ドラゴンは侵入者に気が付き、巨大な翼をバサバサと揺らし、マイクロバスくらいはあろうかという巨大な首をもたげ、クワッと大きく口を開けた。そして、圧倒的なエネルギーの奔流が喉奥に集まっていく。

「ブレスが来る! 逃げろー!」

 班長はベネデッタを抱えて逃げ出す。

 しかし、ベンは、構うことなく一気に飛び上がると、そのまま手刀でドラゴンのクビを全力で切り裂いた。一万倍の宇宙最強のエネルギーがベンの指先から閃光となってほとばしり、鮮烈なレーザービームのように、すべてをはじき返すはずのドラゴンの鱗をあっさりと焼き切ったのだった。

 グギャァァァ!

 ドラゴンブレスのために集めたエネルギーは行き場を失い、喉元で大爆発を起こす。

 ズン!

 大広間は閃光に包まれ、地震のように揺れた。ドラゴンの首は黒焦げとなって吹き飛び、壁に跳ね返され床に転がっていく。

 だが、ベンはそんな事には目もくれず、出口までピョンとひと飛びし、扉をぶち破って消えていった。

 班長もベネデッタも、その圧倒的な戦闘力に呆然とし、言葉を失う。ドラゴンを瞬殺したすさまじい戦闘力はもはや神の領域である。

 二人は黒焦げとなって熱を放つおぞましいドラゴンの首を眺め、どうしたらいいのか分からず、顔を見合わせる。そして、手を組んで神の御業に祈った。


       ◇


「きゃははは! やったね、一万倍だよ!」

 用を足して恍惚としているベンにシアンは上機嫌に話しかける。

 ベンはチラッとシアンを見ると、首を振り、何も言わなかった。

「どうしたの? 真龍も瞬殺。神に近づいたんだよ?」

 ノリの悪いベンをシアンは不思議に思い、首をかしげる。

「僕は! 静かに暮らしたいだけなの! 何なんですかこの糞スキル!? いつか死にますよ!」

 ベンは憤然と抗議した。

「大いなる力は大いなる責任を伴うからね! しかたないね! きゃははは!」

「だから変えてって言ってるでしょ? もうやだ!」

 ベンは両手で顔を覆う。

「んー、でも今、魔王が君にしかできない世界を救うプラン考えてるんだって」

「へ? 魔王? なんで僕を巻き込むんですか? 止めてくださいよ!」

「だってそのスキル宇宙最強なんだもん」

 そう言うとシアンは嬉しそうにくるっと回った。

「なんと言われたって絶対協力なんてしません! あなたの言うとおりになんて絶対! ぜ――――ったい、なりませんよ!」

 ベンは毅然(きぜん)として言い切った。

 すると、シアンはちょっと悪い顔をして言う。

「上手く行ったらベネデッタちゃんと……、結婚できるのになぁ……」

「えっ!? け、結婚?」

 ベンは全く想像もしなかった話に言葉を失い、口をポカンと開け、間抜けな顔を晒した。

「だって世界を救ったベン君なら断る理由なんてないからねぇ」

 嬉しそうに話すシアン。

「え? 本当に? いや、でも……」

「魔王のプランに乗る気になった?」

 ベンは困惑した。これ以上シアンの言いなりになるのはゴメンだ。でも、世界を救って公爵令嬢と結婚、それは確かにありえない話ではない。前世では彼女を作る暇もなくブラック企業で過労死してしまったが、あんな美しいおとぎ話に出てくるような可憐な少女と結婚の芽があるというのは全くの想定外だった。

 ベンは大きく息をつくとシアンをチラッと見上げ、小声で返事をする。

「……。話は聞くだけ、聞いてみてもいいです。でも、話あるならお前の方から来い、って伝えといてください」

「うんうん、分かったよ」

 シアンは『チョロすぎ』とでも言いたげな、にやけ顔でうなずいた。

「それから、このスキル修正してくださいよ。苦しすぎます」

「え――――! スキルの修正なんてできないよ。それ、絶妙なバランスの上で作った芸術品なんだゾ」

「でも、苦しすぎて死んじゃいます!」

「うーん。……。じゃこうしよう!」

 そう言ってシアンはベンの可愛いお尻をサラッとなでる。するとお尻はピカッと黄金色に光輝いた。

 へ?

