が良ければ間抜けな小動物で我慢しましょう。
私は歩きながら視線を巡らせ、木の実がなっていないか、また下生の陰にキノコが生えていないか、気にしながら進んでいきました。
もちろん、馴染みのない森で、そうそう簡単に良いものばかりが見つかるわけではありませんけれど、初夏の森には生き物だけでなく恵みも満ち溢れているものです。ほとんど獣道のような細道を、下生をかき分けながら進んでいく中でも、私は道々いくつか実りを見つけては取っていくことができました。
程よい日陰の木々を覗けば、私にも見分けられる食用のキノコがいくつか見つけられました。キノコの類は見分けるのが難しいので、慣れたものでもうっかり毒キノコと間違えることもあるのですけれど、このキノコは大丈夫です。万一毒キノコの方と間違えても、うっかり食べ慣れているので毒に耐性が付きましたから。
美しい紫の花を咲かせる螺旋花(ヘリツァ・フローロ)の傍では、蜜を求めてひらひらと美しく飛び交う玻璃蜆をいくらか捕まえることができました。あちらこちらへと飛び回っている時の玻璃蜆は少しの風でもひらりひらりと舞うので簡単には捕まえられませんが、蜜を吸っているところに布や袋をかぶせると比較的楽に捕まえられます。
また運が良いことに、木のうろに兎百舌(レポロラニオ)の巣を見つけ、捕まえることができました。兎百舌は虫や蜥蜴など、自分より小さな動物は大抵何でも食べるのですけれど、お腹が空いていなくても動いていれば捕まえてしまい、巣の近くに集めるので見つけやすくはあります。しかしあごの力が強く歯が鋭いので、私のように丈夫な革の手袋でもしていないと大怪我をしかねません。
なかなかの収穫に心も弾んだのか、予定よりもよく進めたように思います。
足取りも軽く私は次の野営地を見つけ出し、手早く竈を組んで鍋を構えました。せっかくいろいろ手に入ったので美味しくいただきましょう。
水を張った鍋にまだ生きたままの玻璃蜆を沈め、蓋をして火にかけます。このとき蓋に重しとして石を置いておきます。玻璃蜆に蓋を落ち上げるほどの力はありませんけれど、それでも一時に飛び上がったら蓋がずれて、逃げられてしまうかもしれませんから。
湯が沸くまでの間に、私は捕まえた時にしめて血抜きをしておいた兎百舌をばらします。ふわふわと柔らかな羽をむしり、血のついていないところは袋にまとめておきます。この羽はとても暖かく防寒に優れますし、柔らかいので割れ物を包むにも良いのです。
腹を裂いて内臓を取り出し、もったいないですけれど処理が大変なので、穴を掘って捨ててしまいます。内臓を取り出したら水筒の水で軽く洗い、骨を外していきます。腿と左右の身に分けたら、木の枝にさして竈の火で皮目を炙り、残った羽を焼いてしまいます。
そうしている間に湯が沸いてくると、鍋からかちかちかんかんと、玻璃蜆が逃げようとしては蓋にぶつかる音が聞こえてきます。あまり激しいと殻が割れてしまうのですけれど、このくらいなら大丈夫そうです。
すっかり音がしなくなったら、石をどけて蓋を取ります。すると途端に素晴らしい香りが立ち上りました。玻璃蜆の身は小さく、殻からいちいち取り出して食べるのは大変ですけれど、こうして火にかけるととても良い出汁が出るのでした。このままお吸い物にしてもいいくらいの良い出汁ですけれど、今日は兎百舌が主役です。
表面をあぶってうま味を逃がさないようにした肉を、食べやすい大きさに切り分けて鍋に放り込み、香草をいくつか、それにキノコを加えて煮込みます。今日は胡桃味噌(ヌクソ・パースト)は使わず、出汁のうまみとほんの少しの塩だけで調えます。
程よく煮込んで日も暮れた頃に、いい具合にお腹も減って、いざ実食です。
まずは出汁を一口。
胡桃味噌のような濃厚な味わいではなく、しかししっかりとしたうま味が舌に感じられました。玻璃蜆の小さな身の中にギュッと詰まったうま味が、螺旋花のどこか甘い香りとともに広がります。そしてまた兎百舌の出汁もよいです。玻璃蜆だけでは、堅実ではあるけれど少し弱い。しかしそこにじわじわっと兎百舌のもつさっぱりした脂と肉のうまみが加わり、深みが出ています。
そっと取り上げた腿肉にかぶりついた時のこの感動を何と言い表したものでしょうか。ぴん、と張った皮を歯が食い破ると、その下のぎゅうと詰まった身が柔らかく、しかししっかりと歯を受け止めてくれます。それをえいやっと力を込めてかじると、顎に染みるようなうま味が込み上げてくるのです。
兎百舌だけではちょっとたんぱくな味わいですが、そこを玻璃蜆の出汁が支えてくれます。良く締まってぎむぎむとしたしっかりした歯ごたえは、ああ、ものを食べるってこういうことなんだなあという喜びを顎を通して伝えてくれます。またそうしてじっくりと噛み締めていくと、たんぱくにも感じられる身からはじんわり滋味があふれてくるのです。
そしてキノコ。忘れたころにちょっと鍋の中から顔を出すこいつをすくって食べてみると、さっくりとした歯応えが、肉を噛むのに頑張っていた顎になんとも優しい。そしてまたほろほろ崩れながら中にたっぷりと染み込ませた出汁を溢れさせては、食欲を掻き立てるのでした。
味があっさりとしているものですからついつい食べ過ぎてしまいそうになりましたが、ここは我慢、我慢の時です。残りは朝ごはんにしようと、昨夜と同じように布で巻いておき、さて寝る準備でもと思ったところで、私は不思議なものを発見したのでした。
それはたぶん、鞄から毛布を取り出そうとちょっと顔を背けた瞬間のことでした。
毛布を取り出してさあ寝やすそうな場所をと見まわして、私は竈の傍につい先ほどまではなかったはずのものを見つけたのです。
それはなにやらつやつやと赤い、果実のようなものに見えました。
そっと近づいて恐る恐る拾い上げてみると、へこんだ部分から飛び出ているヘタと言い、確かに何かの果実のようでしたけれど、このような果実は初めて見ました。大きさは大人の拳ほどはあるでしょうか。きれいな球状で、磨きでもかけたかのようにつやつやとした表面には傷らしい傷の一つもありません。貴族の果樹園の果物だって、こんなに綺麗な物はそうそうないでしょう。よほどに手間をかけなければいけないでしょうから。
