ミトは数時間前に自分へ銃口を向け、あまつさえ発砲したギズーに対し笑顔を作って見せた。それにはレイへの建前もある。自分を守ってくれた彼が今ギズーとの約束をしたばかりだ、それに泥を塗る訳には行かない。彼女なりのレイへの、いや……ギズーにも配慮した結果だった。
「さて、落ち着いたのでしたら話をしましょう。レイ君達も座りなさい」
咥えていた煙草を左手で取って灰皿へと移し揉み消すカルナック、同時に空気が一度だけ張り詰めた。
「御師様の術でも分からなかった彼女達の記憶ですが、現状では何をやっても封印は解けないでしょう。私の知る限りでは御師様以上の魔術師は居ません」
懐からもう一本煙草を取り出して口に運んだ、右手で指をはじくと摩擦熱を増幅させて小さな火種を作るとタバコの先端へと放り投げる。
「ですが――」
着火と同時に一気に吸い込み一度火を煽る。酸素と一緒に吸い込まれた煙は肺に入ると二酸化炭素と一緒にゆっくりと吐き出された。
「彼女達が本当に未来から来たというのであれば、その記憶を呼び起こす事は私は反対です」
「なんでだよ剣老院、こいつらの身分を証明するにはそれが一番だと俺は思うんだが」
「言いたい事は確かに分かりますよガズル君、でも考えてみてください。彼女達が本当に二千年先から来たタイムトラベラーだとしてたら――彼女達の記憶は非常に危険な物になりませんか?」
「だから何を言って――」
ガズルは瞬時に理解した、カルナックが一体何を言おうとしたのかを。そして何故その事に気が付けなかったのかと自分自身の無能差に舌打ちをした。
「どういう事だってよおやっさん、俺みたいな馬鹿にも分かるように説明してくれ」
アデルも煙草を取り出して火をつけてから深く煙を吸い込んだ。そして何の話をしているのかさっぱり理解できていない様子で悪態をついた。
「良いですかアデル? 彼女達はこれから先。つまり、私達の先二千年の歴史を知ってます、その歴史の中で何が起きて何があったが彼女達の頭の中に入ってます。それは物凄く危険な事なのですよ」
「だから何で危険なんだよ?」
「少しは考えなさい……すでに彼女たちがこの時代にいることで未来に変化が起きかねているのです。未来が変わってしまえば彼女達の存在が危うくなってしまいます」
「……つまり?」
「彼女達の存在そのものが消えてしまう可能性があるのです、彼女達からすれば今この時代はいわば過去です。過去を変えてはいけません。未来そのものが変わってしまうのですよアデル。その結果彼女達が生まれなくなる世界になってしまう可能性も否定できません。そして何より――」
カルナックはそこで一度言葉を選ぶために口を閉じる。そう、その先の言葉は彼等にとっても死活問題になりかねないからだ。だがその一瞬の静寂を破ったのは意外にも。
「この戦争そのものが変わってしまうかもしれんのぉ」
シュガーだった。
「良いか小僧、この娘たちの記憶が蘇って帝国の手に渡ってみろ。仮に帝国側が勝利するならまだしも負けてしまうという事態が未来で確定しているのであればそこに打開策を見出すじゃろう。そして勝利が確定した後娘たちは消えるか殺されるんじゃ。それが未来改変に繋がる可能性があるからカルナックは反対したのじゃ」
ガズルはその話を聞いて頷いた。そして補足するように続けて話をする。
「その考え迄至らなかったのは俺の責任だ、だけど自体は予想以上に悪い方向に進んでる可能性だってある。先のガーディアンがもしも帝国の手に渡っていればこの戦争帝国側がかなり有利になる。そこにこいつらの記憶まで渡ったらもうどうすることも出来ねぇだろうな」
自分自身そこまで考えが至らなかった事に苛立ちを隠せなかった、アレ以来ガーディアンの行方も分からず現状も未来改変の可能性が掛かっている爆弾を背負っているような物。
しかし、誰一人ガズルを攻める者はいなかった。いや、責められる筈が無かった。そんなことまで配慮をしていた人が誰か一人でもいただろうか?
