そこにいたのは、父母が数人、クラスメイトが二、三人に、見知らぬ生徒が何人かがおり、美術部の副顧問である伴野と利香が、彩音を描いた絵の前で睨み合っていた。
「なんでこの絵が展示禁止になるんですか」
自分の絵を指差しながらそう言う利香を鼻で笑い、伴野は彼女の絵に手をかけた。
「これはね、卑猥なのよ。こんな風にセーラー服を濡らした女の子を描くなんていやらしい。それに、体の凹凸もはっきりでてるじゃない。こういうのは学校に飾るのは相応しくないわ」
「何もおかしくないし、いやらしくありません。おかしいのは、アンタだ!」
「教師に向かってアンタとは失礼ね。とにかく、正しくないものを学校で飾るわけにはいきません。だから、展示は中止」
「納得いきません!」
「別にアナタが納得しなくてもいいの、これはルールなのよ」
「私は、顧問の先生からその絵を飾ってもいいといわれています、それでも駄目なんですか」
「ああ、顧問の活崎先生ねえ、あの先生はなんだか美術にかかわりすぎてるから判断が鈍ってるのよね。こういうのが芸術だって言えちゃう人なのよ。何もわかってない。美術とは美しさを求めること、それは花を描いたり、人物を丁寧に描くことなのよ。女の子をいやらしく描くなんて、誰も求めないわよ」
「……バッカみたい」
吐き捨てるように利香が言うと、伴野は眉間に皺を寄せた。
彩音は嫌な予感がして、利香と伴野の近くまで歩み寄っていく。
「教師に向かってそういう口の聞き方は……」
「何が教師だよ!何が正しさだよ!そんなもん関係ない!私は正しさが欲しいからそういう絵を描いてるんじゃない!醜いのも、美しいのも全部飲み込んで、それを吐き出してるだけだ!それを勝手なルールで縛ってるのはそっちだ!ふざけんな!」
飛び掛ろうとする利香を、伴野が平手打ちにすると、今までざわついてた美術室が、水を打ったかのように静かになった。
「もういいわ。なら、こういう絵は処分したほうが良さそうね」
伴野が床で頬を押さえている利香を無視してドアへと体を向けたその瞬間に、彩音が伴野の腕を掴んだ。
「待ってください」
「なに、アナタ」
「その絵のモデルです」
「これの?ああ、これアナタだったの?良かったわねえ、こんなところで体を晒さなくて済んで」
「よくありません」
「なんでかしら」
「それは、私と相沢さんの作品です。二人で作り上げた作品なんです」
「でも、こんな風に描かれたら、飾られないことはわかるでしょ?ほら、アナタも委員長なんだし、そのぐらいわかるでしょ?正しいことはいいことなのよ。だから、そのルールから外れている正しくないことは、すべて排除するのよ」
伴野はそういいながら彩音のセーラー服の襟に付いてる委員長を示すバッヂを指差しながら微笑んだ。
彩音はバッヂを掴んで、窓に向かって放り投げると、伴野の手に爪を立てた。
「きゃっ」
甲高い声でそう言って伴野が手を離した隙に、彩音が絵を奪い取り、絵を体の後ろに隠した。
「何するのよ!」
「それはこっちの台詞です、伴野先生。誰かが作った正しさの中でしか物事を図れない人に、絵なんかわかりません。水槽の中で何も出来なかった私に、外の世界を教えてくれた相沢……利香が間違っているとは、思いません。正しさも悪いことも、全部自分で判断するのが、人間です。アナタみたいに、型にはまった正義しか語れない人が、何か口を出すことが、気持ち悪いです」
絵の淵を握っている両の手が、震えている。
自分が今やっていることは、明らかに度を越えた行為だった。だけど、そこまでして彩音は利香を守りたかった。
その為なら、自分が彩音と仲がいいことが誰にバレても良かった。
「気持ち悪いって……それが教師に向かって言う言葉ですか!」
伴野が手を振りかぶった瞬間に、彩音は目を閉じた。
平手打ちされるのなら、それでもかまわない。こんなことで、自分達の作品を汚されたくはない。何度叩かれても、この手だけは絶対に離さない。
しかし、何秒経っても平手打ちは頬に届かず、恐る恐る目を開けると、そこでは、美術部の顧問である水木が伴野の腕を掴んでいた。
