* * *
魔物の襲撃から一週間が経った。
カリンは回復室から家に戻ってきて、穏やかな時間を過ごしている。
いまのところ少し動かしにくいだけで問題なく生活は送れていた。手足の黒い模様はそのまま、なにも変化はない。
「お兄ちゃん、朝ごはんできたよ。起きてー」
「う……ん、あれ、もう朝か……」
「また机で寝ちゃったの? ねぇ、あんまり無理しないでよ」
僕はあれからずっと研究に没頭していた。
幸いにもアダマンタイトの討伐が成功したとみなされて成功報酬をもらえたのと、キングミノタウロスの討伐で国から報奨金が出たから、生活はなにも心配なかった。
贅沢しなければ五年くらいは働かなくても大丈夫だ。
「うん、ヒールかければ平気だから」
「そうじゃなくて、私ならまだまだ元気だし! 呪いなんかに負けないから!」
「そうだな……わかってるよ」
僕はカリンにすべてを話せていなかった。
呪いにかかったことは説明したし、手足の動きが悪くなっていくことも話した。でも、余命二年だということは告げていない。
きっとカリンなら「話してほしかった」と言うだろう。わかってたけど、どうしても伝えられなかった。
僕がそれを口にしたら、認めるみたいで……言えなかった。
「本当にわかってのかなぁ? 私だってお兄ちゃんが心配なんだからね!」
「ごめん、今日はちゃんとベッドで寝るから」
「……約束ね!」
そうして、カリンと少し遅めの朝食を食べていた。カリンがやると言って聞かないので、ある程度は家の仕事を任せている。朝食は前日の夜に作っておいたスープとトーストだ。カリンは炎魔法の適性があるから、毎日魔法でいい感じに焼いてくれる。
「今日はどんな感じ?」
「んー、昨日と変わらないかな」
朝食を食べながらカリンの状態を確認するのが、日課になっていた。
その時、ドアを叩く音ともう聞くこともないと思っていたダミ声が耳に届く。
「クラウス! 私だ! フールだ、扉を開けろ!!」
「……なんの用件だろう?」
カリンも不思議そうに肩をすくめていた。
仕事でなにかあったかと考えたけど、僕がやっていたのは雑用だけだし引き継ぎなんて必要ないものばかりだった。
ガンガンと扉を叩く音がやみそうにないので、しかたなく扉を開ける。
「あの……ご用件は何ですか?」
もう上司でもないし、ぶっちゃけ役職名で呼ぶ必要もない。僕の中ではただの年上の男性という位置づけだ。
「貴様っ! 開けるのが遅いぞ! まったくトロいのは変わらんな。だが、まあ、許してやる」
この人……まだ僕の上司のつもりでいるんだろうか? 正直もう会いたくなかったし、もう団員ではないんだからここまで言われる筋合いもないんだけど。
「喜べクラウス! お前を魔導士団に戻してやる! 今日からさっそく出勤しろ!」
「……お断りします。では」
それだけ言って扉を閉めた。
あの人はなにを言ってるんだろう? つい数週間前に僕をクビにしたのに、戻れだって?
今は『黒翼のファルコン』の冒険者だし、なによりもカリンの治療方法を見つけるので忙しいんだ。時間が足りないくらいなのに、もう魔導士団では働けない。
「おいっ! クラウス! まだ話は終わってないぞ!! 扉を開けるんだ! おいっ!! 開けろー!!」
あまりにも騒ぐのでご近所さまの迷惑になるのではと、渋々もう一度顔を出した。
「すみません、声が大きいので控えてもらえますか?」
「ぐぬっ! 生意気な!! いいか、今日から魔導士団に戻るんだ! このまま私と一緒に登城するんだ!!」
これはハッキリ言わないと伝わらないのか? まぁ、もう上司じゃないからいいか。
「魔導士団には戻りません。登城もしません。この後も忙しいので、もう失礼していいですか?」
「なにをっ!? 魔導士団に戻れるんだぞ!? 給金も前より多くなるんだぞ!!」
「僕はSランク冒険者ですし、もうお金に困ってないので大丈夫です」
フールさんが目ん玉をひんむいて、思いっ切り驚いている。ここまで言ったから、わかってくれたみたいだ。
「なっ……Sランクだって……? な、な、なぜ……?」
そこで、やっぱりうるさかったみたいで、ご近所さまが出てきてしまった。
見た目はゴロツキみたいだけど、気のいい大工の職人さんたちだ。仕事柄ガタイがいいから、こういう時は率先して対応してくれる。
「なんだよ、朝から騒がしいな。おい、クラウス、どうした?」
「うるせえのは、このオッサンだな。クラウス、困ってるなら手助けするぞ?」
「クラウス、騎士団に通報してくるか?」
あー、ご近所さまにご迷惑をかけてしまった……職業病でみんな腰痛に悩んでるから、あとで無償で治癒魔法かけにいこう。
「いえ、もう終わったので大丈夫です! うるさくして、すみません」
ご近所さまは「なにかあったら言えよ、すぐ通報するからな!」と言って、各々の家に戻っていった。
「くそっ! 今日はもう時間がないから、またくるぞ!!」
通報という言葉にあきらかに青くなったフールさんは、またくると言い捨てて脱兎のごとく走り去っていった。
頼むから、もうこないで欲しい。
だけど、僕の願いは虚しくも叶えられなかった。
——次の日。
ガンガンガンガンッ!!
