『この星で、最後の愛を語る。』~The Phantom World War~

 必死に抵抗するレイだったが抗う事の出来ない程の重圧だった、氷雪剣聖結界(ヴォーパルインストール)を発動している時は通常の法術障壁より格段に術式が上がっているにも関わらずだ。その重圧は恐怖を植え付ける。

「……」

 シトラはゆっくりとレイヴンの死体に目を向けた、ピクリとも動かないことを確認し絶命したのだと悟った。そして再び四人に強烈な精神寒波が襲い掛かる。
 いつしかカルナックが見せた衝撃波を伴った物とよく似ている。とても冷たい殺気も同時に混じっていた。レイ以外の三人はその衝撃によって三度壁へと吹き飛ばされる。何とかレイだけはその衝撃波だけは(・・・)受け流すことが出来た。

 そして次は無いと覚悟する。

「――ありがとうレイヴン、後は私一人で何とかするわ」

 するとシトラの姿が消えた、その直後レイの腹部に衝撃が走る。瞬時にレイの元へと移動したシトラはレイの腹部を蹴り飛ばしたのである。それは予想だにしていなかった。これは剣聖結界の恩恵ではない。シトラ本人の身体能力の高さだ。

 これで四人は揃って壁の方へと弾き飛ばされてその場に倒れてしまう。

「やっぱり化け物だあの女っ!」

 ガズルが地面にひれ伏しながらそう叫んだ。そう、最初にシトラの恐怖を知ったのはガズルだった。ケルヴィン城で植え付けられたその恐怖を思い出していたのだ。

「失礼ね、女性に向かって化け物だなんて――」

 冷静に話し始めた、両手を広げて法術を詠唱すると氷の槍が二本出現した。
 それをまず動けないでいるガズルに向けて投げる、続けてギズーにも投げつけた。放たれた槍は地面に直撃しガズルとギズーの体をを凍らせて身動きが取れないようにした。
 続けてもう二本作り出すとレイとアデルに向けて投げつける。レイは何とかその場に立っていたが放たれた槍は左肩に突き刺さりそのままもう一度壁に張り付く形になる。同時にその場霊剣を落としてしまう。アデルはフラフラに成りながらも立ち上がったが左足に槍が刺さる。

「急に何だってんだ、さっきとはまるで別人じゃねぇか!」

 左足に突き刺さった氷の槍を引き抜きながらアデルが叫ぶ、突き刺さった場所は急速に温度が下がり凍傷となる。

「分からない、でもレイヴンが倒れた直後にシトラさんのエーテルが爆発的に増加したんだ。それも――」

 レイの瞳にはしっかりと映っていた、シトラの体に纏わりつく異常なまでのオーラを。体内のエーテルが溢れ過剰に放出されている。

「おそらくレイヴンのエーテルだ、きっと何方(どちら)かの生命活動が停止した時に残りのエーテルを全て譲り渡すって契約でも結んでいたんだろう」

 体と地面が氷によって塞がれているガズルが冷静に分析をする、それを聞いてギズーが思わず笑ってしまった。

「冗談じゃねぇ、そんな事できるわけが――」
「いや不可能じゃない、普通そんな事する奴なんていねぇけど」

 アデルは知っていた、レイの深層意識の中で起こった出来事を思い出す。他人にエーテルを分与することは可能であると。厄災がアデルにしたのと同じように。そしてこの局面を打開する解決策を模索する。レイも同じことを考えているだろう。この局面において彼らに残された策は残り限られている。

「おしゃべりはもう済んだかしら?」

 シトラの体から放出されるエーテルが一段と増す、紛れもなく凄まじいまでのエーテル量だ。
 その膨大な量から法術が放たれればどうなるか四人は考えたくも無かった。しかし現実は無情な程現実味を帯びている。次第に周囲の気温が下がり始めて吐く息が白くなる。それまで溶岩の熱で汗を掻くほどだったのにだ。

 シトラから放出される冷気が一層強さを増し始めた。

「それじゃぁ、皆さようなら」

 最後に微笑むと彼等四人の元へと氷の刃が襲い掛かってきた、地面から付きあがる氷はシトラの体から前へ前へと突き出してくる。徐々に距離が詰められていきレイ達の目の前にまで迫ろうとしたその時。レイの右手人差し指にはめられた指輪が突如光りだした。
 その光にレイ達四人はもちろん、シトラの視界を奪う。

「レイ君、大丈夫だった?」

 目の前に迫ってきた氷の刃は突如真っ二つに割れた。レイの処へ向かってきた物だけじゃない。四人全員の目前に迫ってきた氷が全て真っ二つに割れていた。

「もう大丈夫だよ」

 レイの視界がぼんやりとだけ戻ってくる、そこには小さな人影が巨大な剣を右手にもって立っていた。そのシルエットをレイは知っている。アデル達と冒険を始めて以来ずっと一緒にいた大切な女性。そのシルエットと声が似ていた。

