「申し訳ございませんでした————!!!!」

 目の前で頭をさげた男の肩から、サラサラと白髪がこぼれ落ちた。気持ちのいいくらい、それはもう見事な土下座だ。

「我らの王である魔皇帝(マジック・エンペラー)様になんという無礼な真似を……かくなる上は、私の命で償いますっ! 斬首刑でも絞首刑でもご希望の処罰をっ!!」
「いやいやいや!! ちょっと落ち着いてください! 誰も怪我してないし、大丈夫ですから!!」

 ちょっとこの急展開についていけない。ていうか、魔皇帝(マジック・エンペラー)の効果がハンパなくてビビる。……役目を果たしたら辞めるつもりでいるんだけど、大丈夫だろうか?

「なんという心の広い……慈悲深いお方だ! このシューヤ・モスリンはこの瞬間より身も心もクラウス様のものでございます!!」

 それはかわいい女の子から言われたら嬉しいセリフだ。誤解を招きかねない言い方は控えてほしい。カリンに聞かれて変な方向で誤解されたくない。

「いや、慈悲深いもなにも……僕は平民ですから、シューヤさんも普通にしてくれた方が助かります」
「そうだぞ、シューヤ。クラウスはそんな風に頭下げられるのが苦手なんだよ。だからな、次からいきなり攻撃仕掛けてくるのはヤ・メ・ロ」

 ウルセルさん、もしかして僕をダシに使いました? やたら後半に力が入ってますよね? たしかに通信用魔道具に釣られましたけど。

「くっ、さようでございますか……では、せめてクラウス魔皇帝(マジック・エンペラー)様と呼ばせて——」
「却下です!! そんなダダ漏れな呼び方は絶対ダメです!!」
「なんですと……!? ではどのようにお呼びすればよいのですか!?」

 クワッと目を見開いて、シューヤさんは僕に抗議する。そんなに驚愕することか?
 そこでセレナがさりげなく教えてくれた。

「クラウス様。シューヤ様にお話を聞いてもらいたければ、命令すればいいのよ」
「そうか。でも、命令なんてしたことないな……。えーと、シューヤさん、僕のことはクラウスと呼び捨てにください。それから街の人たちと同じ話し方にしてください。め、命令です」

 途端にシューヤさんはぱああと輝くような笑顔を浮かべた。

「わかった! クラウスの初めての命令をボクが受けたなんて……光栄すぎるっ!! 命令ならしっかりと対応させてもらうよ。これでいいかな?」
「あ、はい。大丈夫です……」

 切り替えの速さに驚いたけど、まあ、これなら魔皇帝(マジック・エンペラー)とそうそうバレなそうだから大丈夫だろう。ヒューデントでどれくらい浸透してるかわからないから、隠すに越したことはない。セントフォリアの二の舞はゴメンだ。

「ところで、どうしていきなり襲ってきたんですか?」
「あっ……本当に申し訳ない。これはなんていうか、いつものことなんだ」
「シューヤはいつも俺と会うと、まず腕試しするんだよ」
「子供のころに勝負に負けてから一度も勝てなくて……今度こそはといつも挑戦してたんだけど……もうやめるよ」

 なるほど。僕とセレナは巻き込まれただけか。やたら人を襲うわけじゃないなら問題ないと思うけど。

「いや、ウルセルさんがひとりでいる時ならいいんですよ。ちゃんと魔力感知してからにしてください」
「あっ!? ちょ、クラウス!?」

 いつもウルセルさんには驚かせれてきたから、意趣返しだ。まあ、ほとんど一緒に行動するから、問題ないだろう。

「わかった! ボクはクラウスに一生ついていくよ!!」

 だからそれはかわいい女の子から……まあ、いいや。そんなに嬉しそうにニコニコされたら、なんだかいろいろ許せてしまう。

「……初めて男に嫉妬したわ……!」

 セレナがポツリと呟いていたけど、よく聞こえなかった。



 西の国ヒューデント王国の王都レガリスにシューヤさんの自宅はあった。セントフォリアから親や兄妹が別荘感覚でやってくるそうで、なかなか立派なお屋敷に住んでいる。

 何人かの使用人もいて、遠慮なくここを拠点にしてほしいと申し出てくれた。本当にありがたいことだ。
 魔皇帝(マジック・エンペラー)のことは大聖女様からこの国の国王に書簡が届いて、すでに国中にお達しを出しているそうだ。
 名前で呼んでもらうことにこだわってよかった。

「シューヤさん。さっそくで申し訳ないけど白虎の状況と聖竜クイリンについて、なにか情報はありますか?」

 通された応接室でお茶をいただきながら、急ぐ気持ちを抑えきれずに尋ねた。僕としてはこっちが本題だ。ここまで来る間にシューヤさんにも僕の目的を話してある。

「うん、それなんだけど……実は困ったことになっているんだ」
「なにかあったんですか?」
「聖獣白虎が目覚めて、その近くで聖竜クイリンが目撃されたと聞いている。ただ、目覚めたのはいいんだが、暴れまくっていてね。結界でなんとか抑え込んでるんだけど、ある貴族が討伐すると騒いでいるんだ」
「は? 白虎を討伐? 正気か?」

 ウルセルさんと同意見だ。白虎を討伐したら大変なことになるだろうし、そもそも正気を失った聖獣を討伐できるものなのか……?

