聖女の国セントフォリア、そこが次の目的地だ。旅の準備を進めるため僕はこの日、予定を入れずに過ごすつもりだった。

「カリン、おはよう」
「……おはよう」

 カリンにはタマラさんのところから戻ってきてすぐに話をした。きっと喜んで送り出してくれると思ったのに、あれから口数も少なく元気がない。
 カリンに話しかけようにも、用がなければすぐに自分の部屋にこもってしまう。食事の時も生返事で会話にならなかった。
 そのくせ僕が背を向けるとジッと見つめてくる。

 ……これは寂しいのか? この拗ね方は、僕が民間学校に通い始めた時と同じなんだけど。だって呪いが解けるかもしれないのに——そうか、自分のためだってわかってるからか。
 民間学校のときも僕のためだってわかってたから、寂しいって言い出せなくてこんな風になってたんだよな。
本当に不器用でわかりやすい。可愛いやつだ。

 ニマニマしながらカリンのことを考えていたら、扉をノックする音が響いた。スッといつもの表情に戻してから

「はい、どちら様ですか?」と扉の向こうに声をかける。

 子供の時からの習性で、防犯上すぐに扉は開けないようにしていた。
 だが、返事が返ってこない。
 たまにこんな悪戯もあるから部屋に戻ろうとしたら、ようやく声が聞こえてきた。

「ク、クラウス様! 私です! あのブラックサラマンダーから助けてもらった……」

 ああ、あの時の女性か、と思い出した。心当たりのある人物に安心して扉を開ける。

「クラウス様! やっとお会いできました!!」

 扉を開けた途端に、あの艶やかな黒髪の女性にいきなり抱きつかれてしまった。僕を見あげる琥珀色の瞳は、うっすらと涙が浮かんでいる。

 はっ!? なんだ? なにごとだ!? あれ、そういえば名前教えたっけ? いやいや、その前になんで家を知ってるんだ!?
 怖っっ!! しかも怪しすぎる!! ちょっと待て、今カリンもこの家にいるんだ、ここは冷静になれ!!

「すみません、まずは離れてもらえますか?」

 思ったよりも低く冷たい声になってしまった。
 ビクリと肩を震わせて、あわてた様子で女性は体を離す。

「はっ! す、すみません……クラウス様にお会いできて興奮のあまり……はしたない真似をしました」

 いや、そこじゃない。

「あの、まずお伺いしたいのですが、どうして僕の名前と家を知っているのですか?」

 僕はジッと目の前の怪しい女性を見つめた。もしも嘘をついても生体反応に異変はないか、瞬きひとつ見逃さないように冷ややかな視線を向ける。

「あっ……あの、そんなに見つめられたら……その、恥ずかしくて……」

 顔を赤らめてモジモジしはじめた。
 これは……どういう反応だ? 僕を油断させるためか?
 女性がモジモジして話が進まない。痺れを切らした仲間が、書簡を差し出しながら口を開いた。

「クラウス様、大変な無礼を働き申し訳ございません。私たちは隣国のセントフォリアからまいった使者でございます。こちらが私たちが使者である証明です」
「は? セントフォリアって……聖女の国ですか!?」
「はい、申し遅れました。私はセレナ・ディル・フォリア。第三聖女でございます」

 スッと姿勢を正し女性が名乗った。
 凛とした佇まいは、まさしく聖女と呼ばれるのに相応しいものだった。



 カリンにも声をかけてふたりで話を聞くことにした。
 狭い家に大人六人が集まるのは忍びなかったがしかたない。最初に口を開いたのは、第三聖女と名乗ったセレナだった。

「数々のご無礼、大変申し訳ございません。この三年間ずっとクラウス様を探して旅をしておりました。実は先日助けていただいた後、すぐにクラウス様を追いかけたのです」

 ここからセレナはグッと拳を握りしめて、悔しそうに言葉を続けた。

「ですが魔物の大群が押し寄せたとかで王都に入れず足止めされ、魔導士団にも出向いたのですがすでに退職されたと聞き、王都中を探しておりました」

 とにかく、ものすごく一生懸命探していてくれたのは伝わってきた。逆に申し訳ない。

「まずはそちらの書簡をご確認いただけますか?」

 そう促されカリンにも見えるように厳重に組紐でくくられた書簡を開いた。
 書簡には魔法が込められていたようで、開いた途端に金色のキラキラした光が立ちあがる。やがてそれは人型を取り僕とカリンに向かって話しはじめた。

《《私はセントフォリアの大聖女、マリアーナ・ディル・フォリア。金色の魔力を持つ貴方様を探せと、この者たちに命じました》》

 だ、大聖女!? 大聖女って、いわゆる女王じゃなかったっけ!?
 金色の魔力って……もしかして僕のことか……?
 人型の光は四つの丸い鏡のようなものを浮かべて、それぞれ顔を映し出していく。