「シトラ・マイエンタ――私があなたをっ!」

 彼女の名前はメルリス・ミリアレンスト。普段の彼女からは想像もつかないエーテル量を携えて彼らの前に現れた。
 レイ達四人が最後の階段を下っていた同時刻、カルナックの家ではプリムラ、メル、アリスの三人がリビングでおしゃべりをしていた。ビュートは一人先に風呂に入っている。外は大荒れで吹雪が三日三晩降り続いている。積雪も過去最大にまで積み上がり日中はその対応に追われていた。とは言うが殆どはビュート一人で雪搔きを行っていたのである。
 これは本人からの申し出で、レイ達が出かけている間修行の一環だと言って重労働系は一人で全て片づけた。しかし日中吹雪の中雪搔きを行っていたビュートの体は骨の芯から冷え切っていた為普段一番最後に入る風呂をアリスが気を利かせて一番最初に入れさせた。

「すごい吹雪ね本当、南部地方でこんなに降る事って早々無いのに」
「北部出身の私でもこんな豪雪見たことないですよ、ちょっとビックリしました」

 プリムラとメルがそれぞれ受け答えする、静かに紅茶を啜るアリスもそれを聞いて窓の外を見る。確かに今まで見た事の無い豪雪である。長い事この家に住んでいるがこんな振り方をする雪を見た事が無かった。まさに異常気象という名にふさわしい。

「まさに異常気象ね、一体全体どうなってるのかしら」

 季節は年の瀬、外の気温は氷点下まで下がりあたり一面が白銀の世界に覆われている。日中雪搔きをしてもらったにも関わらず現在の積雪は一メートルを超えていた。この調子で降り続ければ朝にはどうなっているのかとアリスは不安に駆られる。

「あれ?」

 それから暫くして、ふいにアリスが立ち上がった、その声にプリムラとメルもつられて窓を見る。今の今まで吹雪いていた雪が突如として止んだのだ。それも何の前触れも無く。

「雪が……止んだ?」

 咄嗟に玄関へと走り出した、ドアを開けるとそこには降り続いていた雪がぴたりと止んでいる。思わず空を見上げると急速に雲が散っていくのが見えた。アリスは思わず驚愕した、切れる雲の間から星の輝きが覗き見える。その雲は一定の方向へすべてが流れていた。それはレイ達が向かった場所の方角だった。

「何が起きてるの?」

 つられて二人も外へ出る、同じように空を見上げて一定方向に動く雲の流れを見た。風も止んで一見穏やかな冬の夜がそこに訪れたのかと誤解するほどに静まり返っていた。不気味に静寂だけが冬の夜を支配している。

「ほんと不気味、こんなの見たことない」

 プリムラも同様にそう答えた、気候が安定しない東大陸出身の彼女ですらこんな異常気象は生まれてこの方見た事が無かった。そんな外の景色を見ていた三人の中に一人だけ芳しくない表情をする人がいる。メルだった。雲の流れを見た彼女は一歩後ずさりをする。それに気づいたアリスはゆっくりとドアを閉めてこういった。

「ごめんねメルちゃん、寒かったよね。今日はもう遅いし寝ようか」
「アリスさん……はい、わかりました」

 両手を胸のところでギュッと握って俯きながら答えた。その日彼女たちはいつもより早くそれぞれの自室へと戻り就寝に付く。だがアリスは気にかけていた。先程見せたメルの表情に違和感を覚えていた。あまりの異常気象に内心怯えていたのか、それとも何か別の胸騒ぎがしたのか。それが気になっていた。確かにアリスの中にも胸騒ぎに近い何かを感じている。それはきっと彼等五人の事だろう、果たして無事に帰ってくることが出来るのか。そんな事ばかりここ数日ずっと考えていたことは確かだ、だがそれ以上にメルのあの表情が気になっていた。

 それから数十分後、隣の部屋から物音が聞こえた。メルの部屋からだった。不審に思ったアリスは寝巻にカーディガンを羽織って自室を出る。左隣のメルの部屋に視線を送り声をかけた。

「メルちゃん、大丈夫?」

 それに対してメルからの返答は無い、不思議に思ったアリスが扉を開けた。その部屋にメルの姿は無かった。真っ暗な部屋の中に入るとあたりを見渡す。

「トイレかしら?」

 カーディガンを両手で押さえて部屋の中をじっくりと見ると机の上に何かがあることを発見した。手紙だ。

「手紙?」

 それを手に取って読み始めた、すると見る見るうちにアリスの表情は強張り勢いよく部屋の外へと出た。

「プリムラちゃん! プリムラちゃん!」

 更にその奥、プリムラが寝ている部屋の扉を激しく叩く。扉の鍵が開くとゆっくりと開かれる。そこにプリムラが眠そうな顔で出てきた。

「どうしたんですかアリスさん?」
「これ……これ見て」

 血相を変えていたアリスはプリムラに手紙を渡す、眠い目を擦ってそれを受け取ると書かれている内容を読んだ。そして驚いた。

「何よこれ、私ビュート君起こしてくる!」
「お願いね、私は外を見てくる」

 二人はそれぞれ反対方向へと走り出した。プリムラはアリスの隣の部屋で寝ているビュートを起こしに、アリスは下へと降りて玄関の扉を開いた。外は相変わらず一面の銀世界、足跡一つない綺麗な雪がぎっしりと敷かれていた。
 レイの視界がぼんやりとだけ戻ってくる、そこには小さな人影が巨大な剣を右手にもって立っていた。そのシルエットをレイは知っている。アデル達と冒険を始めて以来ずっと一緒にいた大切な女性。そのシルエットと声が似ていた。

