メタバースの世界は無限だ。

 私はこのメタバース、LILIS(リリス)の中ではちょっとした有名人だ。

 これは私がLILISに本気に向き合うまでの話だ。


「森谷ガールズの娘らしいよ」
「え、でもさ、森谷ガールズっておかまだよね?」
「そうだけど、あの人の娘らしいよ」
「マジかよ。そしたら、誰が産んだんだよ。森谷のこと」

 3人組のまだ名前もわからない女子が、私のことをひそひそと噂している。新しいクラスはいつも居心地が悪い。クラス替えのときには必ず、噂される。

 高校3年生――。

 きっと、人生最後のクラス替えかもしれない。

 森谷ガールズは私の母、いや、私の父親だ。森谷ガールズは筋肉質で190センチの高身長、そして、ズバズバとした物言いで、芸能界でブレイクしたらしい。

 私が、物心ついたときには森谷ガールズは忙しい人だった。私の父、つまり私の肉体的な母親はそんな忙しい森谷ガールズと上手く行かなくなったのか、私が小学3年生のときに家を出ていった。

 森谷ガールズはそのときのことを未だに私に謝ってくる。


「ユリハには悪いことしたわ。本当に寂しい思いばかりさせて、悪いと思っているわ」

 久々にママとこうやってダイニングテーブルでご飯を食べているような気がする。学校から、帰ってきたら、すでに宅配されたピザがダイニングテーブルにおいてあった。

 私はチーズがたくさん乗っかったマルゲリータピザを頬張った。モッツァレラチーズとトマト、そして、バジルの香りが口いっぱいに広がっている。

「ママ。いいんだよ。謝らなくて。いつも働いてくれてありがとう」
「ユリハ、これはね、ずっと謝り続けないといけないことなの。私が全部悪いんだから。私への戒めでもあるのよ。ユリハはいい子すぎるから、私、たまに心配になっちゃうの」
 
 森谷ガールズ。ママは1ヶ月ぶりにまともな休みがとれたと言っている。ゴールデンウィークに放送される特番の収録ラッシュで、お母さんは毎日のように東京のスタジオへ行っていた。

 こうやって、仕事が忙しい時、ママは必ず謝ってきた。

「別にいい子じゃないよ。私」
「いつも、ユリハには寂しい思いさせているじゃないの」
「私、今年でもう18歳になるんだから、大丈夫だよ」
「なにってるのよ。あんた。いつもそうやって、何歳になったから、大丈夫って言うじゃないの。10歳から同じこと言ってるわよ」

 ママはそう言ったあと、ゲラゲラと笑った。私はフフと、弱く笑った。ママは手に持っていたピザを食べきり、ピザが入っている箱に手を伸ばし、新たなピザを手に取った。

 ママの低い声と抑揚をつけるように裏声が入る、オネェ特有の声色以外は、母として何一つ違和感がない。

「普段、家事だってこんなにやってもらって、十分すぎるくらいよ。いい子すぎるから、たまにものすごく心配になるのよ」
「ママはいつも大変なんだから、少しはするよ。それくらい」
「ねえ。ユリハ。今度、仕事が落ち着いたら、ゆっくり旅行にでも行こうか。ユリハが高校卒業する前に」
「そうだね。ありがとうママ」

 私はニッコリとした表情をすると、ママはいつものように安心そうな表情をした。

 ☆
 ワイヤレスαイヤホンを両耳にセットした。

 スマホの画面にはLILIAの画面が表示されている。ログインボタンをタップすると、脳波同期がされたメッセージも出てきた。

 そのあと、見慣れたネオン色したビル街が表示され、私のアバターが表示された。

 自分の肉体を動かすのと同じように、アバターに歩くように念じた。すると、アバターはすぐに歩き始めた。


『みなさん、こんばんは。今日もこまゆりLIVEラジオ聴いてくれてありがとう。このラジオは、陰キャJK、こまゆりが疲れを癒やすおすすめの曲を紹介しながら、みなさんの悩みに答えたり、こまゆりの身近なお話をする番組となっております』