かのカルナックですら最初は記憶を呼び起こすために御師であるシュガーを呼び寄せた位だ、その呼ばれたシュガーも賢者と言われる知能と知性を合わせていたにも拘らず、好奇心が先行していたのだ。
よって今はその事を責めるより今後どうするべきかを考える事の方が有益である。現状カルナック含め至高の弟子達は爆弾を抱えてしまっている。かと言ってここまで関わった以上、レイと言う人間は放っておくことが出来ないお人よしだ。見捨てる事なんて出来るはずがない。
「んじゃぁオイラ達はどうすれば良いんだい?」
事情を把握したファリックが珍しく口を開いた。
「安心しろよ、俺達のリーダーはこんな事でお前達を見捨てる程愚かじゃない。むしろその逆でどうにかしてやりたいってお人好しだ」
その問いに答えたのはギズーだった、今までの彼ならば何も言わずに睨むか「俺達は便利な何でも屋じゃねぇんだ」と捨て台詞を吐いていただろう。レイとの約束がそれほど彼にとって重要な事だと分かる。
「――だが、それは俺達を裏切らなかった場合の話だ。もしも裏切る様なそぶりを見せるもんならそれはレイとの約束の範疇外だ。その時は容赦なく後ろからだろうが何だろうが撃ち抜く」
その一言を聞いてミラは何故か安心した表情をしていた。ファリックの顔を見て一度頷くとレイの隣に座る姉にも同じようにして頷いた。
「なら大丈夫だね、ここまでしてくれた人の事をボク達は裏切る真似絶対にしないよ」
「その言葉、今は信じておこう」
今まで彼等の間にあった溝が少しだけ埋まった気がした、ミト達三人は彼等に信頼を。レイ達は彼女達を信じると約束を交わした瞬間だった。
「良い話だねぇ、おじさん涙が出ちゃうよ――」
外から聞こえたその声に一同は即座に反応した。初めて聞いた声に混じって届く僅かな殺気が彼等を瞬間的に動かしたのだ。低いその声は窓の外――カルナック家の庭から聞こえた物だった。
「誰だっ!」
咄嗟に反応したアデルが即座に窓へと走った。外に居たのはエルメアを着ている男が一人、ズボンのポケットに手を突っ込み煙草をくわえて立っていた。見る限り武器は所持していない。
「灰色のエルメア……大尉クラスですね?」
「流石は元帝国兵、良く知ってるじゃねぇか先輩よぉ」
ドアを開けてゆっくりと外に出るカルナックが目の前の青年を見てそう言った、不敵な笑みをこぼす青年は左手でタバコを口から離し、指ではじいて捨てた。
「吸い殻は灰皿へ捨てて欲しい物ですね、掃除するのは意外と面倒なのですよ?」
「まぁまぁ固い事は言いッ子無しだぜ剣老院? 今日の俺はメッセンジャー、アンタらとやり合うつもりは無い。何よりここは完全中立地帯だ、アンタと帝国が定めた不可侵領域だしな。俺も皇帝に危害が及ぶのは不本意なのでね」
そう言うと胸ポケットからもう一本煙草を取り出しては法術で火をつける。
「自己紹介が送れたな、俺はグラブ、「グラブ・ジキナ」だ。階級は大尉」
「それで、グラブさんは何を伝えにここまでやってきたのですかな?」
カルナックが穏やかな顔をしつつも眉一つ動かさない目の前のグラブに殺意を向ける。右手を失ったと言えどその力、今はまだレイ達を遥かに凌ぐ強さである。敵一人位その場で即座に仕留める事が出来る。
だがこの男の言う通りこの領域ではいかなる理由を持っても帝国との戦闘を行わない、それがカルナックと先代皇帝との取り決めがある。
「そう殺気を出すなよ先輩、アンタとまともにやり合えるのはこっちにたった一人なんだ。俺みたいな雑魚を威嚇しないで欲しいね。一度だけしか言わねぇ、良く聞きな剣老院」
ゆっくりとタバコを吸うと目をつむって数秒の沈黙を置いた。その間にレイ達も庭へと走って出てきた。それを確認したかのように正面を向いて。
「その前に餓鬼共、お前らとの決着は西大陸になりそうだ、遅刻せずに来いよテメェら?」
「西大陸っ――お前ら一体何するつもりだ!」
アデルがグルブエレスを引き抜きグラブに襲い掛かろうとしたがカルナックによって止められる。首を横に振りながらアデルを制止した。
「貴方達は現在メリアタウンでライン戦をしている最中でしょう、そこをほっといて西大陸にまで手を伸ばせばラインが崩壊して一気に崩れる。そんな余裕が今の帝国にあると思ってるのですか」
一番前に居るレイが怪訝そうな顔でそう言った、その言葉を聞いた瞬間グラブが静かに笑い始め、次第に大声になり大きく笑った。
