藤原琴那から電話があったのは、雨の降る3月の夜だった。
「はあ? 嫌だよ」
「ええー匠ー! 元カノが困ってるんだよ? 始発まででいいからさ!」
「こっちは引越しの荷造りで忙しいんだ。人をもてなす余裕なんて……」
「そこをなんとかさー。同じ文創のよしみでさ!」
「とっくに文創メンバーじゃねえし。分かってて言ってんだろ!」
琴那は、俺と同じ文芸サークルのメンバーで、さらには同じ学部の同期生で……俺の元恋人だった。
大学の卒業式まて、残すところ一週間。二度と会うことはないと思っていた。なのにこの電話だ。
「だいたいお前、なんでこの時間にそんな所にいるんだよ?」
「それは、まあ、色々ありましてー」
彼女が今いるのは、うちの近くのコンビニらしい。
雨をしのげる場所がないから、一晩泊めて欲しいというのだ。駅まで歩いて30分くらいかかる、住宅街のど真ん中。ファミレスも居酒屋もないこんな町で何をしていたのか?
時計を見ると、そろそろ日付が変わろうとしていた。バスは1時間くらい前にとっくに終わってる。
「だいじょーぶ! 泊まると言っても何かするつもりはないから!」
「お前な。そういうのは、こっちが言うやつだろ」
「だって、今さら匠の方からアタシに何かする度胸なんて無いことは知ってるしー」
電話越しに感じる妙なテンション。こいつ酔ってるのか?
「はあ、わかったよ。とりあえず、コンビニまでは行くからそこで待ってろよ」
「ありがとー!よろしくー♪」
通話終了のボタンを押す。そしてため息をつく。
窓をトントンと雨粒が乱打している。風もけっこう強そうだ。まだ寒い夜が続く3月の雨。知り合いを外に放置したままというのは良心がうずく。例えそれが、俺がこの世で一番憎い女だとしても……。
「あ……」
そこでようやく俺は、テーブルの上に置きっぱなしにしていたメモパッドとボールペンを持っていることに気が付いた。
【3月の雨】【元カノ】【放置】【良心】
メモには、今考えていたことが全部書かれていた。
「またかよ……」
感情をメモする。小説のネタ探しのために高校のころから始めた習慣、今ではうんざりするような悪癖になっていた。
できれば就職までに治してしまいたい。そう思っているのに、無意識のうちについやってしまう。
「ったく」
俺は書いたばかりのメモを破り、ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱へ放り込んだ。
部屋を見回す。引っ越しの準備で少しずつ荷造りをしているから全体的に雑然としている。まぁ、おもてなしする必要も感じない相手だから、それはべつに構わない。
隣の和室に入られるのは困るけど……それは俺が気をつけていればいいか。
俺はコートを羽織ると、玄関の傘立てからビニール傘を2本引き抜いて、ドアを開いた。
藤原琴那とは、大学のサークル「文芸創作研究会」、通称「文創」で出会った。
プロ作家志望で中学の頃から小説を書き続けてきたらしく、大学入学の時点で既にかなりの筆力を持っていた。俺も当時はプロ志望で、あちこちの公募に挑戦していたから、彼女の存在はすぐに気になった。いざ話しかけてみれば、書いているジャンルや好きな作家も俺と同じだった。
俺たちはすぐに意気投合し、気の置けない友人に、あるいは同じ目標を持つライバルとなった。そして大学最初の夏休みが始まる頃には、自然ななりゆきで交際を始めていた。
それからの10ヶ月は今でも夢に見るくらい幸福な時代だった。
同志でありライバルであり恋人でもある琴那とは、あの部屋で何度も創作論を交え、夢を語り、身体を重ねた。
このまま俺たちはお互いを高め合いながら先へ進んでいける、そう信じきっていた。
そんな日々が瓦解したのは二年生の連休明け。琴那は俺にとって真逆の存在となった。
書く事を否定し嘲弄し、サークルを破壊した。
そしてそれは結果的に、俺が筆を折る遠因となった。
「はあ? 嫌だよ」
「ええー匠ー! 元カノが困ってるんだよ? 始発まででいいからさ!」
「こっちは引越しの荷造りで忙しいんだ。人をもてなす余裕なんて……」
「そこをなんとかさー。同じ文創のよしみでさ!」
「とっくに文創メンバーじゃねえし。分かってて言ってんだろ!」
琴那は、俺と同じ文芸サークルのメンバーで、さらには同じ学部の同期生で……俺の元恋人だった。
大学の卒業式まて、残すところ一週間。二度と会うことはないと思っていた。なのにこの電話だ。
「だいたいお前、なんでこの時間にそんな所にいるんだよ?」
「それは、まあ、色々ありましてー」
彼女が今いるのは、うちの近くのコンビニらしい。
雨をしのげる場所がないから、一晩泊めて欲しいというのだ。駅まで歩いて30分くらいかかる、住宅街のど真ん中。ファミレスも居酒屋もないこんな町で何をしていたのか?