 私はそう言い切ったあと、一息ついた。
 何話そうかな――。

「私は今日から、学校だったんだけど、やっぱり、憂鬱だよね。クラス替えがあって、自己紹介するのとか、超地獄じゃない? ふふ。さっそく、アンケート取っちゃおうかな。オープニングトークでするもんじゃないって声が聞こえてきそうだけど、まあ、いいや。あはははは」

 私は頭の中で、AIジョッキーにアンケート準備を依頼した。すると、画面の右上に『アンケート準備中』と表示された。

「じゃあ。アンケートいきます。自己紹介、地獄ですか?」

 すると、画面中央に『自己紹介、地獄? YES NO』と表示され、次々にYESとNOの欄の横グラフが右側に伸びていった。

 今日も同時接続人数は5万人超えてる――。

「やば。みんな地獄じゃん。あはは。やっぱり、嫌だよねぇ。自己紹介。ということで、YESが73.5%という衝撃的な結果がでたね。お前らみんな、陰キャだな。私もだけど。あははは。てかさ、あれって帰宅部の人、何話せばいいの? 部活やってる人はさ、名前のあと必ず、何部です。っていうよね? それで、そのあと趣味の話するけど、趣味とか言っても意味なくない?」

 オーディエンスの声がパラパラと聞こえてくる。

『意味なーい』
『確かに困る』
『趣味ってなにそれ? おいしいの?』

「あははは。なにそれ、おいしいの? ってこっちが聞きたいわ。あーあ。やっぱり、あんまり意味ないよね。だってさ、学校の自己紹介で言ったこと、話のネタにする? 私、したことないっていうか、友達いないから、学校では話さないか。あはは。それでね、私、今日の自己紹介で名前だけ言って、よろしくお願いしますって言って、すぐ終わらせたら、担任から『それだけ?』って言われたよ。それで、私、ムッとしちゃって、黙ったら、教室シーンとしちゃってさ、気まずいまま、次の人、自己紹介してたよ。やりづらかっただろうなって罪悪感をいだきながらお送りするのはこのナンバー。ELTでTime goes by」

 AIジョッキーはしっかりと、変な間もなく、曲をかけてくれた。ほんとうにLILISのRADIOSの機能はすごい。

 著作権問題もLILISは多額のお金をレコード会社に払って、クリアしているみたいで、自分の番組の中で、好きな曲を好きなだけ流すことができる。

 RADIOSはLILISのメタバースサービスの一部だけど、注目度が高くて、RADIOSで話題になった人は歌手デビューしたり、本を出版して著者デビューしたり、テレビに出演して、芸能界デビューしてる人もいる。

 AIジョッキーのおかげで自分の思い通りの音楽を流せるし、アンケートを取ったり、リスナーとのコミュニケーションも瞬時に簡単にできるから、すごいいい。

 そして、ラジオだから、他のメタバースのサービスみたいに、表情とか身振り手振りとかに気を使わなくていいのが、使いやすい。

 私はそこそこRADIOSで成功している。


 だけど、学校では上手くいかない――。

「ねえ、森谷に話しかけてきてよ」と一軍女子のセリエが取り巻きのセリエとミズキにそう大きな声で言っていた。

 セリエはいつもお団子ヘアをしていて、ぶりっ子、そして、こうやって性格が悪いから、クラス替えがあってまだ3日目なのに、すでに嫌いになりつつあった。そして、私が森谷ガールズの娘であることもセリエが中心になって、クラスに広めた。

