銃声が二発。ぼんやりと水で塞がれたような聴覚が戻ると、ひどく沈んだ吐息が聞こえた。
「なにを」
言葉は続かず、ただその声から、歪んだものが消えていた。おじいさんはさっきまで杖があった場所と左手の爪の先を交互に見つめる。
「力は塞いだけど、どうするの?」
音もなく、澪は軽やかに視界の端、私の隣に飛び降りてくる。見ると、澪は呆然と立ち尽くすおじいさんを眺めていた。横顔からは、特に感情が溢れた様子はない。
「どうやって、救うの?」
ふいに、澪は私の目を覗く。いつも通り余裕そうな顔で、けれど右手の銃の引き金には細い指を掛けている。周囲の警戒も忘れず、出来る範囲の、苦しまない方法も捨てていなかった。
――『勝手に近づかないで』
線路の近くに戻り、息を整える私に澪は言った。「勝手に近づかれたら、守れない。あたしが許可するまで待って」と続けた。
澪は【番人】で、私は【番人】に守ってもらう助手に過ぎない。そのことを忘れないで。
そう、言われている気がした。
契約も、その関係も忘れてない。だから、一歩も動かないで口を開く。
「貴方は、もう既に亡くなっています」
おじいさんは、重い頭を上げるようにゆっくり顔を私達に向けて、躊躇うように唇を開いた。
「そう、じゃな。――私は、もう死んでおる」
おじいさんの瞳に、初めて光が灯って、生きた人の影が、そこに浮かび上がった。
瞬間、おじいさんの身体がぐらりと揺られて、意識よりも素早く、私の身体が動いていた。おじいさんの脇に肩を入れて、身体ごと支える。杖に変化していた左手の爪の先に、無意識に視線を向けて。
「仕方ないなぁ、七瀬は」
おじいさんの背に合わせて屈んだ目線を上げる。澪は、おじいさんに銃を向けていた。なかったはずの左手に銃を持って。両手に、銃があった。
「待って、澪」
銃口は、動かない。本当はないはずの体重を支えるだけで苦労して、澪を止められない。
焦りが溢れて、思考を巡らせたところで、おじいさんの手が支える私の肩をぽんと叩いた。
「若者に、それもお嬢さんたちに面倒をかけて、すまない」
「……」
その声は、今まで聞いてきた【怪物】の愛想の良さを心掛けた、偽物っぽさと曖昧な違和感が確かに消えていて、引き金にかけた澪の指が、微かに震えたのが見えた。
「襲って、すまなかった」
澪から目を離して、おじいさんも見る。横顔が、分からないけれど、生きている人と変わりなく目に映る、声も言葉も、疑うとか信じるとかを切り離した位置で、本当だと思えた。
咄嗟に、澪に視線を送る。見極めるように目を細めて、けれど澪は無言を貫いた。
「警戒して構わない。もし、私が戻ってしまったら、その時は頼まれてくれるかな?」
「はい。任されました」
澪は柔らかな微笑を見せて、真面目な声で答える。おじいさんは何も言わずに微笑んだ。
おじいさんに頼まれた澪は銃を向けたまま、私はおじいさんを支えて歩いて線路を離れ、駅の駐車場のベンチにおじいさんを座らせた。
待っていたかのように、おじいさんは私と目を合わせた。その目を穏やかな形にすると、刻まれた皺がより深くなる。瞳の奥には、切ない寂しさが溢れ出ていた。
「君が言った、ここに来てしまった理由は分からないが」
覚えているんだ、と改めて思った。今は分かる、光のない目の【怪物】の時にあったことを。
「心残りは、ある。聞いてもらえないだろうか」
「はい」
話を聞くことしか出来なくても、出来ることをする。出来ることを選ばないという選択肢はなかった。
おじいさんは膝の間で片手を握り締めて、どこか遠く見るような眼差しに変わった。
「妻を、一度も旅行に連れていけなかったんだ。昔、足を悪くしてなぁ。世話になるばかりで、どこにも連れていけなかった。どこかに行こうと誘うこともなぁ」
「……」
