「原町、これ、パウルが死んでるのをジョゼが見つけるんだろ」
「そう」
「何でジョゼは自分で殺したかもしれないって思うんだ? 後ろから殴ったっていってもそれは前日の話だし、パウルはジョゼを追いかけたんだろ」
「動転してたから記憶があやふやなんだよ。それに前日でもクモ膜下出血で時間が経って死ぬこともあるし」
「へぇ。その辺はなんかリアリティあると思うよ。でも」
「描写があったほうがいいよね」
「うん。まぁそうかも」
原町はうなずいて無表情にノートにメモを取る。几帳面だ。
それから俺はちょくちょく放課後にノートを見せてもらうようになった。
ところどころよくわからない部分がある。それを指摘する。その都度、原町はうなずいて、メモを取る。
そうして話を最後まで読んだ。
ストーリーはミステリ仕立てで、パウルの死体を前に誰が殺したのかと話が展開していく。いくつか動機が気になる部分はあったけれど正直言って面白かった。
それから最後がちょっと不満だった。結局のところ、ジョゼはもう一人の犯人候補、シャザリンを殺しにいくのだ。そして自殺したように見せかけて罪を被せる。まあ被せるも何もどちらが死因かはよくわからないけれど。
そういうと原町はそうか、と呟いた。そうして過ぎた1週間後の放課後。
「須走、直してみたんだ。もしよければまた読んでくれないか」
「え。この間読んだじゃん」
「うん、でも引っ掛かりがなくなったか読んでほしい」
正直少し、面倒だと思った。
けれども乗り掛かった船だと思ってページを開く。以前指摘した部分は確かに直っている。けれども前より描写が具体的になったからこそ改めて浮かぶ疑問がある。
「なぁ原町。シャザリンがパウルの首を締めるだろ? これってそんな上手くいく?」
「上手く? 変かな」
「だってシャザリンは華奢な女の子でパウルはそれなりにガタイがいい男なんだろ」
「そうだな」
原町が俺をじっと見つめる。こいつの視線は直受けするとなにを考えてるのかわからなくて居心地が悪い。
「だいたい……須走くらいの大きさだ」
「嫌な例えすんなよ」
前よりくっきり描写される倉庫の場面。
以前は広さくらいしか情報がなかったけれど、今はたくさんの段ボール箱や物が雑然と積み上がり、埃っぽくてクレーンの類が何機か置いてあることがわかる。
けれども具体的だからこそ、こんな場所で女子が男子を追い詰められるものか、という疑問が湧く。反対にシャザリンが襲われて狭いところを逃げ込むのであればともかく、パウルが小柄なシャザリンに追いかけられるというのもどうもピンとこない。逆ならまだしっくりする。それにこの倉庫にはパウルが防御や撃退に使えそうなものはたくさんあるわけだし。
けれどもそういったものには目もくれず、力でも勝てそうなシャザリンと相対して律儀に首を絞められるんだ。
「普通は女の子が素手で男の首を絞めても抵抗されておしまいだろう?」
「何やってんの? 首絞めるとか物騒な話」
突然の声に慌てて教室の入口を振り返った。廊下側は夕焼けが届かず、すでに暗く夜に沈んでぱっと見の視覚情報では誰かはわからない。
だから原町は随分慌ててノートを鞄に隠していたけど、俺は声からそれが誰かわかった。同じクラスで幼なじみの杏樹だ。
かつりかつりと教室内を進む度に夕日に照らされ、原町にもそれが杏樹だとわかったようだ。
「ちょっと話してただけだよ」
「ああ、林平さんか。なんでもない」
「それでお前は何しに戻ってきたわけ?」
「忘れ物だよ。スマホ忘れたの」
そういって杏樹は自分の席からスマホを取り出し、こちらに見せる。その姿を見て、やっぱりないなと思った。
「ほら、シャザリンは杏樹くらいの体格だろ? 俺と10センチは違う。だから首を絞められてもすぐに逃げられるよ」
「そうかな……。あの、林平さん」
「え、何?」
「須走の首を絞めてほしい」
「はぁ? いきなり何いってんの? 変態?」
突然の原町のとんでも発言に固まる杏樹を前に、俺はどう言い繕っていいのかとっさに言葉が浮かばなかった。
「今須走と小説の場面の話をしててさ」
「へぇ、小説? そいや原町君は文芸部だっけ」
「丁度林平さんくらいの身長の女子が須走くらいの身長の男子の首を絞めるシーンがあるんだよ。それが可能か再現したいんだ」
「……ちょっと面白そう」
そういえば杏樹は推理小説が好きだった。その瞳は夕日を浴びて、興味深げにキラリと光った。
そして俺は窓の端に追い詰められた。窓は倉庫の壁に見立てられている。それで林平は俺の首に手を伸ばして包み込む。斜めに傾く太陽を背に至近距離で真下を見下ろすと、丁度林平の襟の隙間から胸元が僅かに赤く照らされて見え、ちょっとドキリとした。けれども俺の表情は逆光に隠れてバレやしないだろうと思い直す。
「林平さん、ちゃんと力込めてる?」
「おい原町。力込めたら俺死ぬじゃんか」
「ちょっとこれ、無理じゃないかな」
「無理? どうして? そのまま須走の首を絞めればいい」
「まあ手が届くには届くけど、この角度じゃ力が上手く入らないよ。なんていうかさ、須走の首を持ち上げる感じになるじゃん? 力のかかるポイントが自分より上。力を込めるのが難しい。肩が攣りそうだし、これで絞め殺すのは無理だよ。それにほら須走、逃げようとしてみてよ」
逃げようと?