「何がおかしい!」
「いやいや、めでたい奴らだと思ってな。まぁそのうち分かるさ。さて本題だ剣老院」
ゆっくりと笑うのを止めてカルナックを静かに見つめた。この二人の間に緊張が走り、空気がざわつき始める。
「右腕を失った貴方に、私が倒せるかしら? 久しぶりの再会楽しみに待ってるわ」
その言葉にカルナックの殺気が一段と増した、同時に周囲のエレメントがざわつき始める。ここまでカルナックの感情が揺さぶられるのも久しい。半年前にエレヴァファルと対峙した時以来だ。
「――わかりました、彼女にお伝えください。タダでは死にません。と」
「承った、その言葉しかと伝える。用件は以上だ、俺は帰るぜ」
もう一度同じようにして煙草を庭に捨てると振り返りカルナック達へと背を向けた。そしてそのまま歩き森の中へと姿を消した。
「レイ君、私は一足先に西大陸へと渡ります。君達はメリアタウンへと戻りなさい。出来る限り早く」
「一体誰なんですか先生、伝言から察するに知り合いにも聞こえましたけど」
「――アルファセウス最後の一角。フレデリカ・バークです」
聞き覚えがあった、かつて修業時代に聞いた名前。
名を聞いた瞬間レイとアデルは全身の毛が逆立つ様な錯覚を覚えた、それ程恐ろしい名前であり、教え込まれてきた事だった。
「最後の最、最恐――フレデリカ、ついに出てきたか」
ガズルもまた同じように固唾をのむ、噂でしか聞いた事の無いその名前。姿を見た物は帝国外部では唯一カルナックだけであり、その力はエレヴァファルを凌ぎカルナックと同格とも噂された。
「彼女が出てきてしまった以上私が動かない訳には行きません、先に西大陸へと移ります。海上商業組合にもそうお伝えください」
「しかし先生、右腕が無い今先生に勝算はあるのですか?」
心配そうにレイが尋ねる、するとにっこりと笑って後ろを振り返るカルナック。そこには不敵に笑うシュガーの姿があった。
「大丈夫です、御師様と私なら彼女を止められます。君達が出会う前に彼女を止めて見せます。だから今はメリアタウンのライン戦を何としてでも防いでください。御師様支度をして下さい」
フレデリカ・バーク、二つ名を最恐という。
カルナックやエレヴァファル同様「最」の称号を持つアルファセウス最後の一角。
曰く出会ってはいけない。
曰く見てはいけない。
曰くその名を口にしてはいけない。
かつてアルファセウスの中でもその戦闘能力はカルナックと肩を並べる程の強さを誇り、単純な殺傷力はエレヴァファルを遥かに凌ぐと言われている。
かつて四竜と呼ばれる災厄と立ち向かった時も二竜を倒したと言われる存在であり、帝国に魂を売った後もその力は衰えるどころか増強されているとも言われる。
彼女と対峙した者は生存せず、見た者は恐怖におびえ、名を口にすればすぐ傍に現れると言う逸話さえある。
故に最恐。
「分かりました、必ず追い付きます。先生達も決して無理をしないでください」
「無理して勝てるなら簡単ですよレイ君、出来る事なら私も再び会いたくは無かったです。ましてやこの状態でしたら私単独では無謀と言う物です」
「――かならず追いつきます」
不安そうなレイの顔を見たカルナックは左手で頭を撫でた。愛する弟子をこれ以上危険に晒したくないと言うその表情。横顔だけでもそれを伺ったアデルもまた不安に駆られていた。
「おやっさん、次は左腕が無くなるかもな。そしたら介護するぜ」
「――君と言う子は全く、安心してください。その時はアリスに介護してもらいますよ」
憎まれ口を言いながらも世界最強を勝利を信じてそう告げた。
その日の夜、カルナックとシュガーは旅立った。
普段の落ち着いた服からエルメアと着替えたカルナックは愛刀を腰に下げ、左手には荷物が詰まったバックパックを持っている。シュガーは着の身着のままだった。
こちらに来た時も大した物を持ち込まなかった様で身軽で旅に出る。森に入っていく瞬間まで彼等は二人のエーテルを感知していたが、姿が見えなくなった途端感知することが出来なくなった。瞬間的に移動したのか、はたまた転移魔術をシュガーが使ったのかは分からない。
そんな二人を見送った後、レイ達もまたカルナックの家を経った。一日二日は滞在する予定だったが自体が自体の為その日の夜に出発したのだ。