「クラウス! さあ、魔導士団に出勤だ!!」
「いきません。お引き取りください。通報しますよ?」
こんな感じのが三日続いた。
——それから四日後。
ガンガンッ! ガンガンッ!
「クラウス! ほら! 給金を二倍にするから戻ってこい!!」
「さらにその倍稼げるので戻りません。通報してもいいですか?」
今度は給金で釣るのを一週間ほど続けていた。
——さらに十日後。
ガンッ! ガンッ! ガンッ! ガンッ!
「クラウス! 頼むから!! 籍だけでも登録してくれ!! 国王陛下から、クラウスをスカウトしてこいと言われてるんだ! この通り、頼むー!!」
「イヤです。通報しますね」
扉を叩きながらすがりつくのを十日ほど続けて、最後はガックリと肩を落として帰っていった。
なにか忘れているような気がするけど、思い出せない。
——さらに二週間後。
コンコンコンッ……コンコンコンッ……コンコンコンッ。
「クラウス! いや、クラウス様!! お願いですから、魔導士団に戻ってきてください!! 私のクビが飛ぶんです!! 毎日毎日国王陛下にクラウス様の入団はいつになるのかと、プレッシャー掛けられてるんです! お願いしますー!!」
「だから戻りません。……もし団長がきたらご近所さまが通報するようになってるので、騎士団の人がくる前に帰ってください」
いつまで続くんだ、これは。いい加減ウンザリなんだけど。
ここで、わざわざきてくれた騎士団の制服を見て思い出した。
そういえば西棟でアラン団長にいろいろ話して、無念がなんちゃらとか言ってなかったか? まさかとは思うけど、然るべき方って……国王陛下だったのか!?
いや、いやいやいや! そんな大事になるなんて思ってなかったんですけど!?
気付いたところで、国王陛下相手に一般市民の僕になにかできるわけでもない。さっきの騎士の人たちが、うまく報告してくれるように祈るばかりだ。
ため息をついてリビングに戻ると、郵便物を確認していたカリンが一通の手紙を差しだした。毎朝のことなのでカリンは完全スルーだ。
「お兄ちゃん、治療室の赤魔導士さんからお手紙来てるよ」
「えっ! タマラさんから!?」
もしかしたらカリンの治療について、なにかわかったのかもしれない!
よかった! カリンの治療のための青魔法の開発も煮詰まっていて、前に進んでいなかったんだ。
新たな攻撃魔法は開発できたけど、肝心の呪いの治療には役に立っていなかった。まぁ、これはこれで今後使う機会があるとは思うけど。
震える手で手紙を開く。
『今夜、西棟にこい。答えのひとつが見つかった。 タマラ』
短い文章だけで、細かい時間指定もなくて、本当にタマラさんらしい。でもきっと僕の探していた答えが見つかったに違いない。
カリンに手紙の内容を話して、夕食後に家を出た。
鬱々とした気持ちは前向きになって、重かった足取りは自然に駆け出している。
カリンを治せる! そのためだったら、どんなことでもやってやる!! 絶対にカリンを治すんだ!!
