帰宅してまっすぐパソコンに向かう。久しぶりに起動して、すぐに動画投稿サイトにアクセスした。
お気に入りのジャズを探し出し、しばらく画面を見つめる。いつの間に戻っていたのか、再生回数の表示は1000回になっていた。不正アクセスの疑いは無事に晴れ、曲の人気は上がっていたらしい。
背景画面はオレンジの灯りがともったバー。一日の仕事に疲れた客をあたたかく迎えてくれる、そんな店なのだろう。扉は丸く優しく、画面に手を伸ばせば、由衣も中に入れてくれるのではないかと錯覚しそうだった。
何度もこの曲を再生したけれど、こんなにしっかりと画像を見たことはなかった。きっとなにもかも、真っ直ぐに見ていたことなど、一度もなかったのだろう。由衣の世界に由衣の居場所は今までなかったのだから。
パソコンをそのままにして、クローゼットに向かう。扉の中にしまってある服は灰色と黒ばかりだ。その中に一着だけ、ピンクの花柄のワンピースがかかっている。エミリがくれたお古の服だった。
『なんでもいいなら可愛い服をきたらいいじゃん』
そう言って、由衣の誕生日に渡してくれた。もらってから今まで、一度も袖を通さずじまいだった。
由衣はワンピースを取り出すと、胸に当ててみた。クローゼットの扉についている鏡に映してみる。
おずおずと裾をつまんだが、ふと、顔を上げた。由衣は部屋をぐるりと見渡す。薄暗く、壁も床もワンピースも灰色に見えた。
勢いよく歩いて壁のスイッチを押す。床は茶色に、壁は白に、色彩を取り戻した。
灰色の服からピンクのワンピースに着替えて鏡の前に立つ。その場でくるりと回ってみると、スカートがふわりと広がる。なぜだか心がくすぐったいように感じた。
パソコンの前に戻り、再生ボタンを一回、しっかりと押す。
軽快なドラム、弾むベース、高らかなサックス、そしてハスキーで大人の余裕を感じさせるボーカル。由衣は体を軽く揺らしながら曲を聞いた。ボーカルにあわせてところどころ歌詞を口ずさむ。ふと、笑みが漏れた。
二分二十秒はあっという間に過ぎた。まったく物足りないような、音楽が脳内で飽和したような、不思議な気分だった。ただ深い満足感だけが胸の底に湧き出していた。
『1001回再生』と言う文字をモニター上に確認した。初めて見る数字に由衣は一人うなずく。満足そうに微笑んで、電源ボタンを押す。
パソコンの光が一瞬弾け、静かに消えた。