先輩と別れて、教室に向かう途中、偶然だろうか待ち構えていたのか、ゆらと出会った。
廊下の曲がり角から突然現れて、私の腕を掴んだから、待っていたのかもしれない。
「ちょちょちょ、ちょい」
およそ未完成な言葉を吐いて、私の手を引いて、小走りで近くの非常階段に連れて行った。
「ごめん、昨日の埋め合わせ、まだだった。これ、とりあえず」
先輩が「ありがと。つくねと出し巻き玉子のお礼に」と返ってきた三つのパンを手渡す。「あ、ありがと」と律儀に感謝を告げてから、「そうじゃなくて!」少し大きな声を上げた。
「どういうこと? まさか、昨日も『王子』と一緒だったの? それとも、『騎士様』と?」
「王子? 騎士……」
ゆらが私より女子高生らしい子で、興奮すると言葉足らずになる時があることは分かってる。いつも、どうにかない言葉を汲み取って会話を試みるけれど、今回はさすがに難しい。
「『王子』だよ、『王子』! 二年生の深水宗太先輩! さっき、『王子』と特別棟の三階に上がってくの見たよ!」
あぁ、と思わず漏れた声に、ゆらは大袈裟に反応する。私の手を両手で掴んで、上下に振って、今気が付いたみたいに小さな声で「どこで知り合ったの?」と問う。
王子、と呼ばれているのかとぼんやり思って、深水宗太先輩と口の中で呟いてみた。
名前まで、青い空がよく似合う、爽やかな空気を纏ってる。
「ねぇね、どこで知り合ったの?」
「どこで。……昨日、購買部であんぱんを貰った」
「あんぱん」
まるで初めて聞いた英単語をなぞるように、ゆらは真面目な顔でしみじみと呟く。
「用事を済ませる前に行ったら、思ったより混んでて。それで、助けてくれた」
「あんぱんで」
不思議に思いながら首を縦に振る。納得したのかどうか、「なるほど?」と疑問形で答える。
どうしてそこまで、あんぱん、に引っ掛かるのか分からない。答えを知って少しは落ち着いたのか、考え込むように伏せていた瞼を持ち上げて、私を見つめた。
「『王子』があんぱんっていうのが、何か新鮮だね」
「新鮮?」
「そうそ。爽やかイケメンで、運動も勉強も何でも器用に出来て。でも特に気取ってなくて、親しみやすくて。どんな人にも優しくて、もう完璧なの。まさに『王子』でね。結構騒がれてて。だから『王子』があんぱんって、何だか新鮮だなって。食堂でよく見かけるから、てっきり胃袋は、ザ男子高校生かと思ってた。甘いもの好きなのかなぁ」
「……そう、なんだ」
上機嫌に「助けてもらえるなんて羨ましい」と続けるゆらに、どう答えたらいいか迷った。
先輩は、確かに器用そうに見えた。けれど優しくて穏やかで。素直に朝が弱く、料理が苦手だと教えてくれた。完璧とは、少し遠い。
「あとさ」
ゆらは思い出したように、言った。耳を傾ける。
「『騎士様』とは、いつ知り合ったの?」
確か、さっきも口にしていた『騎士様』。『王子』と呼ばれているらしい先輩と、何か関りがあるのだろうかと思考を巡らせる。
「あれ、人違いかな?。志倉澪先輩。志倉先輩も二年生だけど、知ってる? 昨日、駅前で一緒にいるところを見た気がするんだけど」
「……『騎士様』って呼ばれてるんだ」
「うん、スマートな振る舞いで、正義感が強くてね。何人も助けられたり、守ってもらったことがあるみたい。そういう場面を目撃した人も多いって。轢かれそうな猫を助けたとか、店員に高圧的な大人を上手く躱して、店員さんを庇ったりとか。すごいよね。なかなか出来ない」
