本当はわかっていた。お母さんにあのマニキュアがバレても平気なことくらい。
 お母さんが私のものを勝手に捨てたのはせいぜい中学一年生の頃までで、最近は捨ててないということ。私が先回りして手放しているから捨てられてないだけかもしれないが、少なくとも捨てられてはない。
 それにきっとマニキュアを塗ってるとバレても怒られたりなんかしないし、捨てられることもきっとない。だって私は高校生だから。むしろ年相応だと満足してくれるかもしれない。そういうことに気を遣えるようになったのね、お母さん嬉しい。と笑う顔が目に浮かぶ。わかってる、ちゃんとわかってる。
 でもそれが嫌だった。だって高校生ならいい、ということは大人になったらダメということかもしれない。こんな子どもっぽいこと、といつか言われる日が来るのかもしれない。今日良いと言われても、未来で否定されるのなら、それは今日を否定されたのと何が違うのだろう。そう考えると打ち明ける気にはとてもなれない。いつかお母さんに嗜められる日が来ると思うと、怖くて仕方ないから。怯える自分を止められなかった。
 私は一生、好きなものを好きと言えないままなのだろうか。誰にも隠してこっそりしなければ好きなものを身に纏うこともできないのか。
 そう思っていた。だから私は佐久間くんがどれだけ勇気を振り絞ってみんなに打ち明けたか、わかるのだ。
 二人で道を歩きながら思う。本当にすごい、と。あれから少し話をして、私の呼ばれ方が田城さんからさおりっちに変わったりして、そして別れた。
 佐久間くんはとても晴々とした顔をしていた。


「俺、卒業したら、ネイルサロンで働く」


 は、と息を呑んだ。卒業という言葉をこんなに晴れやかな気持ちで聞いたのが初めてで。
 そうか、こんな風に響くものなのか。と小学校中学校と卒業の時期になってその言葉を聞くたびにお腹の奥がゾゾッとする、あの感覚をよく覚えている。でも多分もうそんな風にはならない。


「高校の間に資格取らなきゃなー」


 ありがとう、と言いたかった。何に? 全部に。私を助けてくれた時から、今日のことまで全部、ぜんぶ。


「田城さん、それ、落としてから帰る?」

「ううん」


 私は結局、佐久間くんを助けられなかった。助けなんて必要とせず、佐久間くんは自分で自分を守った。


「今日は落とさなくて、いいの」


 だから私も私を守りたい。素敵だと思ったそばから捨てて、嘘の笑みで誤魔化したくない。


「そっか、夏休みだもんな」

「うん」


 佐久間くんがそれ以上詮索しないのがありがたかった。
 手のひらを開いて光に透かす。きらきらと輝くそれをずっと眺めてられると思った。
 怯えてばかりの私から卒業したい。好きなものを好きと言いたい。いつか否定される日が来てもじゃあ辞めるなんて言いたくない。私は私を否定したくないから。
 だから、このままの、好きなものを身に纏った私で家に帰るのだ。
 私は今日、怯える日々から卒業する。