「これで君の括約筋は+100%。十万倍にも耐えられるゾ!」

「いやちょっと! そういうんじゃなくて……」

「じゃ、次は十万倍! 頑張って! きゃははは!」

 シアンは笑いながらすうっと消えていった。

 ベンはそっと自分のおしりを触ってみる。すると確かに今までと違うずっしりとした確かな筋肉を感じる。ただ、漏れにくくなっただけで苦痛は変わらない。むしろ今まで以上に耐えられる分だけ苦痛は増す予感しかない。

「なんだよもぅ……」

 ベンは宙を仰ぎ、頭を抱えた。










17. ベン男爵

「ベン君! すごいのだ!」

 ダンジョンの入り口まで戻るとベネデッタが駆け寄ってきて抱き着いてきた。甘く華やかな香りがベンを包む。

「ベ、ベッティーナ様、ハグなど恐れ多いですよ」

「何言ってるのだ! 君は命の恩人なのだ!」

 何度も絶望を一撃で葬り去ってくれたベンは、もはやベネデッタの中では『運命の人』が確定していた。

「君にはいつも助けてもらってばかりなのだ……」

 うっとりとしながら、ベネデッタはベンのスベスベのほっぺに頬ずりをした。

「えっ? いつも?」

 ベンは少し意地悪に聞く。

「あ、いや、ベネデッタの件合わせてなのだ」

 ベネデッタはほほを赤くしながらうつむいた。

「顧問! お見事でした! ドラゴンを瞬殺とは史上初めての偉業。自分は猛烈に感激しております!」

 班長はビシッと敬礼しながら言った。

「あはは、たまたまだよ。いつもはできない」

「いやいや、ご謙遜(けんそん)を。自分は今まで顧問に大変に失礼を働いておりました。深く反省し、これからは真摯(しんし)にご指導を(たまわ)りたく存じます」

 と、深く頭を下げる。

「あ、そう? 指導なんてできないけど、騎士団の連中には言っておいてよ。結構苦労してる奴だって」

「く、苦労ですか? 分かりました。ただ、これを見せたら誰しも黙ると思いますよ」

 そう言いながら、キラキラと黄金の輝きを放つ大きな珠を見せた。

「何これ?」

「ドラゴンの魔石ですよ。これは国宝認定間違いなしですよ」

 班長は嬉しそうに言った。

「ああ、そう……」

 ベンは魔石の価値が分からず、適当に流したが、後で聞くとドラゴンの魔石はそれこそ小さな領地が丸々買えてしまうくらい高価なものだそうだ。


       ◇


 ベネデッタを宮殿に届け、自室でゴロンと寝っ転がり、うつらうつらしていると班長がドアを叩いた。

 目をこすりながらドアを開けると、班長がキラキラとした目をしながら嬉しそうに言う。

「顧問! 今宵式典が催されることになりました!」

「式典? 何の? ふぁ~あ……」

 また面倒な話を持って来られ、ベンはウンザリしながら聞いた。

「顧問のドラゴン討伐ですよ! これは歴史に残る偉業ですからね、公爵様も大喜びで、すぐに式典をとおっしゃってます」

「あぁ、そうなの? でも、僕眠いんだよね。代わりにやっておいてよ」

 そう言いながらベンはドアを閉じようとする。便意を我慢して表彰なんて、バレたら恥ずかしくて生きていられない。

 すると、班長は靴でガシッとドアを止め、

「何言ってるんですか! ドラゴンスレイヤーが参加しないなんてありえないです! 爵位も下賜(かし)されるはずです。これで顧問も貴族ですよ!」

 と、熱を込めて力説する。

「しゃ、爵位!? なんでそんなことに……」

「いいからすぐ来てください!」

 班長は渋るベンを引っ張り出した。


       ◇


 大広間には貴族、文官などの要人が集まり、式典の開催を待っている。

 セバスチャンに段取りを叩きこまれたベンは、宝物を収める重厚な木箱を持たされ、赤じゅうたんの真ん中に連れてこられた。

 ベンの入場に会場はざわめき、出席者たちはベンを()めるように見ながらひそひそと何かを話している。

 ベンはやる事なす事、どんどん面倒なことにしかならない現実にウンザリしながら、それでもビシッと背筋を伸ばし、真面目にこなしていた。この異常にクソ真面目なところは何とかしたいと思うのだが、他に生き方を知らないのだ。

 ベンは自分の不器用さに大きくため息をつく。


 パパパパーン!

 ラッパが鳴り、公爵が入場する。

 公爵は壇上中央に進むと、大きな声で叫んだ。

「今日は我がトゥチューラにとって歴史的な日となった! なんと、我が騎士団顧問、ベン殿により、ドラゴンが討ち取られたのだ!」

 ウォーー! パチパチパチ!

 盛り上がる会場。

「ベンよ、ドラゴンの魔石をここに」

 公爵の声に合わせ、ベンはうやうやしく公爵の前まで進むとひざまずき、木箱の(ふた)を開けた。黄金に輝く珠が姿を現し、辺りをほんのりと照らす。

 おぉぉぉ! あれが……!

