「お兄ちゃん……お兄ちゃん!」
「んん……う……あれ、僕なんでベッドで寝てるんだ?」
あの平凡な日々のように、僕を起こすカリンの声が聞こえる。そっと添えられた手は暖かくて、優しく揺らされるのが心地よかった。
いや待て、寝てる場合じゃない!
カリンの呪いを解くために、ウッドヴィルのウルセルさんの屋敷にきていたと思い出して飛び起きた。
「お兄ちゃん! 治ってるの! 呪いがなくなってるの! ありがとう! お兄ちゃん、大好き!!」
カリンがポロポロと大粒の涙を流して、抱きついてきた。
「ああ、どこかおかしいところはない?」
「うん、大丈夫……お兄ちゃん、ありがとう……本当にありがとう」
ぎゅうっときつく抱きしめられて、僕もカリンの背中に手を回した。優しく背中とトントンと叩けば、腕の力がふっとゆるむ。
ていうか、僕の呼び方がお兄ちゃんに戻っている。
さっきの大好きも、もちろん嬉しいけどその前に聞いた『愛してる』とはちょっと違う気がする。
あれ、僕の聞き間違いだった? いや、そんなはずはない。たしかに唇の動きと言葉はそう言っていた。
でも目の前のカリンは妹のときと同じ態度でなにも変わっていない。
「あの、カリン……さっき——」
そこでノックの音とともに「カリンちゃん、なにかあったの?」と、ジェリーさんが扉を開けた。
しばし固まった後。
「えっ、クラウス? えええ! クラウス!? ていうか、えええええ!! カリンちゃんが治ってる——!!!!」
ジェリーさんの絶叫が屋敷に響きわたった。
すぐにジェリーさんに事情を説明したら最初驚いてたけど、最後には「さすがクラウスね!」と笑ってくれた。カリンの治療が終わり魔法陣を使いすぎて気絶してから二時間が経っていた。
「マズい、誰にもなにも言わずにこっちにきちゃった」
「あら。それならこの通信機使って。ウルセルに繋がるから」
「ありがとうございます!」
ウルセルさん直通の通信機を借りて連絡を入れる。
「あ! ウルセルさん! 僕です、クラウスです! すみません、今ウッドヴィルにきていて……あれ、ウルセルさん?」
《《……とりあえず今すぐ戻ってこい》》
「は、はいっ!」
ウルセルさんの声がものすごく低かった。ジェリーさんにお礼を言って、一緒にいくと言って聞かないカリンを連れ、慌てて転移魔法を使ってリンネルドに戻った。
「よう、クラウス。ずいぶん長い散歩だったな」
ウルセルさんが怒ってる。結構本気で怒ってる。
戻ってきた部屋には覇気をまきちらしながら、腕を組んで仁王立ちしているウルセルさんがいた。僕は背中にカリンを隠して、それはもう綺麗に直角に腰を折って謝罪する。
「ご心配おかけしてすみませんでした!!」
「……どれだけ俺たちが心配したのかわかってんのか? 二日も目が覚めないと思ったら、部屋から消えてたんだぞ」
「はい、本当にすみませんでした」
返す言葉もない。
ウルセルさんの言う通り、僕は青龍の宝珠に触れたあと二日も眠りっぱなしだったらしい。宝珠に触れると記憶が戻ることは話してなかったから、僕になにか異変が起きたのではといろいろ調べてくれていたのだ。
目が覚めてカリンと通信してたら石化が進んで慌てて転移魔法を使ったから、ウルセルさんたちからすれば僕が忽然と消えたように見える。
申し訳なさすぎて、謝るしかできなかった。
「カリンちゃんが大事なのもわかるけど、せめて置き手紙くらい残してからいけ。俺たちが手伝えることもあるんだから」
そう言ってポンと肩を叩いて、ウルセルさんは部屋のソファーに腰かけた。
事情を聞いたのかほかのメンバーも僕の部屋に集まってくれている。
「みなさんにもご心配おかけしました。本当にすみませんでした」
そのあとカリンを紹介して、聖獣の宝珠に触れてセシウスの記憶が戻ったことを説明した。それも踏まえて、僕たちはセントフォリアの上空に浮かぶ黒い霧について話を進める。
「あれはウロボロスの魔力があふれ出たものだと思います。何故かはわからないけど封印が解けそうになってます」
今までに蘇った記憶と、カリンから感じたウロボロスの魔力が黒い霧からも感じられるので、その結論に至った。千年近くも破られることがなかった結界なので、にわかには信じ難いけど間違いない。
「だからカリンちゃんの呪いも急激に進んだのか?」
「聖獣がウロボロスの魔力にあてられて正気をなくすように、呪いにも影響が出たんだと思います」
ここでセレナが暗い表情で口を開いた。
「マリアーナ様と通信しましたが、各地で魔物が増えていて守備の硬い王都に避難を始めています。早く封印をし直さないと、この世界が魔物であふれかえることになります」
「僕は朱雀のもとにいきます。聖獣を正気に戻せば時間を稼げるかもしれません。それに、朱雀の守人も大変な状況かもしれない」
「そうだな、クラウスはそれでいい。セレナはクイリンの捜索をしてくれ。あとは、カリンちゃんはここで待つか?」
ウルセルさんがカリンを気遣ってくれたけど、カリンはある決意を胸に僕についてきていた。
「いいえ、私はお兄ちゃんと一緒にいきます。たとえどんな場所でも、もう離れません」
