言いふらしてほしくない、と佐久間くんは言っていた。だからきっとマニキュアのことはクラスメイトや友達に知られたくないのだろう。それなら除光液を教室で返すわけにはいかない。
佐久間くんはいつも友達と一緒にいる。クラスの中でも賑やかなグループの一人なので、声を掛けるのも簡単ではない。
どうしよう、と悩んでいる間に一日が終わってしまい、次の日はもっと真剣に声を掛けるタイミングを見計らった。
移動教室の間、たまたま佐久間くんが一人になったのを見つけた。
「佐久間くん」
私は心底ほっとしながら背中に向かって声をかけた。あ、田城さん。と振り返ってくれたから、私はいつでも返せるようにポケットに入れていた除光液を取り出す。
「これ、ありがとう」
佐久間くんはちょっと驚いたような顔をした後に、首を振りながら微笑んでくれた。
「ああ、よかったのに」
「ううん、本当に、助かったから。ありがとう。あ、えっとこれ、よかったら」
なにかお礼がしたくて、でもあんまりかしこまったものにしたら余計に気を遣わせるかと思って、結局よく食べるいちごミルクの飴を渡すことにした。
この飴も前に食べて気に入ってからこっそり買って食べている、お母さんの知らない私の好きなものだ。
「あ、美味しそう。ありがとう」
嬉しそうに受け取ってくれて安心する。でもそこで終わってしまうと思った。
私があと数秒黙っていたらきっと佐久間くんは「じゃあ」と言って友達の輪に戻ってしまう。
「佐久間くんは、どんなマニキュアするの」
どうしてまだ話をしていたいと思ったのかわからない。わからないのに、口が先に動いていた。この人をここに繋ぎ止めるために。
佐久間くんは少しの間私の顔を見ていた。何故か私は言わなきゃよかったとは思わなかった。ただ見つめ返すことになんの躊躇いもなかった。
佐久間くんは周りを確認する素振りを見せてから廊下の隅に寄り、無言でスマホを操作し始めた。
「こーいうの」
そう言って見せてくれた写真に一瞬息が止まった。
「かわいい……」
淡い白に近いピンクが先端に向かって濃いピンクのグラデーションになっていて、キラリと光るストーンが置いてある。とても綺麗だった。
「え、す、すごいね。自分でするんだよね?」
「うん、好きなんだ。あ、この飴の色だな」
くる、と手の中の飴を回しながら佐久間くんは笑った。確かによく似ている、と嬉しくなって頷く。
「田城さんのこの前してたのも、綺麗だった」
私は何故か泣きそうになった。泣きそうになった自分に笑ったから泣かなかったけど。
「うん、すきなの」
好きなものを好きだとこんなにはっきり言ったのはいつ以来だろう。お母さんに隠すようになってから、私は友達にも素直に好きなものを好きだと言えなくなっていたように思う。
いつも曖昧な返事や曖昧な微笑み。そればかりだった。なのにこんなにすんなり言葉が溢れる。
「あれ、すごく好きなの。好きだから、明日学校ってわかってたのに、つい塗っちゃったの」
「はは、わかる。やっちゃうよな」
わかるわかる、と佐久間くんは頷いて、他の写真も見せてくれた。
「これは姉ちゃんの爪、借りてしたやつ」
「わ、すごい」
「あんまさせてくれないんだけどね。練習に他人の手が借りたいんだけどなぁ」
すいすいとスクロールを繰り返す佐久間くんの横顔を見上げる。
私の視線に気づいたのか佐久間くんはこちらを見て、少しだけ眉を下げた。
「ネイリストになりたいんだ」
秘密ね、と冗談ぽく佐久間くんは言ったけど、冗談じゃないとわかる目をしていた。
「友達に頼めばいいじゃんって姉ちゃんは簡単に言うけどさぁ、まあなんか、ちょっと、頼みにくいんだよなぁ」
友達にも言えないという気持ちは私にもよくわかった。仲の良い友達にはなんの秘密もないことが良い、という風潮にも私はよく困らされていたから、言ってみれば、なんて軽々しく言えるはずもない。
そして佐久間くんの言葉が本気だということもわかったから、私は今度もやっぱりちゃんと考える前に口を開いていた。
「練習、私、じゃだめ、かな」
佐久間くんは驚いて目を丸くして、でもすぐにパッと破顔した。
佐久間くんはいつも友達に囲まれて楽しそうにしている。でもこんな笑顔は初めて見るかもしれない。
「あ、あの、でも、してすぐ落としてもらう、とかになると思う。その、ほら、学校もある、し」
「それは全然。俺もすぐ落とすし。金曜の夜にしても日曜の夜には取らなきゃ」
よかった、と安堵する。自分から練習台を申し出ておいて、すぐ落としたいなんて、嫌な気分にさせるかと思ったから。
「俺はめちゃくちゃ嬉しいけど……いいの?」
「え?」
「や、だって、あー……学校じゃ厳しいし、ほら、家……とか、あー、どっか、カラオケ、はだめかな、匂いとか」
私に気を遣ってくれているのだと気づいて、そんなのいいよと首を振る。
「家、で大丈夫だよ。あ、うちはむ……難しいから、佐久間くんの家にお邪魔することになっちゃうけど」