時計を見ると、そろそろ日付が変わろうとしていた。バスは1時間くらい前にとっくに終わってる。
「だいじょーぶ! 泊まると言っても何かするつもりはないから!」
「お前な。そういうのは、こっちが言うやつだろ」
「だって、今さら匠の方からアタシに何かする度胸なんて無いことは知ってるしー」
電話越しに感じる妙なテンション。こいつ酔ってるのか?
「はあ、わかったよ。とりあえず、コンビニまでは行くからそこで待ってろよ」
「ありがとー!よろしくー♪」
通話終了のボタンを押す。そしてため息をつく。
窓をトントンと雨粒が乱打している。風もけっこう強そうだ。まだ寒い夜が続く3月の雨。知り合いを外に放置したままというのは良心がうずく。例えそれが、俺がこの世で一番憎い女だとしても……。
「あ……」
そこでようやく俺は、テーブルの上に置きっぱなしにしていたメモパッドとボールペンを持っていることに気が付いた。
【3月の雨】【元カノ】【放置】【良心】
メモには、今考えていたことが全部書かれていた。
「またかよ……」
感情をメモする。小説のネタ探しのために高校のころから始めた習慣、今ではうんざりするような悪癖になっていた。
できれば就職までに治してしまいたい。そう思っているのに、無意識のうちについやってしまう。
「ったく」
俺は書いたばかりのメモを破り、ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱へ放り込んだ。
部屋を見回す。引っ越しの準備で少しずつ荷造りをしているから全体的に雑然としている。まぁ、おもてなしする必要も感じない相手だから、それはべつに構わない。
隣の和室に入られるのは困るけど……それは俺が気をつけていればいいか。
俺はコートを羽織ると、玄関の傘立てからビニール傘を2本引き抜いて、ドアを開いた。
藤原琴那とは、大学のサークル「文芸創作研究会」、通称「文創」で出会った。
プロ作家志望で中学の頃から小説を書き続けてきたらしく、大学入学の時点で既にかなりの筆力を持っていた。俺も当時はプロ志望で、あちこちの公募に挑戦していたから、彼女の存在はすぐに気になった。いざ話しかけてみれば、書いているジャンルや好きな作家も俺と同じだった。
俺たちはすぐに意気投合し、気の置けない友人に、あるいは同じ目標を持つライバルとなった。そして大学最初の夏休みが始まる頃には、自然ななりゆきで交際を始めていた。
それからの10ヶ月は今でも夢に見るくらい幸福な時代だった。
同志でありライバルであり恋人でもある琴那とは、あの部屋で何度も創作論を交え、夢を語り、身体を重ねた。
このまま俺たちはお互いを高め合いながら先へ進んでいける、そう信じきっていた。
そんな日々が瓦解したのは二年生の連休明け。琴那は俺にとって真逆の存在となった。
書く事を否定し嘲弄し、サークルを破壊した。
そしてそれは結果的に、俺が筆を折る遠因となった。