 会場からどよめきが起こる。ドラゴンの魔石などほとんどの人は見たこともなかったのだ。

「こちらにございます」

 ベンは練習通りに木箱を公爵の前に差し出した。

「おぉ、見事だ。ベン殿、何か褒美(ほうび)を取らすぞ、何なりと言ってみよ!」

「いえ、魔物の討伐は騎士団の仕事。褒美など恐れ多い事です」

 ベンは棒読みのセリフで答える。

「そうか、欲のないことだ。では、その方、ベンに男爵の爵位を授けよう」

「ははぁ、ありがたき事、深く感謝申し上げます。こ、今後とも……えーと……、なんだっけ……そうだ、トゥチューラの繁栄に尽くします」

 公爵はとちってしまったベンに苦笑すると、

「うむ、期待しておるぞ!」

 と、言って肩をポンと叩く。

「ははぁ!」

 こうして式典は無事終了し、会食へと移っていった。









18. 女神への挑戦

 しかし、会食会場にはテーブルが一つ、公爵以外にはベネデッタと班長が呼ばれるだけだった。それに脇にはなぜか書記が二人、公爵の後ろにはセバスチャンが控えていた。

 メイドたちが慣れた手つきで皿をサーブしていく

「今日はいきなりだったから簡素な食事で申し訳ない。ベン殿の活躍にカンパーイ!」

 公爵は心なしか硬い表情でそう言うと会食をスタートした。

 前菜には豚のパテにラタトゥイユ。美しい盛り付けである。

 ベンは慣れない高級料理に気が引けながらも、お腹は空いていたのでパクパクと食べていった。

「で、ベン君。なぜ……、そのぉ……、そんなに強いのかね?」

 公爵が切り出し、セバスチャンと書記に心なしか緊張が走ったように見えた。

 なるほど、これは実質取り調べなのだ。ドラゴンを瞬殺できるほどの力はもはや国の軍事力を超えている。事と次第によってはベンの力は国の在り方自体を変えかねない。

 ある程度はカミングアウトした方がいいと思い、ベンは水をゴクリと飲むと、覚悟を決めて言った。

「あー、とあるスキルを女神さまより頂戴しましてですね……」

「め、女神さま! やはり君は女神さまと親交があるのかね?」

 公爵は焦りを隠さず、食い気味に聞いてくる。

「親交というか……、たまに向こうが勝手にやってくるんですよ」

「女神さまが会いに来る? それは……、何をしに?」

「あれ、何しに来てるんですかね? 僕もよく分かってないです」

 ここでメインディッシュがサーブされる。濃密なはちみつのソースがかかった牛のシャトーブリアンのステーキだった。

 転生する前ですら食べられなかった逸品にベンは思わず手が伸びる。

 公爵はゴクリと唾をのみ、やはりベンは熾天使(セラフ)かも知れない、と青い顔で言葉を失う。