それでもいいなら、と私が言うと「いやまじでありがたいから」と佐久間くんが屈託なく笑ってくれた。
佐久間くんはいつも友達と一緒にいる。クラスの中でも賑やかなグループの一人なので、声を掛けるのも簡単ではない。
どうしよう、と悩んでいる間に一日が終わってしまい、次の日はもっと真剣に声を掛けるタイミングを見計らった。
移動教室の間、たまたま佐久間くんが一人になったのを見つけた。
「佐久間くん」
私は心底ほっとしながら背中に向かって声をかけた。あ、田城さん。と振り返ってくれたから、私はいつでも返せるようにポケットに入れていた除光液を取り出す。
「これ、ありがとう」
佐久間くんはちょっと驚いたような顔をした後に、首を振りながら微笑んでくれた。
「ああ、よかったのに」
「ううん、本当に、助かったから。ありがとう。あ、えっとこれ、よかったら」
なにかお礼がしたくて、でもあんまりかしこまったものにしたら余計に気を遣わせるかと思って、結局よく食べるいちごミルクの飴を渡すことにした。
この飴も前に食べて気に入ってからこっそり買って食べている、お母さんの知らない私の好きなものだ。
「あ、美味しそう。ありがとう」
嬉しそうに受け取ってくれて安心する。でもそこで終わってしまうと思った。
私があと数秒黙っていたらきっと佐久間くんは「じゃあ」と言って友達の輪に戻ってしまう。
「佐久間くんは、どんなマニキュアするの」
どうしてまだ話をしていたいと思ったのかわからない。わからないのに、口が先に動いていた。この人をここに繋ぎ止めるために。
佐久間くんは少しの間私の顔を見ていた。何故か私は言わなきゃよかったとは思わなかった。ただ見つめ返すことになんの躊躇いもなかった。
佐久間くんは周りを確認する素振りを見せてから廊下の隅に寄り、無言でスマホを操作し始めた。
「こーいうの」
そう言って見せてくれた写真に一瞬息が止まった。
「かわいい……」
淡い白に近いピンクが先端に向かって濃いピンクのグラデーションになっていて、キラリと光るストーンが置いてある。とても綺麗だった。
「え、す、すごいね。自分でするんだよね?」
「うん、好きなんだ。あ、この飴の色だな」
くる、と手の中の飴を回しながら佐久間くんは笑った。確かによく似ている、と嬉しくなって頷く。
「田城さんのこの前してたのも、綺麗だった」
私は何故か泣きそうになった。泣きそうになった自分に笑ったから泣かなかったけど。
「うん、すきなの」
好きなものを好きだとこんなにはっきり言ったのはいつ以来だろう。お母さんに隠すようになってから、私は友達にも素直に好きなものを好きだと言えなくなっていたように思う。
いつも曖昧な返事や曖昧な微笑み。そればかりだった。なのにこんなにすんなり言葉が溢れる。
「あれ、すごく好きなの。好きだから、明日学校ってわかってたのに、つい塗っちゃったの」
「はは、わかる。やっちゃうよな」
わかるわかる、と佐久間くんは頷いて、他の写真も見せてくれた。
「これは姉ちゃんの爪、借りてしたやつ」
「わ、すごい」
「あんまさせてくれないんだけどね。練習に他人の手が借りたいんだけどなぁ」
すいすいとスクロールを繰り返す佐久間くんの横顔を見上げる。
私の視線に気づいたのか佐久間くんはこちらを見て、少しだけ眉を下げた。
「ネイリストになりたいんだ」
秘密ね、と冗談ぽく佐久間くんは言ったけど、冗談じゃないとわかる目をしていた。
「友達に頼めばいいじゃんって姉ちゃんは簡単に言うけどさぁ、まあなんか、ちょっと、頼みにくいんだよなぁ」
友達にも言えないという気持ちは私にもよくわかった。仲の良い友達にはなんの秘密もないことが良い、という風潮にも私はよく困らされていたから、言ってみれば、なんて軽々しく言えるはずもない。
そして佐久間くんの言葉が本気だということもわかったから、私は今度もやっぱりちゃんと考える前に口を開いていた。
「練習、私、じゃだめ、かな」
佐久間くんは驚いて目を丸くして、でもすぐにパッと破顔した。
佐久間くんはいつも友達に囲まれて楽しそうにしている。でもこんな笑顔は初めて見るかもしれない。
「あ、あの、でも、してすぐ落としてもらう、とかになると思う。その、ほら、学校もある、し」
「それは全然。俺もすぐ落とすし。金曜の夜にしても日曜の夜には取らなきゃ」
よかった、と安堵する。自分から練習台を申し出ておいて、すぐ落としたいなんて、嫌な気分にさせるかと思ったから。
「俺はめちゃくちゃ嬉しいけど……いいの?」
「え?」
「や、だって、あー……学校じゃ厳しいし、ほら、家……とか、あー、どっか、カラオケ、はだめかな、匂いとか」
私に気を遣ってくれているのだと気づいて、そんなのいいよと首を振る。
「家、で大丈夫だよ。あ、うちはむ……難しいから、佐久間くんの家にお邪魔することになっちゃうけど」
それでもいいなら、と私が言うと「いやまじでありがたいから」と佐久間くんが屈託なく笑ってくれた。