僕はいくつかあるギルドの中で、完全実力主義が特徴の『黒翼のファルコン』を訪れた。ここなら後で証明してもらうことになっても、説得力があると思ったんだ。

 二週間ぶりの休みの日に、冒険者として登録しようとギルドへ向かった。街の中心部にあるギルドまでは歩いて二十分ほどだ。
 真っ黒な扉を押し開けると、奥に受付があって女性が冒険の対応をしていた。後ろに並んで順番を待って、副業として利用できるか確かめた。

「え? 魔導士団に勤めてるの?」
「はい、それでも冒険者に登録できますか?」

 ひとつ気がかりだったのは、本職に影響がないかどうかだ。魔導士団を続けるためなのに、それができなくなってしまったら意味がない。
 受付の綺麗なお姉さんは細い指を顎に当ててか考え込んでいる。

「そうねえ……仮登録なら問題ないわ。制限はあるけど、誰でも登録できるから」
「それでお願いします!!」

 こうして冒険者の仮登録をした僕は、受付の女性はジェリーさんといってこのギルドの創設からいるそうだ。
 僕は初心だったから、いろいろと教えてもらいながら魔物討伐をこなしていった。ここではちゃんと報酬がもらえて、カリンが通いはじめた騎士学園の学費を稼げてありがたかった。



 半年後、ある程度討伐した実績が作れたのでフール団長にあらためて報告した。

「はあ? 魔物を討伐した? 治癒魔法でどうやって魔物を倒するのだ! そんなことより、昨日頼んだ資料はできているのか!?」
「はあ!? ぶはははっ! お前さぁ、嘘つくならもっとマシな嘘つけよ! 『色なし』のくせにどうやって魔物倒すんだよ!」
「魔物を倒したって……スライムですか? ゴブリンですか? そんなの少し剣術が使える子供でも倒せる魔物です。は? Aランクのキマイラ? クラウス、そんな嘘ついても無駄ですよ?」

 フール団長をはじめ、たまたま同席していたテキトン副団長もウカリ副団長も信じてくれなかった。そこで証拠を見てもらう事にした。

 翌朝、フール団長の執務室に雑用の用件を聞きにいって、少しだけ時間をくださいとお願いした。

「なんだ、これは?」

 フール団長の執務机の上に前回の休みで討伐してきた魔物の素材を並べた。前回はジェリーさんの依頼でAランクのベヒーモスを倒したので、角や牙をはじめ防具に使える素材を持ってきた。
 そんなに出回っている素材じゃないから、これで信じてもらえるはずだ。

「この前の休みで僕が討伐してきたAランクの魔物、ベヒーモスの素材です。これで僕が魔物を倒せると信じてもらえませんか?」

 フール団長はため息をひとつついて、右手で僕がもってきた素材を払いのけた。
 素材がバサバサと音を立てて、机の上から落ちていく。

「これはどこで買ってきたのだ? それよりも私の机を汚しおって! 今後そのようなものを魔導士団に持ち込むな!」

 僕はカーペットの上に落とされた素材を、歯を食いしばりながらひとつずつ拾い上げた。

「今度そんな物を持ち込んだら、減給のうえ一週間の謹慎だ! まったく魔法学園を出てない奴は常識がないな!」
「……すみませんでした」 

 魔法学園の話を出されるとなにも言えなくなってしまう。フール団長はさらに追い討ちをかけてきた。

「もう明日からはここに来るな! 『色なし』のお前が来ると朝から気分が悪くなるのだ!!」

 こうして話を聞いてもらえる唯一のチャンスだった朝の対面もなくなった。次の日からは治療室に仕事の指示書が届けられるようになった。
 二百人もいる魔導士団のトップであるフール団長や副団長たちとは、まったく接点がなくなってしまった。



 魔導士団に入ってから三年が過ぎた頃には、治療室での診察はほとんど僕が対応していた。タマラさんは回復薬の研究をしたくて、僕も魔法を上達させたかったから経験を積むのにちょうどよかった。
 主な患者は騎士団の人たちと、街の赤魔導士では手に負えない重症患者が運ばれてくる。

 ある日、騎士団員の依頼で訪問治療することになった。こういうことは度々ある。
 娼館街で働く高級娼婦が先約があるからと、客に断りを入れたら魔法を放たれて大怪我を負ってしまったということだった。火傷の範囲が広く赤魔導士では手に負えない上に、一刻を争う状況だ。僕がすぐさま娼館に駆けつけた。

