深水(ふかみ)来羽(こう)さん」
 そっと閉じた瞼に、冷たい人口の光を何かが遮って、少しばかり暗くなった。再び目を開けると、足元にいつも同じ白いスニーカーが見えた。
「うん」
 少し掠れた低い声に顔を上げる。
 きっと青い空がよく似合う、爽やかな空気を纏った青年がいた。
「僕のこと、知ったんだね」
「はい」
「まだ三日しか経ってないのに、すごいなぁ」
 花を眺めていた時の涼やかな表情で言って、彼はいつも通りに私の隣に座った。
 目線の高さにまで手を上げて、彼が自分の手を見つめる。その手の大きさは、先輩と変わりなく見えて、骨張った指は長く綺麗で。そこに確かにあるのに、やっぱり、儚い気配がある。
「来羽くんって、呼んでもいいんだよ?」
「え?」
 白いワイシャツ越しに自分の胸を撫でるような仕草を見せて、「ほら」と言う。
「僕が死んだのは、三年前、だから。身体は、よく分からないけど宗太とおんなじスピードで、一緒に成長してるけど。中身は、死んだときのまま、で。僕、中学二年生なんだ」
「……」
「あ、僕の方が敬語使った方がいいかな?」
 無邪気に人懐っこく笑うから、私は咄嗟に唇を噛んだ。彼は不思議そうに首を傾げて、「痛くない?」と幼げな声音で問いかける。
「来羽先輩は、どう過ごしてきたんですか?」
 目をぱちくりさせて、瞼を俯ける。「先輩つきかぁ」残念そうに笑ってから、言った。
「ぼんやりしてることが多いんだ。帰らなきゃって思ったら、この電車か、異界駅って呼ばれるところにいて。花が見たいなぁって思うと、花がある場所にいる」
「だから、学校の中庭にいたんですね」
「うん。違うところの時もあるけど。僕が視える人もいたり、いなかったり。視える人でも、気付かないで話す人がいて。君は、視える人、なの?」
 少し考えて、首を横に振る。彼はまだ涼やかな表情で、口元に柔らかな笑みを浮かべたまま。
「話しかけてくれて、嬉しかった」
 とても純粋で綺麗なものしかないような空気が、私の肩をすり抜けていく。異界駅に向かう電車の中には、それは不釣り合いで。彼が帰る場所は、ここでも異界駅でもないと強く思った。
 彼の瞳を見つめて、迷った。だけど、一度手を握り締めて、深く息を吸う。
「来羽先輩に、もう一つ聞きたいことがあります」
「うん、いいよ。なぁに?」
 彼は分かっているような気がした。私が今から聞こうとしていることを。
 また、今更、躊躇ってしまう。何度言っても慣れない言葉に、感情を乗せてしまう気がした。
「心残りは、ありますか?」 
 息を、吐き出すように言った。
 驚くような仕草もなく、彼はただ頷いた。彼の瞳に、悲しくて、寂しくて、愛おしそうな影が落ちていた。あの時と同じ。深くて、離れられない、濃い色。
「あのね」
 小さな子どもが秘密の話をするように、彼は囁くような声で教えてくれる。それから、そっと突き立てた小指を差し出した。
「お願い」
 迷いなく向けられた微笑みに、引き寄せられるようにして小指を絡める。そして――私もまた、秘密の話をした。