地味に重たい扉に肩を押しつけて、少し苦労して開く。ギィー、と高いような鈍い音を立てた先、どこか頼りないフェンスに囲まれた空間があった。
 フェンスに寄り掛かるようにして、澪は体育座りの膝に顔を埋めていた。
 音は届いたはずなのに、顔を上げない。だから私は、重たい扉を閉めて、迷わず近づいた。
「澪」
 呼びかけた声は、思うよりあっさりしていて、だけど僅かに緊張しているようだった。
 澪はただ息をして、背中を上下させているだけで、何も答えない。話しすらしたくないのか、もしかしたら今まで避けられていたのかもしれないと思った。けれど、澪の隣に座った。
「澪がどう思っていても、私は澪のせいだとは思ってません」
「……」
「だけど、心配を掛けてしまいました。澪が、自分を責めることになってしまいました。秘密にしようと言ったことを、話させてしまいました」
「……」
「もう一度、言います。私は澪のせいだとは思っていません。でも、だからこそ、二人のせいにすることにしました。澪は私を守り切れなくて、私は澪が守れないと言ったのに、勝手に近づいてしまいました」
 油断があった。【怪物】を前に考え事していたのは勿論、近づいてくるタイプだと分かったのに、一歩進んだ。今まで銃を使わない成仏が上手くいっていたせいもあると思う。
「二人のせいです」
 私だけのせいだと、どちらの責任でもないと、言えた。けれど、澪は納得しないと思った。
「だからお詫びに、花屋というパン屋さんの、あんぱんとメロンパン。買ってきました」
「……」
 答えない澪の手に、お洒落な模様の袋を掛ける。落ちないように手首に。
「マスターさんがいるとは思いませんでしたけど」
 何故か今は沈黙を作りたくなくて、先輩みたいに顔に太陽を浴びせて、適当に呟く。
「マスターさん、言ってました。パン屋じゃないって」
 確かに、焼きたてのパンは多く売ってあった。けれど、あくまでカフェだと言っていた。経営者は叔父らしく、私がマスターさんの知り合いだと知って、嬉しそうに声を掛けてくれた。
「マスターさんの叔父さんに、会ったこと」
 少し首が疲れて頭を下げると、澪の肩が揺れているのに気付いた。それは自然の呼吸のリズムとは違って、小刻みな震えに見えた。
 何も言わずに見つめていれば、すぐに、「ふ」と力が抜けたような声が聞こえた。
「ふ、くははっ」
 悪役のようだと思った時、澪が伸びをしながら、初めて顔を上げた。大雑把な行動に負けて、手首にかけた袋が床に転がる。二人でチラッと見て、顔を合わせた。久しぶりに。
「いやぁ、七瀬は分かんないや、やっぱり。変わってる」
「……それは、誉め言葉なんですか?」
「どーだろーね」
 イッシシ、とまた小者の悪役みたいに笑う。澪はそういうふざけた笑顔をするのが、いつも楽しそうに見えた。実際、楽しんでいるのだろう。並行世界の自分を殺したいと思う感情が出る場所と同じところで。
「ね」
 まだ寒く感じる、私の夏服のブラウスを摘まんで、澪が上目遣いに私を見る。澪は軽そうな、黒いカーディガンを羽織っていた。
「あたしが眠ってるとは思わなかったの? 返事もないのに、珍しくあんなに喋って」
 半分無口じゃないの。口を尖らせるように言って笑う澪を、遅れて目をぱちくりさせて見つめる。あ、と声が零れると、澪はまたおかしそうに笑った。
「ははっ、やっぱり気付いてなかったんだ。だよねぇ、じゃないと話さないもん」
「……」
「七瀬は、しっかり者なのに抜けてるよね。天然っぽいとこもあるしさ」
「……起きてたからいいじゃないですか」
 抜けてるとか天然とか、初めて言われたことは、どう考えても褒め言葉ではなかった。余程、不快な表情に見えるのか、「ごめんごめん」と特段悪びれている様子もなく謝る。
「私は、まだ諦めたくありません」
 澪の笑っていた表情が消えた。ただいつもの余裕そうな顔で、反対に真面目な目で私を見る。
「確約も必ずも、出来ません。だけど、澪の言うことを聞きます。もう勝手に近づきません。澪が難しいと思ったら、その時は納得します」
「うん」
「だから、銃を使わない自然な成仏を続けさせてくれませんか?」
「……」
「澪との契約を、続けたいです」
 それは、仲直りをしたい気持ちとは別だった。結局、私は自分のことを考えていた。
 澪は気付いているのか分からない。きゅっと細めた目で見つめて、ふいにパンの袋に手を伸ばした。足まで伸ばして太ももに置いて、袋の中を覗き込む。
「七瀬って。案外、頑固だよね」
「……」
 それがどちらの答えか、分からない。予想より軽やかな、鼻歌みたいな調子だったから。
「マスターの前でも言ったじゃん? せっかく上手くいってるんだし、助手を辞められたら困るって」
 袋から顔を上げて、にやりと笑みを浮かべる。やっぱり『騎士様』なんて柄じゃないと思う。
「だから、こちらこそだよ」
「こちら、こそ?」
「契約、切るわけないじゃん?」
 素直に見せかけた、素直じゃないギャルっぽい答え方に、私は「ふ」と笑った。「なんだよ、その笑いはぁー」なんて作った不満げな顔をして言うと、私の頬を片手で摘まんで、もう一方の手であんぱんを拾い取った。
「はーい、はんぶんこ」
 多目の半分を自分の手に持って、少し小さな方を私にくれた。「いただきます」と二人で言って、食べたあんぱんは、マスターさんが作るものと同じ、優しい味がした。