「あなたがリンダさんですか? 僕は魔導士団のクラウス・フィンレイです」

 目の前には、頭と上半身を包帯に巻かれた女性がベッドに横たわっていた。炎魔法を至近距離から受けて、防ぐ間もなかったと案内してくれた支配人は話していた。
 こんな大怪我で火傷の跡が残っては人生が大きく変わってしまう。約束をしていた騎士が責任を感じて僕に頼ってきたのもよくわかった。

「話せないんですね? では、イエスならまばたき一回、ノーならまばたきを二回してください」

 包帯の隙間から覗くエメラルドの瞳は、ゆっくりと一度まばたきを返した。

「安心してください。必ず治しますから」

 僕は手のひらに魔力を集める。するとあの不思議な模様が現れて淡い金色の光が優しく揺れた。

 タマラさんに教わる中でひとつ気付いたことがある。この模様が関係しているのか、どうも僕は他の人と魔力の使い方が違うらしい。
 タマラさんも丁寧に教えてくれたけど上手くできなくて、コツを掴むまでが大変だった。まあ、適性が治癒魔法だけってのは変わらなかったけど。

 その代わり、タマラさんも驚くほどの治癒効果があるとわかった。

「ヒール」

 治療を受けるリンダさんと、付き添いの支配人は驚いていた。そんなのは気にせず、いつものように僕の魔力を流し込む。

「はい。終わりました。もう包帯はいらないはずです。外してみてください」
「はっ!? あんな大怪我をヒールだけで治したのか!? 普通ならハイヒールでも治るかどうか……リンダ!!」

 リンダさんはすでにベッドから起き上がっていた。震える手で顔に巻かれた包帯を外していく。すぐに包帯の間から輝くような金髪がこぼれ落ちた。

「あ……ウソ……声も出る……! どこも痛くない! 支配人っ!! 鏡を見せて!!」

 リンダさんは差し出された手鏡を奪い取って、おそるおそる覗き込んだ。しばらくジッと鏡を見つめた後、あふれそうな涙をたたえてエメラルドの瞳を僕に向ける。

「ありがとう……! 本当にありがとう!!」

 泣き笑いしているリンダさんに僕も笑顔になる。患者さんを笑顔になるこの瞬間が、僕は一番好きだった。

「ところで、誰がこんなことをしたんですか? 場合によっては通報しないと……」
「それは無駄だろう。普段なら決して顧客情報を話さないんだが、君は恩人だから……ここだけの話にしてくれ。相手は貴族で、しかも魔導士団の団長なんだ」
「えっ!? フール団長が!?」
「いつものことだ。三年前からここらの界隈に通い始めてな。やけに羽振りがいいんだが、できれば来てほしくない客だよ」

 三年前からというと、僕がちょうど魔導士団に入った頃だ。沈み込んだ僕にリンダさんが優しく声をかけてくれる。

「クラウス様、これだけは言わせて。フール団長をこの界隈で見かけても、声をかけてはダメよ。高級娼館の人間は口が固いことをわかってやってるから、関わらないのが一番だわ」

 魔導士団の人間として、謝るしかできなかった。


 その帰り道、さっそくフール団長に出くわしてしまった。
 まだ勤務時間内なのに、堂々と高級娼館に入ろうとしている。そんなフール団長を豊満な肢体の高級娼婦が出迎えていた。

「まぁ、フール様! 毎日来てくれて嬉しいわぁ!!」
「わははっ! お気に入りのお前のためだ、当然だろう!」

 美女に夢中で僕には気付いていなかったので、青いローブのフードをかぶり道の反対側を静かに通り過ぎる。甲高い美女の声とフール団長のダミ声が耳に入ってきた。

「でも大丈夫なのぉ? もし突然来てくれなくなったら、悲しくて泣いちゃうわ」
「んん〜、それは問題ない! 実はな、使えない団員がいて給金分の働きをしてないから半分にしたのだ。その浮いた分を私が有効に使ってやってるからな」
「あら、フール様って悪い男なのねぇ。でもぉ、私には優しくしてね?」
「もちろんだ! 今日も可愛がってやるからな! グフフ」

