ベンは美少女に迫られてドギマギしてしまう。前世でも女の子にこんなに積極的にされたことなどなかったのだ

「あなた、お名前は?」

 ベネデッタは嬉しそうにニコニコしながらベンの顔をのぞきこみ、聞いてくる。

「ベ、ベンって言います。変な名前なんですが……」

 ベンはシアンがつけたであろう意味深な名前に抵抗を感じていたのだ。

「ベン君……、いい名前ですわ」

 ベネデッタはニッコリと笑いながら、ギュッとベンの手を握る。

「え? そ、そうですかね?」

 ベンは温かくしっとりとしたベネデッタの指の柔らかさに、赤くなってうつむいた。

 周りの冒険者たちはその様子を見てどよめき、怪訝そうにベンを見ている。

 勇者パーティをクビになったただのFランクの荷物持ち、それがオークをなぎ倒すなんてあり得ない話だったのだ。

 ベネデッタは金貨がたくさん入ったずっしりと重い巾着(きんちゃく)袋をベンに渡し、

「これ、オークの魔石を換金したのと、後は私からのお礼ですわ」

 と、言ってにこやかに笑った。

「こ、こんなに……。いいんですか?」

「何言ってるんですの? あたくし、あなたに命を救われたの。自信もってよくてよ! あ、そうだわ。今晩、パーティがあるんですわ。いらしていただけるかしら?」

 ベネデッタはキラキラとした笑顔で嬉しそうに言った。

「パ、パーティ?」

「そうですわ! 詳細はセバスチャンから聞いてくれるかしら?」

 そう言うとベネデッタはベンに軽くハグした。

 えぇっ!?

 ふんわりと甘く香る少女の匂いにつつまれ、ベンは真っ赤になって言葉を失う。

「あなたは私の運命の方ですわ。また後ほど……」
 
 ベネデッタは耳元でそう言うと、ウインクしてギルドを後にした。

 セバスチャンの話によるとベネデッタはこの街の領主である公爵家の令嬢であり、オークを倒し、何の報酬も要求しなかったベンのことを大変に気に入っているとのことだった。単に漏れそうだっただけなのだが。

 セバスチャンからパーティの招待状をもらい、帰ろうとすると、ベンは女の子冒険者たちに囲まれる。

「ベン君、オーク倒したって本当?」「うちのパーティお試しで入ってみない?」「ちょっとぉ! 今私が話してるのよ!」

 女の子たちは若き英雄の登場に興奮し、すっかりベンと仲良くなろうと躍起になってもみくちゃにする。昨日まで見向きもしなかったのに現金なものである。

 しかし、奥のロビーの方ではそんなベンの登場を疎ましく思う冒険者たちが、つまらなそうな様子でお互い顔を見合わせていた。

 その中には勇者パーティの魔法使いもいた。

 昨日は魔人を倒し、今日はオークの群れを倒したという。ただの無能な荷物持ちができる事じゃない。何か怪しいことをやっているに違いない。魔法使いは怪訝そうな目で、鼻の下を伸ばしているベンをにらんでいた。

 ベンがこれ以上活躍しては勇者パーティの立場がなくなる。やっと手に入れた勇者パーティの座が揺らぐのは面白くなかった。

 魔法使いはフンっと鼻を鳴らすと、

「勇者様に報告しなくちゃ」

 そう言いながら転移魔法を使ってふっと消えていった。


         ◇


 ベンは女の子の攻勢を適当にのらりくらりごまかして逃げ出した。女の子とパーティを組むなんて夢のようではあったが、戦うたびに便意を我慢するだなんて到底無理である。いつかバーストして汚物のような目で見られてしまう。それは耐え難かった。

「あーあ、もっとまともなスキルが欲しかったなぁ……」

 ガックリと肩を落としながら石だたみの道をトボトボと歩く。

 全知全能たる女神ならば、それこそ常時ステータス百倍とかできるはずなのだ。そしたら女の子パーティーに交じってハーレムという、まさに王道の異世界転生もののウハウハ人生が送れたに違いない。なのに自分は便意だという。もうアホかバカかと。作った人、頭オカシイだろこれ。いくら宇宙最強と言っても発動条件がクソ過ぎる。

