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ポーチに入れておいた水筒にレイが手を伸ばし蓋を開ける、口元に水筒を持って行こうとする手がガタガタと揺れているのが誰の目にも分かる程に動揺している。異様な姿を見たミトが何かを察してゆっくりと元の位置に座りなおした。
「気にするな、時々あるんだこいつらは」
「わ、分かったわ……ごめんねレイ。帝国は何となく分かった、他にはどんな勢力があるの?」
未だに動揺しているレイを横目に質問を続けた。正面を見るとミラとファリックが互いに肩と頭を枕にして眠っているのが見えた。
「他の勢力の話をする前に大陸の話しておこうか」
ずれていた眼鏡を直して話始めるガズル、最初に話し出したのは現在彼等が居る中央大陸。
北部と南部で分かれていて彼等が居るのは南部だ、北部は全面的に帝国の支配下にある。北部と南部を隔てる一際大きな山脈があってこれをルーデルス連峰と言う。標高七六七七メートルで麓にはレイの故郷ケルミナが存在していた。そこから数キロ離れたところにカルナックの家が有る。共に標高はそれなりに高い所に位置している。
北部の中央に帝国の現本部が存在している。カルナックによって壊滅させられた旧本部は現在の南部支部に当たる。
北部に行くには主に三つの手段があり、一つは船による渡航。一つはもちろん連峰を登りきる事、そして最後の一つが。
「数年前に出来た巨大なトンネルだ、数十キロに及ぶ巨大な一本のトンネルがあってそこに西大陸から取り寄せたって言われる蒸気機関車で移動してるって話だ。俺達はもちろん帝国外の人間がそれを使う事はできねぇけどな」
続けて東大陸の話を始めた、ケルヴィン領主が納める『イーストアンタイル公国』があり自分達同様に反帝国を掲げる国である事。現領主のケルヴィンとその軍隊の存在。まだ未開の地が幾つか残っている事や帝国に次いでその権力が大きい事。
「それでも、帝国の足元にも及ばなかった。今は俺達が参戦したおかげで劣勢から抜け出したけど別に同盟を組んでるって訳じゃない、互いに利害が一致しているってだけに過ぎない」
「その言い分だと向こうも大概って事なのね……最後の西大陸ってのはどうなの?」
「西大陸は別名があってな、魔大陸って言われてた時代があったんだ」
そして最後の西大陸、中央や東に住む種族とはまた別に魔法を操ることが出来た魔族が居た。今はもう数が少なく絶滅危惧種にまで指定されている。外見は人間と大差なく、パッと見では全く区別がつかない。
法術師がその膨大なエーテルを感知してやっと認識できる程度で、正直見分けが付かないのだ。だが彼等が扱う法術とは元をただせば魔法、つまり魔族が使う力を応用した術である。言わば法術の大本、法術師からすれば聖地ともいわれる大陸である。
だが、何故彼等魔族がその膨大なエーテルを生まれ持ち合わせているかは一切分かっていない。突然変異なのかはたまた呪いの類なのか、これもまた帝国の起源以上に遡る話だ。今はもう知る者も居ないだろう。
西大陸には中央や東大陸にはない文明が存在する、少しだけ進んだ力。水蒸気を使った機関が存在している。蒸気機関は西大陸で生まれ徐々にではあるが中央や東にまでその勢力を伸ばしている。それでも西以外で見かけるのは稀な話である。
西大陸を統治しているのは半分が帝国で、残りは正直なところ分かっていない。幾つかの部族が集まってできた大きな都市があるとは噂に聞く程度でほぼ帝国の領地化にあると言っても過言ではない。
「じゃぁ、世界の半分以上は帝国が支配してるって事?」
「そうなるな、半分どころか三分の二は帝国の支配下だ。昔は世界制覇なんてこともあったみたいだけど、昔も昔大昔さ。今じゃ文献でそれを知る程度の事で歴史上何があったかは明確には記載されてねぇ。調べようにも分からずじまいって所だ」
