一時間早い電車に乗ると、学校の景色も少しばかり違って見えた。森が近い分、澄んでいる空気が少し冷たく、けれど肌に触れる感触はいつもより涼やかだった。どこからかやってくる、その風に背中を押されるように、中庭に向かう。
 花壇に囲まれたベンチに、先輩は浅く座って、小さな花たちを眺めていた。
「おはようございます」
 ゆっくりと、ずっと眠っていたみたいに先輩がこちらを振り向く。昨日と変わらない先輩の身体が、指先まで透明な光を纏っているように見えて、思わず目を擦る。
「おはよう。よく、眠れた?」
「……」
 疑いようもなく、確かな形の声が鼓膜を揺らす。気のせいだと思って、首を縦に振った。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
 足を進めて、先輩の隣に座ろうとしたところで、目的を思い出した。目の前で棒立ちになった私を見上げたまま、「いいよ」と落ち着いた声で答える。不思議な、気分になる。
「澪を、見ていませんか?」
 迷いながら、聞いた。電車の中で澪の名前に触れた先輩は、様子が変わった。『王子』と『騎士様』と呼ばれる二人の関係を、私はまだ知らない。
 先輩は、一瞬閉じた目を伏せてから、空を見上げた。花よりも、届きそうにもない空を。
「屋上にいるよ」
 空を見上げたまま、穏やかな声音をふわりと落とす。
「いつも、この時間は一人で屋上にいる」
「……」
 どうして、知っているのだろう。思ったことを口にするには、頬に触れる風が数秒前よりも冷たくて、先輩の涼やかな横顔が変わらなくて、だから、聞いてはいけない気がした。
「ありがとうございます」
 それだけ伝えて、先輩の横顔から目を離して、教えてくれた屋上に一歩足を進めた。
「うん。いってらっしゃい」
 ふわりと触れた声に、思わず振り返ってしまう。ベンチに座ったままの先輩は小さく手を振って、送り出してくれていた。
 誰かに、「いってらっしゃい」と言われるのは、いつぶりだろうと思った。 
「いってきます」
 もう家を出て、ここは学校なのに、私はどうしても伝えたくて、小さく手を振り返した。