「カ――――ッ! あのクソ女神め!」

 ベンは頭を抱えて思わず叫んでしまう。

 行きかう人たちは、そんなベンをいぶかしげに眺めながら避けるように道をあけた。

 どんなに叫んでも事態は改善しない。ベンはギリッと奥歯を鳴らし、大きく息をつくと、ドミトリーの自分のベッドへと帰っていった。


        ◇


 女の子は無理でも、ベンにはベネデッタからもらった金貨の包みがあった。ベンは気を取り直し、ベッドの上にジャラジャラと金貨を広げ、数えてみる。

「チューチュータコかいな……」

 金貨はなんと五十枚あった。日本円にして約五百万円、飢え死にを心配していた少年にとっては夢のような金額だった。

 うひょ――――!

 ベンは小躍りする。

 なんだこの大金は! 自分はソロ冒険者としても大成できるんじゃないか? なんといっても宇宙最強なのだ!

 うひゃひゃひゃ!

 さっきまでの憂鬱はどこへやら。ベンは金貨を集めてバッと振りまき、何度もガッツポーズをして大金ゲットの喜びを満喫した。

 ひゃっひゃっ……、ひゃ……、ふぅ。

 だが、ベンはすぐに我に返る。喜んではみたものの、あの腹を刺す便意のすさまじい苦しみを思い出してしまったのだ。

 冗談じゃない、あんな事何回もやってられない。いつか狂ってしまう。

「やめた、やめた! 冒険者なんてもう二度とやらない!」

 そう言うとバタリとベッドに倒れ込んだ。

 このお金を元手にして商売をすればいい。便意など二度と我慢しないのだ。あの酔狂な女神の思うとおりになんて絶対なってやらん! 何が一万倍だ、殺す気か!

 ベンはギュッとこぶしを握り、心に誓った。








7. 美少女をかけた決闘

 夕方になり、ベンは金貨を使って小ぎれいに身を整え、床屋で髪を切ってもらうと颯爽(さっそう)と公爵家の屋敷へと向かった。商売を始めるならベネデッタと懇意になってビジネスの相談に乗ってもらわないとならない。何しろ自分には日本での知識がある。パーティでマーケティングして日本の知識が生きるビジネスを探し出してやるのだ。

 会場の大広間に案内されると、すでに来賓が立派なドレスやスーツを身にまとい、グラス片手にあちこちで歓談している。天井には豪華な神話の絵が描かれ、そこからは絢爛(けんらん)なシャンデリアが下がり、魔法できらびやかに輝いている。そして、テーブルには色とりどりのオードブルが並んでいた。

 立派な会場に圧倒され、キョロキョロしていると、

「何を飲まれますか?」

 と、メイドさんがうやうやしく聞いてくる。

「ジュ、ジュースをください」

 緊張で声が裏返った。

 知り合いが誰もいない会場、完全なアウェーでベンは壁の花となってただ静かに来賓の歓談のさまを眺めていた。

 パパパーン!

 いきなりラッパの音が鳴り響き、壇上にスポットライトが当たる。

 出てきたセバスチャンが司会となって挨拶をすると、パーティーの案内を読み上げていった。

 そして、登場する公爵とベネデッタ。ひげを蓄えた公爵は勲章がびっしりとついたスーツを着込み、背筋をビシッと伸ばして威厳のあるいで立ちだ。ベネデッタは薄ピンクの華麗なドレスに身を包み、美しいブロンドの髪の毛には赤い花があしらわれている。

 トゥチューラの至宝と語られるベネデッタの美貌は来場者のため息を誘い、会場を一気に華やかに彩っていく。

 ベンもその美しさに魅了され、口をポカンと開けながらただベネデッタのまぶしい微笑みを見つめていた。

 彼女に『運命の方』と、呼ばれてしまった訳だが、こう見るとベネデッタは華やかな別の世界の住人である。スラム上がりの自分がどうやって公爵令嬢の『運命の方』になんてなれるだろうか?

