身体が糖分を求めていた。気がした。注文した、うさぎか猫か動物が形作られたアイスが真ん中にある和のパフェを、どこから食べようか考えていると、深いため息が耳に届いた。
「それで、預かってきたんだ」
 銀のスプーンを持ったまま顔を上げる。マスターさんの目が、スマホの横に置いた小さな巾着袋を見ていた。
「はい」
 素直に答えれば、マスターさんはさっきよりも深く、うんざりとした調子の溜息を吐き出した。澪は特に気にしていない顔で、うさぎか猫か、動物の片耳を運んでいく。
「いい? 志倉がまだ教えてないみたいだから、今から教える。ちゃんと聞いて、覚えてね」
「分かりました」
 珍しく、澪に向けるどこか棘のあるような声で言うから、スプーンを元の場所に戻す。その姿勢だけで良いのか、「食べてていいよ」と優しく告げて、私はとりあえず粒あんを掬った。
「【怪物】が持っていた物には、どんな物であれ、どんな事情であれ、その人の想いや縁、下手すると強い怨念が込められている。生者が持ってていい代物じゃないんだよ」
 口の中で噛む度に溢れる甘さとは反対の位置にある異界駅での常識に、咀嚼を止めてしまう。
「知っても、預かってるつもり?」
「……」
 私は右手で、お守りが入った巾着袋に触れる。
 見捨ててしまって、いいのだろうか。温かくて優しい想いだけが詰まっているものを。
「僕が燃やしてくる」
 振り向いた視界の端で、マスターさんの手が伸びて私の背中を通り過ぎて、――一度身体を揺らした直後、ピタリと動きを止めた。
「まぁまぁ、マスター。素直に報告してるんだから、許したげてよぉ」
 のんびりとした口調で、澪は欠伸をするように笑っている。澪の小さな手が、意外と血管の浮き出たマスターさんの腕を掴んでいた。マスターさんが目を細める。
「素直に報告されて、真面目な報告書見せられて。あぁ良かったって、安心してると思ってる?」
 目の形は確かに笑っているのに、その目は決して笑っていなかった。
「ぜんっぜん。でも、隠された方が困るくない? いつか、何か起こったときにさ」
「何か起こす体で、話を進めないでほしいな」
 銃を持っているにしては、繊細そうな澪の手を優しく離して、マスターさんは何度目かのため息を吐きながら、定位置のカウンター内に戻っていく。横目で眺めながら、澪が「早くリュックに仕舞って。早くパフェ食べて」と耳打ちする。
 動物の頬に穴を空けて、口に運ぶ。確かに、マスターさんにとって私達は悪い子だと思った。
「僕としては、危険性分かってて、付き合ってる志倉の方が理解できないよ。どうして、助手に付き合ってるの? 立場的には、志倉の方が上でしょ」
「まぁ、そーなんだけどね。無理だって思ったんだよ」
「御園が思ってたより頑固だから?」
 一拍遅れて、それが自分に向けられた言葉だと気付いて、思わず目を丸くする。ちらっと私を見た澪がおかしそうに笑って、うーん、と思案気な顔を作った。
「銃での成仏に納得いかない状態で、助手を続けるのは無理だって思ったの」
「……」
 今度は、澪は私を見なかった。その通りだったことに、澪は私の考えを読めるくらいには私を知っていたんだと、今になって知った。
「せっかく上手くいってるんだし、助手を辞められたら困るんだから。そりゃ少しは、自由にさせないと」
 私を見ないで、澪は私の肩をポンポンと優しく叩く。異界駅では自由人の澪に、自由と言われるとは相当だと思う。自覚がなかったそれは、あまり嬉しくない。
 そんなに自由にしているのか、と考えている間にも頬が詰まって、一度スプーンを置いた。
「自由、ねぇ」
 見上げると、マスターさんの顔には呆れた様子はなかった。何か、考えているようだった。
「なぁに、まだ文句? 届けた後はマスターが見守ってるんだし、その目で見て分かってるんじゃないの? おじいさんの手紙で、悪い知らせはない。貰った奥さんが怪我したとか、死んじゃったとか、そういうのないんでしょ」
 一瞬、息を呑んだ。おかげで喉を通っていた欠片にむせそうになって、温かい緑茶を流す。
 生者が中心の世界で、それも届けたい人への危険性があることを、考えていなかった。けれどマスターさんは、何事もなく頷く。それこそ、驚きの色さえない。
「確かに、おじいさんの手紙では何も起きてない。むしろ、奥さんは涙を流して喜んでたよ。普通は起きるはずのない奇跡に」
「なら、いいことじゃん? おじいさんの心残りも晴れて、奥さんが喜んでたなら」
 マスターさんは、一度は開いた唇を、息を呑むように閉じる。私を助手に誘った澪を引き留めたことを止めたときのことを、急に思い出した。その時と同じ仕草。
 小言が止んだからか、好物に対してか、澪は嬉しそうなに、飾りの小さな三食団子を口に運ぶ。
「自由にって」
 今までの声色とは違って、何故か試すようなものに変わっていた。つられるように、澪は目線を上げ、くいっと眉を寄せて、無言の文句をぶつける。まだ何かあるのか、だろうか。
「どっちが本当の意味で、自由に動いてるんだろうね」
 澪の頬が、一瞬、引き攣ったように動かなかくなった。その沈黙に、何か深い意味があるように思えて、呼びかけようとしたところで、頬がまた動き始めた。
 いつもは美味しそうに食べる澪が、それから何でもないように、作ったような笑顔をして食べ続ける姿に、見えない壁が見えた気がした。
 それはきっと、厚さが違えど私も持っているものだろうから、無理に叩くことは止めた。