《《第三聖女セレナ、護衛長ヘクター、護衛兵のチェイス、並びにアリッサ。この者たちと一緒にこのセントフォリアへきていただきたいのと、もうひとつお願いがございます》》

 鏡の中の顔といま目の前にいる人たちは同一人物だった。詐欺やストーカーではないようで安心する。

《《貴方様は世界の希望です。今世の魔皇帝(マジック・エンペラー)としてどうか世界をお守りください》》

 そこまで言い終わると、金色の光は溶けるように空中に霧散した。

「………………は?」
「お兄ちゃん……いつの間に職業変えたの?」
「いや、今初めて聞いた」

 僕とカリンは思考が追いつかない。いきなり聖女一行がやってきて、隣国の女王からの手紙で魔皇帝(マジック・エンペラー)として世界を守れと言われても「よし、やるか!」にはならない。

「これで私たちを信用していただけますか?」
「はい、偽物じゃないのはわかりましたけど……すごいパワーワード出てましたよね?」
「あ、魔皇帝(マジック・エンペラー)様のことでしょうか?」
「そう! その魔皇帝(マジック・エンペラー)になった覚えがないんですけど?」
「これはなんと申しますか、クラウス様は生まれた瞬間から魔皇帝(マジック・エンペラー)様なのです」

 まさかの拒否権なしだった。
 僕にしてみたらカリンと平和に暮らせれば問題ないので、まったくもって重荷でしかない。

「あの、どうやって僕がその魔皇帝(マジック・エンペラー)だって調べたんですか?」

 なにかの間違いであって欲しい。

「クラウス様に治癒魔法をかけていただいた際に、このペンダントの魔力属性の判定用の水晶が金色に光ったからです。以前にこういった判定用の水晶に、魔力を通したことはありませんでしたか?」
「五年前の入団したときに試したことがあります。でも、すぐに水晶が壊れてしまったんですが……」

 僕が『色なし』と呼ばれるきっかけだった。あまり思い出したくないけど、心当たりがありすぎる。

「やはり……あの水晶は魔皇帝(マジック・エンペラー)様を探すための魔道具なのです。本来なら位置の特定までできるのですが、突然信号が途絶えてしまって、こうしてお探ししていました。私は前任者から引き継いで三年前からですが、本当にお会いできて嬉しいです」
「そうなんだ……それは本当にすみませんでした」

 何気に恐ろしい魔道具だった。位置の特定もできるって、知らなかったら逃げられない。
 この前やっと四聖獣を正気に戻すと決めたばかりなのに……待て。
 そういえば玄武も似たようなこと言ってなかったか?

「玄武」
《なんだ?》
魔皇帝(マジック・エンペラー)って知ってる?」
《うむ。我らの主人であり四聖獣を統べる者だ》

 知ってたんなら教えてくれ————!!!!
 玄武って聞けば教えてくれるんだけど……なんて言うか、ちょっと端的すぎるというか。すごく真面目なタイプなのはわかるんだけど。

「クラウス様、もしや……玄武は覚醒されているのですか!?」
「え? ああ、そうなんです。この前たまたまですが正気に戻したんです」

 そっと胸ポケットからミニマム玄武を取り出した。
 セレナたちは目を輝かせて見入っている。彼女たちにとって四聖獣は特別らしい。

「しかしセレナ様、聖獣が覚醒したとなると邪竜の復活まで猶予がありませんね」

 護衛長ヘクターが眉間に皺を寄せて、ため息をつく。ほかの護衛兵たちも、もう重苦しい表情になっていた。

「ええ、そうね。本当は一緒に戻りたかったんだけど、しかたないわ。クラウス様、申し訳ないのですが急遽国に戻らねばならなりません。後日またお迎えに参ります」
「いや、どのみちセントフォリアにいくつもりだったから、迎えは不要です。それよりひとつ聞いてもいいですか?」
「もちろんでございます! 私がわかることならば、なんでもお答えいたします」

 セレナは頼られたことが嬉しいのか、ぱああっと笑顔になる。
 ……犬っぽいな、と失礼なことを考えながら一番聞きたかった質問をした。

「ウロボロスの呪いを解きたいんだけど、なにか知ってますか?」

 途端にセレナの琥珀色にお瞳に鋭い光が宿った。

「どういうことでしょうか?」
「妹のカリンがウロボロスの呪いを受けたので、解呪の方法を探してるんです」
「そう……でしたか。クラウス様、私の知るかぎりの情報をお話しいたします。もう少しお時間をいただけますか?」

 僕は「もちろんです」と深く頷いた。

 カリンを助けるためなら、どんなことでもやり遂げる。
 その決意は揺らがなかった。