私はあたりを見回してみましたが、木の実のなるような木は見当たりません。ましてこんなに綺麗な木の実がどこかから転がってきたというのはとても不思議な話でした。
森の魔物か、悪戯好きの妖精が、私をからかおうとしているのでしょうか。
不安に思いながらすんすんとにおいをかいでみると、これがまた得も言われぬ甘い香りがするのです。
このとき、罠を警戒して剣の柄をしっかりと握りしめた私を褒めてください。
そして罠なら罠ですでに後手なのだから食べるだけ食べてしまおうという欲望に負けた私のことは忘れてください。
何しろそれだけ魅力的な匂いだったのです。
甘い匂いにつられて果実に歯を立てると、しゃくりと実に軽やかな歯ごたえとともに、あっさりと実が口の中に転がり込んできました。何という柔らかさでしょう。また、歯を立てた途端にあふれてくる果汁の何と豊かな事でしょう。ほとんど表面に絵の具でも塗っただけといったような薄い皮の内側には、罪深ささえ感じるほどに美しく真っ白な果実がのぞいていました。それがじわっとあふれてくる果汁に濡れているところなど、例え罠でも後悔はないというほど魅力的でした。
私はもう夢中になってその不思議な果実にかじりつき、真ん中に残った種の、本当にぎりぎりのところまで丁寧に身を食べつくしてしまいました。
ほう、と漏らしたため息さえ甘い香りで、これは夢か何かなのだろうかと思うほどでした。それは全く私の知る果実とは別物と言っていい味わいでした。驚くほど甘いのに、後味はあくまでもさっぱりとしていて、後を引くということがありませんでした。また程よい酸味が甘さの中にあって、そのおかげもあってついつい次の一口を、また次の一口をと急かされるようでした。
私はしばらくの間余韻に浸ると、残った種を丁寧に包んで鞄に大事にしまいました。これは何としてもどこかで育てて、また食べたいものです。
これも何かの思し召しと、指を組んで境界の神プルプラに祈りを捧げ、私は満たされた心地でゆっくりと寝入ったのでした。
用語解説
・鹿雉(ツェルボファザーノ)
四足の鳥類。羽獣。雄は頭部から枝分かれした角を生やす。健脚で、深い森の中や崖なども軽やかに駆ける。お肉がおいしい。
・狼蜥蜴(ルポラツェルト)
四足の爬虫類。鱗獣。耳は大きく張り出し、鼻先が突き出ており、尾は細長い。群れで行動し、素早い動きで獲物を追い詰める。肉の処理がひと手間。
・大甲虫
大型の節足動物。蟲獣。人間が乗れるくらい巨大なワラジムシを想像すると早い。甲は非常に頑丈だが、裏返すと簡単に解体できる。動きが遅く、肉が多いので、狩人にはよい獲物。
・螻蛄猪(タルパプロ)
蟲獣。半地中棲。大きく発達した前肢と顎とで地面を掘り進む。が、割と浅いところを掘るのですぐにわかる。土中の虫やみみず、また木の根などを食べる。地上では目が見えず動きが遅いのでよく捕まる。
・螺旋花
レナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプター図案のように、らせん状に花弁を広げる花。甘い蜜を蓄える。
・玻璃蜆
飛行性の二枚貝。ハリシジミ。主に花の蜜などを吸う。産卵や休息などは水中で行う。基本的にどの地方にも住むが、好んで吸う花の蜜などによって味わいの違う、地方色が出やすい食材。
・兎百舌(レポロラニオ)
四足の鳥類。羽獣。ふわふわと柔らかい羽毛でおおわれており一見かわいいが、基本的に動物食で、自分より小さくて動くものなら何でも食べるし、自分より大きくても危機が迫ればかみついてくる。早贄の習性がある。
前回のあらすじ
唐突に始まった飯レポに次ぐ飯レポ。
話が一切進まないまま飯の描写だけが積み上げられていくこの物語は何を目指しているのか。
腹ペコ娘の旅は続く。
何か揺れるような感じがあって、すわ地揺れかと驚いて目が覚めた時には、朝日がもうすっかり顔を出していました。
あの不思議な果実を食べてすっかり心も満たされお腹も満たされ、ぐっすりと寝入ってしまったようです。焚火の火が絶えていないあたり、ちゃんと夜中に薪を足してはいたのでしょうけれど、まったく覚えていません。無意識の内にできるようになったといえば凄いようにも感じますけれど、夢遊病のようで怖いです。
なんにせよ、少しお寝坊してしまいました。私はあわてて荷物をまとめ、朝食を手早く済ませて後始末をし、昨夜鍋を煮込んでいる間に仕掛けておいた簡単な罠を確認しました。仕掛けないよりは、という気持ちで、期待はしていなかったのですけれど、運のいいことに鼠鴨がかかっていました。この時期のものにしては大振りで、なかなか食いでがありそうです。その場で絞めて、今夜のおかずにすることにしました。
そうして移動を再開したのですけれど、この日の移動は、なんだか少し妙でした。
それというのも、不思議と体が軽いのでした。
兄から聞いたところによれば、旅をしている時は体調が万全であることなど滅多にあるものではなく、そもそも旅自体が体に負担をかけるのだから、常にどこかしらに問題を抱えながら、誤魔化し誤魔化し進んでいくようなものだということでした。どうしても生きている限り疲れるしお腹も空くけれど、そこをなんとか自然に癒える度合いと疲れる度合いと収支が合うように、できれば癒える方が少し多いくらいにして、それで何とか旅というものは成立するそうです。
だから私も旅の間は疲れるものだと思っていますし、その疲れた状態で剣を振るうことを昔から教えられてきました。万全な状態で戦えることなどまずないのですから、本当の本当に疲れた時にどれだけのことができるかということが肝要なのだと父も言っていました。
そういうことですからこの日も私は気を付けながら進もうと思っていたのですけれど、なんだか不思議に体が軽いのでした。日を経るごとに重しを重ねていくようだった手足は、うららかな春の午後を散策するように軽やかですし、肩に食い込んで痛いばかりだった鞄も今日は程よい重さにさえ感じられます。息はまるで上がらず、じわりとにじむ汗も、昨日までのような辛さや疲れからくる嫌な汗では全くなく、程よい運動と初夏の陽気からくる心地よいものでした。
よく眠ったおかげなのでしょうか、それともあの不思議な果実を食べて、久しぶりの甘味に心が満たされたからなのでしょうか。
