「叶くん、起きて」

 愛しい彼女の声に、目を覚ます。卵やパンの甘い香りに包まれた、幸せな朝の始まり。

「おはよう、叶くん! 今朝はフレンチトーストでいい?」
「おはよう、ねいろ……うん、甘いもの、大好きなんだ。はちみつたっぷりで頼むよ」
「ふふ、まだ眠そう。用意するから、目を覚ましておいてね」

 上機嫌に長い黒髪が揺れる背を見送り、寝転んだまま今でも傷の疼く胸元を押さえる。

 あの日、激しい鼓動の高鳴りに、彼女への恋を自覚した。この心臓が感じるドキドキを恋だと認識し、それを自分の恋心だと同一視したように、いつか僕は、この心臓の持ち主だった男のような行動に出るかもしれない。いつか心臓の記憶が僕を操り、知らぬ間に彼女に危害を加えるのではないか。

 そんなことを考えると、毎日不安で堪らなかった。もしかすると、夜寝ている間に、心の赴くまま彼女にナイフを突き立てているかもしれないのだから。

 だから朝目が覚める度に、元気な彼女を見てひどく安心した。緊張が解け、甘く幸せな現実とは裏腹に、ホラー映画でも見終わったかのように心臓がばくばくする。

「叶くーん、もう出来るから、起きてきてよー?」

 キッチンから聞こえる、フレンチトーストの焼ける音と、フルーツを切る包丁の音。そして彼女の声に導かれるように、心地好い温かなベッドを出る。

「嗚呼、今行くよ……、音色」

 僕は未だに落ち着かない鼓動に合わせて、足早に愛しい彼女の元へと向かった。