一通りの事はガズルが一人で喋って終わった、レイとアデルはやっと落ち着きを取り戻したのか体の痙攣が徐々に収まり始めた。この二人に刻まれたトラウマは他の面々が予想する以上なのだとこの時初めて知る。普段このような事が起きることも無く、いざ戦闘となればその強さは折り紙付き。剣聖結界すらマスターする精神の持ち主であるのにこの動揺っぷり、修行時代に一体何があったのかを聞きたくなるが……それは各々胸に仕舞い込んだ。
「んで、何か思い出したことはあるのか?」
一通りの話が終わった所をギズーが睨むようにミトを見て質問をする、それにミトは首を横に振った。
「さっぱり、靄みたいなのが掛かっててまるで思い出せないし。それ以上何かを思い出そうとすると頭が割れる程痛くなってどうにもならないわね」
「――っち」
一つ一つの部品を組み合わせてシフトパーソルの手入れを終わらせようとしていたギズーがもう一度横目でミトを睨みつける。するとギズーの目からは微量の殺気が漂い始める。
「なぁミト、俺はテメェが気に入らねぇんだ。いや、テメェらだ。どこの生まれでどこから来たのか、はたまたどんな理由があって俺達の目の前に現れて何をしようとしてるのか。俺にはさっぱり分からねぇ。そんなテメェらを俺達のお人よしは庇うっていうんだから笑っちまうよな? 良いか、もう一度だけ言ってやる。俺はテメェらが気に入らねぇ、できれば今すぐにでも撃ち殺してやりてぇと思ってる位だ。何が楽しくてテメェらのお守をしてやらなくちゃいけねぇんだ。記憶喪失ってのも疑わしいなぁ――」
ゆっくりと揺れる車内の空気が一瞬だけ張り詰めた。手入れを終えたシフトパーソルにマガジンを装填したギズー、それが原因だった。ゆっくりと自分の顔の前に持ってくると磨かれた自分の獲物を見つめる。鏡の様に綺麗になったシフトパーソルを様々な角度で黙視する。
「ま、まぁ……それをどうにかできないかを先生に相談するんだしさ。ギズーもいい加減――」
レイが言い終える前にギズーの右手がレイの顔正面に出てきた、その手にはシフトパーソルが握られていてトリガーに人差し指が掛かっている。コックも上がっていて何時でも発射できる状態になっていた。銃口は――ミトに向けられている。
即座にレイは感じ取った、ギズーから発せられる異常なまでの殺気を。それを見たガズルも止めようと動き出すが後はトリガーを引くだけの状態。どうにかして銃口を蹴り上げるには無理な体制でギズーの手を狙う。
「っ!」
レイの目にはしっかりと映っていた、ゆっくりと動くギズーの右手人差し指がトリガーを奥へと押し込んでいく。そして目の前で完全にトリガーが引かれると乾いた発砲音がすぐ目の前で鳴り響く。同時に銃口からは弾丸が発射された。
彼等がメリアタウンを出発してから幾時が経った頃、カルナックの家ではアリスが目を回す勢いで慌てていた。
昨夜ギルドを通じてレイから連絡を受けた彼女は団体が来ると知らされてからこの通り朝から掃除やらなにやらと大忙し、同じくその手伝いとしてビュートも修行そっちのけで手伝いをさせられていた。当のカルナック本人はというと……ギルドの情報部員と一緒に彼の書斎で何か作業をしている。
あの事件以降、カルナックの家から程なくの距離に新しく小さな家が建てられている。家というにはあまりにも質素で小さく、人間が二人共同で生活できる程度の広さしか無い。そこはギルドの情報部員がカルナックと共同でとあることを調べる為に移住する為に建てられた家である。と言ってもほぼカルナックの家で作業をしているので使用するのは寝るとき以外使われていない。食事はカルナック家で済ませている。