不思議で、妙ではありましたけれど、しかし足取りは軽く思っていたよりも随分と早く進めそうで、私は森の精霊の加護だろうかと無邪気に喜びました。調子が良いときほど油断して大怪我をするものだと父にはよくよく言われてはいましたけれど、母には優しげな微笑とともに、調子が良いときにしかできないこともあるのだから隙を見て攻めなさいとも教えられていましたので、間を取って程々に調子に乗りたいと思います。
眠気も全くなく、目はさえて、活力に満ち満ちていますと、これまで以上に森のいろんなものに目が行き、流れる風を肌に感じ、また鼻に流れ込む匂いの数々に様々な違いがあることを知りました。ここ何日かですっかり見知ったと思っていた森の様子は、まったくの上っ面だけだったようで、こうして本当に体の調子が良いときにしかわからないようなささやかな違いが私を楽しませ、なお足取りを軽やかにしてくれるのでした。
例えばただただ足を取って邪魔だと思っていた下生にも、背の高いもの、低いもの、花をつけるもの、葉の広いもの、細いもの、様々なものがありました。中には見知った香草の類も紛れていて、時々摘んでいくだけでも結構な量になりそうでした。
足元にばかり気を取られていたいままでよりも余裕ができ、見上げれば木々の上にもまた暮らしがあることを知りました。枝を伝ってするすると向こうを行くのは猿猫でしょうか。チッツー、ツッツーと高く歌う声が聞こえてくるのは、川熊蝉の求愛の歌でしょうか。枝や蔦に紛れて蛇の姿が見えたこともありますし、また逆に蛇かと身構えたら木の枝だったということもありました。
ただ元気があるというだけでここまでの違いが出てくるものかと私はつくづく人間の体のつくりの妙に感心させられました。疲れやつらさは感覚を鈍らせ、体を重くします。そしてそれはきっと、余計な事を抱え込まないことで消費を減らそうという仕組みなのだとそう考えたのでした。なにしろ余裕のある今は、木々の葉の一枚一枚さえよく見えるほど感覚が広がり、自分でも少し不安に思うほど意識が散漫になりそうなのでした。
しかしそうしてあちらこちらに意識を向ける余裕ができたことで、今日のご飯は豪華になりそうでした。というのも、今まではきっと気付かなかっただろう木苺を茂みの中に見つけられましたし、地面に膨らみを見つけてもしやと思い掘ってみると、素晴らしいことに白い松葉独活を見つけることができました。また、小川に出たので手ぬぐいを絞り汗を拭ってさっぱりとしたついでに、葶藶をいくつか摘んできました。
私がもう少し詳しければ、お金になりそうな薬草や、素材になりそうな類を見つけて集め、路銀の足しにもできたのでしょうけれど、簡単なものはいざ知らず、そこまで詳しくはありません。それに一人旅ですとやっぱり荷物には限界がありますので、角猪(コルナプロ)の角のように換金額の多いものはともかく、薬草のようにかさばるものは持っていけません。
ご飯の材料は別腹というか別勘定なのでせっせと摘んでいきますけれど、これは結局私のお腹に入ってしまって荷物にはなりませんので構いませんったら構いません。亡くなった母もよく私に色々食べさせては、リリオのお腹は魔法のお腹ね、いつもたくさん食べてくれるから嬉しいわと優しく微笑んでくれたものです。貰ったはいいけれど多すぎて食べきれないし捨てるわけにもいかない貰い物の処理をさせられていたと知ったのは後になってからでしたけれど、お陰様で大抵のものを食べてもお腹を壊さない丈夫な子に育ちました。その割に背は伸びませんでしたけれど。
さてさて、こうして順調すぎるほどに順調に進めるという実に妙な体験をしているのですけれど、この妙な旅路にはもう一つ妙なことが起きていました。
私がそれに気づいたのは、さらさらと流れる小川で顔を拭い、水筒の水を補充し、葶藶をつみながら少しの休息をとっていた時のことでした。
今日の晩御飯を思って鼻歌など歌いながらのんきに過ごしていたのですけれど、不意に気配を感じて、私は腰の剣に手を伸ばしました。
鼻歌をゆっくりと止め、気配を殺してそっと振り向くと、木立の向こう側にまだ若く角の色の薄い鹿雉が若葉を食んでいるのを見つけました。背中から尾に近づくにつれて色を薄くしていく緑の羽は乱れもなく美しく整っており、目の周りの赤いコブは見事な発色で、傷や欠けもなく、若いながらに強く優れた雄であることを思わせました。
鹿雉の肉はこりこりと筋の感じられる歯応えの強いもので、味は淡白ながら滋味深く、新鮮な肝臓などは猟師たちだけが食べられる御馳走と言っていいほどのお宝です。また角には薬効があり、年経たものは肉が固くなる代わりに、角の薬効はぐんと強くなると聞きます。
私が驚いたのはこの鹿雉が実に美しいことや、縄張りに敏感なこの獣に気付かぬままこんなに近づけたことなど、ではありませんでした。
美しい鹿雉よりもいくらか手前、木立の中にひっそりと混ざるようにその影は佇んでいました。
はじめ私は、鹿雉に目を引かれていたので、その陰のことは木立が作り出す陰影の一つだと思っていました。しかし一度それが目に入ると、それはもう木立などではなくくっきりと私の目の中に移りこみました。
それは人影、のように見えました。というのも、その人影は向こうの木立が透けて見えていたのです。夜の闇のような黒い外套を頭からすっぽりとかぶったその人影は、頭巾の下からわずかに目をのぞかせてこちらをじっと見つめているのでした。もしも目を閉じたら、衣擦れどころか呼吸の音すら聞こえないほどにまるで生きた気配の感じられない人影が、ただそこに佇んでじっとこちらを見つめている姿は、鹿雉のことがすっかり頭の中から消えてしまうほどの衝撃でした。
私がごくりと息をのんでその不思議な人影を見つめていると、不意にばしばしと何かを打ち付けるような音がして、ケーン、と鋭い鳴き声が響きました。見れば、私の緊張に気配を察したらしい鹿雉が、片足を持ち上げて胴に足羽を打ち付ける母衣打ちをして、こちらを威嚇してきているではありませんか。
鹿雉は狩猟の対象ではありますけれど、決して安全な相手ではありません。気づかれていない時ならまだしも、こうして真正面から相手取るには厳しい相手です。縄張り意識の強い鹿雉は、時に自分より大きな角猪にさえ角を振るうくらい気性が荒いのです。