友達が多く、情報通のゆらが言うなら、本当のことなのだと思う。それでもどうしても、『騎士様』呼びがしっくりこない。
異界駅で助けてもらったことは事実。けれど異界駅のマイペースぶりが印象的で、『騎士様』という響きが持つ、かっこよさ、とは不釣り合いな気がした。
「それで、『騎士様』とはどこで?」
「一昨日、駅の近くのコンビニで。ようかんを取ろうとして、偶然手が触れた」
誰かに関係を聞かれたら、そういう出会いということにしよう、と澪は提案した。
「有名人二人と食べ物繋がりで知り合うなんて、どんな徳を積んできたの」
出会い方を聞かれても、特に困らないと思っていたけれど、澪のおかげで助かった。契約を交わした澪が、唯一の友達で情報通のゆらが知っている程の有名人だとは思っていなかった。
「偶然だよ」
「偶然は、結構大切だったりするんだよ?」
女優みたいに真剣な顔を演じて、耐えきれないように、ふふんと楽しそうに笑う。
「偶然のご縁、大切にね」
ゆららしい、明るい調子で言って、ゆらは私の肩をぽんぽんと叩いた。優しく励ますように。
うん、と一度だけ深く頷けば、珍しく落ち着いた、安心したような表情を浮かべた。
「いつもありがとう」
「えぇ、なぁに急に」
「いつも思ってる。でも、言ってなかったから」
「そんなの私もだよ。いつもありがと」
恥じらいもなく、ゆらは白い歯を見せてはにかんだ。ゆらの笑顔が移ったみたいに微笑むと、ゆらは私の頬を両手で包んだ。
そして、私達は小さく笑い合った。まるで、内緒話を共有する小さな子どもみたいに。
ゆらは、やっぱり友達を作らない私を心配しているのかもしれない。
唯一の友達に、これ以上心配をかけたくない。だから、ゆらの言う偶然のご縁を、大切にしていこうと決めた。
それが一つ年上の先輩で、『王子』や『騎士様』と呼ばれる有名人であったとしても。
廊下の曲がり角から突然現れて、私の腕を掴んだから、待っていたのかもしれない。
「ちょちょちょ、ちょい」
およそ未完成な言葉を吐いて、私の手を引いて、小走りで近くの非常階段に連れて行った。
「ごめん、昨日の埋め合わせ、まだだった。これ、とりあえず」
先輩が「ありがと。つくねと出し巻き玉子のお礼に」と返ってきた三つのパンを手渡す。「あ、ありがと」と律儀に感謝を告げてから、「そうじゃなくて!」少し大きな声を上げた。
「どういうこと? まさか、昨日も『王子』と一緒だったの? それとも、『騎士様』と?」
「王子? 騎士……」
ゆらが私より女子高生らしい子で、興奮すると言葉足らずになる時があることは分かってる。いつも、どうにかない言葉を汲み取って会話を試みるけれど、今回はさすがに難しい。
「『王子』だよ、『王子』! 二年生の深水宗太先輩! さっき、『王子』と特別棟の三階に上がってくの見たよ!」
あぁ、と思わず漏れた声に、ゆらは大袈裟に反応する。私の手を両手で掴んで、上下に振って、今気が付いたみたいに小さな声で「どこで知り合ったの?」と問う。
王子、と呼ばれているのかとぼんやり思って、深水宗太先輩と口の中で呟いてみた。
名前まで、青い空がよく似合う、爽やかな空気を纏ってる。
「ねぇね、どこで知り合ったの?」
「どこで。……昨日、購買部であんぱんを貰った」
「あんぱん」
まるで初めて聞いた英単語をなぞるように、ゆらは真面目な顔でしみじみと呟く。
「用事を済ませる前に行ったら、思ったより混んでて。それで、助けてくれた」
「あんぱんで」
不思議に思いながら首を縦に振る。納得したのかどうか、「なるほど?」と疑問形で答える。