首を絞められる役だから動かなかったけどそんなものは簡単で、1番には杏樹を突き飛ばせばいい。それだけで全ては片付く。あとは腕をまとめてつかむ。それで俺の首に力は入らなくなるだろう。
至近距離でぐにぐにと俺の首をなでる杏樹の指と手のひらはいつもとは別の生き物のように存在感があって、なんだか妙に気分が落ち着かない。
縛られているわけでもないから俺の腕は自由だ。だから気を取り直して杏樹の両手首をつかんで持ち上げれば容易に首から手が離れる。
「なるほど。やっぱり実際にやってみると大分違うんだな」
「まあね。ミステリのトリックも実際やってみたら他の理由で無理だったなんてことはよくあるらしいし」
「なるほど」
「それから多分押し倒すとかでも無理だと思う。これで須走を殺すなら縛るとか動けなくするしかないんじゃないかな」
「だから嫌な事言うなよ」
「ありがとう林平さん」
「いえいえ、どういたしまして。面白かった。また実験するなら是非呼んで」
ガラリと教室から立ち去る杏樹をよそに、原町はノートに仔細を書き込み続けていた。これが始まるとなかなか次には進まないんだ。どうやら後に回すとリアリティを忘れてしまうらしい。
それで俺はというとやっぱり首を締められるというちょっとした非日常になんだか酷く落ち着かず、喉が未だに杏樹の手の形に熱を持っているような妙な感覚に苛まれていた。
「須走。検討した結果、首を絞めるのではなくナイフで刺すことにした」
「ナイフ? それじゃ死因はナイフだ。自分がやったとは思わないだろ」
「結局体格差があるだろ? そうそう簡単に刺せない。だからお前をバットで殴りつけて上手く動けなくしたところで、後から来た林平さんが刺す、でどうかな」
「後から?」
「お前が言った通り、抵抗は容易だし周りに防げるものもある。なのに防御創もなく腹を刺され、そのまま死んでる」
リアリティ、と呟く原町の表情はなんだか少しだけ怖かった。
「防御創ってなに?」
「刺される時に防ごうとして腕とかにできる傷。それがないってことは抵抗してないってこと。不自然だろ?」
「うーん、そう言われるとそうかも」
杏樹はこの非日常に味をしめたようで、その日から放課後にちょくちょく集まって実験をすることになった。
パウルを殺すためにどこを刺したらいいかとか、抵抗されないためにどうするかとか。途中からはマジック用の刃先が引っ込んで刺すと中に仕込んだ水が出るナイフまで持ち出された。
「俺、本当に殺されそう」
「いいね、リアリティがある」
「リアリティってお前さ」
けれども実際、これ杏樹に本当に殺意があれば結構やばいんじゃないかと思う行為をたくさん試した。妙な怖さを感じる一方、俺は殺されるその度に、これまでの日常を飛び越えて非日常に移行するような、その妙な感覚にじわりと妙な興奮を覚えた気はする。
原町はその度にノートをとり、納得がいった時は満足そうに淡く微笑んだ。
そうして何度目かの改稿作業の後に渡されたノートを見て困惑した。
「おい原町、これはどういうことなんだよ」
「そう」
「何でジョゼは自分で殺したかもしれないって思うんだ? 後ろから殴ったっていってもそれは前日の話だし、パウルはジョゼを追いかけたんだろ」
「動転してたから記憶があやふやなんだよ。それに前日でもクモ膜下出血で時間が経って死ぬこともあるし」
「へぇ。その辺はなんかリアリティあると思うよ。でも」
「描写があったほうがいいよね」
「うん。まぁそうかも」
原町はうなずいて無表情にノートにメモを取る。几帳面だ。
それから俺はちょくちょく放課後にノートを見せてもらうようになった。
ところどころよくわからない部分がある。それを指摘する。その都度、原町はうなずいて、メモを取る。
そうして話を最後まで読んだ。
ストーリーはミステリ仕立てで、パウルの死体を前に誰が殺したのかと話が展開していく。いくつか動機が気になる部分はあったけれど正直言って面白かった。
それから最後がちょっと不満だった。結局のところ、ジョゼはもう一人の犯人候補、シャザリンを殺しにいくのだ。そして自殺したように見せかけて罪を被せる。まあ被せるも何もどちらが死因かはよくわからないけれど。