「義理の娘に手伝ってもらって、ようやく旅行の計画を立てたんだ。妻に内緒で、最後の打ち合わせに行くために、ホームで電車を待っておった。突然、人がぶつかってきた。その勢いのまま、線路に落ちたところまでは覚えおる。……そこで悪い足を、失くしたんだなぁ」
ゆっくりと開いた片手に、おじいさんは目を落とす。ごつごつとした指先が震えている。
「あと少しだった。旅行しようと、伝えられなかった」
「……」
右足の膝に手を伸ばす。震える指で、おじいさんは膝を撫で擦る。
事故で失った箇所が、それでも痛むことがあると聞いたことがある。
後悔を引き起こした、生前の悪い足で、おじいさんはそれでも生きていた。その明日を、大切な人との未来を、失った。
失った足と未来を切望し、痛むのだと思った。それから、深く悲しんでいて。
今まで強引に成仏させてきた【怪物】達も、きっと様々な事情を抱えた心残りがあった。
「奥様に、手紙を書いてみませんか?」
おじいさんは顔を上げて、私を見つめる。澪の視線が、頬に触れた。
ずっと背負っていたリュックを下ろし、白いビニール袋を引っ張り出す。用意したものの中から、便箋を手に取った。
「良かったら、書いてみませんか? 全てが無くなるわけではないと思いますが。それでも少しでも、無くせるなら」
「……」
「伝えられなかった想い。私達が預かります」
封を切った便箋を全て、蓋を開けた黒ペンと一緒に差し出す。おじいさんは、それを眺めた。
おじいさんは、迷っているみたいだった。何も言わない澪と一緒に、私は待った。
「本当に、妻に届けて貰えるんだね??」
「はい」
安心してもらうために、心から答える。少しでも晴れるなら、その手伝いをしたい。
おじいさんは、便箋を丁寧に両手で受け取った。悩むような間を置いてから、書き始めた。
太ももに置いた便箋と向き合い、時折悩まし気な顔をして手を止めては、再びペンを走らせる。熱心に、誠実に。言葉を選んで、伝えようとしている。
私は、何て書き残すだろう、と思った。それも、誰に向けて。
途中から幼馴染で、親友のゆらか。話をしない母親にだろうか。
もしくは、もう二度と帰ってこない父親か。
しばらく、夜の田舎町にいるような静けさに耳を澄ましていた。どこかの虫が奏でているのだろうか、涼やかな音色が懐かしかった。
やがて。おじいさんは、便箋とセットの封筒に、最後まで想いを込めるように、丁寧な手つきで手紙を数枚入れた。爪の先がない左手と長く生きて皺だらけの右手で。
「ありがとうなぁ」
一度胸に優しく押し当てて、おじいさんは両手で持った手紙を、私達へ伸ばす。慌てておじいさんの前にしゃがみ込み、想いも何もかも落とさないように両手で受け取った。
「きちんと届けます」
ゆらを思い浮かべて、微笑みを真似た。昔なら、きっと違う誰かを真似していた。
「ありがとう。親切なお嬢さん方に最後に会えてよかった」
「お嬢さん方じゃないですよ。全部、この子の考えなので」
思惑も謙遜もない声色で言って、私の背を軽く叩いて澪は笑う。それは強気な明るさで。
「お嬢さんは、私達二人を守っていてくれた。もしものことも考え、頼まれてくれた。十分、親切で優しい子だよ」
何度も頷いて肯定する。銃を持ったせいで払えない前髪を、顔を横に振って僅かに乱した。
「あははー、おじいさんには敵いませんね」
「年寄りの目をあまり舐めるでないよ」
「ふ、すみません」
大人びて誠実な眼差しは、不思議と偽物っぽさはなく、むしろ番人の澪に似合っていた。
「本当に、ありがとう」
立ち上がろうとしたのだろう、けれど出来ずに座ったまま深々と頭を下げる。おじいさんの左足の爪先が音もなく消えていた。光のような煙が足元から立ち上り、おじいさんの身体を包んでいく。
「本当に、ありがとう。お嬢さん方の幸せを、心から願っているよ」
おじいさんは優しい声で告げて、安らかに笑った。生きている人と変わらない目から、静かに涙が零れる。
それだけ分かった、次の瞬間――おじいさんの身体が強い光の中に、消えた。