両前足を上げて本格的に母衣打ちを始める前に、私は目を背けないままそっと後ずさって距離を取り、静かに縄張りから出ていく意思を見せました。
しばらく鹿雉はこちらを威嚇していましたけれど、私が十分に距離を取ると、角を大きく一つ振るって、また若葉を食み始めました。
ほっと息をついて、掴んだままだった葶藶を革袋に押し込んでいると、視界の端にあの人影が佇んでいることに気づきました。私は迂闊に動かないように、野草を見繕っているふりをしながらその影に意識を向けました。
影はひどく背が高く、まるで覗き込むようにしてこちらを見つめていました。相変わらずその人影は向こうの景色を透かしていて、どうやら私の目の錯覚や気のせいではなさそうでした。
私が歩き出すと、その影もまた私の後をついてくるようでした。音もなく気配もなく、ただ、周りを見回すふりをしてちらりと目をやると、一定の距離を保ったままするするとついてくるのでした。
しばらくの間、私はこの謎の人影に警戒しながら歩いていましたけれど、次の休憩の間までにこれと言って害もなく、さして問題もなさそうだったのであまり気にしないことにしました。父からはよく大雑把だとか呆れられたものですけれど、私は物事の切り替えが割と早いようです。気にしなくていいことを気にしていたら疲れますし、何もないなら何も気にしなくていいと思うのですけれど。
そうして心の余裕が出てくると、私はのんびり景色を眺めるふりをしてこの人影を目の端で観察することができるようになりました。
最初は何事かと思いましたけれど、何もしてこないのならばそれほど怖いものではありません。何もしてこないふりをして悪意をちらちらと隠している人間のほうが余程怖いです。その点、この影はただただ私を眺めているだけで、ともすれば動きのない私の休憩中はうろうろしたりあちこち眺めたりと余程面白いです。
向こう側が透けて見えることや、まるで気配がしないこと、それにちらりと見えた目がなんだか物寂しそうに見えるような気がしないでもないことを思うと、これは噂に聞いた亡霊かもしれないと私は考えました。
亡霊というのは死んだ人が未練を遺したり強い思いを遺したりすると、その魂だけがこの世に残って彷徨うというものなのです。
生きている人を羨んで悪さをするという話も聞きますけれど、巷説に広く伝わるのは物悲しい悲恋のお話であったり、人情ものであったりします。そういったお話を思い出すと、この亡霊も何かしらの事情があったのだろうかとしんみりして、付いてきたいなら付いてくるがよかろうと、私はひそかな旅の道連れとしてそっと歓迎するのでした。
用語解説
・鼠鴨
四足の羽獣。幅広の嘴をもち、水辺や湿地帯に棲む。雑食。動きが素早く、よく動くためよく食べる。皮下の脂はうま味にあふれ、美味。
・猿猫
樹上生活をする毛獣。肉食を主とし、果実なども食べる。非常に身軽で、生涯木から降りないこともざら。
・川熊蝉
川辺に棲む蟲獣。成蟲は翡翠のように美しい翅をもち、装飾具にもされる。雄の鳴き声は求婚の歌であり、季語にもなっている。成蟲の胴は鳴き声を響かせるためのつくりで殆ど空洞になっており、実は少ない。幼蟲は土中で育ち、とろっとしたクリームのような身をしているが、やや土っぽい。
・木苺
鈴なりに甘酸っぱい実をつける植物の総称。またその実。ベリー類。
・松葉独活
うろこ状の葉を持つ山菜。土中から顔を出す直前のものは日に当たっておらず色が白く、柔らかい。
・葶藶
水辺に生える山菜。独特の辛みを持つ。肉類などの付け合わせにされたり、おひたしなどにされる。
・亡霊
幽霊。亡霊。未練や強い思いを遺した魂がこの世を彷徨っているとされる。
前回のあらすじ
ストーキング・ゴーストの存在に気づいた少女リリオ。気付かれたことに気づいていない閠。
何もしてこないならいいかなと無防備な姿をさらすリリオ。それを付け回す閠。
すさまじい犯罪臭に本人たちだけが気付いていないのだった。
森歩きなど一度もしたことがない私でも全く困ることのないこの体の身体能力は非常に助かった。
というのも、私がストーキング対象もとい観察対象に決めたこの冒険者見習いみたいな少女は、見かけよりずいぶんと体力があったからだ。
革鎧に傷もなく、鞄も新しいものに見えるし、それほど旅慣れているような感じではないのだけれども、足取りには迷いがないし、小さな体でずんずんと進んでいく。
この少女が特に体力に秀でているのか、この世界での平均値が高いのかは比較対象がないのでわからないけれど、少なくとも元の世界の同じ年ごろの子供と比べればかなり身体能力が高そうだ。運動の必要性が少ない現代社会の子供と、あまり文明程度が高くなさそうな世界の子供だから当然と言えば当然だけれど、食糧事情から言えば現代社会の子供の方が発育もよさそうだし、単純に比べるのは難しい。
ただ、私が信じられないくらいの怪力や素早さを発揮したように、この世界の住人も何かしらステータスに補正が入っている可能性は否めない。私一人が特殊と考えるより、この世界には魔法や魔力といった概念が存在していると考えた方が自然だ。私の存在的にも、よくあるこの手の物語のご都合主義的にも。
少女は旅慣れていないからなのか、単にまじめだからなのか、非常に規則正しく足を進めていた。時計がないので体感でざっくり判断しているけれど、大体一時間かそこら歩いて、十分ちょっとくらい休憩というのを繰り返している。
ただ、まじめなばかりではないというのは観察を始めてすぐにわかった。
少女が進んでいった先から血の匂いがして、あ、そういえばと思いだした時には、少女が警戒したように足を止めた。
そこは私が、あのでかい角猪を出会い頭にごっめーんとばかりに首を跳ね飛ばした現場だった。横たわった胴体はすでにすっかり弛緩し、血の流れもほとんど止まっているけれど、ほかほかと湯気が上がっていて、まだ温かそうだ。
時間が経ったからか、私の心がいくらか落ち着いたからか、先程のように強烈な忌避感や汚らしさは感じない。やはりちょっと腰が引けるけれど、二度目でもあるし、まだ落ち着いてみることができる。
少女はこの殺戮現場に、また恐らくはこの殺戮を引き起こした存在に警戒してかしばらくあたりをうかがっていた。こんな大きな猪を一発で仕留められるような存在は、どうやらこの世界の価値観でもあまり普通ではないようだ。まじめに警戒しているようで好感が持てる。そういう駆け出し冒険者みたいな感じいいね。
