前回のあらすじ
珍しく奮起するウルウ。
ご飯は、大事だった。
全くひどい食事だったわ。
麺麭と乾酪!
朝食ならまだしも、昼食にこれだけ! それもひどく硬くなった、いつのものとも知れない!
普通の宿だったら怒鳴りつけてやるところだったけれど、なにしろどうにもこの町はいま、普通じゃない。宿の主人も寝ぼけた朝顔のようにぐんにゃりしちゃってまあ、とてもじゃないけど言ってどうにかなるというものでもなさそうだった。
あたしが夕食の食材を買いに出かけた市もまあ酷いものだった。
市に品を出すのは外からやってくる村人たちが主だから、それなりに活気はあるんだけど、肝心の消費者である町の住人たちが、まるで購入意欲もないまま惰性と生きるためだけに買っていくものだから、自然と売れ筋も決まっていて、なんだか市というより配給所みたいなことになっているわね。
だからあたしみたいのが顔を出してあれこれ言いながら物を買うと、大喜びであたしの値切りにも応じてくれて、ようやくまともな商売ができたって言うのよ。
これにはさすがに面倒くさがっていたあたしも、どうにかしてやらなきゃなって思うわよ。
ウルウも宿の食事にすっかりご不満で、異変の早期解決にやる気を出していたみたいだし、変な形だけれど、これでようやく《三輪百合》の意思も統一されたわけだ。
あたしがちょっと多すぎるかなというくらいに買い出しを済ませて、宿に戻ってきたころには、そろそろ日が暮れそうだった。
そしてあたしが宿の主の分も、そして代金を払って食材を渡してまで頼み込んできたので他の客の分も夕食の支度を済ませたころに、その不思議な音色は響き始めた。
それは鉄琴のような、いいえ、もっと繊細で、ささやかな……そう、自鳴琴のような音色だった。反復し、同じ旋律を何度も繰り返す、あの美しい工芸品の音色だった。
その旋律は、この音楽の町に来て、そしてそれ以前を含めても、初めて耳にする本物の音楽だった。ただそっと耳を傾けて、それだけのことを思っていたくなるような、そんな旋律だった。
けれど、その音色に耳を傾け、心を傾け始めると、途端に体から力が抜け、心から何かが奪われるようなそんな心地に陥る。
ぐらりと傾きそうな体をとっさに支えてあたりを見れば、宿の客たちもみな恐ろしく疲れたような顔つきで、ずっしりと宿の椅子にしがみついてようやく体を支えている。
リリオでさえ、ぐらつく体をなんとかこらえて、食堂机に手をついている始末だ。
「……成程」
そんな中で、一人平然とたたずんでいるのが、ウルウだった。
ウルウは脱力しきった宿の客たちを改めて、一人何か頷いているのである。
どうしてウルウだけが大丈夫なのだろうか。
ウルウとあたしたちの違いは何だろうか。
そして私は気付いたのである。
「そうか……もともとやる気が全然ないから……っ!」
「さりげなく辛辣だな、もう」
ウルウは普段から着こんでいる頭巾付きの外套をひらひらと揺らした。
「《やみくろ》。この装備は衰弱をはじめとした状態異常を無効化する」
「……?」
「つまり、このメロディは状態異常攻撃だってことさ」
相変わらず訳の分からないことを言って、ウルウはリリオの耳元に触れ、次にあたしの耳元に触れた。いや、違う、耳に何かを詰めたんだ。片耳には布切れを、そしてもう片耳には、柔らかい何かを。
すると不思議なことに、途端にあたしの体は元の軽さを取り戻し、心もふわりと浮き上がった。
リリオもそのようで、不思議そうに小首を傾げた。
音色はまだ耳栓越しにかすかに聞こえてきているのに、その効果はすっかり取り払われてしまったかのようだった。
ウルウが何かを説明しているようだけど、耳栓でよく聞こえないよって身振りで示すと、少し考えて、それからもう一度口を開いた。
「《寝耳塞ぎ》。音属性攻撃に耐性を与える。ただの耳栓よりは、多分効果があるはず」
「あれ。急に聞こえるようになった」
「パーティチャットをオンにした。……えっと、魔法の、念話みたいなもの」
「成程」
いつものよくわからない隠し芸らしい。
聞けば、パーティ内でだけ使える念話のようで、慣れれば口を開かなくても使えるので、秘密の会話には便利そうだ。