 ベンは首を振り、大きく息をついた。

 すると、ベネデッタがベンを見つけ、壇上から手を振ってくる。ベンはいきなりのことに驚き、真っ赤な顔で手を小さく振り返したのだった。周りの人たちの嫉妬の視線が一斉に突き刺さり、ベンは小さくなる。

 パーティの開会が宣言され、歓談が始まった。

 ガヤガヤとあちこちで話し声や笑い声が上がり、会場は盛り上がっていく。しかし、ベンは話す相手もなく、どうしたものかと渋い顔で腕を組んだ。

「ベンくーん!」

 ベネデッタの可愛い声が響く。なんと、ベネデッタは公爵を連れて真っ先にベンのところへやってきたのだ。

 ベンはいきなりのことで驚いたが、胸に手を置き、公爵にぎこちなく挨拶をする。

「お初にお目にかかり恐悦至極(きょうえつしごく)に存じます……」

「君か、娘を助けてくれたんだって? ありがとう」

 公爵は気さくな感じで右手を出し、ベンは急いで汗でぐっしょりの手のまま握手をした。

「あ、たまたまです。上手くオークを倒せてよかったです」

「ベン君凄かったのですわ! たくさんのオークがあっという間にミンチになって吹き飛んでいったんですの!」

 興奮気味に解説するベネデッタ。

「ほぉ! オークをミンチに……、君はどれだけ強いのかね?」

 公爵は好奇心旺盛な目でベンの顔をのぞきこむ。

「あ、どのくらいなんでしょうね? 調子がいいとすごく強くなるみたいなんです。はははは……」

 便意さえあれば宇宙最強だなんてことは口が裂けても言えない。

 すると、いきなり横から勇者が現れて、

「公爵、こいつはうちの荷物持ちだった小僧。あまり期待しない方がいいですよ」

 と、吐き捨てるように言った。

「荷物持ちでもなんでも、オークを倒せるなら十分ですわ。私はベン君に救われたのです。変なことおっしゃらないで!」

 ベネデッタは憤然と抗議する。

「あー、ベネデッタさん、侮辱するつもりはなかったんですが、ただ、変に期待されてもベンも困っちゃうだろうと思ってね」

 勇者はいやらしい笑みを浮かべてベンを見た。

「変に期待って、あなたならオークの群れに一人で突っ込んで瞬殺できるんですの?」

「もちろんできます! コイツにできて勇者にできないことなんてないんです」

 にらみ合う両者。

 すると公爵はニヤッと笑って言った。

「じゃあ、こうしよう。パーティーの余興に武闘会を開こう。二人で戦ってそれぞれ強さをアピールしなさい」

 えっ!?

 いきなり勇者との戦闘を提案され、ベンは焦った。

「あぁ、いいですね! そうだ! ベネデッタさん、私がコイツに勝ったらデートしていただけますか?」

 勇者はここぞとばかりにベネデッタに詰め寄る。ベネデッタは険しい顔をして、

「いいですわ、その代わりベン君が勝ったらこの街から出てってくださいまし」

「はっはっは。いいでしょう。デートは夜まで……、約束ですよ」

 勇者はいやらしい笑みを浮かべながらそう言った。そして、くるっと振り返り、パーティメンバーに向って、

「よーし、お前ら準備するぞ! 今宵を勇者のパーティーとするのだ!」

 そう言いながら控室の方へ下がっていった。

「えっ、本当に……戦うんですか?」

 ベンはいきなり勇者とぶつけられてしまったことに困惑を隠しきれず、泣きそうな声で言った。

「大丈夫ですわ、あなたなら勝てますわ。私の純潔を守ってくださる?」

 ベネデッタはベンの手を取り、澄み通る碧眼でベンを見つめる。

 ベンは絶望した。ベンが強くなるには下剤を飲んで苦痛に身を焼かれる思いをしないとならない、ということをベネデッタは知らないのだ。だからそんな気軽に試合を受け入れてしまう。
 とはいえ、今さら棄権すれば、ベネデッタは勇者に借りを作ってしまうということになる。