 女神というのは王侯貴族だって会ったことがある人などいないのだ。大聖女が会ったことがあるという話を伝え聞くくらいで、その存在は謎に包まれている。なのに、この少年には何度も会いに来て、なおかつ用件はよく分からないとごまかされた。公爵は冷汗をタラリと流した。

 すると、セバスチャンが公爵にそっと近づき、耳元で何かをつぶやいた。

 公爵はうなずき、軽く咳ばらいをすると言った。

「女神さまは何を君に言うんだね?」

「あー、『すごい力出たね』とか、今日は『魔王が何か頼みたいことがあるから聞いてやってくれ』って言ってました」

 ベンはシャトーブリアンの洗練された肉汁に気を取られ、公爵の焦りに気づかずに答える。

「魔王!?」

 公爵は思わずフォークを落としてしまう。皿に当たったフォークはチーン! といい音を立ててじゅうたんに転がった。

 人類最大の脅威であり、魔物の頂点、魔王。女神がその願いをベンに聞いてくれと言っている。それはとんでもない話だった。文字通りに受け取れば、女神はベンに魔王の手助けをして人類を滅ぼさせようとしているということになる。

「そ、それで……。君は受けたのかね?」

 公爵は額に脂汗を浮かべながら、祈るような気持ちで聞いた。もし、YESだったらこの若きドラゴンスレイヤーとの絶望的な戦闘になってしまうのだ。

「え? 『頼みごとがあるなら魔王からこっちに出向け』って言ってやりました。あっ、もちろん、魔王軍に協力なんてしませんよ」

 ベンはまさか公爵がそこまで追い込まれているとは知らず、ちぎったパンを頬張りながら答えた。

「ちょ、ちょっとまって! それは魔王がトゥチューラに来るって事じゃないか!?」

 公爵は真っ青になって叫ぶ。

「あれ? マズかったですか?」

「ベンくーん!」

 公爵はそう言って頭を抱える。

 すると、セバスチャンがスススっとベンの後ろに忍び寄り、耳元で言った。

「この街には魔王軍本体を迎え撃てる兵力が無いのです。申し訳ないのですが、会合は離れた場所でお願いできないでしょうか?」

「あ、そ、そうですか」

 ベンは迂闊(うかつ)に魔王を呼んでしまったことを反省し、急いでキャンセルしようと思った。

「シアン様ー、キャンセル希望ですー」

 ベンは天井に向かって叫んだ。

 ポン! という音がしてぬいぐるみのシアンが現れる。

 シアンは大きく伸びをして、そして、ふぁ~あとあくびをすると羽をパタパタさせながらベンのところに降りてきた。

「あー、シアン様、魔王には自分から会いに行きます。呼ぶのキャンセルで」

「はいはい、分かったよ。きゃははは!」

 シアンは嬉しそうにそう言うと、好奇心旺盛に室内を見回す。壁には大きな油絵の風景画が、奥には壺が飾られ、天井には壮麗な天井画が描かれていた。シアンは天井をチラッと見ると、ツーっと天井まで飛んでいって興味深そうに天井画を眺める。