と思っていたらおもむろにナイフを取り出して猪の死体に近づいた。なるほど、危険な存在は警戒しても、こうして素材の塊が落ちていたら回収はしておきたいだろう。私には価値がわからないけれど、毛皮は売れるだろうし、なにかこう、ファンタジー的素材があるのかもしれない。
と思ってのぞき込んだら、かなり強引にお腹のあたりの肉だけ抉り取っていた。
顔。顔つき。それ年頃の女の子がしていいような顔じゃないぞ。涎を隠せ。
どうやら食欲ゆえの葛藤で、食欲ゆえの採取行動であったらしい。
一応素材になりそうな角も回収していたのでそこら辺の勘定もできるようだけれど、危険を冒してでもまず考えたのが食欲というあたり不安だ。
抉り取った肉と、折り取った角は、それぞれ別の革袋に納めていた。多分、素材を手に入れた時に入れるための革袋をいくつも持っているのだろう。小分けにしないと困るような素材もあるだろうしね。
少女は荷物を整えると、その場に跪いて、手の指を内側に組む、なんかちょっと痛そうな手つきをして、囁くようになにがしかを唱えた。
私がしっかり聞き取れたのならば、それはこんな具合だった。
「かけまくもかしこきさかえあわいのおほかみぷるぷらもろもろのおほみめぐみみえにしをたふとみゐやまひかしこみかしこみもまをす」
多分これは、こんな風に直せる。
「掛巻も畏き境、間の大神プルプラ、諸々の大御恵、御縁を尊み敬ひ恐み恐みも白す」
ざっくり言えば、名前に出すのも恐れ多い境界の神様プルプラよ、いろんなお恵みとご縁を与えてくださってありがとうございます、という感じになると思う。
もしも音が似てるだけで全然違うことを言っているのだとしたらともかく、この通りに言っているのだとすればどうやら異世界ものにありがちな自動翻訳機能はちゃんと働いているようだ。もし会話全てがこの調子だったら私がさらに現代語訳しなければならないという面倒くさいことになりそうだけれど、多分これは神様へのお祈りの定型文みたいな感じだろう。手慣れた感じだったしね。
連れがいれば会話からもっといろいろわかるんだけど、何しろ一人だから何にも喋らないんだよね。
少女はしばらく歩いて、少し開けた場所に出たところで、どうやら野営の準備を始めるようだった。まだ明るいとは思うけれど、人間が歩き続けられる時間は限られているし、薄暗い森の中で一人で野営の準備をするとなると時間もかかるだろう。
少女は手慣れた様子で竈を組んで火をつけたのだけれど、ここで何やらファンタジーグッズが登場した。
火打石でも使うのかと思っていたら、何か小さな箱のようなものを取り出して、竈の薪に近づけた。そして小さく蓋を開いたかと思うと、その隙間から小さな火が上がり、ぱちぱちと枯れ枝に燃えついたのだ。
ライターのようにも見えるこの箱の中には、小さな蜥蜴のようなものが見えた。それが本物なのか作り物なのかまではわからなかったけれど、ガスやオイルを燃やしているわけではなさそうだ。
少女は先程手に入れた猪肉を鍋で調理したり、装備の点検をしたりと、なんとも冒険者然としていて、いい。実にファンタジーな光景だ。しかもあんまりさりげなく使うから気付かなかったけれど、多分水筒も魔法の品だ。ナイフを洗ったり鍋に水を注いだりしていたのだけれど、どう考えても革袋のサイズと出てくる水の量が釣り合わない。先程水をくんでいたし無制限に汲めるわけではなさそうだけれど、かなり大量の水を収められるようだ。
薪を拾ったりそこら辺の草をつんできたりうろちょろしながら少女は料理を続け、全てが終わった頃にはすっかり日が暮れていた。なるほど一人で旅をするというのは大変そうだ。私には無理だな。まずなにをしたらいいのかわからない。
少女は鍋に直接匙を入れて猪肉を食べ始めたのだけれど、これがまた、とてつもなく美味しそうだった。
鍋自体も美味しそうは美味しそうなのだけれど、なにより実に幸せそうにものを食べるのだった。それこそ神様にでも祈りだしそうな感謝を込めて一口一口を噛み締めている。俯いてため息ばかりの現代社会で見かけたら、ヤクでもやってんのかと思うレベルでにっこにこ笑いながら食べている。何か危ないものでも入ってるんじゃないだろうなこの鍋。
やがて半分程食べ終えると、少女は鍋をもう一度沸かして、火からおろすと蓋を閉めて、厚手の布でくるんでしまった。どうするのかと思えばそのまま置いて、自分は毛布にくるまって寝る準備をしてしまう。
何だろうと思ってしばらく考えてみたが、多分保温効果を高めているのだろう。スロー・クッカーと同じことだ。じっくりと熱を加えることで肉は柔らかくなる。それを朝ごはんにしようというのだろう。なるほど、考えている。
木に背中を預けて寝入ってしまった少女を眺めて、さてどうしようかと私は悩んだ。
私も眠ってしまおうかとも思ったけれど、なにしろ安物とはいえベッドに慣れた現代人だ。毛布もなしに地べたで寝れるほど丈夫ではない。いや、多分この体は岩の上だろうと何だろうと平気なんだろうけれど、気持ちとしては別だろう。
それに何より眠気というものがまるでなかったのだ。
興奮して目が冴えている、という感じではない。そもそも体調や精神状態がずっとフラットで落ち着いている。多分これは、ゲーム時代睡眠というものがバッドステータス以外で存在しなかったからではないだろうかと思う。一応宿屋というものもあったけれど費用対効果を考えたらアイテム使うか移動がてら自然回復させた方がよほどましだったし、私は使ったことがない。ゲームを基準としたこの体は眠りが必要ないのかもしれない。
また、一日歩いたけれど疲労感もない。スタミナシステムはなかったからだろうか。見たり聞いたりの感覚はあるのに、そういった眠気や疲労などの一切がないというのは地に足がついていないようで落ち着かない。まるで幽霊だ。名乗ってはいるけれど、体感するとなんだか気持ち悪い。
眠気が来ないとなると、夜は恐ろしく長かった。話し相手もいないのだ。
ちょっとあたりをうろついてみたり、鍋の中身を拝借してみたりしたが、時間は全然過ぎない。なお、鍋は結構濃い味だった。味噌のようなものを入れていたけれど、炒ったナッツのような香ばしい感じがして、かなりコクがある。そして肉は、硬い。