線香の甘い香りを、残して。
「あぁー、香り残んのは変わんないんだ」
ようやく、右手の銃を下ろして、左手の銃を仕舞う。「二刀流、嫌いなんだよね」と呟いて、演じるように唇を尖らせる。
「胸も、痛みますね」
「ねー」
適当な相槌の後、澪は頭を右左に傾けて、肩を回してぐいっと伸びをする。
住む世界で眠っている自分の身体は休んでいる。けれど異界駅では、ふわりとした、綿あめのように軽い眠気が、静かに少しずつ積もっていく感覚はある。
「でもさぁ。いつもよりは、しんどくないかも?」
かも、と言いながら、どこか嬉しそうな、満足したような色が唇の端についている。甘いホイップクリームを、知らないうちに無防備につけて、好きな人の話をするゆらみたいに。
「優秀だねぇ、便箋だなんて」
「もしものための準備は心掛けているので」
「まぁ、頭が回るのは、初めて見た時から分かってたけど。謙遜も、しないんだ」
「謙遜した方がいいんですか?」
「ふ。いいよ、しなくて」
やっぱおもしろーい子、と続けて、肩をバシバシ叩く。弱くはない力で。細い手首を掴んで止めようとしたところで、澪の手が伸びてくる。優しく、少し雑に私の頭を撫でた。
思わず目をぱちくりさせると、ぱっと手を離して、はにかんだように笑った。
「いいんじゃない? 銃を使わない成仏」
咄嗟に声が出てこない。漏れた息を探すように、澪は私の唇の前で小指を立てる。
「やってみよ」
予防線を張るように「出来る範囲で」と付け足した言葉に反して、澪の声は明るく前向きな気がして、澪の細い小指に自分の指を絡めた。
「やってみましょう」
ふ、と澪はまた挑戦的に笑って、何のためなのか分からない指切りをする。何度も上下に振って指を離さない澪が何とも楽しそうに見えて、良かったと思った。
澪が一人で黙々と受けてきた胸の痛みを、少しでも緩和させることが出来て。良かった。
すんなりと、心からその言葉が出てくるくらいに、そう、思った。
「なにを」
言葉は続かず、ただその声から、歪んだものが消えていた。おじいさんはさっきまで杖があった場所と左手の爪の先を交互に見つめる。
「力は塞いだけど、どうするの?」
音もなく、澪は軽やかに視界の端、私の隣に飛び降りてくる。見ると、澪は呆然と立ち尽くすおじいさんを眺めていた。横顔からは、特に感情が溢れた様子はない。
「どうやって、救うの?」
ふいに、澪は私の目を覗く。いつも通り余裕そうな顔で、けれど右手の銃の引き金には細い指を掛けている。周囲の警戒も忘れず、出来る範囲の、苦しまない方法も捨てていなかった。
――『勝手に近づかないで』
線路の近くに戻り、息を整える私に澪は言った。「勝手に近づかれたら、守れない。あたしが許可するまで待って」と続けた。
澪は【番人】で、私は【番人】に守ってもらう助手に過ぎない。そのことを忘れないで。
そう、言われている気がした。
契約も、その関係も忘れてない。だから、一歩も動かないで口を開く。
「貴方は、もう既に亡くなっています」
おじいさんは、重い頭を上げるようにゆっくり顔を私達に向けて、躊躇うように唇を開いた。
「そう、じゃな。――私は、もう死んでおる」
おじいさんの瞳に、初めて光が灯って、生きた人の影が、そこに浮かび上がった。
瞬間、おじいさんの身体がぐらりと揺られて、意識よりも素早く、私の身体が動いていた。おじいさんの脇に肩を入れて、身体ごと支える。杖に変化していた左手の爪の先に、無意識に視線を向けて。
「仕方ないなぁ、七瀬は」
おじいさんの背に合わせて屈んだ目線を上げる。澪は、おじいさんに銃を向けていた。なかったはずの左手に銃を持って。両手に、銃があった。
「待って、澪」
銃口は、動かない。本当はないはずの体重を支えるだけで苦労して、澪を止められない。
焦りが溢れて、思考を巡らせたところで、おじいさんの手が支える私の肩をぽんと叩いた。