彼等もまた走っていた、ここまで到着するのに三日。道中帝国や盗賊団に襲われたりして時間を食っていたが帰り道は帝国の邪魔が入るだけだろう。早ければ二日でメリアタウンへと到着する。そう、そのはずだった。
「――嘘だろ」
夜間も移動し続けた一行が砂漠を超えを果たし、宿場町へと向かっていた。しかし走れど走れど宿場町は見えず、ついには荒野へと到着してしまった。
そして、異変に気付いたのはガズルだった。
「何だよガズル、立ち止まって何してんだ」
ゆっくりと走る速度を落として地面を見つめているガズルにアデルが問いかけた。その表情はまるで信じられないと言った物だ。
アデルの声に前を走っていたレイ達も異常に気付き足を止めた。
「どうしたんだアデル」
「いや、ガズルが立ち止まったと思ったら足元見て――」
アデルもまたその異変に気付いた。
微かだが煤が見えた、こんな所で燃える物なんてある訳が無い。旅人が暖を取る為に焚火をしたのかとも一瞬考えたがそれは直ぐに否であると分かった。その煤は小さいながらも周囲に小さく広がっていた。
「まさかとは思うが、ここは宿場町か!?」
ガズルのその声にレイとギズーも辺りを見渡した、確かに煤が辺りに散らばっている。よく見ると所々に煉瓦が小さな破片となって転がっていた。
「あり得ない、二日だ。たったの二日で街が一つ跡形もなく消滅するなんて事あり得ない!」
「じゃぁこの状況をどう説明する! 位置的にも大体この辺りなんだぞ!」
必死にレイが否定したがガズルはその発言自体を否定した。
決して大きな町では無かった。しかし小さい町でもなかった。宿場町として機能する程度は様々な物が備わっていた。それがたったの二日で消滅してしまった。しかしどうやって?
それに気づいたのはミラだった。
「周囲に残るエーテル反応から多分、かなりの大規模法術が使われたんだと思う。それも今の僕達じゃ扱う事も出来ない程の術式」
言われてアデルとレイが周囲のエーテルを探った。するとどうだろう。二人の顔色が一瞬で変わった。
「どれほど時間が経ってるのか分からねぇが、この町全体を覆う程のエーテル反応だ」
「それだけじゃないよアデル、濃度もまるで桁違いだ。先生とまでは行かないけど――シトラさん以上の使い手かもしれない。グラブの余裕はこれだったのか」
感知できないギズーとファリックは再び周囲を見渡した。
もしもコレが罠で、彼等が立ち止まっていることがその想定範囲であれば物陰から狙われているかもしれない。咄嗟に二人はそう考えていた。互いにシフトパーソルの使い手であり、仮に自分が敵だった場合どっから狙撃するのが一番都合が良いのかを考える。
「ファリック、お前は南だ」
「分かりました、ギズーさんは北の丘をお願いします」
二人はそう背中越しで呟くと互いに走り出した。
狙撃ポイントは二つ、一つは彼等から北側の小さな丘の上。もう一つは南西にある大岩。互いに走り出してそのポイントへと急ぐ。
「ギズー!」「ファリック!?」
レイとミラが二人の行動を見て叫んだ、そして二人の予想は的中していた。
ファリックが向かった大岩の陰から夕陽に照らされたショットパーソルが一瞬だけ光るのを見逃さなかった。初弾が発砲されるとファリックの顔数センチ横を掠めていく。
ホルスターからコルトパイソンを引き抜くと銃身目掛けて引き金を引いた。
轟音が鳴り響き岩陰から少しだけ見える銃身に弾丸が命中するとショットパーソルを弾き飛ばした。すると隠れていた帝国兵がシフトパーソルを右手に構えてファリックの前に立ちはだかる。姿を確認したファリックは再び引き金を引いた。その弾丸は相手が引き金を引く前に持ち主のシフトパーソルを撃ち抜き、二発目で使用者の頭部を破壊した。
時同じく北側へ走り出したギズーも小さく光るショットパーソルを見つけると即座に右足のホルスターからシフトパーソルを引き抜き発砲した。
こちらも同様に銃身に弾丸が当たるとショットパーソルを弾き飛ばすことに成功。そのまま丘を駆けあがって使用者の頭にシフトパーソルを突き付けた。
「舐めた真似してくれるじゃねぇかこの――」
そこでギズーの言葉が止まった。
離れた位置にいるレイはギズーの姿をしっかりと見ていた。氷結剣聖結界を発動させる準備を完了させ、いつでも防御態勢を取れる状態にまでなっていた。しかしギズーの様子がおかしい事に気付いた。