どうしてそこまで、あんぱん、に引っ掛かるのか分からない。答えを知って少しは落ち着いたのか、考え込むように伏せていた瞼を持ち上げて、私を見つめた。
「『王子』があんぱんっていうのが、何か新鮮だね」
「新鮮?」
「そうそ。爽やかイケメンで、運動も勉強も何でも器用に出来て。でも特に気取ってなくて、親しみやすくて。どんな人にも優しくて、もう完璧なの。まさに『王子』でね。結構騒がれてて。だから『王子』があんぱんって、何だか新鮮だなって。食堂でよく見かけるから、てっきり胃袋は、ザ男子高校生かと思ってた。甘いもの好きなのかなぁ」
「……そう、なんだ」
上機嫌に「助けてもらえるなんて羨ましい」と続けるゆらに、どう答えたらいいか迷った。
先輩は、確かに器用そうに見えた。けれど優しくて穏やかで。素直に朝が弱く、料理が苦手だと教えてくれた。完璧とは、少し遠い。
「あとさ」
ゆらは思い出したように、言った。耳を傾ける。
「『騎士様』とは、いつ知り合ったの?」
確か、さっきも口にしていた『騎士様』。『王子』と呼ばれているらしい先輩と、何か関りがあるのだろうかと思考を巡らせる。
「あれ、人違いかな?。志倉澪先輩。志倉先輩も二年生だけど、知ってる? 昨日、駅前で一緒にいるところを見た気がするんだけど」
「……『騎士様』って呼ばれてるんだ」
「うん、スマートな振る舞いで、正義感が強くてね。何人も助けられたり、守ってもらったことがあるみたい。そういう場面を目撃した人も多いって。轢かれそうな猫を助けたとか、店員に高圧的な大人を上手く躱して、店員さんを庇ったりとか。すごいよね。なかなか出来ない」
友達が多く、情報通のゆらが言うなら、本当のことなのだと思う。それでもどうしても、『騎士様』呼びがしっくりこない。
異界駅で助けてもらったことは事実。けれど異界駅のマイペースぶりが印象的で、『騎士様』という響きが持つ、かっこよさ、とは不釣り合いな気がした。
「それで、『騎士様』とはどこで?」
「一昨日、駅の近くのコンビニで。ようかんを取ろうとして、偶然手が触れた」
誰かに関係を聞かれたら、そういう出会いということにしよう、と澪は提案した。
「有名人二人と食べ物繋がりで知り合うなんて、どんな徳を積んできたの」
出会い方を聞かれても、特に困らないと思っていたけれど、澪のおかげで助かった。契約を交わした澪が、唯一の友達で情報通のゆらが知っている程の有名人だとは思っていなかった。
「偶然だよ」
「偶然は、結構大切だったりするんだよ?」
女優みたいに真剣な顔を演じて、耐えきれないように、ふふんと楽しそうに笑う。
「偶然のご縁、大切にね」
ゆららしい、明るい調子で言って、ゆらは私の肩をぽんぽんと叩いた。優しく励ますように。
うん、と一度だけ深く頷けば、珍しく落ち着いた、安心したような表情を浮かべた。
「いつもありがとう」
「えぇ、なぁに急に」
「いつも思ってる。でも、言ってなかったから」
「そんなの私もだよ。いつもありがと」
恥じらいもなく、ゆらは白い歯を見せてはにかんだ。ゆらの笑顔が移ったみたいに微笑むと、ゆらは私の頬を両手で包んだ。
そして、私達は小さく笑い合った。まるで、内緒話を共有する小さな子どもみたいに。
ゆらは、やっぱり友達を作らない私を心配しているのかもしれない。
唯一の友達に、これ以上心配をかけたくない。だから、ゆらの言う偶然のご縁を、大切にしていこうと決めた。
それが一つ年上の先輩で、『王子』や『騎士様』と呼ばれる有名人であったとしても。