 くぅ……。

 自分を信じてくれるこの美しい美少女を、勇者から守らねばならない。ベンはギュッと目をつぶって言った。

「わ、分かりました。勝ちます。勝てばいいんですね……」

 ベンはつくづくクソ真面目な自分の性格が嫌になる。こんなの放って逃げてしまえばいいのに、期待されると無理しても受け入れてしまう。前世ではそれで過労死したというのに何も学んでいない。でも、自分はこういう不器用な生き方しかできないのだ。

 ベンは大きく息をつくと、渋い顔で宙を仰いだ。







8. 人類最強肛門の限界

 控室に通されたベンは、バッグから下剤の小瓶を取り出すと、明かりに透かしながら眺める。

「またコイツを飲むのか……。嫌だなぁ……」

 そう言って大きくため息をつく。

 下腹部を襲う強烈な便意、暴発したら社会的に死んでしまうリスクを背負ったギリギリの戦闘。想像しただけでベンは陰鬱な気分に叩き込まれる。

「くぅぅぅ……、あのクソ女神め……」

 悪態をつくベン。しかし、もはや飲む以外に道はない。ギュッと目をつぶりながら一気飲みをした。

 うぇぇ……。

 ベンはドブの臭いのような強烈な苦みに顔を歪ませる。

 この時、ベンは気付いてなかったが、部屋の隅に勇者パーティの魔法使いが隠遁(いんとん)の魔法を使って潜んでいた。そして、彼女はその下剤の小瓶を見て、

「強さの秘密……見つけちゃったわ。クフフフ……」

 と、ほくそ笑んだ。


       ◇


 いよいよ武闘会が始まる。ベンは呼ばれ、中庭の舞踏場へと案内された。

 バラの咲き乱れる美しい庭園の中にひときわ高く築かれた舞台。本来はここで舞踊などが披露されるのであるが、今日は勇者と若き冒険者ベンの一騎打ちが披露されるのだ。すでに来賓たちは周囲のベンチに腰掛け、今か今かと血なまぐさい決闘を心待ちにしている。

「今を時めく人類最強の男! ゆーうーしゃー!!」

 セバスチャンは渋く低いが通る声を上げ、勇者を舞台へと案内する。

 うわー! キャ――――!

 歓声とともに大きな拍手が起こる中、勇者は颯爽(さっそう)と登場した。

 勇者はオリハルコンで作られた黄金に輝くプレートアーマーに身を包み、青く光る聖剣を掲げての入場である。人類最強の男が、人類最高レベルの装備で登場したのだ。

 勇者とは神より特殊な加護を得た者の称号で、勇者の聖剣は神の力を得て全てを切り裂き、貫く。つまり、勇者の聖剣の前には盾も鎧も魔法のシールドも何の意味もないという、とんでもないチートなのだ。

 それが、今日、これから見られると知って会場は最高潮にヒートアップした。

「続いて、ベネデッタ様を救った若きエース、ベーンー!」

 セバスチャンの案内でベンはよろよろと階段を上がる。すでに下剤は強烈な効果を表しており、脂汗を流しながら思わず下腹部を押さえ、舞台に立った。

 鎧もなく、武器も持たず、苦しそうに顔をゆがめる少年の登場に会場はざわめいた。いったい、人類最強の男を前にしてどうやって戦うつもりなのだろうか? みんな首をかしげ、その不可解な少年を見つめる。

「ベン君! ファイトですわ!」

 ベネデッタはハンカチを振り回しながら必死に声援を送る。他の人には違和感があっても、ベネデッタは調子悪そうなベンの姿をすでにオークの時にも見ているので、気にも留めていなかった。

「両者、見合ってー!」

 セバスチャンはレフェリーとなり、声をかける。

 すると、勇者はニヤッと笑って茶色の小瓶を三つ取り出し、ベンに見せた。

 えっ?