「伴野先生、もうこれ以上はやめませんか」
「しかし、水木先生、こんな絵は」
「こんな絵、とは?」
「あの絵ですよ、あの、いやらしい絵です」
水木は溜息をついた。
「あの絵がいやらしく見えるってことは、アナタがいやらしいってことですよ、伴野先生。絵は、自分の心を映す鏡みたいなものです。あの絵、相沢が描いたあの絵は、好きが溢れている絵ですよ。相手のことを思って、相手のことを理解しようとして、そして、相手のことを解放しようとしている、そういう絵ですよ。でなければ、あんな風には描けません。睡蓮の美しさと、少女……そこにいる桜澤を美しく描きながらも、泥を描いて、そして、太陽の下に連れてこようとしている。どこかに閉じ込められていた少女を、こんな風に解放しようとしているんですよ。それが見えませんか?それなら、アナタの目は腐っているんですよ。おおいに、しかも、しっかりと」
まくし立てるようにそう言うと、水木は伴野の手を離して「職員室に行ってください、そこで話しましょう。ゆっくりとね」と言って、顎で出入り口を指した。
何か言いたげな表情をしていた伴野をもう一度睨むと、伴野は素直に美術室から出て行った。
「皆様、お騒がせしまして申し訳ございません。すぐに絵を飾らせますので、どうぞゆっくりご覧になって下さい」
水木はそう言って両手を彩音に差し出した。
震える手をゆっくりと動かして、絵を掴んで水木に渡すと、彼は微笑んだ。
「ありがとう、こんないい絵を描かせるなんて、よっぽど君は魅力的なんだろうね、相沢にとって。少し妬けてしまうくらいだよ。さあて、そこで泣いている相沢をちょっとどこかに連れて行ってやってくれないか」
「はい」
まだ震えの残る体を動かして、しゃがみこんでいる利香の目の前に腰を下ろすと、彼女が抱きついてきた。
「よしよし」
ゆっくりと一緒に立ち上がり、頬を押さえている手に自分の手を重ねる。
「大丈夫?利香」
「うん……ねえ、どこに行くの」
「そうだね、どこにしよっか」
支えあいながら二人は美術室を出て行く。その後ろ姿を水木が目を細めて見ていた。
「なんでこの絵が展示禁止になるんですか」
自分の絵を指差しながらそう言う利香を鼻で笑い、伴野は彼女の絵に手をかけた。
「これはね、卑猥なのよ。こんな風にセーラー服を濡らした女の子を描くなんていやらしい。それに、体の凹凸もはっきりでてるじゃない。こういうのは学校に飾るのは相応しくないわ」
「何もおかしくないし、いやらしくありません。おかしいのは、アンタだ!」
「教師に向かってアンタとは失礼ね。とにかく、正しくないものを学校で飾るわけにはいきません。だから、展示は中止」
「納得いきません!」
「別にアナタが納得しなくてもいいの、これはルールなのよ」
「私は、顧問の先生からその絵を飾ってもいいといわれています、それでも駄目なんですか」
「ああ、顧問の活崎先生ねえ、あの先生はなんだか美術にかかわりすぎてるから判断が鈍ってるのよね。こういうのが芸術だって言えちゃう人なのよ。何もわかってない。美術とは美しさを求めること、それは花を描いたり、人物を丁寧に描くことなのよ。女の子をいやらしく描くなんて、誰も求めないわよ」
「……バッカみたい」
吐き捨てるように利香が言うと、伴野は眉間に皺を寄せた。
彩音は嫌な予感がして、利香と伴野の近くまで歩み寄っていく。
「教師に向かってそういう口の聞き方は……」
「何が教師だよ!何が正しさだよ!そんなもん関係ない!私は正しさが欲しいからそういう絵を描いてるんじゃない!醜いのも、美しいのも全部飲み込んで、それを吐き出してるだけだ!それを勝手なルールで縛ってるのはそっちだ!ふざけんな!」
飛び掛ろうとする利香を、伴野が平手打ちにすると、今までざわついてた美術室が、水を打ったかのように静かになった。
「もういいわ。なら、こういう絵は処分したほうが良さそうね」
伴野が床で頬を押さえている利香を無視してドアへと体を向けたその瞬間に、彩音が伴野の腕を掴んだ。
「待ってください」
「なに、アナタ」