そういうと原町はそうか、と呟いた。そうして過ぎた1週間後の放課後。
「須走、直してみたんだ。もしよければまた読んでくれないか」
「え。この間読んだじゃん」
「うん、でも引っ掛かりがなくなったか読んでほしい」
正直少し、面倒だと思った。
けれども乗り掛かった船だと思ってページを開く。以前指摘した部分は確かに直っている。けれども前より描写が具体的になったからこそ改めて浮かぶ疑問がある。
「なぁ原町。シャザリンがパウルの首を締めるだろ? これってそんな上手くいく?」
「上手く? 変かな」
「だってシャザリンは華奢な女の子でパウルはそれなりにガタイがいい男なんだろ」
「そうだな」
原町が俺をじっと見つめる。こいつの視線は直受けするとなにを考えてるのかわからなくて居心地が悪い。
「だいたい……須走くらいの大きさだ」
「嫌な例えすんなよ」
前よりくっきり描写される倉庫の場面。
以前は広さくらいしか情報がなかったけれど、今はたくさんの段ボール箱や物が雑然と積み上がり、埃っぽくてクレーンの類が何機か置いてあることがわかる。
けれども具体的だからこそ、こんな場所で女子が男子を追い詰められるものか、という疑問が湧く。反対にシャザリンが襲われて狭いところを逃げ込むのであればともかく、パウルが小柄なシャザリンに追いかけられるというのもどうもピンとこない。逆ならまだしっくりする。それにこの倉庫にはパウルが防御や撃退に使えそうなものはたくさんあるわけだし。
けれどもそういったものには目もくれず、力でも勝てそうなシャザリンと相対して律儀に首を絞められるんだ。
「普通は女の子が素手で男の首を絞めても抵抗されておしまいだろう?」
「何やってんの? 首絞めるとか物騒な話」
突然の声に慌てて教室の入口を振り返った。廊下側は夕焼けが届かず、すでに暗く夜に沈んでぱっと見の視覚情報では誰かはわからない。
だから原町は随分慌ててノートを鞄に隠していたけど、俺は声からそれが誰かわかった。同じクラスで幼なじみの杏樹だ。
かつりかつりと教室内を進む度に夕日に照らされ、原町にもそれが杏樹だとわかったようだ。
「ちょっと話してただけだよ」
「ああ、林平さんか。なんでもない」
「それでお前は何しに戻ってきたわけ?」
「忘れ物だよ。スマホ忘れたの」
そういって杏樹は自分の席からスマホを取り出し、こちらに見せる。その姿を見て、やっぱりないなと思った。
「ほら、シャザリンは杏樹くらいの体格だろ? 俺と10センチは違う。だから首を絞められてもすぐに逃げられるよ」
「そうかな……。あの、林平さん」
「え、何?」
「須走の首を絞めてほしい」
「はぁ? いきなり何いってんの? 変態?」
突然の原町のとんでも発言に固まる杏樹を前に、俺はどう言い繕っていいのかとっさに言葉が浮かばなかった。
「今須走と小説の場面の話をしててさ」
「へぇ、小説? そいや原町君は文芸部だっけ」
「丁度林平さんくらいの身長の女子が須走くらいの身長の男子の首を絞めるシーンがあるんだよ。それが可能か再現したいんだ」
「……ちょっと面白そう」
そういえば杏樹は推理小説が好きだった。その瞳は夕日を浴びて、興味深げにキラリと光った。
そして俺は窓の端に追い詰められた。窓は倉庫の壁に見立てられている。それで林平は俺の首に手を伸ばして包み込む。斜めに傾く太陽を背に至近距離で真下を見下ろすと、丁度林平の襟の隙間から胸元が僅かに赤く照らされて見え、ちょっとドキリとした。けれども俺の表情は逆光に隠れてバレやしないだろうと思い直す。
「林平さん、ちゃんと力込めてる?」
「おい原町。力込めたら俺死ぬじゃんか」
「ちょっとこれ、無理じゃないかな」
「無理? どうして? そのまま須走の首を絞めればいい」
「まあ手が届くには届くけど、この角度じゃ力が上手く入らないよ。なんていうかさ、須走の首を持ち上げる感じになるじゃん? 力のかかるポイントが自分より上。力を込めるのが難しい。肩が攣りそうだし、これで絞め殺すのは無理だよ。それにほら須走、逃げようとしてみてよ」
逃げようと?