「若者に、それもお嬢さんたちに面倒をかけて、すまない」
「……」
その声は、今まで聞いてきた【怪物】の愛想の良さを心掛けた、偽物っぽさと曖昧な違和感が確かに消えていて、引き金にかけた澪の指が、微かに震えたのが見えた。
「襲って、すまなかった」
澪から目を離して、おじいさんも見る。横顔が、分からないけれど、生きている人と変わりなく目に映る、声も言葉も、疑うとか信じるとかを切り離した位置で、本当だと思えた。
咄嗟に、澪に視線を送る。見極めるように目を細めて、けれど澪は無言を貫いた。
「警戒して構わない。もし、私が戻ってしまったら、その時は頼まれてくれるかな?」
「はい。任されました」
澪は柔らかな微笑を見せて、真面目な声で答える。おじいさんは何も言わずに微笑んだ。
おじいさんに頼まれた澪は銃を向けたまま、私はおじいさんを支えて歩いて線路を離れ、駅の駐車場のベンチにおじいさんを座らせた。
待っていたかのように、おじいさんは私と目を合わせた。その目を穏やかな形にすると、刻まれた皺がより深くなる。瞳の奥には、切ない寂しさが溢れ出ていた。
「君が言った、ここに来てしまった理由は分からないが」
覚えているんだ、と改めて思った。今は分かる、光のない目の【怪物】の時にあったことを。
「心残りは、ある。聞いてもらえないだろうか」
「はい」
話を聞くことしか出来なくても、出来ることをする。出来ることを選ばないという選択肢はなかった。
おじいさんは膝の間で片手を握り締めて、どこか遠く見るような眼差しに変わった。
「妻を、一度も旅行に連れていけなかったんだ。昔、足を悪くしてなぁ。世話になるばかりで、どこにも連れていけなかった。どこかに行こうと誘うこともなぁ」
「……」
「義理の娘に手伝ってもらって、ようやく旅行の計画を立てたんだ。妻に内緒で、最後の打ち合わせに行くために、ホームで電車を待っておった。突然、人がぶつかってきた。その勢いのまま、線路に落ちたところまでは覚えおる。……そこで悪い足を、失くしたんだなぁ」
ゆっくりと開いた片手に、おじいさんは目を落とす。ごつごつとした指先が震えている。
「あと少しだった。旅行しようと、伝えられなかった」
「……」
右足の膝に手を伸ばす。震える指で、おじいさんは膝を撫で擦る。
事故で失った箇所が、それでも痛むことがあると聞いたことがある。
後悔を引き起こした、生前の悪い足で、おじいさんはそれでも生きていた。その明日を、大切な人との未来を、失った。
失った足と未来を切望し、痛むのだと思った。それから、深く悲しんでいて。
今まで強引に成仏させてきた【怪物】達も、きっと様々な事情を抱えた心残りがあった。
「奥様に、手紙を書いてみませんか?」
おじいさんは顔を上げて、私を見つめる。澪の視線が、頬に触れた。
ずっと背負っていたリュックを下ろし、白いビニール袋を引っ張り出す。用意したものの中から、便箋を手に取った。
「良かったら、書いてみませんか? 全てが無くなるわけではないと思いますが。それでも少しでも、無くせるなら」
「……」
「伝えられなかった想い。私達が預かります」
封を切った便箋を全て、蓋を開けた黒ペンと一緒に差し出す。おじいさんは、それを眺めた。
おじいさんは、迷っているみたいだった。何も言わない澪と一緒に、私は待った。
「本当に、妻に届けて貰えるんだね??」
「はい」
安心してもらうために、心から答える。少しでも晴れるなら、その手伝いをしたい。
おじいさんは、便箋を丁寧に両手で受け取った。悩むような間を置いてから、書き始めた。
太ももに置いた便箋と向き合い、時折悩まし気な顔をして手を止めては、再びペンを走らせる。熱心に、誠実に。言葉を選んで、伝えようとしている。
私は、何て書き残すだろう、と思った。それも、誰に向けて。
途中から幼馴染で、親友のゆらか。話をしない母親にだろうか。