 ベンは目を疑った。それは自分のカバンに残しておいた予備の下剤だった。

「お前がこの薬で怪しいインチキをして強くなってること、俺は知ってるんだぜ」

 勇者はそう言うと三本の下剤を一気飲みした。

 あぁぁぁ……。

 ベンは思わず声が漏れた。なんという壮絶な勘違い。この下剤は薬師ギルドのおばちゃんに頼んで特別に作ってもらった最強の速効成分を濃縮したもの。『危険だから一日一本まで、容量用法はちゃんと守ってね!』と厳しく言われていたのだった。

 三本も一気飲みしたら絶対に我慢できない。

「どうした? 顔色が悪いぞ!」

 勇者は最高の笑顔でベンを見下ろし、ベンはこれから起こる惨劇の予感にゆっくりと首を振った。


 セバスチャンは二人の顔を交互に見て、

「それでは、準備はいいですか? ……、ファイッ!」

 と、叫んだ。

 勇者はニヤッと笑って聖剣を高く掲げると『ぬぉぉぉぉ!』と、気合を込め、真紅に輝く幻獣の模様を刀身に浮かび上がらせる。

「おぉ! 力がみなぎってくる! お前、こんな薬を使ってたんだな」

 勇者は嬉しそうに言うが、下剤にそんな効果などない。ただの気持ちの問題である。

 そして、勇者はベネデッタの方を向き、ニヤニヤしながら、

「約束、守ってもらうぞ!」

 と、叫んだ。

 ベネデッタはムッとした顔で、

「ベン君! 遠慮なく叩きのめしてくださいまし――――!」

 と、返す。

 勇者はベンを見下ろし、ニヤけながら言った。

「悪く思うなよ、ベネデッタは俺のもんだ。ベッドでヒーヒー言わせてやるぜ」

 しかし、ベンは返事をする余裕もなく腹を押さえうつむく。

 ぐぅー、ぎゅるぎゅるぎゅ――――!

 ベンの腸は本日二本目の下剤に激しく反応し、今まさに肛門が突破されかかっていたのだ。

 ベンは脂汗を浮かべ、必死な形相で般若心経(はんにゃしんきょう)を小声で唱え始めた。

観自在菩薩(かんじざいぼさつ)……」

「何やってんだお前! 行くぞ!」

 勇者はそう言いながら聖剣をブンと振りかぶった。

 ベンは脂汗をダラダラと流しながら、

波羅羯諦(はーらーぎゃーてー)!」

 と、言いながらカッと目を見開いた。

 その時だった、急に勇者の顔がゆがむ。

 ぐっ!

 そして、

 ぐぅ――――、ぎゅるぎゅるぎゅるぅ――――!

 と、勇者の下腹部が暴れ始めた。

 見る見るうちに青ざめる勇者。

 勇者は苦痛に顔をゆがめ、内またで必死に耐えていたがやがてガクッとひざをついた。

「ベ、ベン! 貴様何をやった!?」

 勇者は奥歯をギリッと鳴らし、必死に腹痛に耐えながら喚く。ベンは何もやってないのだが。

 ただ、ベンにも余裕などなかった。肛門は決壊寸前。括約筋にマックスまで喝を入れて、ギリギリ耐えているのだ。

 煌びやかな舞台の上で、多くの貴族たちに見守られながら、二人が戦っていたのは便意だった。

 しかし、三本あおった勇者の方が分が悪い。ついに肛門は限界を迎える。

「ダ、ダメ! も、漏れるぅぅぅ……」

 勇者が視線を落とし、脂汗をポタポタと落とした時、ベンは内またでピョコピョコと近づくと、

「便意独尊!」

 と、叫びながら勇者の頭を蹴り上げた。

 ぐはぁ!

 勇者の身体はくるりくるりと宙を舞い、庭園の小(みち)にドスンと落ちてごろごろと転がる。そして、

 ブピッ! ブババババ! ビュルビュルビュー!

 と盛大な音をたてながら茶色の液体を振りまき、辺りを異臭に包んだのだった。









9. 殲滅者との友誼

 世界最強の男が下痢を振りまきながら転がっている。そのあまりに異様な光景に、貴族たちは唖然とし立ち尽くす。そして、漂ってくる異臭に耐えられず、ハンカチで鼻を押さえながら急いで退散していった。

