気が付けば僕は、暖かな暖炉の前でロッキングチェアーに腰掛けていた。
こぢんまりした部屋の様子と、目の前に飾られている白い小さな花に見覚えがある。
これはマリンが好きだった花だ。
そうだ初代大聖女のマリンが妻だった。つまりこれは、初代魔皇帝セシルスの時の記憶だ。
記憶だから僕の意志では体が動かない。感情はセシルスのものと今の自分のものと両方感じることができる。不思議な感覚だ。
ようやく状況を飲み込んだ頃、後ろの扉がガチャリと開いた。
『セシルス、子供たちが寝たわ。一杯飲まない?』
『そうか、今日は早かったな。少しなら飲もうかな』
マリンとの穏やかな時間が流れる。
艶やかに光る淡いベージュの髪に空のような青い瞳で、マリンは僕を優しく見つめていた。
そうだ、僕はマリンを、そして愛しい子供たちを守りたかった。この世界にはびこる魔物たちから。
そこでもう一度意識は暗転した。
次に気が付くと、僕の足元にふたりの子供がしがみついていた。
黒髪に琥珀色の瞳がキラキラと輝く、僕によくに似た子供たちだ。
「お願いお父さん、置いていかないで!」
「そうだよ、ワタシも役に立つから連れてってよ!」
これは、邪竜ウロボロスを討伐する旅に出る記憶だ。
この時代は魔物の方が強くて、人間は魔物から隠れながら生き延びていた。
そんな現状を変えたくて、僕は魔法陣を研究して使いこなし魔物を日々討伐していた。さまざまな種類の魔法を使う僕はそのうちに天才魔導士と呼ばれるようになり、人間たちの希望となった。
それでもキリがなくて、魔物を操るボス級のウロボロスを討伐することにしたんだ。
危険な旅だから子供たちは連れていけない。本当はマリンも置いていきたかったけど、治癒魔法や結界の得意な彼女は一緒にいくと頑として譲らなかった。
パティーメンバーは僕とマリン、それから魔物討伐で助けてきた魔法や剣の得意なものたちだ。子供たちはパーティーメンバーの家族がみてくれることになっている。
「ごめんな、とても危険な旅だから連れていけないんだ。もしお前たちになにかあったら、父さんは戦えなくなってしまう。ここは母さんが張った結界の中だから、絶対安心なんだ。わかるな?」
「お母さん……いっちゃヤダ……」
「お願い、いい子にするからぁ……ゔあーん」
「ルナもニナもおいで」
まだ幼い子供たちにマリンはそっと諭した。
「父さんも母さんも、あなたたちが大切だから旅に出るのよ。このままではいずれ人間は生きていけなくなるわ。この先もあなたたちが笑っていられる世界にしたいのよ」
そう言ってきつく抱きしめた。
後ろ髪引かれる思いを無理やり断ち切って、僕たちはウロボロス討伐の旅に出発した。
そこで僕意識は深い闇に落ちていった。
ふわりと意識が浮上する。
真暗な世界から、今の僕の世界へと戻ってきた。
ゆっくりと瞼をひらくと朝日が差し込んでいて、あのまま眠ってしまっていたんだと気付く。玄武も僕の枕元で休んでいた。
思い出した。
僕はかつてさまざまな属性の魔法を使っていた。そして天才魔導士と呼ばれ数え切れないほどの魔物を討伐してきた。
それがなぜ今は治癒魔法しか使えないのかわからない。
生まれ変わってくるまでに、なにかあったのか? どんなに考えても、与えられた記憶しか思い出せなかった。
今わかるのは四聖獣の宝珠に触れれば、なにかの記憶が戻るということだけだ。
この記憶はどこに繋がるのか、それを確かめるには聖獣を正気に戻すしかない。
僕のルーツになにがあったのか、それはいまだ闇の中にあった。
朝食を食べ終わるとウルセルさんがアルバート公爵家から手紙が届いたと知らせてくれた。僕が最初にお願いした、タマラさんの知人の件だ。