首を絞められる役だから動かなかったけどそんなものは簡単で、1番には杏樹を突き飛ばせばいい。それだけで全ては片付く。あとは腕をまとめてつかむ。それで俺の首に力は入らなくなるだろう。
至近距離でぐにぐにと俺の首をなでる杏樹の指と手のひらはいつもとは別の生き物のように存在感があって、なんだか妙に気分が落ち着かない。
縛られているわけでもないから俺の腕は自由だ。だから気を取り直して杏樹の両手首をつかんで持ち上げれば容易に首から手が離れる。
「なるほど。やっぱり実際にやってみると大分違うんだな」
「まあね。ミステリのトリックも実際やってみたら他の理由で無理だったなんてことはよくあるらしいし」
「なるほど」
「それから多分押し倒すとかでも無理だと思う。これで須走を殺すなら縛るとか動けなくするしかないんじゃないかな」
「だから嫌な事言うなよ」
「ありがとう林平さん」
「いえいえ、どういたしまして。面白かった。また実験するなら是非呼んで」
ガラリと教室から立ち去る杏樹をよそに、原町はノートに仔細を書き込み続けていた。これが始まるとなかなか次には進まないんだ。どうやら後に回すとリアリティを忘れてしまうらしい。
それで俺はというとやっぱり首を締められるというちょっとした非日常になんだか酷く落ち着かず、喉が未だに杏樹の手の形に熱を持っているような妙な感覚に苛まれていた。
「須走。検討した結果、首を絞めるのではなくナイフで刺すことにした」
「ナイフ? それじゃ死因はナイフだ。自分がやったとは思わないだろ」
「結局体格差があるだろ? そうそう簡単に刺せない。だからお前をバットで殴りつけて上手く動けなくしたところで、後から来た林平さんが刺す、でどうかな」
「後から?」
「お前が言った通り、抵抗は容易だし周りに防げるものもある。なのに防御創もなく腹を刺され、そのまま死んでる」
リアリティ、と呟く原町の表情はなんだか少しだけ怖かった。
「防御創ってなに?」
「刺される時に防ごうとして腕とかにできる傷。それがないってことは抵抗してないってこと。不自然だろ?」
「うーん、そう言われるとそうかも」
杏樹はこの非日常に味をしめたようで、その日から放課後にちょくちょく集まって実験をすることになった。
パウルを殺すためにどこを刺したらいいかとか、抵抗されないためにどうするかとか。途中からはマジック用の刃先が引っ込んで刺すと中に仕込んだ水が出るナイフまで持ち出された。
「俺、本当に殺されそう」
「いいね、リアリティがある」
「リアリティってお前さ」
けれども実際、これ杏樹に本当に殺意があれば結構やばいんじゃないかと思う行為をたくさん試した。妙な怖さを感じる一方、俺は殺されるその度に、これまでの日常を飛び越えて非日常に移行するような、その妙な感覚にじわりと妙な興奮を覚えた気はする。
原町はその度にノートをとり、納得がいった時は満足そうに淡く微笑んだ。
そうして何度目かの改稿作業の後に渡されたノートを見て困惑した。
「おい原町、これはどういうことなんだよ」