チラリと見上げたウルセルさんは、騎士団と魔導士団をじっと見つめていた。そしてニヤリと笑って声を上げる。

「ちょっと待て!!!!」

 よく通る低い声が騎士団や魔導士団に届いたのか、みんな動きを止めて僕たちを驚きの表情で見ている。この巨体の影になっていて、僕たちに気が付いていなかったみたいだ。

「俺は『黒翼のファルコン』のギルドマスターだ!! このデカイのは魔物じゃない!! 聖獣玄武だ!!!!』

 この言葉に集まった団員たちがざわめき出す。
 聖獣玄武はことの成り行きを見守るつもりのようで、なにも語りかけてはこなかった。

「ウルセル、それは本当か?」

 騎士団の一番後ろから歩み出てきたのは、騎士団長のアラン・スパロウだ。騎士団員の治療の付き添いできていたのを見たことがある。親しげに名前を呼んでいるから、ウルセルさんとは知り合いみたいだ。

「ああ、ほら額の黒い宝珠を見ろ。あれが聖獣の証だ」

 アラン団長は聖獣玄武の前まで回ってじっくりと観察したあと、片手を上げて騎士団の団員たちに撤退の合図を送った。

「はっ! 聖獣なんて初めて見たよ。だが、これはいったいどういうことだ? なぜクライン山で眠っているはずの聖獣がここにいる?」

 ジロリと睨まれた僕は思わずビクッと背筋を伸ばす。そこへよく聞き慣れたダミ声が近づいてきた。

「アラン殿! 騎士団を撤退させるとはいったいどういうことですか!! 魔導士団長の私にもわかるように話してくだされ!!」

 相変わらずの様子にゲンナリしたし、こんな所で会いたくなかった。でも、こんな平原じゃ隠れるところもなくて、当然のようにフール団長に見つかってしまう。

「貴様っ! 『色なし』ではないか! こんな所でなにをしているんだ!?」

 僕に近寄ろうとしたフール団長を、ウルセルさんが体を割り込ませてとめてくれた。聞こえてきたのは、地の底を這うようなドスのきいた声だ。

「おい。うちのギルド員に対して随分な態度だな? 俺にケンカ売ってのか?」
「なっ、なにを言ってるんだ? そいつは治癒魔法しか使えない出来損ないだぞ!? どうせその『色なし』がなにかやらかしたんだろう!」

 フール団長が意外と鋭いことを言っている。だけどウルセルさんは本格的に魔力を解放して威圧しながら、団長に一歩近づいた。その圧力が半端ない。踏ん張って立ってないと尻餅をつきそうだ。フール団長の顔色も血の気が引いて真っ白になっている。

「ああ? クラウスはうちのギルドの正式なメンバーだ。それを侮辱するってことは、俺にケンカ売ってんだよなあ?」

 どっちが悪い人かわからない空気感で、ウルセルさんはフール団長にさらに一歩近づいた。

「いや……そんなことは、ないが……とにかく! アラン団長、あとで話を聞かせてくだされ!!」

 そう言ってフール団長は、踵を返して城壁の中へと戻っていってしまった。意外と足が早くて驚いた。

「なんだよ、根性ねえな」

 いや、今のは僕でも逃げだしたいくらいでした。でもこんなふうに庇ってくれたウルセルさんは、すごくカッコ良かった。それに上司にこんな風に庇われたことがなかったから、すごく嬉しかった。

「……あんまり無茶するなよ。まあ、魔物じゃないなら問題ないが、三日以内に報告しにきてくれ。俺も陛下に説明が必要だ」
「ああ、わかった。騒がせて悪かったな。あー、あとしばらくここに置きっぱなしになると思うから、周知しておいてくれ」
「まったく、今度一杯おごれよ」
「はは、今度な」

 それだけでアラン団長はあっさりと街へと戻っていった。ウルセルさんとの信頼関係がうかがえる。

「よし、そういうことだから、クラウス。じっくり話を聞こうか」
「……は、はい」



 やってきたのは、僕たちが住む家だった。王都の住宅街に入りギルドから歩いて二十分ほどのところにある、こぢんまりした古い家だ。僕たちが帰ってきてすぐにカリンも騎士学園から帰ってきた。夕食が温かいうちにと、三人で食卓を囲みながら状況を説明した。