それではアリスの仕事量が以前より増えてしまうのではないかとカルナックは最初こそ断りをしたのだが、ギルドの申し出により食材等は全てこちらで持つと申し出を受けた。カルナックはそれでもと断りを入れようとした所、アリスによって華麗に阻止されてしまった。
アリスからすれば願ってもない申し出であるのだ、麓の街に出向く必要がなくなりすべて家の中で家事が終わるのである。これにはビュートも同時に喜んでいたという。
話を戻そう、今カルナックの家では大掃除と一緒に人数分の食器を洗剤したり部屋の確保を行っている。その忙しさは半年前にレイ達が訪れた時以上の忙しさとなっていた。
「ビュート君、部屋のチェック終わったかしら?」
「まだです姉さん、もう少しかかります」
「わかった、でも午前中までに終わらせてね。午後からは君巻き割りだからね」
「また巻き割りですかぁ……」
二人で分担作業を行っている中の作業工程の確認、ビュートは少しばかり遅れている様子ではあったが彼らが到着するのは今日の夜か深夜あたりだろう。まだ慌てるような時間ではないはずの二人が何故ここまで急いでいるのか。それは夕方までに終わらせておきたい事情がある。
いや、正確にはここまでの作業工程で慌てても良いのかもしれない。前回と同様の人数がこちらへとやってくるのだ、夕方からはアリスだけは食事の支度もしなければならない。ましてや今度はギルドの情報部員も居る。その量は想像をはるかに超えるだろう。
「全く、レイ君も来るなら来るでもっと早く連絡してくれればいいのにね」
「その通りです! いくら先輩でも急すぎます、もっと余裕のある行動をするべきだとボクは思いますね!」
「そうね、でも余裕のある行動はあなたも一緒よ? そんな所で油売ってないでさっさと部屋の準備をするっ!」
レイ達の帰りを今か今かと待つビュートは知らず知らずの内に顔が緩み切っていた、ゴミを外に運び出そうとしていたが足を止めて何かを妄想している。傍から見ればそれはそれは気持ち悪い笑顔である。それを見たアリスは近くにあった包丁をビュート目掛けて投げると、彼の目の前を通過し壁に突き刺さった。
「……そういう姉さんだってその笑顔は何ですか? 僕は単純に先輩達に会えるのが楽しみなんです。姉さんのその笑顔は先輩に抱き付けるからですよね? 先輩言ってましたよ、それは悪い病気だって! だから早く直した方が――」
ビュートがすべてを言い終える前にもう一本の包丁が飛んできた、今度は彼を確実に突き刺すつもりで投げただろうその軌道。振り向きざまであったのが彼の命を救った。
即座にしゃがみ込み頭の数センチ上を通過して壁に突き刺さる包丁を彼は確かに見た。目線をアリスへと向けると、そこには満面の笑みの――例えるなら般若の様な恐ろしい殺気が漂っていた。
「ビュートくぅん? 何か言ったかしらぁ?」
「なななな、何でもありません! 直ぐにゴミ出しを終わらせて部屋の作業に戻ります!」
殺気に充てられたビュートはその場を逃げるように去っていった、それを見てアリスが一つため息をつくと壁に突き刺した包丁を引き抜いて傷跡を見る。
「……ギルドに言えば修復材安くしてくれるかしら?」
思いのほか深くめり込んでいた包丁が一本、後に投げた物が予想以上に深く入ってしまっていた。そこまで力を込めてたつもりは本人には無いのだろうが、結果としてはこの様である。並の人間であれば避けきれないタイミングであるのは確かで、これはビュートがしっかりと修行を積んでいたことを意味する。アリスは彼の成長を素直に喜ぶべきか、はたまたこの壁の傷をどうするべきかを悩み複雑な気持ちでいたのは間違いないだろう。
「うん?」
暫くすると表からビュートの声が聞こえてきた、誰かと話をしているようだ。少し遠くにいる為か何を話しているのかはよく聞こえない。だがすぐにそれは分かった。
「姉さん、あのぉ~……」
「何よビュート、どうしたの?」