強い意志を滲ませたアメジストの瞳は、ウルセルさんの冷徹な視線を正面から受けとめている。微塵も怯む様子はない。
「そうか、覚悟はあるんだな。わかった。クラウス、この後どう動きたい?」
いつもは指示を出すウルセルさんが、僕に意見を求めてきた。
きっとそろそろ魔皇帝としてしっかりしろということだと思う。緊急で対応しないといけないことはふたつ。
朱雀の解放と聖竜クイリンの捜索だ。魔物の防衛はもう少し各国で頑張ってもらおう。
「僕と聖獣とカリンで朱雀のもとに向かいます。ほかのみんなはクイリンの捜索をお願いできますか? ウロボロスの影響が出てたら手を打たないといけません。それぞれの国の国王と連携して探してください。各国へは転移魔法で送ります」
「うん、じゃ、それでいこう」
ウロボロスの復活を阻止するための時間は、後どれくらいなのか。
ただ全力で駆けずり回るしかなかった。
僕はウルセルさんたちを国に送り届けて、朱雀のいるサウザンアレス王国へ向かった。僕の転移魔法はいったことのある場所じゃないと移動できないので、空を飛べる青龍で移動している。
青龍の風魔法で、風が直接当たらないようにしてくれているので、移動は快適だ。やっと落ち着いた時間が取れたので、カリンに声をかけた。
「なあ、カリン。あのさ、僕が呪いを解くのに青魔法かけた時のこと覚えてる?」
僕が意識を取り戻した後、カリンがあまりにもいつも通りで夢っだったのかと自信を無くしていた。もし僕の願望が見せた夢なら、自覚しないと大惨事になる。
「……私が倒れる前のこと?」
「いや、倒れて僕がカリンの部屋についてからのこと」
カリンが息を呑む気配がした。僕の背中にしがみつくように乗っているから表情は見えない。でも僕のお腹に回している腕がこわばったのはわかった。
なんだろう、そんなに話したくなかったんだろうか?
「あー……ごめんなさい! あれ忘れて。てっきり夢だと思ってたの。死ぬ前にいい夢見たと思って、好き勝手言っちゃったの! だから、忘れて!」
なんだ、それ。
忘れて? カリンからの気持ちを聞けたのに忘れてだって?
「無理。忘れられない」
「ヤダ、忘れてよ!」
「忘れたくない」
僕はカリン手を取ったまま、後ろに体の向きを変える。
カリンはうつむいたまま、ジッとしていた。
「カリン、僕はカリンの本当の兄じゃない。もしかして知ってた?」
「……うん、知ってた」
「そっか……いつから?」
「五歳くらいから、知ってた」
「そんな前から知ってたんだ。それなら我慢しなければよかったな」
僕の言葉にカリンは顔を上げる。不安そうだけど、アメジストの瞳には期待もあって、相変わらずわかりやすい。
「カリン。僕はカリンをひとりの女性として愛してる」
僕の告白を聞いたカリンは耳まで真っ赤にして、酸素の足りない魚みたいにパクパクしている。ああ、こんなテンパってる様子もかわいくてたまらない。
「ウロボロスの件が片付いたら、僕のお嫁さんになってくれる?」
「……はい」
蚊の鳴くような小さな声だったけど、僕には十分だった。
ずっとずっと、求めてきた愛しい人。
やっと僕のものになったんだ。
もう離さないから、いろいろと覚悟してもらおう。
いまだに赤い頬に手を添えれば、潤んだ薄紫の瞳で見上げてくる。愛しくてたまらなくて、そっと触れるだけのキスをした。
そのままカリンを抱きしめて温もりを確かめていたけど、ふと気になったことがある。
「でもさ、あの時も同じようなこと会話したのに、なんでカリンはなかったことにしてたの?」
これが一番解せなかった。覚えてないならわかるけど、さっきの反応から考えるとカリンはなかったことにするつもりだった。
「あの……それはね、もう石化するんだって思ってたから、本当に夢だと思ってたの。でも起きたらお兄ちゃんが目の前にいるし、どこまでが夢でどこからが現実かわからなくて、恥ずかしくてなかったことにしたかったの」
そうか……僕が転移魔法使えるなんて思ってないから、突然現れて夢だと思ったのか。いや、おかげでカリンの本心聞けたからいいんだけど。
だけどひとつ、このままにしておけないことがある。
「ふーん、そうなんだ。僕、結構傷ついたんだよね」
「えっ! ごめんなさい!」
「それじゃぁ、僕のお願いひとつ聞いてくれる?」
「うん、私にできることなら何でもする!」
僕はかかったと思った。
十七年一緒に暮らしてきたんだ。カリンの反応は手に取るようにわかる。カリンには悪いけど、これだけは僕のわがままを聞いてほしい。
「じゃぁ、いまからお兄ちゃんはなし。ちゃんと名前で呼んで」
「へっ!? え、なんで……?」
もう首まで真っ赤になっている。本当にかわいい反応だ。
「だって僕のお嫁さんになってくれるんでしょ? お兄ちゃんじゃおかしいよ」
「そ、そうだけど……ちょっと心の準備が、その」
「カリン、愛してる」
耳元で囁くように愛を告げれば、カリンはきっと。
「私も……ク、クラウスを、愛してる……っ!」
僕はもうこらえきれなくて、貪るようにカリンに口づけた。