 謎の呪文で勇者を行動不能にしたそのシーンは、後々まで語り継がれる事になるのだが、実態は下剤の耐久勝負という実にお粗末な話である。

 セバスチャンは勇者の戦闘不能を確認すると、

「勝者! ベーンー!」

 と、高らかに宣言したのだった。

 それを聞いたベンは、青い顔をして脂汗を流しながらピョコピョコと内またで急いで階段を降り、トイレへと駆けていった。


       ◇


 公爵はセバスチャンを呼んだ。

「お主、今の戦いどう見る?」

「ハッ! 勇者は明らかにベン君を警戒しておりました。普通に戦っては勝てないと思っていた節があります」

「ほほう、人類最強の男が警戒していたと?」

「はい、直前にポーションでドーピングまで行っていました。ですが呪文を受けて攻撃を出す間もなく破れました」

「呪文!? おそろしいな……。もし……、もしだよ? 我がトゥチューラの全軍勢とベン君が戦ったとしたらどうなる?」

「あの呪文を解析しない事には何とも……。勇者をも戦闘不能にする恐ろしい呪文。私には対策が思いつきません。少なくとも今戦ったら瞬殺されるでしょう」

「しゅ、瞬殺!? ……。一体何者なんだ彼は?」

「オークをミンチにし、人類最強の男を(おび)えさせ、フル装備の勇者相手に武器も持たず丸腰で現れ、呪文で葬り去る……。もはや人知を超えた存在かと」

「人知を超えた存在……、大聖女とか大賢者とかか?」

「そのさらに上かもしれません」

「上……、まさか熾天使(セラフ)!?」

「勇者を手玉にとれるのはそのクラスしか考えられません。そして、神話には『熾天使(セラフ)降り立つ時、神の炎が全てを焼き尽くす』との預言がございます」

 公爵は言葉を失った。見た目はどこにでもいる可愛い少年。それが神の炎で全てを焼き尽くす恐るべき熾天使(セラフ)かもしれない。そうであれば、これは人類の存亡に関わる事態なのだ。

 セバスチャンは淡々と言う。

「もし熾天使(セラフ)であるのならば、我々を見定めに降臨されたのかと。神の意向に沿わないようであれば焼き払うために……」

「セ、セバス! 我はどうしたらいい?」

 公爵は青い顔をしてセバスチャンの手を取った。

「私もどうしたらいいのか分かりませんが、まずはベン君と友誼(ゆうぎ)を結ばれることが先決かと」

「友誼、そうだ! 友誼を結ぼう。粗相(そそう)の無いよう、国賓待遇でもてなすのだ! 宰相を呼べ!」

 公爵は脂汗をたらたらと垂らしながら、叫んだ。

 
       ◇


 そんな深刻な話がされているなど思いもよらないベネデッタは、トイレでさっぱりして戻ってきたベンを見つけ、飛びついた。

「やったー! ベン君すごいですわ!」

「あ、ありがとうございます」

 甘くやわらかな女の子の香りに包まれ、ベンは赤くなりながら答えた。

「やっぱりベン君が最強ですわ! ねぇ、騎士団に入って私を警護してくれないかしら?」

 ベネデッタはベンの手を取りながら、澄み通る碧眼(へきがん)をキラキラさせ、頼む。

「へっ!? 騎士団!?」

 ベンは予想外の話に目を白黒させる。Fランクの十三歳の子供が騎士団など聞いたことが無かったのだ。

「勇者を倒したってことは人類最強って事ですわ。この話は全国に広まってあちこちからオファーが来るわ。そして、平民のあなたには絶対断れない命令も来るはず。騎士団に入れば私が守ってあげられるの。いい話だと思わないかしら?」

 ベネデッタはニコッと笑いながら恐いことを言う。

 ベンは単に勇者を倒しただけだと思っていたが、国の上層部の人にしてみたらこれはとんでもない話らしい。言われてみたらそうだ。人類の存亡にかかわる魔王軍との戦闘において、勇者は最高の軍事力。だから特別扱いをしてきたわけだが、それが子供に簡単に倒されたとなれば軍事戦略そのものを根底から見直さねばならないのだ。

