私が一目惚れしたのは、高校の春だった。
高校に入学して、斜め前の席に座る男子に私の目線は釘付けだった。
林涼(はやし すず)。隣町から引っ越してきたらしく、彼を知っているクラスメイトはほとんどいなかった。しかし、彼の性格の良さとその整った容姿から、彼はすぐに学校中の人気者になっていた。
 クラスの女子のほとんどは休み時間に彼を取り囲み、質問攻め。男子もそれに加わり、あれやこれやと話しているうち、あっという間に時間が過ぎていく。その波に、私は乗れないままだった。
 一目惚れってこんな感情なんだ。どこか初めて会ったような気がしないというか、彼のことが前から好きだったというか、そんなおかしな感情が芽生える。これは、私の初恋みたいだった。
 「(りん)、林君のこと好きなんでしょ」
 (あや)にそう言われ、慌てて彼から目を逸らす。彩は中学からの友達で、クラスのムードメーカーだ。いつも私と一緒にいてくれて、めちゃくちゃ気遣いのできる理想の女の子。
「別に、そんなことないし。…話したこともないんだから」
「てことは、少なくとも話したい気持ちはあるんだー。へぇ〜」
「だから違うってば!」
 彩はなんだか悪いことを企むような表情で、ニヤニヤとこちらを見ていた。
と思えば、
「林君〜ちょっと来てよー」
そう言って手招きをした。
「えっ、ちょっと!」
 私は慌てて来なくていいと彩に言ったのに、それはスルーされてしまった。
彼は人の波を避けて私たちの方へ歩いてきた。それだけで、胸が高鳴っていた。この距離に来て初めて、彼の身長の高さに驚く。百八十センチ近いと思った。
「ねぇねぇ、林君ってどんな音楽が好きなの?」
彩がおどけた口調で尋ねる。その間も、私はまともに彼の顔を直視することができなかった。
「俺ーこの人の曲好きなんだよね」
 そう言って見せてくれたスマホの画面には、私の好きなアーティストが映っていた。
「えっ、マジ!?この子がこのアーティスト大好きなんだよ〜」
 彩が私の背中を押して、リアクション大きめに反応する。彩は知っていたのだと思う。私と彼が同じアーティストが好きなんだってことを。さすが彩、としか言いようがなかった。
「マジか!この人の曲めちゃくちゃいいよなー。なんかメロディーは落ち着いた雰囲気なのに歌詞がえげつなく刺激的なところが。うまく言えないけど」
「…うん!私もそう思ってた!一番好きなのはこの『柚子』っていう曲でさ!…ってごめんね、話過ぎちゃった。」
 この人のことになると永遠に話し続けてしまうのが私の癖で、いつも彩や家族に面倒くさがられていたのを思い出した。恥ずかしさで、頬が赤くなるのを感じる。
「いや、俺もいっつも話すぎて怒られるから同じ趣味の人と会えて嬉しい。またよろしくな」
 チャイムが鳴り、それぞれ席につく。席についてからも、私の激しい鼓動は治ってくれなかった。
なんてスマートな返しなんだろう。一人納得する。また、という言葉がずっと頭に残っていた。何気なく言ったことかもしれないけど、そのまた、があるといいなと思った。
 そのまた、は案外早く訪れることとなる。
雨の降った放課後、たまたま傘を忘れてしまった私は雨宿りをしながら音楽を聴いていた。彩は先に帰ってしまったため、私は誰かと話すこともなく一人ぽつんと立っていた。
「町野?」
振り返ると林君が立っていた。
「え?林君…」
「お疲れ」
そう言って林君はこちらに歩いてきた。隣に立つと、初めて話した時のことが思い出される。
「お、お疲れ。」
「俺傘忘れちゃってさー…もしかして、町野も?」
「あ…うん。」
「俺たち、ドジ同士だな」
「…ちょ、勝手に私までドジにしないでよ」
 ちょっとそっけなかったかもしれないと、勝手に考えてしまう。本当は、一緒に話せている今が幸せなのに。
「雨、やみそうにないな。」
「そうだね。」
少々沈黙が流れる。私はなんか気まずくて、俯く。履いているローファーは雨で少し濡れていた。
「町野ってさ、『柚子』が好きなんだよな。もしかしてさっき聴いてたのも?」
「そうだよ。」
 私は両耳からイヤホンを外しつつ答えた。
「俺の好きな曲は『風』」
 その『風』という曲も、私の好きなアーティストが作った曲の一つだった。
「私も『風』好きだよ。風みたいに、人間関係ってあっという間に変わってどっかにいっちゃうこと、あるんだなーって」
「俺はさ、初めて曲聴いた時正直嫌いだって思った。あの感傷に浸るような暗い感じ?病んでるっていうか、自分の考えを押し付けられてる気がしてさ。」
「…そうなんだ」
「でも、今になって分かった。なんで『風』ってタイトルにしたのか。俺は絶望しても、また新しい風が吹くんだよって意味だと思って聴いてる。」
 その考えに、思わず頷いてしまった。
「すごいね。そんなこと考えられるなんて」
「俺は町野の考え、すげぇいいと思ったけど。」
「…そう、かな?」
そうだよ、と彼は空を見上げた。もう雨は止んでいた。
「雨上がったし、帰るか。」
「うん、そうだね」
 二人とも何も話すことなく、校門を出る。私たちの家の方向は反対だった。ちょっと残念に思った自分がいた。
「じゃあな。」
「うん。」
 この時、私は彼が好きなんだなってちゃんと気づいた。