「そうか……じゃぁ、依頼主から調べてみる必要があるな」
「はい、よろしくお願いします」
「本当に兄がご迷惑をおかけしました」

 隣に座っているカリンも僕と一緒に頭を下げてくれる。
 ウルセルさんは一緒に夕食を食べながら、聖獣玄武の件を聞き取り調査していた。カリンが心配な僕の心情を察して、自宅で聞き取りすることを提案してくれたのだ。しかも場所代だと言って、カリンの分まで買ってきた夕食代もすべて出してくれた。
 やばい、ウルセルさんに惚れそうだ。僕が女なら確実に惚れていた。みんなに慕われるのがよくわかる。

「よし、じゃぁ、俺は一旦ギルドに戻るよ。クラウスは明日の朝にでも聖獣玄武と対話を試してみてくれ。話せる奴なんてはじめて見たからな。何かわかったら教えてくれるか?」
「わかりました」
「じゃぁ、お疲れ。今日はゆっくり休めよ」
「「ごちそうさまでした!!」」

 そして長居もせずにウルセルさんは、ギルドに戻っていった。
 今日いちばん心に残ったのは『ウルセルさんってマジ男前』だった。



 翌日、僕は朝一で聖獣玄武のもとを訪れた。相変わらず山のように鎮座している玄武に声をかけた。

「おはよう、起きてる?」

 僕もいろいろと話をしてみたかったから、パチリと開いた漆黒の瞳にホッとする。

《うむ、起きておる。貴殿を待っておった。まずは名を教えてくれぬか》
「よかった。僕はクラウス・フィンレイだ。僕もいろいろ話がしたくてきたんだけど、大丈夫? お腹空いたりしてない?」
《ふはは! クラウス殿は我の胃袋も心配してくれるのか! 我が主人(あるじ)にこのように心を砕かれたのは初めてであるぞ》

 黒曜石のような瞳を優しげに細めながら、聖獣玄武は巨体を揺らして笑った。

「そうか、それならよかった。でも今、僕のことをさり気なく主人って呼んだの、気のせいかな?」

 サラッと何気なく言い放っていたけど、聞き流したらダメなヤツだよね!?

《気のせいではない。昨日は邪魔が入って伝えられなかったが、クラウス殿は我の主人である》

 気のせいじゃなかった……!
 だがしかし、なにがどうなってあの流れで僕が主人になるんだ!?

「あの、どうしてそうなったのか、教えてもらえる?」
 ウルセルさんに報告できる内容でありますようにと、祈りながら理由を尋ねた。
《我の声が届くからだ》
「え……それが理由?」
《うむ、そうだ。我の、つまり聖獣の声が聞こえる者が我らの主人だ》

 そういえば、ウルセルさんには聖獣玄武の声は聞こえてなかった。新たに浮かんだ疑問を、そのまま玄武にぶつける。

「どうして僕に声が聞こえるようになったんだ? それに、聖獣って魔物とどう違うんだ?」
《我らが長き眠りより目覚め、主人殿と出会い覚醒したからだ。それに、我らと魔物では存在意義が違う。魔物は『喰らう者』、我らは『護る者』だ》

 そうなのか、覚醒ってのは正気に戻したことをいうのか? それに聖獣は守護神みたいなものか。

「主人って沢山いるのか?」
《いや、我らから見たら主人はひとりだけだ。もっともこのように会えるのは数百年に一度だが》

 少し寂しそうな横顔で聖獣玄武は話していた。
 数百年前ってことは、もう亡くなっているのか。きっと寂しいって思うくらい、いい主人だったんだろう。

「ちなみに主人を削除とか変更は……できるの?」
《それは出来ぬ。クラウス殿以外は我らの主人にはなれない》

 これは……どうやっても逃げられないやつか!
 何だかどえらい事になったな……僕は普通の冒険者でよかったんだけど。
 そんな事をのん気に考えていたら、『我が主人殿よ』と玄武の改まった声が頭に響いてきた。

《この玄武、我が主人殿に忠誠を誓い、命ある限りともに戦うと約束しよう》

 聖獣玄武は恭しく(こうべ)をたれて、僕に服従したことを示す。


 僕もまだ知らないもうひとつの道へ進むべく、運命の歯車は動きだしていた。