早く起きておくれよと頬をつついたり、焚火に薪をくべたりしてぼうっと過ごす夜は、はじめ全く落ち着かなかった。何もしていない時間というのは、いったいいつぶりだろうか。
朝は六時に起きて、歯を磨いて顔を洗って化粧水はたいて手早く化粧を済ませて、着替えを済ませたらすぐ出勤だ。朝ご飯は通勤途中のコンビニでゼリータイプの補給食品を一気に絞って瞬間チャージ。会社に着いたらもくもくと仕事して、同僚がきゃいきゃい下らない会話してるのを聞き流しながらブロックタイプの栄養食品とミネラルウォーターでお昼ご飯。済んだらクソどうでもいい会議のチラ見されて終わりの資料をコピーして手作業でホチキスで止めて、上司のクソどうでもいい思い付きで訂正された資料をコピーしなおしてまたホチキスで止めて、結局会議で大して使われもしないまま回収してホチキス針を外して裏紙を再利用箱に放り込んで、給湯室で陰口大会の若い社員を尻目にテンプレート書類を仕上げて印刷して発送してとか言うメールでいいだろうという仕事を終わらせて、さあ定時で上がろうと思えばサービス残業のお時間だ。タイムカード切れってお前労働基準法違反だからな。十分もあれば終わるだろう仕事を、テンプレートと書式と要らん工程のせいで一時間以上に膨らまされて、さっさと終わらせて提出しようとしたら上司は本日早退につきまた明日ってお前これ今日じゃなくてよかっただろう。帰り道にコンビニに寄って栄養食品とミネラルウォーターを買って帰宅。パソコンを起動させてゲームのアップデート。その間にもそもそ晩御飯を済ませてレクサプロ飲んで、ああ、そろそろ眠剤切れるんだったでも次休みいつだっけ、ぼんやり考えながらゲームに没入して、切りが良ければベッドで寝て、悪けりゃ気付けば寝落ちしてる。それで、アラームに起こされてまた出勤。休日は診療所にいって毎度変わらずのお話をして、お薬貰って帰って一日寝る。
そんな生活をずっと送っていたから、なんにもしない時間というものが落ち着かない。いわゆる世間の一般人はどういう毎日を送ってるんだろう。全然想像できない。なんでみんななんにもないのにウェーイって笑ってられるんだろう。脳器質の構造そのものが違うんじゃなかろうか。
そんなことをしばらくの間考えていたけれど、くうくうと静かな寝息を聞きながら焚火の火を眺めていると、頭の中をかけずり巡っていた文字列はだんだんと減っていって、映像情報や曖昧な感覚にとってかわられ、それもやがてふわふわとした形容しがたい、色も形もないものになった。きっとそれが、ぼんやりするということなんだと思う。いま私は、ぼんやりしているのだ。
ほとんど機械的に薪をくべているうちに朝日が差し始めたのだった。
用語解説
・ストーキング
同一の対象に付きまといなどを反復して行うこと。犯罪行為。事案。
・異世界ものにありがちな自動翻訳機能
何故か成り立ちもすべて異なる異世界で日本語が通じる現象。そのくせネット用語や俗語は通じなかったりする。言葉が通じない設定にすると転生して一から言葉を学びなおす場合はともかく、転移して身振り手振りでコミュニケーションをとらなければならないとどうしてもテンポが悪くなるので、「そのとき不思議なことが起こった」くらいの勢いで言葉が通じるパターンが多い。そしてそのまま全世界規模で言語が統一されていたりする。
・スロー・クッカー
長時間決まった温度で調理する加熱器具。高い保温機能で長時間熱を保てるものの他、自動で温度調節するものなどがある。
・バッドステータス
ゲーム用語。体がしびれて動かない麻痺や、一定時間ごとにダメージを受ける毒、行動不能になる睡眠や魔法の詠唱ができなくなる沈黙など、プレイヤーに不利なステータス異常。薬や魔法などで回復させなければ治らない場合や、時間経過で自動で治る場合がある。
・スタミナシステム
ゲーム用語。攻撃したり、走り続けたすることに対して、個別に設定されたスタミナを消費するシステム。スタミナを使い切ると走ったりの行動ができなくなったり、疲労して動きが鈍くなったりする。
・ゼリータイプの補給食品
忙しい社会人の味方と謳う、現代社会で手軽にお目にかかれるディストピア食品。あくまで補助するものであって食事はちゃんととった方が良い。これは主食ではない。
・ブロックタイプの栄養食品
栄養管理が楽なカロリー数が計算しやすい例のアレ。これも主食ではない。ライプポイントも回復しない。
前回のあらすじ
仕事してない時は何をしたらいいのかわからないという現代人の闇のような精神を持て余す閠。
その闇が少女を付け回すという事案を発生させてしまったのだろうか。
その闇が少女の寝顔を眺めて夜を過ごすという事案を発生させてしまったのだろうか。
闇は、あまりにも深い。
さて、夜が明けると、少女は慌てて起き出して、手早く鍋の中身をかきこんで、あの大容量の水筒の水で洗い、荷物をまとめて旅を再開した。
あの猪肉をたっぷりと食べたせいか、心なし足取りが軽そうだ。私にはいささか硬すぎる肉だったけれど、この娘は実に満足そうにぎゅむぎゅむと噛み締めていたし、気力も十分回復していることだろう。朝ご飯もしっかり摂ったことだし。
一方の私だけれど、一晩寝ずに過ごしても、やはり眠気は訪れなかった。また昨夜鍋の中身を少しつついただけだけれども、空腹感も別に感じない。もともとそんなに空腹を感じないというか、食事への欲求があまりなかったけれど、本格的に何も感じない。腹が満ちているわけでもなく、空いているわけでもない。意識しないとお腹のことなどまるで意識にも上らないくらいだ。
まあ、便利ではある。食事に煩わされるのは時間の無駄だ。ああ、いや、時間の使い方には困っているんだった。
とはいえ、一晩ぼんやりするという私史上かなりショッキングな出来事があったためか、少し頭が切り替わったようにも思う。少女の後ろを歩いている時も、特に急かされるような気持ちも急かしたい気持ちも起こらないし、周囲の景色を眺めていろいろと発見をすることもあった。
例えば何気なく通り過ぎていく木々なのだけれど、よくよく見ると葉の形や枝ぶりが、見たことのないものが多い。まあ私もそんなにいろいろ植物を見たことがあるわけではないけれど、以前図鑑でざっと見た感じとは明らかに違うものがちらほらとみられたりする。少なくとも私は自分の力ではい回る蔦とかは見たことがない。