「約束が今日なんだけど大丈夫か?」
「もちろんですよ。僕がお願いしたことですし、図書館で調べものをする以外はやることもないですから」
「よし、じゃぁ、今度は割と近いし歩きでいくか。それとも馬車がいいか?」
馬車? ここから馬車に乗ったら、ものすごく目立つんじゃないだろうか? いやいやいや、僕は平穏に過ごしたい。
「ぜひ! 歩きでお願いします」
「ククク、そう言うと思ったよ。じゃぁ、三十分後に謁見室で集合な」
王城を出て向かった先は、首都の外れにあるレンガ造りの庭付きの一軒家だった。
「ここにはどなたが住んでいるんですか?」
「なんだ、なににも聞いてねえのか。フール団長の前に魔導士団で団長やってた人だよ。モリス・ケンブリッジ、魔力操作の天才と呼ばれた人だ」
魔力操作……それは、たしかに僕が今まさに強化したい能力だ。繊細な魔力操作ができれば、カリンの呪いにも効果的な治療ができるかもしれない。タマラさんの深い優しさに胸が暖かくなった。
「すみませーん、モリスさんいらっしゃいますか?」
ウルセルさんが大きめの声で呼びかけて、扉をノックする。
しばらくすると、室内からガタガタと音が聞こえて扉が開けられた。
「ああ、待たせたの。ちょっと仕事中でな。で、どちらさんじゃ?」
白い口髭と白髪がよく似合う老齢の男性だ。黒いエプロンと分厚い皮の手袋をつけていた。
「ウルセル・アルバートとクラウス・フィンレイです。先ぶれがきてませんでしたか?」
「むぅ……おお! そうであった! すまんのう、最近すっかり忘れっぽくての。とりあえず、入ってくれんか」
部屋の中はあらゆる魔道具が積み上げられて、足の踏み場もないほどだ。器用に間をすり抜けて、魔道具に埋もれていたテーブルと椅子をひっぱりだしてきた。
「こっちに座ってくれるか? すまんが片付けは苦手でのう」
僕もウルセルさんも気にすることなく、腰を下ろす。冒険者をやって野営に慣れると、このくらいなら気にならなくなるものだ。
「それで、君がクラウス・フィンレイか? タマラがあんなに褒める魔導士は初めてだったわい」
「はじめまして。僕がクラウス・フィンレイです。タマラさんが褒めてくれたんですか?」
「逸材だとベタ褒めしておったぞ。それでワシが教えられるのは魔力操作くらいだが、それでよいのか?」
白い眉の下には、いまだに鋭さを失っていない灰色の瞳があった。
「はい、もちろんです! よろしくお願いいたします!!」
「ふむ、そうか。ならば一度勝負してくれんか」
「えっ? 勝負ですか?」
「実力もわからんのに、教えられんからの。ほれ、こっちじゃ」
モリスさんに促されるまま、ウルセルさんと一緒に裏庭へと向かう。芝生におおわれた地面は柔らかく、衝撃を緩和してくれそうだ。
対峙するのはかつての魔導士団の団長で、実力は文句なしにトップクラスだ。立ち振る舞いから、いまだに現役でも通じるくらい隙がない。
「よろしくお願いします」
「む? あー、違うぞい。勝負するのは連れのウルセルじゃて。ワシの記憶が正しければ、たしか『黒翼のファルコン』のギルマスであろう?」
「げ、俺かよ……たしかにギルマスやってるけど、大したことないぜ?」
「よく言うわい。圧倒的実力でものの二年で王都一のギルドにしたであろう。それにな、こんなジジイに無理させんでくれ」
そうだ、ウルセルさんは冒険者としても王都一なんだ。だからこそ完全実力主義のギルドが成り立っているんだ。
そんな人と勝負って……本気出さないとヤバい。
「あー、わかったよ……しかたねえな。じゃぁ、クラウスやるぞ」
「は、はいっ!」
突然始まった実力テストに、僕は全神経を集中させた。