テストが明ける前、「学生の自由の日が来る」とゆらに誘われ、放課後、遊ぶことになっていた。
 偶然にも日直で、昇降口で待っていてとメッセージを送り、最後の仕事を早々に終わらせるために、職員室に向かった。
 日誌を渡して、担任の先生と別れ、昇降口の方へ足を踏み出す。
 少しずつ、少しだけ、早足になっていく。浮かれていると思った。ゆらが言った「自由の日」に、少なからず影響を受けているかもしれない。自分のことなのに、それは意外だった。
 自分で思うよりも、身体も心も力が入っていたのかもしれない。
「ねぇ、貴方」
 玄関に着いて、居るはずのゆらを探していると、ふいに声がした。
 念のために振り向けば、気の強そうな女生徒と目が合う。付き添うように背後に二人、ふんわりとした巻き髪のショートヘアの子と、前髪を真ん中で分けた黒髪ロングの子がいる。
「私、ですか?」
「えぇ、そうよ。貴方、御園七瀬さんよね」
 上品な口調で言いながら、ツインテールの毛先を、組んだ手の指で撫でるようにして絡める。
「はい。一年の御園七瀬です」
「体育の先生が、卓球台を片付けてほしいって、伝えて欲しいって」
 ショートヘアの子が、一歩も前に出ないで告げた。相槌を打つように、黒髪ロングの人も適当に頷く。つい癖で、気付かれないように全身を確認して、三学年揃っていることに気付いた。
「卓球台は、明日の朝も使うから片付けなくてもいいのでは?」
「それが、やっぱり危ないからお願いって話みたい」
 黒髪ロングの人が、答えた。澪と同じ色のネクタイを、解けそうなくらい緩く着けている。
「分かりました。教えて下さって、ありがとうございます」
「いいのよ。一人だと大変でしょう。私たちも手伝うわ。遠慮はしないでちょうだいね」
「そうだよ。伝言頼まれた縁だから」
「ありがとうございます。助かります」
 返事の途中で、歩き出した三人の背中を追いかけかけて、下駄箱にリュックを置いた。
 初めて会った三人が手伝ってくれたおかげで、まだ少し皮膚の下に残る傷が痛くならないうちに、片付けは大体終わった。
 あと少し、最後の一つを押し込む。他の卓球台と上手く重なり合うように調整して、突然、ガシャンと激しい音が響いた。
「大丈夫ですか?」
 何かが、落ちたと思った。慌てて倉庫の奥の隙間から飛び出せば、頑丈な扉が閉まっていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「あらごめんなさい。大丈夫よ」
 何か大きなものが、例えば掃除用具箱が落ちた訳ではないと知って、とりあえず安堵する。
 ただ、咄嗟に引いた引き戸が動かないのが、新しい困惑を生んだ。
「すみません。扉が開かないのですが、何かありましたか?」
「虫が出ちゃって、慌てて閉めちゃったからかな。変になっちゃったかも」
「誰か人を呼んでくるねぇ。ちょぉっと待っていて」
 多分、一年生の後に、ゆったりした口調の二年生の声がして、足音が遠のいていった。
 力づくで、傷が響かないように身体ごと扉を、動くはずの方に引っ張る。何度か挑戦して、けれど無理だということを悟った。
 スカートのポケットに手を突っ込むけれど、スマホは入れてなかった。ゆらにメッセージを送るどころか、写真を眺めたり、流行りの歌を聴くことも出来ない。
 ぐいっと伸びをして、固いマットに身体を預ける。
 怪我をした方とは反対側を下にして、柔く瞼を閉じる。マスターさんの声が、ふっと記憶から浮かび上がってきて、私に問いかけた。
 ――「君は本当に【切符】を手に入れたい?」
 答えられなくなっていた。迷いが、あった。
 澪と契約を結び、いつか必ず【切符】を手に入れて、行きたかった場所。
 誰かの恋人が自殺したという、並行世界。
 並行世界の自分に本当に会えるなら、会ったとしたら、私はどうなってしまうんだろう。
 何も知らずにいた頃は、心から願えたのに、昔話を聞いた今は、怖かった。
 私の願いは、恐怖に臆してしまうものなのだろうか。それとも、――本当の願いは、別にあるのか。