もしくは、もう二度と帰ってこない父親か。
しばらく、夜の田舎町にいるような静けさに耳を澄ましていた。どこかの虫が奏でているのだろうか、涼やかな音色が懐かしかった。
やがて。おじいさんは、便箋とセットの封筒に、最後まで想いを込めるように、丁寧な手つきで手紙を数枚入れた。爪の先がない左手と長く生きて皺だらけの右手で。
「ありがとうなぁ」
一度胸に優しく押し当てて、おじいさんは両手で持った手紙を、私達へ伸ばす。慌てておじいさんの前にしゃがみ込み、想いも何もかも落とさないように両手で受け取った。
「きちんと届けます」
ゆらを思い浮かべて、微笑みを真似た。昔なら、きっと違う誰かを真似していた。
「ありがとう。親切なお嬢さん方に最後に会えてよかった」
「お嬢さん方じゃないですよ。全部、この子の考えなので」
思惑も謙遜もない声色で言って、私の背を軽く叩いて澪は笑う。それは強気な明るさで。
「お嬢さんは、私達二人を守っていてくれた。もしものことも考え、頼まれてくれた。十分、親切で優しい子だよ」
何度も頷いて肯定する。銃を持ったせいで払えない前髪を、顔を横に振って僅かに乱した。
「あははー、おじいさんには敵いませんね」
「年寄りの目をあまり舐めるでないよ」
「ふ、すみません」
大人びて誠実な眼差しは、不思議と偽物っぽさはなく、むしろ番人の澪に似合っていた。
「本当に、ありがとう」
立ち上がろうとしたのだろう、けれど出来ずに座ったまま深々と頭を下げる。おじいさんの左足の爪先が音もなく消えていた。光のような煙が足元から立ち上り、おじいさんの身体を包んでいく。
「本当に、ありがとう。お嬢さん方の幸せを、心から願っているよ」
おじいさんは優しい声で告げて、安らかに笑った。生きている人と変わらない目から、静かに涙が零れる。
それだけ分かった、次の瞬間――おじいさんの身体が強い光の中に、消えた。
線香の甘い香りを、残して。
「あぁー、香り残んのは変わんないんだ」
ようやく、右手の銃を下ろして、左手の銃を仕舞う。「二刀流、嫌いなんだよね」と呟いて、演じるように唇を尖らせる。
「胸も、痛みますね」
「ねー」
適当な相槌の後、澪は頭を右左に傾けて、肩を回してぐいっと伸びをする。
住む世界で眠っている自分の身体は休んでいる。けれど異界駅では、ふわりとした、綿あめのように軽い眠気が、静かに少しずつ積もっていく感覚はある。
「でもさぁ。いつもよりは、しんどくないかも?」
かも、と言いながら、どこか嬉しそうな、満足したような色が唇の端についている。甘いホイップクリームを、知らないうちに無防備につけて、好きな人の話をするゆらみたいに。
「優秀だねぇ、便箋だなんて」
「もしものための準備は心掛けているので」
「まぁ、頭が回るのは、初めて見た時から分かってたけど。謙遜も、しないんだ」
「謙遜した方がいいんですか?」
「ふ。いいよ、しなくて」
やっぱおもしろーい子、と続けて、肩をバシバシ叩く。弱くはない力で。細い手首を掴んで止めようとしたところで、澪の手が伸びてくる。優しく、少し雑に私の頭を撫でた。
思わず目をぱちくりさせると、ぱっと手を離して、はにかんだように笑った。
「いいんじゃない? 銃を使わない成仏」
咄嗟に声が出てこない。漏れた息を探すように、澪は私の唇の前で小指を立てる。
「やってみよ」
予防線を張るように「出来る範囲で」と付け足した言葉に反して、澪の声は明るく前向きな気がして、澪の細い小指に自分の指を絡めた。
「やってみましょう」
ふ、と澪はまた挑戦的に笑って、何のためなのか分からない指切りをする。何度も上下に振って指を離さない澪が何とも楽しそうに見えて、良かったと思った。
澪が一人で黙々と受けてきた胸の痛みを、少しでも緩和させることが出来て。良かった。
すんなりと、心からその言葉が出てくるくらいに、そう、思った。