 ベンは改めてとんでもない事になってしまった、と思わず宙を仰ぐ。

「何ですの? 私の護衛が嫌なんですの?」

 ベネデッタは不機嫌そうに口をとがらせる。

「あ、いや、もちろん光栄です。光栄ですが……、私は商人を目指しててですね……」

「商人!? 人類最強の男が商人なんて絶対許されないですわよ」

 デスヨネー。

 ベンは思わず額に手を当て、便意から手を切る生活プランがあっさりと瓦解した音を聞いた。

 もはや【便意ブースト】を使わずに暮らすにはこの街から逃げないとならない。しかし、国を挙げて捜索されるだろうから、見つからずに他の街でひっそり暮らす、などというプランが上手くいくとも到底思えなかった。

 ベンはうなだれ、大きく息をつく。

 騎士団に入ることはもう避けられないと観念したベンは、

「騎士団って、朝から晩まで厳しい規律があるじゃないですか。それを免除してもらえたりはできませんか?」

 と、何とか待遇改善に望みを託す。

「うーん、そうですわね。少年にあれはキツいかもしれないですわ……」

 ベネデッタは人差し指をあごに当て、小首をかしげながら考え込む。

「あ、こういうのどうかしら? 騎士団顧問になって、私の外出やイベントの時だけ勤務。これならよろしくて?」

「あ、それなら大丈夫です」

 拘束時間が少なければ何とかやっていけそうだ。むしろ商人より良いかもしれない。

「じゃあ決まりですわ! あっ、お父様、いいかしら?」

 ベネデッタは公爵を見つけると、顧問のプランを相談する。

 公爵はチラッとベンの顔を見るが、ベンは作ったような笑顔で不満げだった。

 マズい……。

 公爵の額に冷汗が流れた。ベネデッタが勝手に話を進めていたのは想定外である。公爵は上ずった声で言った。

「こ、こ、こ、顧問だなんてご不満ですよね? 最高顧問……いや、最高相談役なんてどうでしょう?」

「最高相談役?」

 ベンは何を言われているのかピンと来なくて首をひねった。

 その反応に公爵はしまったと思い、脂汗が浮かんでくる。迂闊(うかつ)な言動は人類の存亡にかかわるのだ。

 その危機を察したセバスチャンが助け舟を出す。

「ベン様、どういったお立場がご希望ですか?」

「こういうとアレなんですが、まだ子供なので、楽なのが良いかななんて思ってます」

 前世に過労死したベンにとっては楽なことは最重要ポイントだった。

「なるほどそれならやはり、ベネデッタ様付きの顧問というのが一番ご希望に沿うかと……」

「そ、そうなんですね? では、それでお願いします」

 ベンはよく分からなかったが頭を下げた。

 それを見ると公爵はホッとして、ニコッと最高の笑顔を作ると、

「ではそれで! ベン様は我がトゥチューラ騎士団の顧問! 申し訳ないですが、その方向でこの娘を頼みます」

 そう言って右手を差し出す。

「わ、分かりました」

 ベンは面倒なことになったと思いながら、引きつった笑顔で握手をする。ただ、この時、公爵の手はなぜか汗でびっしょりであった。

 二人の握手を見たベネデッタは、

「では、最初のお仕事は、わたくしの親戚の子の警護をお願いさせていただくわ!」

 と、いたずらっ子の顔をして嬉しそうに言う。

「し、親戚?」

「そう、可愛い子ですわ。よろしくて?」

「は、はい……」

 ベンはなぜ親戚の世話まで見なきゃいけないのか疑問だったが、ベネデッタの嬉しそうな顔を見ると断れなかった。

 その後、次々といろいろな貴族から挨拶を求められ、ベンはぎこちない笑顔で頭を下げながら社交界デビューを果たしていった。
















10. 魅惑のトラップ

 とっぷりと日も暮れ、ベンはパーティ会場を後にした。

 しかし、結局何も食べられていない。下剤で全部出して、何も食べていないのだからもうフラフラだった。

「なんか食べないと……」

 ベンはにぎやかな繁華街を通り抜けながらキョロキョロと物色していく。すると、おいしそうな匂いが漂ってきた。串焼き屋だ。豚肉や羊肉を炭火で焼いてスパイスをつけて出している。