ゆっくりとドアを開いてこちらを覗き込むように顔を出したビュートに不思議な違和感を覚えアリスが玄関へと足を運ぶ、困惑した表情でビュートは一度後ろを振り向き、そしてドアを開けた。
「お客様です?」
ビュートの後ろには黒いローブを羽織った少し小さな女性が立っていた。
小柄でビュートより身長は低い、ローブから見える顔立ちとその身長には不釣り合いな大きなバストがアリスの目に飛び込んできた。
「やぁアリス殿、儂の馬鹿弟子は御在宅かな?」
「ギズーっ!」
乾いた発砲音があたり一面に鳴り響いた。レイの目の前に出された右手は発砲の反動で少しだけ水平から浮き上がっている。
発射された弾丸はミトの顔スレスレを横切り森の中へと消えていく。同時に見知らぬ誰かの悲鳴が聞こえてきた。
「え?」
悲鳴が聞こえた方向に一同が顔を向ける、すると馬に乗った帝国兵が右肩から血を流しながらこちらへと走ってくるのが見えた。
「スライドの最終チェックをしてる時にちらっとだけ見えた、おそらく右手に持ってるショットパーソルが日の光を反射して見えたんだろう」
「それならそうと言ってくれ、突然腕が出てきたときは驚いたよ!」
「妙な動きをしたら撃たれてただろうよ、そこの生簀かねぇ女がな」
帝国兵は見るに一人だけ、撃ち抜かれた右肩ではもうショットパーソルを打つことは不可能だと悟るが、今度は左手に持ち替えて腕を伸ばす。
「この……餓鬼がぁ!」
それがこの帝国兵士の最後の言葉だった、彼のこめかみに一発の銃弾が命中し命を落とした。今度はファリックが狙いを定めて精密射撃を行った。ギズーのシフトパーソルとは異なり、こちらは轟音が鳴り響く。
「あなた、私のことが嫌いだったんじゃないの?」
ミトが心臓をバクバクとさせながらギズーに尋ねた、一方ギズーはそれまでと同じ表情でミトを睨みつけながらしゃべる。
「勘違いするな、てめぇは気に入らねぇし嫌いだ。さっさと消えてくれればと今でも思うね、どうせなら助けずにそのまま見殺しにするもよかった。だが、その軌道上レイがいるから撃っただけだ。だから決してテメェを助けたわけじゃねぇ」
懐から煙草を取り出して口にくわえる、着火剤が見当たらず舌打ちをしたのちアデルを見た。目で合図を受けたアデルは無言のまま右手で指を鳴らすと摩擦熱にエーテルを加え少量の炎を作り出してギズー目掛けて放り投げる。
「だが気を付けたほうが良い、単独だったが追われてたってことを考えればこの先待ち伏せがあるかも知れねぇ」
小さなアーチを描いて炎がギズーの咥える煙草の先端に落ちる。そのタイミングで息を吸い込み煙草に火をつける。深く吸い込み二酸化炭素と共に煙を吐き出した。
シフトパーソルを右太ももに備え付けているホルスターにしまうとそのまま壁に寄りかかって両手を頭の後ろに回した。
「なぁギズー、俺にも一本くれよ」
「断る、暫くの間残り本数を気にしなくちゃいけねぇってのにテメェに分け与えるもんはねぇ」
煙を見た瞬間アデルも吸いたくなったのか懐を弄るが在庫がなかった。ダメもとでギズーに頼むが案の定断られてしまう。
「そんな事より不思議だと思わねぇか?」
左手で煙草を口元から離すと横目でレイを見た。
「出発前から南支部の動向はずっと探っていたはずだ、何も動きがなかったのにも関わらずなんで今日俺達がメリアタウンを発ったと何故分かった?」
言われてみれば確かに不思議ではある。わざわざ帝国の南支部を迂回するルートを選んでいるのに何故場所が分かったのか、偶然通りかかった兵士が単独で追ってきたのだろうか? いや、そんなことはあり得ない。元より最低でもツーマンセルで動く帝国兵士が単独で、しかも現状一番の敵であろうFOS軍をだ。
「だからアレじゃね? 一人は追跡を行わせてもう一人は報告に行ってるとか」
アデルが呑気にそんな事を言うがギズーは即座に反論する。