 足が止まった。
 振り返るとフール団長はもう娼館の中に入った後で、あのダミ声も聞こえてこなかった。

 今のは、きっと僕のことだ。そんな……半分に減らされた給金はフール団長に流れてたのか?
 でも給金が半分でも、いざというときの保障は捨てられない。たとえ訴えても、魔導士団のトップがフール団長だ。握りつぶされて終わる。
 せめてカリンが独り立ちするまでは、耐えるんだ。あと数年だ、僕はまだ頑張れる。



 それからさらに二年が経過したある日、指示書に朝一番でフール団長の執務室にくるように書かれていた。
 僕は指定された時間ちょうどにフール団長の執務室を訪れた。

「失礼します。なにかご用でしょうか?」
「おお、クラウスか! 待っておったぞ!」

 にこやかに出迎えてくれたフール団長に正直とまどった。こんな笑顔を向けたれたのは、おそらく適性検査以来だ。

「お前の妹は騎士学園の生徒だったな。カリン・フィンレイで間違いないか?」
「はい、そうですが?」

 意味がわからなくて疑問形になってしまった。カリンがどうかしたのだろうか?

「昨日アラン騎士団長に聞いたんだが、最終学年で最優秀生に表彰されたそうだな。来月卒業したら騎士団に入団が決まっているそうではないか」

 カリンを褒められて、僕の心も軽くなる。

「はい、実はそうなんです。自慢の妹で……」

 バンッと執務机を叩いて、フール団長はゆっくりと立ち上がった。
 ニヤニヤと笑いながら、思いもよらない言葉を口にする。

「そこでだ! 私からもお祝いをやろう!」
「え? お祝いですか?」
「ああ! 私からのお祝いはな、これだ——」

 こんな風に言われたのは初めてだった。
 もしかしたら、この五年でなにか認めてもらえたのか? やっと僕が魔物を倒せるって信じてもらえたのか?
 いや、カリンの将来に期待してくれたんだろうか?

「——クラウス、お前は本日づけでクビだ」

 僕は耳を疑った。
 どうして、このタイミングで!?

「…………そんなっ!!」
「やっとだ! この五年間は長かったぞ! 魔法学園も出ておらん、治癒魔法しか使えない無能を五年も雇ってやったんだ、感謝するんだな!」

 フール団長はいままで見たことがないくらい、晴れ晴れとした顔で近づいてきた。

「お願いします! あと半年、いえ、カリンが卒業するまででいいんです! ここで働かせてもらえませんか!?」
「なにを言っているのだ、クラウス。このタイミングでわざわざ解雇することにしたのに、それでは意味がないではないか」
「どうして……そんなに……」

 フール団長はこんなに悪意を向けてくるんだ? いくら僕が気に入らなくても、あんまりだ。
 僕の肩に両手を乗せて、醜く歪んだ笑顔を浮かべている。

「さっきも言っただろう? お前が魔法学園も出ていない無能な『色なし』魔導士だからだ!! そんな奴は私の魔導士団には必要ない!!」
「……うっ!!」

 そこで肩を強く押されて、尻餅をついてしまった。見上げたフール団長はひどく冷めた目で僕を見下ろしている。
 そこで僕は理解した。フール団長はあの適性検査の日から、僕をクビにすると決めていたんだ。その日をずっと待っていたんだ。

「さぁ、荷物をまとめてとっとと出ていけ!!」
「わかり……ました」

 なにを言っても無駄だと悟った僕は、団長室を後にした。


 荷物なんてほとんどないけど、まとめるために一階の医療区画へと戻ってきた。最後にお世話になったタマラさんに挨拶するためだ。
 正直にクビになったと告げたら、団長に猛抗議すると息巻いていたのでなんとかなだめた。

「団長はクラウスがどれだけ努力と研鑽を積み重ねてきたのか、散々言ってきたのにまだわからないのか!!」

 タマラさんがそんな風に怒ってくれたから、ちゃんと見てくれていた人がいたんだって思える。それだけで僕は救われた気持ちになるんだ。
 多分もうなにを言っても、団長は決定を変えないだろう。それなら下手に抗議することはタマラさんのためにならない。

「では、どうかお元気で」

 最後は笑顔で西棟を後にした。



 悲しみと悔しさと情けなさ。
 強烈な悪意を向けられて心は傷ついたまま。
 そんな感情にまみれていても、僕は前に進むしかなかった。


 だが、これが 最後の魔皇帝(ラスト・マジック・エンペラー)と呼ばれる、クラウス・フィンレイの始まりだとは——まだ誰も知らない。