定刻通りに、チャイムが鳴った。
 もう我慢しなくていいと思うと、身体が勝手に机に凭れた。組んだ両手に顔を伏せる。
 身体中が重たい。指先まで熱っぽくて、肺は煙草の煙に満たされているみたいで、心臓からは、そんなことはあるはずがないのに、どろっとした血が流れて纏わりついているようだった。
 学校を休んだり、早退することも考えた。だけど、一人でいるより人の気配がある場所にいたかった。そんなことを思う自分に困惑して。同時に、ずっと寂しかったんだろうと思った。
 あの日、異界駅に迷い込んで、突如変わった日常に慣れてしまったせいだろうか。
 今は一人でいることが、前より平気になれない。
「御園? 大丈夫? 寝てるの?」
 突然、蹲った腕に、誰かがつんつんと触れる。いつの間にか微睡に溶けた意識が緩やかに戻って、そっと目線だけを上げる。
「おはよう、御園」
「……ゆら」
 太陽みたいに眩しくて、咄嗟に目を細める。臓器を汚していくような気持ちが露骨に浮かび上がって、気持ち悪くなった。その中に一粒、じめっとした雨粒が降り落ちる。
「大丈夫? 具合悪い?」
「具合は悪い。でも、身体は元気」
 ゆらの心配そうな顔に、戸惑いが覗く。同じ立場なら、私も多分そうなると思った。
「じゃあ、大丈夫じゃないんだね」
「……」
 目線を上げただけ。俯いたままの頭をゆらの手が撫でる。不思議と飼い猫になったような心地を覚えた。それでも、私は上体をゆっくり起こした。ゆらの手が離れて、廊下の方に静かに視線を向ける。
「廊下に志倉先輩がいたよ。誰かを待ってるみたいだった」
「……」
「御園に用があるんじゃないかな?」
 ゆらの目が私を見る。私はそっと視線を逸らして、窓の外を見た。昨日の綺麗な夕日が嘘のように、じめじめと暗い灰色の雲が空を覆っている。私の胸の中は、空よりも深い暗がりで。
「今は、会えない」
 私はそれだけしか、言えない。ゆらにどう相談すればいいのかも、分からないから。
「そっか」
 ゆらもそれだけ言って、前の席を借りて座った。澪にわざわざ伝言をしに行ったりしない。
 いつも、そうだった。ゆらは昔から私の意思を尊重してくれて、選択を委ねてくれて。本音を言うことの方が珍しかった。けれど裏表があるわけではなくて、純粋で分かりやすくて、そばにいると居心地がよかった。
 御園の写真が好き。好きだから、やめないでほしい。だから、本音を聞いても、苦しくはならなかった。
「あとで、多分だけど」
「うん」
 机の横に掛けたビニール袋を、ゆらは勝手に取って机の上に慎重に置く。それから、私を真っ直ぐに見つめた。
「相談しても、いいかな」
 今はまだ、言えない。言えないことが多い。きっとゆらは疑わないだろうけど。ゆらには、異界駅のことは知らないでいてほしくて。そうしたら、澪との関係も隠さないといけなくて。
 だから、ちゃんと整理をしないと、伝えられない。相談できない。
「いいよ。待ってる」
 具合が悪いと言ったからか、普段より静かで柔らかな声はどこか頼もしくて。また泣いてしまいたくなったのは、まだ秘密にしようと思った。