「ベン君、これが……女神さまかね?」

 公爵は威厳のかけらもない可愛いぬいぐるみを見て唖然とする。伝え聞く話では女神とは優美なお姿で、見たものはその神々しい美しさに感極まって涙を流すほどだったそうだが、目の前を飛んでいるのはただのぬいぐるみなのだ。また、気に入らない者を建物ごと焼き払ったという話も聞いたことがあるがそんな雰囲気でもない。

「女神さまですよ。もちろんちゃんとした女神さまとして出てくることもあるんですが、今日は分身みたいですね」

 と、その時だった。魔法ローブを着た宮殿魔法使いが五、六人ダダダっとなだれ込んできて、

「不法侵入の魔物発見! 直ちに拘束します!」

 と、叫ぶと、拘束魔法で紫色に光るロープを次々とシアンに向けて放ち、シアンをぐるぐる巻きにしていった。













19. 美少女のプレゼント

「いやダメ! これ、女神さまだから!」

 と、ベンは立ち上がって叫んだが、

「こんな女神などいない!」

 と、取り付くしまも無く、さらにシアンをきつく締めあげていった。

 しばらくもがいていたシアンだったが、

「僕と力比べするつもり?」

 と、悪い顔になってニヤッと笑う。そして全身から激烈な閃光を放ち、室内を光で埋め尽くした。

「きゃははは!」

 拘束魔法のロープは吹き飛び、自由になったシアンだったが、それでも止まらずにさらに輝きを増しながらエネルギーを解放していく。バリバリバリ! っと激しく放電しながら激光を放ち、もはや目も開けていられない。

 ベンはあわてて、

「ここは危険です! 逃げましょう!」

 そう言ってベネデッタの手を取って逃げ出した。

 公爵たちも急いで後を追う。

 一行が中庭にまで逃げ出してきた直後、宮殿全体に閃光が走り、屋根が轟音を立てて吹き飛んだ。

「きゃははは!」

 シアンの楽しそうな声が辺り一帯に響き渡る。それは女神というよりは魔神のようなおぞましい響きをはらんでいた。

「あわわわわ……」

 公爵はひざから崩れ落ち、言葉を失う。

 美しく飾られた自慢の白亜の宮殿、それが今、吹き飛んで炎を上げている。高々と夜空に吹き上がる炎はまるで幻獣のように躍動しながら全てを焼き尽くしていく。舞い上がった火の粉は夜空をバックにチラチラと降り注ぎ、まるで花火のように辺りを美しく彩った。

「あーあ、だから止めろって言ったのに……」

 ベンは額に手を当て、宙を仰ぐ。

 宮殿魔術師たちはボロボロになりながらも、水魔法を使って必死に消火活動をするが、火の手はなかなか衰えない。結局、壮大な宮殿は三分の一ほどを焼失し、公爵たちは後始末に追われることになった。


         ◇


 翌日、公爵と宰相、各方面のブレーンたちは緊急招集され、ベンについて話し合う。

 ドラゴン瞬殺レベルの人間離れした力を女神から授けられた少年ベンの登場。そして、女神がベンに魔王への助力を依頼したこと。これらはトゥチューラの存亡、ひいては人類の在り方にかかわる大問題であった。

 そして、降臨した女神の分身を宮殿魔術師が刺激して、宮殿を吹き飛ばされてしまったこと。これもまた頭痛い問題だった。

「ベンなど毒を盛って殺してしまえ!」

 宰相は威勢よく叫んだ。出席者はその通りだと内心思いつつも、さすがに女神が注目しているベンに危害を加えることは危険である。女神が本気になったらトゥチューラなんて一瞬で火の海にされてしまうのだ。

「いや、気持ちは分かるよ。ベン君のいない時代に戻りたい。それはみんなの思うところだ。だが、彼はもう出てきてしまった。消すのは危険だ」

 公爵の意見に宰相含め、みんな渋い顔でうなずかざるを得なかった。

 一番紛糾したのは魔王への助力の件である。『魔王が頼みたいこと』とは何か? なぜ女神は魔王の肩を持つのか? ベンに一体何をやらそうとしているのか?