「その絵のモデルです」
「これの?ああ、これアナタだったの?良かったわねえ、こんなところで体を晒さなくて済んで」
「よくありません」
「なんでかしら」
「それは、私と相沢さんの作品です。二人で作り上げた作品なんです」
「でも、こんな風に描かれたら、飾られないことはわかるでしょ?ほら、アナタも委員長なんだし、そのぐらいわかるでしょ?正しいことはいいことなのよ。だから、そのルールから外れている正しくないことは、すべて排除するのよ」
伴野はそういいながら彩音のセーラー服の襟に付いてる委員長を示すバッヂを指差しながら微笑んだ。
彩音はバッヂを掴んで、窓に向かって放り投げると、伴野の手に爪を立てた。
「きゃっ」
甲高い声でそう言って伴野が手を離した隙に、彩音が絵を奪い取り、絵を体の後ろに隠した。
「何するのよ!」
「それはこっちの台詞です、伴野先生。誰かが作った正しさの中でしか物事を図れない人に、絵なんかわかりません。水槽の中で何も出来なかった私に、外の世界を教えてくれた相沢……利香が間違っているとは、思いません。正しさも悪いことも、全部自分で判断するのが、人間です。アナタみたいに、型にはまった正義しか語れない人が、何か口を出すことが、気持ち悪いです」
絵の淵を握っている両の手が、震えている。
自分が今やっていることは、明らかに度を越えた行為だった。だけど、そこまでして彩音は利香を守りたかった。
その為なら、自分が彩音と仲がいいことが誰にバレても良かった。
「気持ち悪いって……それが教師に向かって言う言葉ですか!」
伴野が手を振りかぶった瞬間に、彩音は目を閉じた。
平手打ちされるのなら、それでもかまわない。こんなことで、自分達の作品を汚されたくはない。何度叩かれても、この手だけは絶対に離さない。
しかし、何秒経っても平手打ちは頬に届かず、恐る恐る目を開けると、そこでは、美術部の顧問である水木が伴野の腕を掴んでいた。
「伴野先生、もうこれ以上はやめませんか」
「しかし、水木先生、こんな絵は」
「こんな絵、とは?」
「あの絵ですよ、あの、いやらしい絵です」
水木は溜息をついた。
「あの絵がいやらしく見えるってことは、アナタがいやらしいってことですよ、伴野先生。絵は、自分の心を映す鏡みたいなものです。あの絵、相沢が描いたあの絵は、好きが溢れている絵ですよ。相手のことを思って、相手のことを理解しようとして、そして、相手のことを解放しようとしている、そういう絵ですよ。でなければ、あんな風には描けません。睡蓮の美しさと、少女……そこにいる桜澤を美しく描きながらも、泥を描いて、そして、太陽の下に連れてこようとしている。どこかに閉じ込められていた少女を、こんな風に解放しようとしているんですよ。それが見えませんか?それなら、アナタの目は腐っているんですよ。おおいに、しかも、しっかりと」
まくし立てるようにそう言うと、水木は伴野の手を離して「職員室に行ってください、そこで話しましょう。ゆっくりとね」と言って、顎で出入り口を指した。
何か言いたげな表情をしていた伴野をもう一度睨むと、伴野は素直に美術室から出て行った。
「皆様、お騒がせしまして申し訳ございません。すぐに絵を飾らせますので、どうぞゆっくりご覧になって下さい」
水木はそう言って両手を彩音に差し出した。
震える手をゆっくりと動かして、絵を掴んで水木に渡すと、彼は微笑んだ。
「ありがとう、こんないい絵を描かせるなんて、よっぽど君は魅力的なんだろうね、相沢にとって。少し妬けてしまうくらいだよ。さあて、そこで泣いている相沢をちょっとどこかに連れて行ってやってくれないか」
「はい」
まだ震えの残る体を動かして、しゃがみこんでいる利香の目の前に腰を下ろすと、彼女が抱きついてきた。
「よしよし」
ゆっくりと一緒に立ち上がり、頬を押さえている手に自分の手を重ねる。
「大丈夫?利香」
「うん……ねえ、どこに行くの」
「そうだね、どこにしよっか」
支えあいながら二人は美術室を出て行く。その後ろ姿を水木が目を細めて見ていた。