西棟までの道のりを、ひとり走り抜けた。
魔物の襲撃から一週間が経った。
カリンは回復室から家に戻ってきて、穏やかな時間を過ごしている。
いまのところ少し動かしにくいだけで問題なく生活は送れていた。手足の黒い模様はそのまま、なにも変化はない。
「お兄ちゃん、朝ごはんできたよ。起きてー」
「う……ん、あれ、もう朝か……」
「また机で寝ちゃったの? ねぇ、あんまり無理しないでよ」
僕はあれからずっと研究に没頭していた。
幸いにもアダマンタイトの討伐が成功したとみなされて成功報酬をもらえたのと、キングミノタウロスの討伐で国から報奨金が出たから、生活はなにも心配なかった。
贅沢しなければ五年くらいは働かなくても大丈夫だ。
「うん、ヒールかければ平気だから」
「そうじゃなくて、私ならまだまだ元気だし! 呪いなんかに負けないから!」
「そうだな……わかってるよ」
僕はカリンにすべてを話せていなかった。
呪いにかかったことは説明したし、手足の動きが悪くなっていくことも話した。でも、余命二年だということは告げていない。
きっとカリンなら「話してほしかった」と言うだろう。わかってたけど、どうしても伝えられなかった。
僕がそれを口にしたら、認めるみたいで……言えなかった。
「本当にわかってのかなぁ? 私だってお兄ちゃんが心配なんだからね!」
「ごめん、今日はちゃんとベッドで寝るから」
「……約束ね!」
そうして、カリンと少し遅めの朝食を食べていた。カリンがやると言って聞かないので、ある程度は家の仕事を任せている。朝食は前日の夜に作っておいたスープとトーストだ。カリンは炎魔法の適性があるから、毎日魔法でいい感じに焼いてくれる。
「今日はどんな感じ?」
「んー、昨日と変わらないかな」
朝食を食べながらカリンの状態を確認するのが、日課になっていた。
その時、ドアを叩く音ともう聞くこともないと思っていたダミ声が耳に届く。
「クラウス! 私だ! フールだ、扉を開けろ!!」
「……なんの用件だろう?」
カリンも不思議そうに肩をすくめていた。
仕事でなにかあったかと考えたけど、僕がやっていたのは雑用だけだし引き継ぎなんて必要ないものばかりだった。
ガンガンと扉を叩く音がやみそうにないので、しかたなく扉を開ける。
「あの……ご用件は何ですか?」
もう上司でもないし、ぶっちゃけ役職名で呼ぶ必要もない。僕の中ではただの年上の男性という位置づけだ。
「貴様っ! 開けるのが遅いぞ! まったくトロいのは変わらんな。だが、まあ、許してやる」
この人……まだ僕の上司のつもりでいるんだろうか? 正直もう会いたくなかったし、もう団員ではないんだからここまで言われる筋合いもないんだけど。
「喜べクラウス! お前を魔導士団に戻してやる! 今日からさっそく出勤しろ!」
「……お断りします。では」
それだけ言って扉を閉めた。
あの人はなにを言ってるんだろう? つい数週間前に僕をクビにしたのに、戻れだって?
今は『黒翼のファルコン』の冒険者だし、なによりもカリンの治療方法を見つけるので忙しいんだ。時間が足りないくらいなのに、もう魔導士団では働けない。
「おいっ! クラウス! まだ話は終わってないぞ!! 扉を開けるんだ! おいっ!! 開けろー!!」
あまりにも騒ぐのでご近所さまの迷惑になるのではと、渋々もう一度顔を出した。
「すみません、声が大きいので控えてもらえますか?」
「ぐぬっ! 生意気な!! いいか、今日から魔導士団に戻るんだ! このまま私と一緒に登城するんだ!!」
これはハッキリ言わないと伝わらないのか? まぁ、もう上司じゃないからいいか。
「魔導士団には戻りません。登城もしません。この後も忙しいので、もう失礼していいですか?」
「なにをっ!? 魔導士団に戻れるんだぞ!? 給金も前より多くなるんだぞ!!」
「僕はSランク冒険者ですし、もうお金に困ってないので大丈夫です」
フールさんが目ん玉をひんむいて、思いっ切り驚いている。ここまで言ったから、わかってくれたみたいだ。
「なっ……Sランクだって……? な、な、なぜ……?」
そこで、やっぱりうるさかったみたいで、ご近所さまが出てきてしまった。
見た目はゴロツキみたいだけど、気のいい大工の職人さんたちだ。仕事柄ガタイがいいから、こういう時は率先して対応してくれる。
「なんだよ、朝から騒がしいな。おい、クラウス、どうした?」
「うるせえのは、このオッサンだな。クラウス、困ってるなら手助けするぞ?」
「クラウス、騎士団に通報してくるか?」
あー、ご近所さまにご迷惑をかけてしまった……職業病でみんな腰痛に悩んでるから、あとで無償で治癒魔法かけにいこう。
「いえ、もう終わったので大丈夫です! うるさくして、すみません」
ご近所さまは「なにかあったら言えよ、すぐ通報するからな!」と言って、各々の家に戻っていった。
「くそっ! 今日はもう時間がないから、またくるぞ!!」
通報という言葉にあきらかに青くなったフールさんは、またくると言い捨てて脱兎のごとく走り去っていった。
頼むから、もうこないで欲しい。
だけど、僕の願いは虚しくも叶えられなかった。
——次の日。
ガンガンガンガンッ!!
