「あの! お願いですから、皆さん立ってください! 普通に、普通に話してください!」
「かしこまりました」
どうしよう、みんな立ち上がってくれたけど、ウルセルさんがかしこまった話し方をやめてくれない。ぶっちゃけ別の人みたいで気持ち悪いんだけど。
「ていうか、いつものウルセルさんに戻ってください! 落ち着かなくて無理です!!」
ウルセルさんは待ってましたとばかりにニヤリと笑う。
「というわけで、兄貴、魔皇帝様のご命令だ。もううるさく言うなよ?」
「むぅ、クラウス様がそうおっしゃるのならしかたあるまい」
アルバート公爵様は思いっ切り眉根を寄せて、渋々頷いている。申し訳ないけれども、僕もこの展開についていけない。
僕はカリンの呪いを解く方法を調べにきたはずなんだ。
「じゃぁ、クラウス、とりあえず座って話そうぜ。長旅ってほどじゃねえが、疲れただろ?」
「はい……それより、どうして僕が魔皇帝だって知ってるんですか? ウルセルさんは何者ですか?」
「……まさかと思うが、ウルセル。お前、なにもお話ししていないのか!?」
この感じだと、どうも僕は聞くべき話を聞いていないらしい。ウルセルさんらしいんだけど、いろいろ心臓に悪い。
「だからこれから話すんだって。ほら、クラウスを立たせたままにしていいのかよ? サイモン、部屋とお茶の用意を頼む」
ウルセルさんがそう言うと、ひときわ上等な執事服をまとった初老の男性が一歩前に出てきて頭を下げた。
「クラウス様、私はアルバート家の執事長サイモン・フォックスでございます。屋敷のことに関しては、なんなりとお申しつけください。では、ご案内いたします」
「はい、よろしくお願いします……?」
よろしくお願いしていいのか一瞬悩んで、思わず疑問形になってしまった。
まずは話を聞こう。それからセレナさんのことも伝えて、タマラさんが用意してくれた書簡も渡さないと。
僕は大人しくサイモンさんの後についていった。
通された部屋はこれまた豪華で、けれどセンス良くインテリアがまとめられた応接室だった。案内されるまま長椅子の真ん中に腰を落とす。ヤバすぎるくらいふかふかだ。ウルセルさんとアルバート公爵様はテーブルを挟んで反対のソファーにかけた。
「まずはクラウス様は邪竜ウロボロスという存在について、どれくらいご存知ですか?」
「ええと、そのセントフォリアの古代遺跡に眠る邪竜だと聞いてます。復活すると世界中が魔物にあふれて大変なことになる、代々聖女様の一族が封印を守っているとも」
「ふむ、そうですね。おおむね間違いありません。もう少し詳しくお話しすると、聖女はその血に流れる魔力によって、邪竜を封印しています」
そこから僕が知っているよりも、詳しく話を聞かせてくれた。邪竜の話はカリンの解呪に関係してくるから、お茶を飲みながらも真剣に聞く。
初代の魔皇帝と聖女の話だ。
初代の魔皇帝はこの国に生まれ、すべての魔法が使える天才魔導士だったそうだ。もう千年も前の話だ。
その頃この世界は魔物が支配する世界で、人々は怯えながら暮らしていた。初代魔皇帝は子供を守るため、聖女でもあった妻と仲間とともにウロボロスを倒す旅に出た。
なんとかウロボロスを追い詰めたものの、倒すことができずにやむなく封印したのだ。その封印を強固なものにするために、魔皇帝の魔力で作った四聖獣を古代遺跡の東西南北に配置した。それを聖女と仲間の末裔たちに守らせているということだった。
「そして魔皇帝様はウロボロスが復活すると、どこからともなく現れて封印をし直すのです」
「そうだったんですね。ウッドヴィルではそんな話は聞いたことありませんでした」
「そうですね、そもそも封印が解かれるのが数百年に一度なので、聖女様の一族と我らのような者、あとは各国の王族にしか正しく伝わっていないのです」
まあ、その頻度じゃ世界中で伝承していくのも難しいんだろう。
「そして我がアルバート家は、聖獣玄武を守る守人(もりびと)の一族なのです。今のウルセルのように、一族のものが代々ウッドヴィルに移り住んでいます。そして我ら一族には数百年に一度現れるという、聖獣を従える者こそ魔皇帝様であると伝承されています」
なるほど、だから聖獣をひと目見てわかったのか。いや、それならなんでその時に言ってくれなかったんだ。