「そうそう、これこれ! 前から食べたかったんだ!」

 ベンはパアッと明るい顔をしてお店に走ると、まず一本、羊串をもらった。箱のスパイスをたっぷりとまぶした。

 貧困荷物持ち時代には決して食べられなかった肉。だが、今や騎士団所属である。金貨もたんまりあるし、買い食いくらいなんともないのだ。

 ジューっと音をたてながらポタポタ垂れてくる羊の肉汁を、なるべく逃がさないようかぶりつくと、うま味の爆弾が口の中でブワッと広がる。そこにクミンやトウガラシの鮮烈な刺激がかぶさり、素敵な味のハーモニーが展開された。

 くはぁ……。

 ベンは恍惚の表情を浮かべ、幸せをかみしめる。こんなにジューシーな串焼きは日本にいた時も食べたことが無かった

 う、美味い……。

 調子に乗ったベンは、

「おじさん、豚と羊二本ずつちょうだい!」

 と、上機嫌でオーダーする。

 ベンは今度は豚バラ肉にかぶりつく。脂身から流れ出す芳醇な肉汁、ベンは無我夢中で貪った。

 さらに注文を重ね、結局十本も注文したベン。

 ベンは改めて人生が新たなフェーズに入ったことを実感した。ただ便意を我慢するだけで好きなだけ肉の食える生活になる。それは素晴らしい事でもあり、また、憂鬱なことでもあった。とはいえ、もう断る訳にもいかない。

「もう、どうにでもなーれ!」

 ベンは投げやりにそう言いながら最後の肉にかぶりついた。

 どんな未来が待っていようが、今食べている肉が美味いのは変わらなかった。

 余韻を味わっていると、隣の若い男たちが愚痴ってるのが聞こえてくる。

「なんかもう全然彼女できねーわ」

「あー、純潔教だろ?」

「そうそう、あいつら若い女を洗脳して男嫌いにさせちゃうんだよなぁ……」

 何だかきな臭い話だが、まだベンは十三歳。彼女作るにはまだ早いのだ。中身はオッサンなので時折猛烈に彼女が欲しくはなるが、子供のうちは我慢しようと決めている。

 怪しいカルト宗教なんて、自分が大きくなる前に誰かがぶっ潰してくれるに違いない、と気にも留めず店員に声をかけた。

「おじさん、おあいそー」

 ベンは銅貨を十枚払って、幸せな表情で帰路につく。

 しかし、よく考えたら今日は下剤を二回も使っていたのだった。これはおばちゃんの指定した用量をオーバーしている。そして、空腹に辛い肉をたくさん食べてしまっている。それはまさに死亡フラグだった。


        ◇


 ぐぅ~、ぎゅるぎゅるぎゅる――――!

 もう少しでドミトリーというところで、ベンの胃腸はグルグル回り出してしまった。

「くぅ……。辛い肉食いすぎた……」

 脂汗を垂らしながら、内またでピョコピョコと歩きながら必死にドミトリーを目指す。

 ポロン! と、『×10』の表示が出る。もうすぐ自宅だから強くなんてならなくていいのだ。ベンは表示を無視して必死に足を運んだ。

 すると、黒い影がさっと目の前に現れる。

「ちょっといいかしら?」

 えっ!?

 驚いて見上げると、それは勇者パーティの魔法使いだった。

「今ちょっと忙しいんです。またにしてください」

 漏れそうな時に話なんてできない。ベンは横を通り過ぎようとすると、

「あら、マーラがどうなってもいいのかしら?」

 と、魔法使いはブラウンの瞳をギラリと輝かせ、いやらしい表情で言った。

「マ、マーラさんがなんだって?」

 ベンはピタッと止まって、魔法使いをキッとにらんで言った。勇者パーティで唯一優しくしてくれたマーラ。あのブロンズの髪の毛を揺らすたおやかなしぐさ、温かい言葉にどれだけ救われてきただろう。

「マーラさんをイジメたらただじゃ置かないぞ!」

 もし、マーラにも下剤を盛ったりしてイジメていたらとんでもない事だ。ベンは荒い息をしながらギロリと魔法使いをにらんだ。

「ちょっとここは人目があるから場所を移しましょ」

 魔法使いはそう言うと、高いヒールの靴でカツカツと石だたみの道を鳴らしながら歩きだす。そして、魅惑的なお尻を振りながら細い道へと入って行った。