少女は採集をしながら歩いているようで、不意に屈みこんだと思ったら木に生えているキノコを採り始めたり、私には雑草にしか見えない草を摘んだりしていた。まあこのくらいなら山菜取りのおばあちゃんとかもしていそうだけれど、ぎょっと目を見張るようなものもあった。
例えば、まっすぐ伸びた太い茎からひらひらと布状の花びらを螺旋状に広げた花が咲いていたのだけれど、その傍をひらひらと舞う蝶々に少女が目を付けた。少し大きめの革袋を取り出すと、花に止まって蜜を吸い始めた蝶々の上にえいやッとかぶせたのだ。虫取りなんて子供らしくていいなあ、私は一度たりともしたことないし虫なんか触りたくないけど、と微笑ましく見守っていたのだが、にこにこ笑顔で少女が袋を覗き込むと、なにやらかちゃかちゃと硬質な音がする。蝶々だよね。それ蝶々だよね本当に。不気味に思ってのぞき込むと、きらきらと美しい色取り取りのシジミがいた。
何を言っているかわからないと思うけれど私もわからない。
なんだこれと思っていると、そのうちの一つが隙をついて飛び出して、少女が慌てて袋の口を縛った。袋から抜け出したシジミが、薄く綺麗に輝く殻を羽ばたかせて飛んでいく。
航空力学仕事しろ。
おそらく何がしか未知の物理法則かファンタジー原理で飛んでいく飛行シジミを見送り、私は少女の笑みの理由を悟った。子供らしい昆虫採集の笑顔じゃない。いいおかずが手に入ったわっていう笑顔だ、これ。
その後も少女は順調に食欲を満たすために行動していた。突然木のうろに手を突っ込んで小動物を引きずり出して首の骨を圧し折り始めた時は悲鳴が出るかと思った。まあ随分お喋りしてないからとっさに声も出ないけどね。
獲物も豊富でご機嫌な少女は、やはり一時間歩いて十分休んでのペースを守って歩き続け、程よく開けた場所を野営地に選んだ。野営準備の光景も二度目となると慣れたけれど、どうしても慣れないこともあった。
少女がおもむろにシャベルで地面に穴を掘り始めるのを見て、私はそそくさと背を向けて、少しの散歩に出た。昨日は何の穴だろうとしばらく観察して大変申し訳ないことをしてしまった。だってまさかトイレ用の穴だとは思わないじゃないか。でもまあ、そりゃそうだよね。生きてれば食べるし、食べれば出すものだ。健康です。私の方はこの世界に来てからこっち、全然そういう欲求がなかったのですっかり忘れていた。猪鍋をちょっと食べたからそのうち出るかもしれないけど、果たして体内が人間と同じかどうかは私にもわからない。
少女は鍋に例の飛行シジミを放り込んで火にかけた。ああ、やっぱり食べるんだと思っていると、中からかんかん音がする。逃げ出そうとしてるんだろうなあ、あれ。酔っ払いエビみたいだ。
その間に少女は道中捕まえた小動物をさばき始めた。えぐいなとは思うけれど、血抜きのために首を裂いた時も見て少し慣れたし、怖いもの見たさもあって眺めていると、解体以前にカルチャーショックがあった。
兎っぽいと思っていたのだけれと、これ、鳥だ。
兎と鳥を足して割ったような感じ。四つ足の鳥というか。羽毛がかなりふわふわの体毛になっているらしくて、少女がぶちぶち引き抜いていく羽は綿みたいでかなり柔らかそうだ。足先なんかは完全に鳥で、前足などは風切羽の名残のような羽が伸びている。
羽をすっかり毟ってさばく段階に入ると、なんとなく鶏っぽくも感じる。
手慣れた様子で解体して、皮目を火であぶっているのは、羽の根っこの部分を焼いているのかな。
鍋から音がしなくなって、少女が蓋を開けると、ふわっと懐かしい香りがした。お吸い物の香りだ。何年も飲んでない。
今日は味噌は使わずあっさり塩味にするようで、ビスケットのようなものも砕いて入れたりはせず、たまにスープに浸して柔らかくして食べていた。こっそりお相伴にあずかろうかなとも思ったけれど、ジビエだけあってやっぱり歯応えがありそうにぎゅむぎゅむ噛み締めているし、食べ盛り育ち盛りの子供から頑張って獲った食べ物をかすめ取るのも申し訳なく感じて遠慮しておいた。昨日はあんまり美味しそうに食べるからついつい手を出してしまったけれど、別にお腹が空くわけでもないし、幸せそうに食べている姿を見ていると、まあいいかなという気分にもなる。
半分ほど平らげると、ちょっと物足りないという顔をしながら、昨日と同じように鍋を保温し始めるので、私はふと思いついて腰のポーチを探ってみた。
暇な時間に少し調べてみてわかったのだけれど、このポーチ、ゲーム時代でいうインベントリになっているようなのだった。アイテムボックスとか言ったりもする、要するに取得したアイテムが保管される場所だ。小さな見た目だけれど、手を入れると中にどんなアイテムが入っているのかが思い浮かぶ。
私のプレイしていた《エンズビル・オンライン》ではアイテムに重量が設定されていた。キャラクターの力強さや、装備に付与されている軽量化効果などから計算される所持重量限界があって、低レベルの内は装備も含めてどんなアイテムを持っていくかかなり厳選を迫られる。
私の場合、力強さは全然育てていないけれど、それでも最大レベルだけあってかなり豊富なアイテムを所持している。
私が取り出したのはその中の回復アイテムである《濃縮林檎》というものだ。普通の《林檎》は低レベルの内からも手に入る手軽な回復アイテムだけれど、《濃縮林檎》は高レベル帯の植物系モンスターからしか手に入らない、《HP》と《SP》を大きく回復させてくれるアイテムだ。加工すれば《濃縮林檎ジュース》という重量が軽くて回復量も高いアイテムにできるけれど、面倒だったのでそのまま持っていたのだ。
私はそれをそっと竈の傍に転がしておいた。ポーションなんかでも回復はするだろうけれど、突然薬瓶なんか転がってても怪しいし、第一お腹が満たされないだろう。その点果物なら森の中に落ちていてもおかしくはないし、食べれば満足もするだろう。
……私のアイテムをこの世界の人間が摂取した際にどんな効果が出るのかという人体実験も兼ねている、というのは包み隠さず言っておこう。私はなにも善意だけの人間ではないのだ。
