ポケットに入れた手が、動きを止めてしまう。その目に静かに、慎重な色が潜んでいた。
「銃の、強引な成仏。いやなんじゃなかった?」
 そういうことかと思う。澪の中で、何が引っ掛かっているのか、確信のない想像がついた。
 私は片手をポケットに入れたままにして、もう疑念さえ抱かないように、自然に息を吸った。
「澪も知っての通り、私は身勝手なので。並行世界に行く選択肢を捨てた今、異界駅にはいられません。それに、もう人の死と向き合うことは出来そうにありません。だから、辞めてよかったんです」
「……そっか」
 無責任だとは、言わなかった。ブラシを、プチプラのラメ入りのアイシャドウへ柔くつける。
 安心、したのかどうか。横顔だけでは、判断が難しい。だから私は続けた。
「それに。澪に命を預けて、澪が命を懸けて。もうそんなことはしたくないから。見たくないから」
「……」
「澪が大事だから」
 払うようにして先端に色を染めていたブラシを、瞼には持っていかず、深く息を吐いた。
「……ほんっと、そういうこと。よく恥ずかし気もなく、躊躇いなく言えるよね」
 澪は鏡を持った手で、そのまま前髪を掴んで、横顔からさらに表情を隠した。
 呆れているのか、照れくさいのか。半々なため息を吐くような声に、思わず首を傾げる。
「躊躇う必要が分かりません」
 何を澪相手に、と思う。私は弱音も惨めな姿も見せている。今更、恥ずかしいことはない。
「あたしとしては、いつか死んで、もし【怪物】になったとき。七瀬に看取ってほしかったけど」
 前髪を掴んだまま、澪はそっと覗くような眼差しで私を見つめる。言葉とは裏腹に、冗談っぽく、悪戯っ子みたいに笑うから、分からなくなる。
 柔く瞼を閉じる。来羽くんにもっと教えてもらえばよかった。そう思うのと同時に、来羽くんなら、澪にどう返していたのか考える。記憶の中の来羽くんは、すぐに答えをくれた。
「澪」
 名前を呼ぶ。思うより落ち着き払った、柔らかな声をしていた。
 澪は返事をしなかった。目を開くと、私をじっと見つめる澄んだ瞳があった。
「私は、まだまだ和の甘いものの魅力を知りません。海も映画館も、秋祭りも。まだ一緒に行ってないです。日本一周もしたいですし、韓国にも行ってみたい。でも、一人では嫌です。あと、スカイダイビングをするなら、澪と一緒がいいです。バンジージャンプも」
 唐突だから、ぱちくりすると思った。けれど瞬きもなく、目を細めて微笑みを浮かべた。くすぐったくなるような甘くて、温かな眼差しに、ポケットから取り出したそれを強く握る。
 私はもう、一人が平気とは言えなかった。だから、一人は嫌だと素直に告げた。
「もし死にたくなったら、言ってください。澪と一緒にやりたいことに付き合ってもらうので」
 隣に座っているのに、私は澪を丁寧に手招く。もう片方の手を、私達の丁度間に当たる場所に伸ばして。意図に気付いた澪が、私の肩に寄り掛かる。
 画面には見えない、重みも香りも、もう離したくなかった。
「仕方ないなぁ、七瀬は」
 明るい声に乗せて、そして、シャッターを切った。