 この部分の解釈は無数あり、しかし、どれも決定打に欠いていた。ただ、唯一言えるのはベンを魔王軍側に奪われてはならない、というものだった。どこまでも人間側についていてもらわない限り人類の敗北は必至だ。何しろ人類最強の勇者もベンの前には瞬殺だったのだ。ベンが魔王側についたとたん、人類は魔王軍に蹂躙されてしまう。

 結局、彼らは夜まで激論を交わし、太陽政策で行くことにした。『北風と太陽』の太陽、つまり、ベンに取り入ってトゥチューラのために動きたくなるようにしよう、というものだった。

 その頃ベンは、街の重鎮たちが自分のことで紛糾していることなんて思いもよらず、渋い顔をしながら自室で水筒の加工をしていた。お尻に注入しやすい形状に工夫が必要なのである。そんなことやりたくなかったが、一万倍を出した水筒の便意増強効果はてきめんであり、何かの時のために用意しておきたかったのだ。


        ◇


「ベン男爵! こちらが新しいお屋敷ですよ!」

 セバスチャンに連れられて、ベンは宮殿にほど近い離宮に来ていた。庭園にはバラが咲き乱れ、大理石で作られた三階建ての美しい建物がそびえ、まるでおとぎ話に出てくるような宮殿だった。

「え? ここが僕の新しい家ですか?」

 ベンは戸惑った。先日ワンルームに移ってきて、それでも十分だと思っていたのにいきなりこの宮殿をくれるというのだ。そもそもこんなでかい宮殿に人なんて暮らせるものなのだろうか?

「ベッドルームが十室、図書室もございます。さあお入りになって」

 セバスチャンはそう言って、重厚な玄関のドアを洗練された手つきで開けていく。

 中は大理石をふんだんに使った壮麗なエントランスとなっており、赤じゅうたんが二階へ向かう優美な階段へと続いている。そして、その脇には十数人のメイドがずらっと並んで立っており、

「おかえりなさいませ、ご主人様!」

 と、一斉に唱和しながらうやうやしくお辞儀をした。

 は?

 ベンはあまりのことに凍りつく。

 家をくれるというからついて来たら、たくさんの美少女が用意されていた。いったいこれはどういう事だろうか?









20. 官製ハーレム

 紺色のワンピースに真っ白のエプロン、そして、頭には白いカチューシャをつけた彼女たちはにこやかな笑顔でベンにほほ笑んでいる。

 歳の頃はみんな十五歳前後であろうか、気品があり、美形ぞろいで、ベンは圧倒された。

「彼女たちはベン男爵の専属メイドですよ。何なりとお申し付けください。それと……」

 そう言うと、セバスチャンはベンの耳元で小声で、

「彼女たちはお手付きを期待しております。どなたでも夜にお部屋に呼んで大丈夫ですよ」

 と、言ってニコッと笑った。

「お、お手付き……」

 ベンは唖然とする。こんな可愛い女の子たちを自由にできる。それはまさにハーレムだった。確かに彼女たちのベンを見る目はどことなく熱を帯びているように見えなくもない。

「ダメだダメ!」

 ベンは首をブンブンと振り、

「いや、何なんですか、この好待遇? ただの男爵にここまでなんて話聞いたことないですよ?」

 ベンはセバスチャンに迫る。

「ベン男爵、あなたの持つお力はもうこのレベルなのです。女神さまから力を授かり、ドラゴンを瞬殺し、魔王から声をかけられる。もう、人類の未来を左右する要人なのです。このくらい大したことではありません。日替わりで彼女たちを楽しまれてください」

 ベンは言葉を失った。もちろんハーレムは男の夢だ。でもこんなあてがわれたようなハーレムなど興ざめなのだ。

 しかし、要らないと飛び出したら、きっと問題はもっと大きくなってしまうだろう。これは誰かの思い付きなんかではなく、トゥチューラの政策だろうことは容易に想像がつく。政策に反する行動はややこしい問題を生んでしまうだろう。ベンは頭が痛くなってきた。

