「ウロボロスの呪いは治癒魔法では治りません。解呪には聖竜クイリンの鱗が必要です」
「聖竜クイリンの鱗……」

 聖竜クイリンはセントフォリオのどこかにいると噂される伝説級の生物だ。魔物でないのは確かで、どうして存在しているのか、どうやって生まれたのか謎に包まれている。その生態もまったくわからないので、どこにいるのかも見当がつかない。

 そんな存在から素材を取るのか……タイムリミットは二年。
 それでも、やるしかない。

「貴重な情報をありがとうござます。カリンの呪いをなんとか解いてみます」
「クラウス様、もしセントフォリアにこられた際は私の名を兵士にお伝えください。聖竜の行方を調べたり、お力になれると思います!」
「いえ、もう十分です。というか……なぜそんなに僕によくしていただけるんですか?」

 最初から全開の好意を向けられて、ありがたいけど素直に受け取っていいのかわからなかった。
 ブラックサラマンダーから助けたのと、魔皇帝(マジック・エンペラー)だけが理由とは思えない。

「あ……私のこと覚えてませんか?」
「ええと……すみません、心当たりなくて……」

 いつも仕事とカリンのことで頭がいっぱいだから、少し接点があったくらいではすぐに忘れてしまう。申し訳なくて気まずいけど、正直に話した。
 セレナは気分を害した様子もなく、ふわりと微笑んで言葉を続ける。

「少し、私の昔話をしてもいいですか?」


     * * *


 セントフォリアの第三聖女の私は、このウッドヴィル王国で生まれた。父は冒険者で、母もセントフォリアの聖女だった。両親は大恋愛の末に結ばれて、この国で穏やかに暮らしていた。

 父は冒険者としてそこそこの腕だったけど、人が良すぎて騙されたり誰かを庇ってよく怪我をしていた。そんな父を母はいつも笑って治療していて、私はそんな両親が大好きだった。
 私が十四歳になった頃だ。

 あの日はいつもと様子が違った。

『悪い……ソニア、やらかしちまった……』
『あなた!? どうしたの……どうしたの!? この黒い模様は!!』

 二週間前に受けた依頼で遺跡調査に行っていた父は、両腕を黒く染め上げて仲間に支えられて帰ってきた。
 あの時、初めて母の焦った顔を見たと思う。
 母はすぐに二階へ駆け上がり、透明の小瓶に入った液体を父の腕にかけた。

『ゔああああっ!』

 父はもがき苦しんでいたが、両腕の模様から黒い霧が出るだけでなにも変わらなかった。

『ダメだわ……やっぱり聖水じゃ、浄化できない!』
『ソニアさん、すまない。リューレンは俺を庇って……こんな風に……』

 仲間の冒険者は今にも泣きそうになりながら、その時の状況を話した。父に襲いかかった魔物は双頭の蛇のような魔物で、父に噛みついたあと消えてしまったそうだ。

『ウロボロス……ウロボロスの呪いなの……?』
『お母さん、お父さん治る?』

 母は眉尻を下げて、困ったように微笑んだ。

『そうね、治す方法はあるけど……そのためには旅に出ないといけないの。セレナをひとり置いていけないわ』
『お父さんが治るなら、私平気だよ! お母さんお願い、お父さんを治して!!』
『それなら、ソニアさん! セレナちゃんの面倒ならウチでみるから、それじゃダメか!? ……せめて、それくらいさせてくれないか?』

 母は少しだけ逡巡したが、やがて強い光を瞳に宿して立ち上がった。

『セレナ、本当にいいの?』
『うん、グラッドさんの所で待ってる。おじさんもおばさんも、いつも優しくしてくれるから大丈夫』
『グラッドさん、戻ってくるまで何年かかるかわかりません。それでもお願いできますか?』
『もちろんだ! 任せてくれ!』

 最後に母は、私を優しく抱きしめた。これが別れの抱擁なんだと理解する。

『セレナ、お父さんの呪いは魂に刻まれたものなの。だから聖竜の鱗で浄化しないと治らないわ。聖竜の鱗はいくつも山を越えた先にあるの。必ず、手に入れて戻ってくるからね』
『うん、待ってる。お父さんと一緒に待ってる』

 そっと体を離して額にキスを落としてくれた。いつもの、いってきますの挨拶だ。

『グラッドさん、もしかしたら治癒魔法で呪いの進行を遅らせることができるかもしれません。魔導士団に頼んでもらえますか?』
『ああ、わかった。掛け合ってみるよ』

 そうして母は聖竜の鱗を手に入れるため旅に出て、戻ってこなかった。

 父の治療を引き受けてくれたのは、当時魔導士団の治療室で勤務していたクラウス様だった。ベテラン赤魔導士のタマラ様は薬草を特別に調合してくれて、クラウス様は治癒魔法をかけ続けてくれてた。
 母は帰ってこず、父もどんどん弱っていく中で、私の心の支えになっていたのはグラッドさんとタマラ様とクラウス様だった。

 私が心折れそうになっても、優しく微笑(わら)ってクラウス様はそっと励ましてくれた。
 あの頃からクラウス様は私の特別な人になったのだ。
 父の黒い模様は、両腕を繋ぐように胸と背中にも現れていた。やがて指先から石化が始まり、治癒魔法でも進行を抑えられなかった。なす術なく心臓が石になり息を引きとった。

『クラウス様、おかげで父は安らかに眠ることができました。あなたは私の心の支えにもなってくれました。このご恩は決して忘れません』

 覚悟はしていてもショックは大きく、これだけ伝えるので精一杯だった。
 父が亡くなった後は、母の祖国にいた伯母が一緒に暮らそうと使いを出してくれたので、セントフォリアへ移り住んだ。

 だからいつかタマラ様とクラウス様にお礼がしたかった。
 どうしてもクラウス様にもう一度お会いしたかった。


     * * *


「きっと母は志半ばで倒れたのでしょう。それはしかたのないことだと思っています」

 ここで僕は思い出した。
 唯一、助けられなかった冒険者がいたことを。あの時、亡くなった父を引き取りに来た黒髪の少女を。
 艶のある黒髪に潤んだ琥珀色の瞳。あの時は涙のあとの残る笑顔が痛ましかった。やっと思い出した。

「あの時の冒険者はセレナさんの父さんだったのか……」
「ふふ、思い出してもらえたようですね。ですから、私はクラウス様に恩返しをしたいのです! ご理解いただけましたか?」
「そっか……なんの役にも立てなかったのに……」
「いいえ、あの時クラウス様やタマラ様が支えてくれたから乗り切れたのです。それは間違いありません」

 僕の努力が少しでも役に立っていたのなら、それがセレナさんの助けになっていたのなら本当によかった。

「そんな風に言ってもらえると、ありがたいです。それならセントフォリアにいった際はよろしくお願いします」
「はい! お待ちしてますね!」

 セレナさんは本当に嬉しそうに破顔した。そんなやりとりを見守る護衛長のヘクターさんも、穏やかな笑みを浮かべている。彼女が大切にされているようで本当によかった。

「それでは、クラウス様。ひと足先にセントフォリアへ戻ります。くれぐれも道中は気をつけていらしてください」
「はい、セレナさんたちもお気を付けて」

 こうして嵐のような聖女一行は、魔道具を使って一瞬で自国へと戻っていった。
 聖竜クイリンの鱗。それはまさしく伝説級のアイテムだ。
 普通の冒険者なら、一生に一度目にするかどうかの代物だろう。

 でも、僕はあきらめない。
 わずかでも希望があるなら、掴み取るまであきらめない。