「えー、やだー。だって不気味じゃん。私、刺されたらどうするの?」とセリエの取り巻きのナナミコがそう言ってはしゃいでいる。

「刺されたら、私が包丁、抜くから、まかせて」とミズキがそう言って笑っている。

「じゃあ、じゃんけんしよー」とセリエがそう言って、じゃんけんをしてきゃっきゃ言っている。

 朝から、なんでこんなに惨めな気持ちにならなくちゃいけないんだろう――。操作しているスマホの時計を見ると、朝のホームルームまであと3分もあった。

 LILISの昨日のライブのアナリティクスを見ていた。同時接続数は8万人で、放送が終わり、アーカイブで再生された回数はすでに10万回を超えていた。

 私はスマホのホームボタンを押してLILISを閉じた。そのあと、ゆっくりとため息をついたけど、気持ちはあまり変わらなかった。

「ねえ」と声をかけられて、振り向くとセリエが立っていた。私は無視して、前を向くことにした。

「ねえってば。無視しないでよ。森谷ガールズの娘。どうやって、あのガールズから生まれてきたの?」

 ――腹立つ。
 私は無視を決め込むことにした。

「ねえ、森谷ってば。あー、ダメだわ。無視決められてるわー。最低」とセリエがそう言うと、少し離れた場所で立っているナナミコとミズキがゲラゲラと笑っていた。

 ☆
「そんな感じだったよ。ツバキ」
「大変だな。三日目から」

 ツバキと二人きりの屋上は、まるで世界の中心みたいに思えた。それくらい、青空は高くて、気持ちいい春の日って感じだった。時折吹く風で、マッシュヘアで強めのパーマがかかっているツバキの毛先が揺れていた。

「ツバキは?」
「俺は別にいつも通りだよ。陰キャじゃないからね」
「あ、それ、私に対して、当てつけしてるでしょ」
「してないよ。陰キャが売りだろ。こまゆりちゃん」
「はぁ。今日の配信、どうしようかなぁ。ネガティブなネタしかないよ。今のところ」

 私は大きくため息をついたあと、駅前のパン屋さんで買ったクリームパンを一口食べた。いつも、お昼ごはんんはこのパン屋さんでパンを一つ買っている。

「あと、一年で卒業だよな」
「は? まだ、三年生始まったばかりなんですけど」
「そうだけどさ、なんか、来年の今頃、俺はどうしてるかなって思ったら、不思議でさ。だって、まだ何も決まってないわけじゃん。就職しようと思えば、就職できるし、フリーターにもなれるし、もちろん、大学生にだってなれるし」
「いいね。それ。今日のネタにするね」
「えっ」


『ということで、今日ね、春の日差しでポカポカの屋上でお昼食べてて思ったんですよ。来年の今頃、18歳になった私は一体、何をしているんだろうって。それでは今日もアンケートいきまーす。この気持ちのこと、どの言葉を使って表すのが適切ですか。1、桃色のファンタジー 2、センチメンタル・ジャーニー 3、ロマンティックが止まらない 4、新しい季節はなぜか切ない』

『お、出てきた。出てきた。あーいいね。やっぱり4が圧倒的に多いよね。だって、85%だもんね。いやー、やっぱり、4月って切なくなるのかな。こんな感じで5月病、発症しましたって感じになる陰キャさんが多いのかな。え? センスが渋いって。それは私の母親の影響だと思いまーす。ということで、アンケートを元にこの曲。松浦亜弥で桃色片思い。どうぞ』


『僕ね。もう一回、全国ネットのMCに復帰しようと必死やねん』
『ジョニーさん。熱い。この歳になっても野心家なんだから。私、ジョニーさんのこと誤解してたわ』
『それ、どういう意味や。ガールズ』
『てっきり、関西でご隠居されるのが夢かと思ってたの』
『ちゃう、ちゃう! 俺はな。ごっつ野心燃やしてんねん』
『ジョニーさん、あなたはそんな人じゃなかったじゃないの』
『ガールズ、あかんねん。芸人追い込まれたらな、何でもするんやで』
 
 42インチのテレビにママが写っている。ママのトークバラエティの『ガールズのここだけ言うわよ』の録画を一緒に観ている。ママと二人で、ソファーに座って、こうやって休日を過ごすのは久しぶりだった。