「いいお話ですよ、(うらや)ましいです」

 セバスチャンは本心そのままといった調子で諭す。

 ベンは大きく息をつくと、うんうんとうなずき、

「分かった。この屋敷もメイドもいただいた。おい君! 僕の部屋まで案内してくれるかな?」

 と、手近なメイドに声をかけた。

 金髪をきれいに編み込んだ可愛いメイドはピョコピョコと近づいてくると、

「かしこまりました♡」

 と嬉しそうに満面に笑みを浮かべながら、頭を下げる。

 心なしか他のメイドたちの目に殺気が走ったように感じられ、ベンは背筋に冷たいものが流れた。女の戦いがもう始まっているのだ。

「心行くまでお楽しみくださいませ」

 セバスチャンはうやうやしく頭を下げた。


         ◇


 ベンは荷物を置いた後、一通り屋敷の中を案内してもらい、食堂にみんなを集めた。

 メイドたちはキラキラとした目でベンを見つめている。

「みんなありがとう。これからこの屋敷でみんなにはお世話になります。でも、僕はまだ子供です。堅苦しいことは無しに、楽しくできたらいいなと思います」

 パチパチパチ!

 メイドたちは嬉しそうに拍手をする。

「それから、エッチなことはこの屋敷では禁止だからね」

 ベンはくぎを刺した。

 すると、彼女たちはざわざわとなって露骨にいやそうな表情を見せる。

 なんと、みんなやる気満々なのだ。

「ちょ、ちょっとまって! 君たちなんて言われてきたの?」

 すると、みんな押し黙ってしまった。

 ベンはさっき案内してもらったメイドを近くに呼んで、聞き出す。

夜伽(よとぎ)に呼ばれたら金貨十枚という契約なんです」

 ベンは思わず宙を仰ぐ。

 呼ばれたら百万円、毎日呼ばれたら月に三千万円。それは必死になるに決まっている。この街の重鎮たちはいったいどうしてしまったのだろうか? ベンはこの狂った屋敷を何とかしないと大変なことになると青くなった。

 ベンは胸に手を当て、何回か深呼吸を繰り返して心を落ち着けると、女たちを見回しながら話す。

「じゃあこうしよう。みんなと仲良くしてよく働いた子にはご褒美として、夜に呼んだことにします。それでいいかな?」

 すると、女の子たちはパッと明るい表情になって嬉しそうに笑った。そして、

「あっ、ご主人様! ネクタイが曲がってます!」「ご主人様、御髪(おぐし)が跳ねてます!」「爪が伸びてるみたいです。今切りますね!」

 と、我先にベンに迫っては次々とアピールを開始する。

「うわ、ちょ、ちょっとまって!」

 ベンは若い女の子たちの甘酸っぱい匂いに包まれて、くらくらしながら前途多難な新生活を憂えた。


      ◇


 夕食後、自室で別途に寝転がりうつらうつらしていると廊下に人の気配がする。

 ベンはため息をつくと抜き足差し足でドアのところまで行って、バッとドアを開けた。

 きゃぁ! バタバタバタ!

 女の子たちが部屋になだれ込んでくる。

「夜は三階の廊下は立ち入り禁止! いいね?」

 ベンはそう言って女の子達を追い出した。

 油断もすきも無い……。

 ベンはウンザリしながら窓際に行くと、何の気なしに月を見上げた。

 すると、そこにはメイド服が揺れている。

 はぁ!?

 なんと女の子が窓の外に張り付いているではないか!

 クラクラするベン。

 ここは三階だぞ。なんで居るんだよ!

 目をギュッとつぶって頭を抱えながら、ベンは面倒ごとばかりどんどん増えていく自らの運命を呪った。