どうして今まで使わなかったのかと聞けば、ウルウは少し困ったように笑った。
「そんなに使う機会がなかったし、それに、耳元でささやかれるみたいで、」
「くすぐったい?」
「うるさい」
要するに、リリオと試した時に散々やかましかったから、というのが理由らしい。
ともあれ、これであたしたちの間での意思の疎通は問題なくなったし、音色による妨害も受けなくなった。妨害というか、呪いというか、まあなにがしかだ。
あたしたちはさっそく宿を飛び出して、この異変を解決するべく、音色の出元を探し始めた。
美味しいごはんと、気持ちの良い旅と、それから冒険屋としての矜持の為に。
町は夕日の名残りをわずかに残しながら夜闇に包まれていき、音色は一層冴え渡り始めるのだった。
用語解説
・自鳴琴
オルゴールのこと。ミュージックボックス。
帝国、特に芸術の優れた東部では、細工物の技術が意外にもかなり発展している。
手のひらに乗るサイズのオルゴールくらいは結構出回っていたりする。
・《やみくろ》
ゲーム内アイテム。死神専用装備。フード付きのマント。
ボスMob「グリムリーパー」が低確率でドロップする。
このMobは即死攻撃以外ダメージを受けない上にHPゲージが三つある、つまり三回即死攻撃を成功させないといけないという特殊なつくりで、倒すのには苦労する。
衰弱、汚泥、汚損、即死を無効化する。
また死神専用《技能》を開放するのに必要な装備の一つ。
『闇とともにあれ』
・《寝耳塞ぎ》
ゲーム内アイテム。音属性の攻撃、状態異常に対する耐性を高める装備。
店売りのほか、一部のMobから確率でドロップする。
装備するとゲーム内のBGMやSEがくぐもって聞こえるようになるという特性もある。
お使いのPCは正常です。
『寝耳に水たあ言いますが、その耳をふさいじまったら世の中何にも聞こえやしない。寝るのが一番てことですな』
・パーティチャット
ゲーム内システム。パーティメンバーの間でのみ使用できるチャット機能。
この世界ではパーティメンバーの間でのみ使用できる、音声を必要としない、念話のような形で再現されているようだ。
珍しく奮起するウルウ。
ご飯は、大事だった。
全くひどい食事だったわ。
麺麭と乾酪!
朝食ならまだしも、昼食にこれだけ! それもひどく硬くなった、いつのものとも知れない!
普通の宿だったら怒鳴りつけてやるところだったけれど、なにしろどうにもこの町はいま、普通じゃない。宿の主人も寝ぼけた朝顔のようにぐんにゃりしちゃってまあ、とてもじゃないけど言ってどうにかなるというものでもなさそうだった。
あたしが夕食の食材を買いに出かけた市もまあ酷いものだった。
市に品を出すのは外からやってくる村人たちが主だから、それなりに活気はあるんだけど、肝心の消費者である町の住人たちが、まるで購入意欲もないまま惰性と生きるためだけに買っていくものだから、自然と売れ筋も決まっていて、なんだか市というより配給所みたいなことになっているわね。
だからあたしみたいのが顔を出してあれこれ言いながら物を買うと、大喜びであたしの値切りにも応じてくれて、ようやくまともな商売ができたって言うのよ。
これにはさすがに面倒くさがっていたあたしも、どうにかしてやらなきゃなって思うわよ。
ウルウも宿の食事にすっかりご不満で、異変の早期解決にやる気を出していたみたいだし、変な形だけれど、これでようやく《三輪百合》の意思も統一されたわけだ。
あたしがちょっと多すぎるかなというくらいに買い出しを済ませて、宿に戻ってきたころには、そろそろ日が暮れそうだった。
そしてあたしが宿の主の分も、そして代金を払って食材を渡してまで頼み込んできたので他の客の分も夕食の支度を済ませたころに、その不思議な音色は響き始めた。
それは鉄琴のような、いいえ、もっと繊細で、ささやかな……そう、自鳴琴のような音色だった。反復し、同じ旋律を何度も繰り返す、あの美しい工芸品の音色だった。
その旋律は、この音楽の町に来て、そしてそれ以前を含めても、初めて耳にする本物の音楽だった。ただそっと耳を傾けて、それだけのことを思っていたくなるような、そんな旋律だった。