「クラウス! さあ、魔導士団に出勤だ!!」
「いきません。お引き取りください。通報しますよ?」
こんな感じのが三日続いた。
——それから四日後。
ガンガンッ! ガンガンッ!
「クラウス! ほら! 給金を二倍にするから戻ってこい!!」
「さらにその倍稼げるので戻りません。通報してもいいですか?」
今度は給金で釣るのを一週間ほど続けていた。
——さらに十日後。
ガンッ! ガンッ! ガンッ! ガンッ!
「クラウス! 頼むから!! 籍だけでも登録してくれ!! 国王陛下から、クラウスをスカウトしてこいと言われてるんだ! この通り、頼むー!!」
「イヤです。通報しますね」
扉を叩きながらすがりつくのを十日ほど続けて、最後はガックリと肩を落として帰っていった。
なにか忘れているような気がするけど、思い出せない。
——さらに二週間後。
コンコンコンッ……コンコンコンッ……コンコンコンッ。
「クラウス! いや、クラウス様!! お願いですから、魔導士団に戻ってきてください!! 私のクビが飛ぶんです!! 毎日毎日国王陛下にクラウス様の入団はいつになるのかと、プレッシャー掛けられてるんです! お願いしますー!!」
「だから戻りません。……もし団長がきたらご近所さまが通報するようになってるので、騎士団の人がくる前に帰ってください」
いつまで続くんだ、これは。いい加減ウンザリなんだけど。
ここで、わざわざきてくれた騎士団の制服を見て思い出した。
そういえば西棟でアラン団長にいろいろ話して、無念がなんちゃらとか言ってなかったか? まさかとは思うけど、然るべき方って……国王陛下だったのか!?
いや、いやいやいや! そんな大事になるなんて思ってなかったんですけど!?
気付いたところで、国王陛下相手に一般市民の僕になにかできるわけでもない。さっきの騎士の人たちが、うまく報告してくれるように祈るばかりだ。
ため息をついてリビングに戻ると、郵便物を確認していたカリンが一通の手紙を差しだした。毎朝のことなのでカリンは完全スルーだ。
「お兄ちゃん、治療室の赤魔導士さんからお手紙来てるよ」
「えっ! タマラさんから!?」
もしかしたらカリンの治療について、なにかわかったのかもしれない!
よかった! カリンの治療のための青魔法の開発も煮詰まっていて、前に進んでいなかったんだ。
新たな攻撃魔法は開発できたけど、肝心の呪いの治療には役に立っていなかった。まぁ、これはこれで今後使う機会があるとは思うけど。
震える手で手紙を開く。
『今夜、西棟にこい。答えのひとつが見つかった。 タマラ』
短い文章だけで、細かい時間指定もなくて、本当にタマラさんらしい。でもきっと僕の探していた答えが見つかったに違いない。
カリンに手紙の内容を話して、夕食後に家を出た。
鬱々とした気持ちは前向きになって、重かった足取りは自然に駆け出している。
カリンを治せる! そのためだったら、どんなことでもやってやる!! 絶対にカリンを治すんだ!!
西棟までの道のりを、ひとり走り抜けた。