「シトラ・マイエンタ――私があなたをっ!」

 突如として現れたメルの姿にレイ達四人は驚いた、一体どこから現れたのか。何故ここにいるのか、彼女にこの場所の詳しい位置は教えていない。レイ達もカルナックの案内でたどり着いた位だ、この場所を知ったのは家を出てからの話である。それなのに何故彼女がこんなところに居るのか。

「メルちゃん、どうやってここに来たの?」

 シトラの視力も回復してきて視界に入った彼女の姿を見て驚いた。シトラの目に移ったのは白いローブに肩掛けジャケット姿をしたメルだった、そしてその右手に持つ巨大な剣に視線が動く。

「不思議ね、何であなたが此処に居るかってことも分からないけど……何であなたがその剣を持てるのよ」
「……」

 霊剣を握っていた。その体には不釣り合いな程大きな大剣で迫りくる氷の刃を真っ二つに破壊したのだ。未だ理解できずに彼女の後姿を見つめるレイ達、ゆっくりと顔だけ振り返るメルは一言だけ。

「来ちゃった」

 そう笑顔でレイに微笑んだ。左手に結界解除の法術と回復法術を同時に唱えるとそれをレイ達四人に向けて放つ。そしてすぐさま正面を見ると霊剣を両手で握って走り出す、シトラ目掛けて一直線に駆けたメルは霊剣を横に構える。

「メルっ!」

 レイが叫んだ、それと同時にメルの姿が一瞬にして消える。気が付くとシトラの頭上に現れると振りかぶった霊剣を横に一閃振るう。シトラにもメルの姿はとらえきれなかった。その速度、レイヴンが炎帝剣聖結界(ヴォルカニックインストール)を発動させた時に等しい。しかし彼女にそんな力は無い。
 今まで見てきた彼女には力も技も無い事を知っている。だがそれは偽りだと直ぐに理解した。斬撃を放たれたことで彼女の物理障壁が咄嗟に発動する。一度はそれに妨げられて霊剣の動きが止まるが、次の瞬間ずるりと障壁の中へと入ってきた。

 シトラは驚愕した、レイヴンの残りのエーテルを体内に取り込み、氷雪剣聖結界(ヴォーパルインストール)で法術を高めた彼女の障壁がこんなにもあっさりと破られてしまったのである。体を後ろにのけ反ると首の皮一枚だけを霊剣が霞める、そのままバク転で後退するがメルの攻撃は止まらなかった。

 着地すると同時に縦に霊剣を振るう。まっすぐな直線を描きシトラの頭上に霊剣が迫る。直ぐに障壁と氷の盾を作り出し霊剣の斬撃を防ぐシトラ、そのまましばらく一方的にメルが攻撃を仕掛ける。

「どうなってんだ、メルがあんなに強いなんて聞いてねぇぞレイ!」
「僕にだって分からない、普段のメルからあんな動きが出来るなんて想像もつかないよ」

 アデルが立ち上がり近くのガズルの体を起こしながらレイに叫んだ。レイもまたギズーの体を引っ張って起こしながらそう答える。四人の目に移っているメルは驚異的な戦闘力を誇っていた。つい先ほどまで自分たちが手も足も出なかったシトラがまさかの防戦一方、そして自由自在に霊剣を操る姿がに驚愕する。
 レイはその振るう姿を見るのは二回目だった。しかし以前に霊剣を振るった時はこんな戦闘力があるとは微塵にも思えなかった。それもそうだろう、いつものメルを見て誰がこの姿を想像できようか、普段ナイフ一つ扱えない彼女がまさに目の前で霊剣を振るっている。その姿を驚かずに何を驚くのか。

「あぁぁぁぁぁっ!」

 ついにメルの攻撃を防ぎきれなくなったシトラ、一瞬の隙を見逃さなかったメルは体を捻って巨大な霊剣を下から切り上げる。するとシトラの左腕が根元から切断されて空に舞う。ここにきて初めてシトラに決定的なダメージを与えることになる。苦痛に悶えその場に膝をついたシトラは目の前に立ち塞がるメルを睨んだ。

「人間如きに……人間如きに私が追い詰めるなんてっ!」
「そう、やっぱりあなた『も』人間じゃないのね?」

 とても冷たい目をしていた、普段のメルからは想像もできない程冷たい目だ。その目を見たシトラは思わず声を上げた、見覚えのあるその瞳、そしてメルから感じる不思議な感覚。それをシトラは知っていた。

 メルはゆっくりと霊剣を左に構えて水平に剣を振るう。

「そんな……まさか、貴女――」