少女は《濃縮林檎》の存在に気づくと、あたりを見回して不思議そうに首を傾げた。まあ、確かにちょっと怪しかろう。近くにそれらしい実が生っている木はないからね。私だってそれくらいわかる。でも短い付き合いながらこの娘のことは少しわかった。
少女はやはり、気にしながらも《濃縮林檎》を手に取り、半分くらい警戒心を置き去りにして、わずかの葛藤を済ませるやじゃくじゃくと美味しそうに食べ始めた。旅の中では甘いものはあまり手に入らないだろうし、ただの《林檎》よりも栄養価が高そうな《濃縮林檎》はさぞかし美味しかろう。
瞬く間に平らげ、種を押し頂くようにしてしまいこみ、ついには神にまで祈り始める姿に笑い死にするかと思ったが、幸いこの程度では私の《HP》は減りもしなかった。
少女がぐっすりと眠りに落ちると、私はこの退屈な夜長をどう過ごすか思索にふけった。どうしてこんなことになったのかとか、この体は何なのかとか、この世界は何なのかとか、多分考えなければならないことはたくさんあるのだけれど、でもそれらは考えても意味のないことでもある。答えは私の中にはない。だから目先ことを考えた方が建設的だ。
私は焚火に薪をくべ、少女の頬をつつき、あたりをうろつきまわり、ポーチの中身を改め、《技能》の扱いがどう変わっているのかを確かめ、一人時間を潰した。
少女が苦労して仕掛けた罠は、器用に餌だけ抜き取られてあまりにも哀れだったので、そこら辺をうろついていたカモノハシみたいな小動物を捕獲して罠にかかったように見せかけておいた。
ついでに暇だから観察してみたけれど、カモノハシとしては嘴が短い。尾は長く、足はちょろちょろ動き回りやすそうな小さなものだ。前の世界ではペットなんて飼ったことがなかったし、動物に触れる機会などなくてちょっとおっかなびっくりだったのだけれど、この体は私の思うとおりに動いてくれて、うっかり握りつぶすということもなく繊細に捕まえられたのに驚いた。
頭で気持ち悪い触りたくないと思いながらも、手の方では機械的に仕事をこなしてくれるのだ。しばらく弄っているうちに慣れてきたし、存外私も図太い方なのだろうか。そういえばレクサプロ飲んでないけどどうということもない。まだ薬の効果が残っているというよりは、この体は脳の構造も強くなっているのかもしれなかった。
やはり全く眠気が来ないまま朝が来たけれど、朝日が出てきても少女に起きる気配がない。
甘やかしたせいだろうかと思って揺さぶってやるとさすがに目を覚まし、寝坊したことに気づいたらしく大慌てで片づけを始めた。どれだけ急いでいても朝ご飯を幸せそうに食べるので、多分この娘と私の脳器質には相容れない違いが存在している気がする。
罠に仕掛けておいたカモノハシもどきには喜んでもらえたようでよかったけれど、やっぱりその場でしめて血抜きするので笑顔が怖い。いや、この世界の常識的には普通の反応なんだろうけど。
《濃縮林檎》の回復効果があったのだろう、少女の足取りは非常に軽かった。ステータスが見えないので《HP》が回復したのか、回復したとして、ゲーム時代のように《HP》最大量までしか回復しないのか、そのあたりのことはよくわからない。しかしこの元気な足取りが少女の本来の身体能力なのだとすれば、めげる様子はなかったもののやはり一人旅は疲れがたまるようだ。冒険者は大変だね。
元気が出たおかげか非常にご機嫌で進んでいく少女の後を私もついていく。余裕があるからか、少女は道々食材になりそうなものを積極的に採取しているようだった。私は樹上をするする移動していく山猫みたいな生き物や、遠くから聞こえてくる鳥か何かの鳴き声、そういったものに目を取られていたので詳しくは見ていないけれど、地面からタケノコみたいな白アスパラみたいなものを掘り出したり、茂みに顔を突っ込んで木苺を摘んだりとやりたい放題やっているみたいだった。
元気があるのはいいことだけれど、はしゃぎすぎて疲れても私は知らない。
小川に差し掛かったところで、少女は機嫌がよさそうに鼻歌を歌いながら休憩を始めた。例のやたらと大容量の謎水筒に水を汲み、山菜のようなものを摘み、のんきに顔など洗っている。
私は私で川辺の木に止まっている巨大な蝉に目を奪われていた。実に綺麗なエメラルド色の羽をしていて、チーチーツーツーと先程から聞こえていた鳥の鳴き声のような声で歌っている。蝉の鳴き声と言えばうるさいとばかり感じていたけれど、せせらぎとこの巨大蝉の歌声の取り合わせはなんだかとても涼しげで心地よい。
そろそろ出発する頃合かなと振り向くと、少女が警戒したような顔つきでじっとこちらを見ている。いつの間にか《隠蓑》が解けていただろうかと慌てて確認するけれど、相変わらず体は半透明のままで、解除された様子はない。
なんだろうと思ってあたりを見てみると、どうも私の体を透かして向こう側に、一頭の獣がいることに気づいた。
角もあるし鹿っぽいのだけれど、口元には嘴があるし、足元も蹄はあるけれど鱗のある足で、今までにも見た四つ足の鳥の類らしい。非常に立派な体躯で、毛並みというか羽並みというか、鮮やかな色合いで美しい。
ぼんやり見ていると、少女に気づいたらしい鹿鳥が、鋭く鳴いて威嚇し始めた。前足に生えた風切羽の名残のような飾り羽を体に打ち付け、角を向けてしきりに鳴いている。縄張り意識の強い獣のようだ。
少女は、熊に遭った時の対処法のような感じで、目を背けないままゆっくりと後ずさって、十分に距離を取ってからその場を逃げ出した。私もそのあとについていく。ファンタジー世界の戦闘が見られるかもと思ったのだけれど、まあ十三、四の小柄な子供に鹿と戦えっていうのはちょっと厳しいだろう。
少女はすぐに気を取り直したのか、のんびりとあちらこちらを眺めながら、元の調子で歩き始めたようだった。私も旅の連れが気落ちしたり警戒し通しでは落ち着かない。少し安堵して観察を続けるのだった。
用語解説
・《濃縮林檎》
《エンズビル・オンライン》の回復アイテムの一つ。高レベル帯の植物系Mobからドロップする。
《HP》を最大値の三割ほど回復させる。加工することで重量値が低く、五割回復の効果を持つ《濃縮林檎ジュース》が作成できる。
『年経た木々はついに歩き出す。獣達にとって遅すぎるその一歩は、気の長い古木達にとってはせっかち物の勇み足。豊かな実りは腰を据えなければ生み出せない。その前に根から腐り落ちなければの話だが。』