そう思ってウルセルさんを見ると、素知らぬ顔してお茶を飲んでいた。すっとぼけてる……きっと僕の反応が面白くてあえて言ってなかったに違いない。
初めてSランクの魔物を討伐した時も、わざとランクを告げずに依頼されたっけ……戻ってきて報告した時の驚きといったらなかった。あの時もウルセルさんはニヤニヤと僕を見ていた。
チラリともう一度ウルセルさんに視線を向ける。視線が合うと、ニヤリと笑った。
……そうだ、この顔だ。またやられた。
まあ、そうは言っても無茶な依頼はなかった。むしろビビってた僕は、それをきっかけに報酬のいい依頼を受けるようになったから感謝してるけど……ちょっと悔しい。
「わかりました。邪竜ウロボロスの封印についてはわかりませんが、四聖獣を正気に戻すのは玄武と約束していま
す。そちらはウロボロスが復活する前になんとかしたいと思ってます」
「まことですか!? ああ、本当になんと言ったらよいのか……クラウス様、我らはいつでもお力になりますゆえ、なんでもおっしゃってください」
アルバート公爵様は黒曜石の瞳を潤ませながら、力強く言い切った。
なんでも……と言ったな。
「それでは聖竜クイリンの鱗を手に入れるため、ご協力お願いできますか?」
「聖竜クイリンの鱗ですと!? まさか……どなたかウロボロスの呪いを受けたのですか?」
「はい、僕の妹のカリンが呪いを受けました。僕はその呪いを解くためにセントフォリアに来たのです」
僕の本来の目的だ。
世界を救うとか、ウロボロスの封印とか現実味がなさすぎてよくわからない。
たったひとりの大切な妹を助けたい。ただ、それだけだ。
「まずは先に戻られているはずの第三聖女セレナさんへの取り次ぎと、こちらの書簡を見ていただきたいです」
そこで国境の兵士に出しそびれた、タマラさんからの書簡もアルバート公爵様に手渡した。あそこからの怒涛の展開で渡す暇がなかったんだ。
書簡に施されている封蝋を見て、わずかに瞠目している。
「開けてもよろしいですか?」
「はい、僕がこの国で困らないように書いていただいたものなんです。もしよかったら、宛名の方に会わせてもらえませんか?」
「……かしこまりました。この件については二日ほどお時間をいただけますか? 聖女様についても私が手配いたしましょう」
「すみません。お手数かけますが、よろしくお願いします」
まずはこれで聖竜クイリンに関する調べ物が進むだろう。一歩ずつ進んでいくしかない。
僕の大切なカリンのためだ。どこまでも頑張れる。
* * *
「——お兄ちゃん、今頃は隣国かな」
ポツリと呟いたひと言は、静かな部屋に消えていく。
私は窓辺にもたれかかり、セントフォリアの方角を見つめていた。夕日が沈むこの時間は、ほんのわずかな時間だけお兄ちゃんの瞳と同じ青紫の空が広がる。この時間が大好きで、毎日夜空に変わる前の空を見上げていた。
私のたったひとりの家族。たったひとりのお兄ちゃん。たったひとりの大切な人。
お兄ちゃんと血が繋がっていないと知ったのは、五歳頃だったと思う。お兄ちゃんが民間学校に通い始めて、寂しくて近所の子達と遊ぶようになっていた。
そこである子が言ったのだ。
『え、だってカリンちゃんのお兄ちゃんはもらわれっ子でしょ? 本当のお兄ちゃんじゃないのに、そんなに寂しいの?』
急いで家に帰ってお母さんに聞いてみたら、あっさりと認めた。
『隠していたわけじゃないけど、時期を見て話そうと思っていたのよ。もう知ってしまったのなら、それでもいいわ。クラウスが私たちの子供であることは変わらないもの』
本当に、本当になんでもないことのようにお母さんは言った。
『そうそう、クラウスは名字を変えただけだから、将来はカリンとも結婚もできるわよ』
五歳の私にはいろいろと衝撃的だった。
お兄ちゃんと血が繋がってないこと、両親があっけらかんとしていたこと、その気になったら結婚できること。
ただ、大好きなお兄ちゃんのお嫁さんになれると思って嬉しかった。
お兄ちゃんがこのことを知っているのかわからない。ずっと妹として大切にしてくれてる。
だからこの気持ちは伝えられない。家族だからという強固な絆を手放せない。でも……もしふたりで冒険者になれるなら、その時は。
「私だけを見てくれるかな……」
その願うような呟きも、静寂な空気に飲み込まれていった。