 高校最後の夏休みはすでに中盤を迎えている。ママは休みの日は必ず、こうやって自分の番組を見直して、気になったところを反省していた。

「そうよ。ユリハ。ここでね、もっと面白いこと言えたと思うの。ジョニーさんに」
「だけど、ジョニーさんって絡みづらそう」

 私は思わず本音が出てしまった。ジョニーさんは関西の大御所芸人で一昔前は全国ネットでも一線を張っていたけど、今は関西ローカルしかレギュラー番組がないらしい。

「ユリハ。実はね、こういうベテランの人のほうが絡みやすいものなのよ」
「へえ、どうして?」
「だって、あなた、考えてご覧なさいよ。元々、一線級でMCやってた人なんだから、あえて、あーいう絡みにくそうなキャラクターを作っているのよ。そうするとどうなると思う?」

 ママはいつもこうやって、難しい質問をする。それだけママは普段の仕事ですごく考えながら、やっているんだと思う。私はそうやってバラエティのことをママと一緒に考えるのが好きだった。

「うーん、大阪の自分の番組でネタにすることができるとか?」
「ううん。ユリハ、まだまだね。新しいジョニーさんのキャラができるのよ。ジョニーさんは自分がイジられる場面をわざと多く作っているのよ。MCはそこをいじってあげると、その人の新しいキャラクターになるの。そのキャラが面白かったら、他の番組にもその人が呼ばれて、その新しいキャラクターで活躍できるってことなのよ」
「へえ。ママ、大変だね。それを瞬時に収録のとき判断するんでしょ。そういうこと」
「そうなのよ。それがこの仕事の醍醐味でもあり、シビアなところよ。今回はジョニーさんにもう少し強めにいったら、もう少しウケよかったかもねぇ」

 ママはそのあと、大きなため息をついた。

「だから、私ね。もう少し派手にやればよかったって、少し反省してるの。ジョニーさんオンエアだと怖そうに見えるけど、実際、すごい気遣いの人なのよ。だから、今回は余計にそう思った。人には見えない一面があるってことね」

 ママはいつもこうやって、明るく仕事の厳しさを教えてくれる。
 

 こうやって、週3回、ラジオの配信をしているうちにあっという間に10月になった。私は行きたい進路なんてなかった。

 LILISでは未成年の収益化は許されていないけど、12月で私は18歳になるから、収益化することができるようになる。

 たぶん、大学に行かなくても、もうお金は十分に稼げるだろう。だけど、本当にこの仕事を続けるべきなの私はわからなかった。

 しかも、まだ、顔出しもしていないし、有名になればなるほど、森谷ガールズの娘だってことも報道されるかもしれない。

 ――その覚悟があるのか、私自身、全くわからない。

 どうすればいいんだろう。


「え、お母さんに言ってないんだ。まだ」

 ツバキは驚いた声でそう言った。

「うん。だから、私がこんなに有名なのも知らないはずなんだ」
「そうなんだ」
「これって絶対、マズイよね。ママに迷惑かかっちゃうかも」
「うーん。俺はわからないな」
「わからないって言わないでよ。私だってわからなくて困ってるんだから」

 今日も学校の屋上からは突き抜けた青空が見えている。その空の下でツバキと私はパンを食べていた。

 ツバキと付き合って、もうすぐ一年になる。この学校の中で私がこまゆりであることを知っているのはきっと彼だけだ。

「だけどさ、RADIOSってめっちゃ稼げるんでしょ。ユリハの再生回数だったら、余裕なんじゃない?」
「そうだけど。――私、ママに迷惑かけたくないんだよね」
「そっか。――迷惑にならないんじゃないかなって思うけどな。むしろ、プラスだったりして」
「もー、いい加減なこと言わないでよ。余計わからなくなってきた。ツバキのバカ」
「おい、バカってお前、せっかく相談に乗ってるのにさ」

 私はツバキを無視して、ムシャクシャしながら、クリームパンをかじった。