「すまない、ボクが不甲斐ないばかりに……守人失格だ」
「そんなに大変な状況だったんですね。すみません、僕が早くきていればよかったですね」

 シューヤさんが落ち込んでしまった。そんなことを責めるつもりはまったくないから、元気を出してほしい。

「クラウス……っ! キミはこんな出来損ないのボクにも優しくしてくれるのかっ!」

 そう言って膝をついて、僕の腰にしがみついてきた。
 ……元気になるのはほどほどでいいかな。

「シューヤ様、いい加減クラウス様から離れてくださいね?」
「セレナ様……なるほど。わかりました、でもボクにとって唯一のクラウスであることは変わりませんからね」
「わかりました。では、シューヤさんをクラウス様の親衛隊副隊長に任命しましょう。もちろん、隊長は私です」
「クラウス様の親衛隊……!」

 セレナとシューヤさんの間でなにやらバチバチしたのが見えたけど、気のせいだと思う。なんだかよくわからないけど、最後に握手していた。隊がどうとか聞こえたけど、仲良くなったみたいでよかった。

「どっちにしてもさっさと白虎を正気に戻せば問題ないだろう?」

 ウルセルさんの一言に、シューヤさんも顔つきが変わる。多分これが本来の守人としてのシューヤさんだ。

「助けてくれるか……? 我らの白虎を」
「もちろんです。そのためにきましたから」

 そうして白虎を正気に戻すべく、すぐに出発したのだった。



 屋敷を出てまずは街にあるハンターギルドへ向かった。
 シューヤさんの話では白虎が暴れたため、現在は結界を張って被害が拡大しないようにしているそうだ。その結界の中に入るためには、許可証としてギルドからネックレス型の魔道具をもらう必要がある。シューヤさんはこの国のハンターギルドに所属しているので、申請は簡単だった。

 問題の貴族はシューヤさんがハンターギルドに登録した頃からやたらと突っかかってきていたアホン伯爵というハンターだ。理由はその貴族の想い人がシューヤさんに一目惚れして、見事に振られたから……らしい。
 それは、シューヤさんも災難だ。もちろんその貴族も可哀想だと思うが、だからと言って見過ごせる内容じゃない。

 無事に許可証であるペンダントを受け取って、ギルドを出ようとしたところでひとりの男が入ってきた。

「うん? なんだ、シューヤじゃないか。お前なにしにきたんだ? 弱小ハンターのくせに、ギルドをうろうろするな!!」

 やけにパリッとしたハンターの衣装に、傷一つない弓矢を背中に担いでいる。首から下げているのは、結界の中に入れるペンダントだ。

「アホン伯爵……その格好は……?」
「ふんっ、私はこれからあの大型の虎の魔物を討伐しにいくのだ! よいか貴様は邪魔するなよ!! どうせ役に立たないんだから、おとなしくしておくのだぞ!!」

 この人がシューヤさんの話していた貴族か!
 それにしても、なんでシューヤさんを無能扱いしてるんだ? 実力を知らないのか?
 一度戦ったからわかる。シューヤさんは決してバカにされるほど弱くない。弓矢の攻撃は的確だし、攻撃力も申し分なかった。
 シューヤさんはこの貴族をとめようと必死だ。

「アホン伯爵様! あれは魔物ではなく聖獣です! これからボクたちも向かいますから、どうか討伐は中止してください!!」
「だから、無能のお前が向かったところでどうにもならんだろう? それともなにか? そっちの小汚いハンターでもない奴らが役に立つとでも言うのか?」

 馬鹿にされるのが僕だけなら我慢もできた。でもさっきからシューヤさんをはじめ、ウルセルさんやセレナまで馬鹿にするのは許せない。
 本当はこんなことしたくないけど、僕ができるのはこれくらいしかない。覚悟を決める。

「アホン伯爵。僕は魔皇帝(マジック・エンペラー)クラウス・フィンレイです。僕の仲間にこれ以上侮辱するようことを言わないでください」

 ハンターギルドが一瞬静まり返る。

 あれ、僕なにか失敗した? たしかシューヤさんはお達しが街中に出てたって言ってたよね!?

「はあ!? こんな薄汚れたガキが、お達しのあった魔皇帝(マジック・エンペラー)様なわけないだろう!! 嘘をつくな!!」

 あ、よかった。ちゃんと理解されてたんだ。大聖女様の速すぎる仕事に感謝だ。僕の仲間である三人は驚きと嬉しさが入り混じった顔になっている。
 でも肝心のアホン伯爵には信じてもらえない。

「とにかく、お前らは邪魔するなよ!? いいな!!」

 そう言って、集まっていたハンターたちを引き連れて、ギルドを出ていった。

「クラウス……ボクのために本当にありがとう! でも……このままでは、下手をすると死人が出てしまう、急ごう!」
「わかった!」

 このやりとりを見ていた受付嬢が、ギルド長に詳しく報告しているところを最後に見た。これでシューヤさんが魔皇帝(マジック・エンペラー)と一緒にいたと伝われば、悪い状況になはらないだろう。

 魔皇帝(マジック・エンペラー)なんて重荷だったけど、初めて役に立ててよかったと思った。