目の前で振られる小さな手に気付いて、ふわりと甘い香りが鼻腔を擽った。
「デザート来たよ」
「……」
 ゆらがお行儀よく手を添えて、いつの間にかやってきていたパンケーキを指し示す。無意識に振り向いた先に、階段を降りようとする店員さんの姿があった。
「本当に具合悪くない?」
「ごめん、大丈夫」
 微笑みを作れば、小さな唸り声を洩らして、カチューシャで前髪を上げたおかげですっきり見える眉間に皺を寄せる。確かに、何度もぼーっとしていたら、心配もするだろう。
 何をどう言うべきか迷って、苦笑いをしながら、ナイフとフォークを手に取った。ゆらもまた、アイスを掬って、ふわっとしたパンケーキにそっと乗せる。
 先輩の正体が曖昧なことに気付いて、休んだ気がしない身体を引きずって教室に戻ると、違うクラスのゆらが教室を覗いていた。
「御園の写真が好き」
 声を掛けると、唐突に、ゆらは告げた。
 それから、スマホを突き出した。SNSに上げた、澪と寝転んで眺めた空の写真があった。 
「好きだから、やめないで欲しい」
 その言葉で、ようやく知った。ゆらの本音を。
 私がSNSの存在を知ったのも、写真を上げるようになったのも、ゆらが教えてくれて、勧めてくれたことがきっかけだった。それなのに、世界の輝きを見失って、写真を上げるのを辞めた理由を誤魔化して、ずっと言わずにいた。
「それから」
 ゆらはポケットにスマホを仕舞って、私の両手を包んだ。私より少しだけ小さな手で。
「私とも、遊んでね」
 拗ねたように笑ってから、可愛らしくウィンクをする。私は微笑んで、それに応えた。
 昔から、ゆらは私の手を引いて、外の世界に連れ出してくれた。知らない場所を、知らないことを、何でも教えてくれた。物知りなゆらは、隠すことなく色んな世界を見せてくれた。
 その全てが大切なものなのに、私はいつの間にか輝きを失っていた。
「ゆらが言ってくれたから」
「ん?」
 フォークもナイフも、すっと入り込んでパンケーキが裂けていく。雲のような軽やかさ。
「偶然のご縁を大切にって。だから、大切にしていこうって決めた」
「うん」
「少しずつだけど、人と関わるようになって。一人でいるより、考える事が増えて」  
 フォークを口に運ぶのを止めて、ゆらを見る。頬の膨らみはそのままで、ゆらの目が私を見つめていた。じっと逃さないようにするみたいに、耳を傾けてくれていた。
「だから、ごめん。遊びに誘ってくれたゆらが目の前にいるのに、考え事してた」
 ゆらは言葉を受け取って、ゆっくり飲み込んだみたいだった。
 静かに柔らかく笑って、「ううん」小さく首を振る。左耳のそばで一つに結んだ明るい茶髪が桜色のリボンと一緒に揺れる。フォークの背でケーキを撫でて、同じ桜色の唇を動かす。
「誰かのことを考えることは、大切にしてる証拠だと思う」
「……」
「だから、考えてあげて。私は、御園のそういう姿を、そばで見れる特権持ってるもんね?」
 疑問形のはずのに、堂々と自信たっぷりに言葉を切って、ふわふわなパンケーキの一欠けらを頬に押し込む。
「寂しくないって言ったら、もちろん嘘になるの。でも、御園が誰かを大切にしようとしてるなら、応援したいのも本音だよ?」
「……うん」
 本音が一つじゃないことを、私はよく知ってる。矛盾することが、親友みたいに隣にいる。
「御園が相談したいなら、相談したいときに話してね。私は、いつも御園にそうやって聞いてもらってるよ。それで、ちゃんと助けてもらってる」
 そう、だろうか。私はいつも聞いて、考えて、ただ思ったことを言葉にしてるだけだ。まるで見透かすように、「そうなの」何故かゆらが誇らし気に明るく笑う。
「いつでもいいよ。待ってる」
「うん。ありがとう」
 頼もしい友達には、沢山の友達がいる。それでもゆらは、その中で、きっと一番静かで言葉足らずな私も大切にしてくれる。
 ゆらが大切にしてくれているように、私もゆらをちゃんと大切にしたい。
 だから、スマホを手に取った。
 考え事はずっと頭の片隅にしがみついて、今は忘れることが出来そうにない。だからせめて、今この時を忘れてしまわないように、美味しそうに頬張るゆらを写真に収めた。
「でも、私の勘違いだったんだね」
 しっかりピースまで決めた後、ゆらは呟いた。画面を下に机に置きながら、首を傾げる。
「恋してるのかもって」
「……」
 ゆらはともかく、自分とは関わりないと思っていた言葉が、前より特別な響きを持っていた気がした。ゆらは何も特別なことは言ってないというように、パンケーキを詰め込んだ頬を撫でて、「やっぱりおいしいぃ」と言う。
 溶けてしまいそうなその声は、好きな人のこと話す声に似て、何だか甘酸っぱかった。