けれど、その音色に耳を傾け、心を傾け始めると、途端に体から力が抜け、心から何かが奪われるようなそんな心地に陥る。
ぐらりと傾きそうな体をとっさに支えてあたりを見れば、宿の客たちもみな恐ろしく疲れたような顔つきで、ずっしりと宿の椅子にしがみついてようやく体を支えている。
リリオでさえ、ぐらつく体をなんとかこらえて、食堂机に手をついている始末だ。
「……成程」
そんな中で、一人平然とたたずんでいるのが、ウルウだった。
ウルウは脱力しきった宿の客たちを改めて、一人何か頷いているのである。
どうしてウルウだけが大丈夫なのだろうか。
ウルウとあたしたちの違いは何だろうか。
そして私は気付いたのである。
「そうか……もともとやる気が全然ないから……っ!」
「さりげなく辛辣だな、もう」
ウルウは普段から着こんでいる頭巾付きの外套をひらひらと揺らした。
「《やみくろ》。この装備は衰弱をはじめとした状態異常を無効化する」
「……?」
「つまり、このメロディは状態異常攻撃だってことさ」
相変わらず訳の分からないことを言って、ウルウはリリオの耳元に触れ、次にあたしの耳元に触れた。いや、違う、耳に何かを詰めたんだ。片耳には布切れを、そしてもう片耳には、柔らかい何かを。
すると不思議なことに、途端にあたしの体は元の軽さを取り戻し、心もふわりと浮き上がった。
リリオもそのようで、不思議そうに小首を傾げた。
音色はまだ耳栓越しにかすかに聞こえてきているのに、その効果はすっかり取り払われてしまったかのようだった。
ウルウが何かを説明しているようだけど、耳栓でよく聞こえないよって身振りで示すと、少し考えて、それからもう一度口を開いた。
「《寝耳塞ぎ》。音属性攻撃に耐性を与える。ただの耳栓よりは、多分効果があるはず」
「あれ。急に聞こえるようになった」
「パーティチャットをオンにした。……えっと、魔法の、念話みたいなもの」
「成程」
いつものよくわからない隠し芸らしい。
聞けば、パーティ内でだけ使える念話のようで、慣れれば口を開かなくても使えるので、秘密の会話には便利そうだ。
どうして今まで使わなかったのかと聞けば、ウルウは少し困ったように笑った。
「そんなに使う機会がなかったし、それに、耳元でささやかれるみたいで、」
「くすぐったい?」
「うるさい」
要するに、リリオと試した時に散々やかましかったから、というのが理由らしい。
ともあれ、これであたしたちの間での意思の疎通は問題なくなったし、音色による妨害も受けなくなった。妨害というか、呪いというか、まあなにがしかだ。
あたしたちはさっそく宿を飛び出して、この異変を解決するべく、音色の出元を探し始めた。
美味しいごはんと、気持ちの良い旅と、それから冒険屋としての矜持の為に。
町は夕日の名残りをわずかに残しながら夜闇に包まれていき、音色は一層冴え渡り始めるのだった。
用語解説
・自鳴琴
オルゴールのこと。ミュージックボックス。
帝国、特に芸術の優れた東部では、細工物の技術が意外にもかなり発展している。
手のひらに乗るサイズのオルゴールくらいは結構出回っていたりする。
・《やみくろ》
ゲーム内アイテム。死神専用装備。フード付きのマント。
ボスMob「グリムリーパー」が低確率でドロップする。
このMobは即死攻撃以外ダメージを受けない上にHPゲージが三つある、つまり三回即死攻撃を成功させないといけないという特殊なつくりで、倒すのには苦労する。
衰弱、汚泥、汚損、即死を無効化する。
また死神専用《技能》を開放するのに必要な装備の一つ。
『闇とともにあれ』
・《寝耳塞ぎ》
ゲーム内アイテム。音属性の攻撃、状態異常に対する耐性を高める装備。
店売りのほか、一部のMobから確率でドロップする。
装備するとゲーム内のBGMやSEがくぐもって聞こえるようになるという特性もある。
お使いのPCは正常です。
『寝耳に水たあ言いますが、その耳をふさいじまったら世の中何にも聞こえやしない。寝るのが一番てことですな』
・パーティチャット
ゲーム内システム。パーティメンバーの間でのみ使用できるチャット機能。
この世界ではパーティメンバーの間でのみ使用できる、音声を必要としない、念話のような形で再現されているようだ。