そして突如としてその映像は消えた。あたり一面が真っ暗になるとまた違う映像が映し出されてくる。それは最初の草原だった。
「振り出しかの?」
炎帝が顎髭を右手で触りながらそう言う、目元にクマを作っていたアデルはゆっくりと立ち上がり首を振る。
「いや、違う」
アデルの目には広大に広がる大草原の中に一つの人影を見つける。青い髪の毛をして青いジャンパーを着てる少年が一人そこにいた。レイだった。
「レイ……」
二人はゆっくりとレイの元へと近づく、レイは微動だにせずそこに立っていた。最初の草原と同じように穏やかな風がゆっくりと吹いている、その風にレイが来ているジャンパーが靡いている。その様子を見たアデルが走って近づいた。
「起きろレイ!」
レイの肩をつかんで揺さぶる、しかしそれに反応する様子が全くない。まるで生気が無い抜け殻の様になっていた。瞳に光はなく、ぼうっと一点だけを見ている。全てが上の空でいくら呼びかけても反応が全くなかった。
「起こしちゃ駄目!」
突然揺さぶり続けるアデルの裾が引っ張られた、振り返ると先ほど見た小さなレイが涙目でアデルの裾を引っ張っていた。
「レイ、お前」
「起こしちゃ駄目だよお兄ちゃん」
アデルはしゃがみ込み小さなレイの肩をつかんだ、今にも泣きそうなその顔は何時か見たレイの顔そっくりだった。記憶の中にある親友の泣き顔がそこにあった。
「お兄ちゃんって、お前何言ってんだ」
自分の事が分からないのか、そう口に出そうとしたがやめた。きっと今正面にいるこの小さなレイはきっと昔の記憶にいた少年なのだろうと。もしそうであれば出会っていないアデルの事を認識できないかもしれない。
「そこのお兄ちゃん疲れちゃったんだって、だから起こしちゃ駄目」
首を横に振りながら泣いてそう訴える小さなレイ、それを見て言葉を失ってしまった。
「アデル、一体どうしたのじゃ」
ゆっくりと歩いてきた炎帝が言う。そこにいた小さなレイは炎帝のほうを一度だけチラッと見るとまたアデルに顔を向ける。肩を震わせている小さなレイは怯えているようにも見えた。
「おじちゃんがね、そのお兄ちゃんは疲れちゃったから起こしちゃダメって言ってたんだもん!」
「おじちゃん?」
小さなレイから発せられた言葉に違和感を感じた、仮に炎帝の事をおじちゃんと呼ぶにしては子供から見たらお爺ちゃんではないかと。その違和感は確信に変わりつつある。
「アデル、気を付けろ」
炎帝が後ろを振り向いて警告した、それを聞いて違和感が確信へと変わった。アデルはレイから感じるエレメントのほかにもう一つ、感じた事のないエレメントを感じ始めた。すぐ近くにいる気配がするが辺りにはその姿が見えない。
「出てこい、いるんだろ! 居るんだろ! そこに居るんだろ!?」
アデルが立ち上がり小さなレイを庇う様に後ろに下げて叫んだ、しかしそこは相変わらず広大な草原が広がっているだけだった。次第にその草原は姿を変えていく、遠くの方に山が出現し木々が地面から突如として生えてくる。次第に感じた事のないエレメントは距離を詰めてきた。
「姿ださねぇってんなら引きずり出してやる!」
腰に差している剣を両手で引き抜くと瞬間的にエーテルを練り上げる、二本の剣を交差させて一瞬だけ刃をぶつけると火花が散った。そして一気にエーテルを放出すると光が増幅しその空間いっぱいに広がる。
「姿を見せろ、炎の厄災!」
一面草原だった空間に亀裂が入る、ビキビキと音を立てて崩れる草原の景色があった。崩れたところは再び先ほどの焦土の景色へと変わっていく。いや、正確には違っている。今度姿を見せた景色には人が焼かれて助けを求めてるのが確認できる。女子供が泣き叫び、男が大声で助けを求める。先ほどとは似ているがまるで状況が違う景色が目の前に現れ、そして一人の人影が出てきた。全身真っ黒な姿で焦げているようにも見える、またさっきの鼻につく嫌なにおいが漂い始めた。人が焦げ血液が沸騰する匂いが辺り一面に充満する。真っ黒に焦げている顔には避けた口が横いっぱいに広がり、眼球をなくした目には白い光が丸く映っている。そう彼が――
「初めましてアデル君、君の事は彼の目からずっと見てきたよ」
炎の厄災、イゴール・バスカヴィルが姿を現した。
「此処はどこだろう、僕は一体何をしているんだ? 確かアデル達と一緒に先生の家に帰って剣聖結界を伝授してもらう為に……あぁ、そうだ。確か瑠璃の話をした後先生を説得するために部屋に入ったんだ。それから~――あまり覚えてないな、気が付いたら辺り一面にだだっ広い草原があって。なんだか良く分からない」
「そうだ、イゴールと話をしたんだ。何の話だっけな。覚えてないや……でもとても憎かった気がする。誰が憎かった? イゴールの事が憎かったんだっけ? 何で? イゴールとは初対面のはずだ、なんであいつを憎むんだ? わからない、そうだ。確かイゴールの記憶を見たんだ、とても酷い記憶だった。そうそう、イゴールが憎いんじゃない。人間が憎いんだ。あいつにあんなことをした人間が憎いんだ。ひっそりと暮らしていた彼等に突如戦争を吹っ掛けた人間が憎い、彼らをぼろ雑巾みたいに扱った人間が憎い」
「あれ、そうすると僕自身も憎いのか? 人間でいる僕自身が憎いのかも? 自分が憎いって何だろう。そうだ、人間の事が憎い、僕自身憎い。じゃぁアデルやギズー、ガズルにメルも憎い」
「あぁ――そうか。友達が憎いんだ、僕がこうして苦しんでいるのに誰も助けてくれないあいつらが憎い。なんで僕だけがこんな目に合わなくちゃいけないんだ、でもイゴールに任せておけば全部やってくれるんだっけ? じゃぁ僕は何もしなくていいや。イゴールだけが僕の事を分かってくれる、憎しみを分かち合う兄弟みたいな感じだなぁ。兄弟がいればこんな感じなんだろうなきっと」
「あれ、このニンゲンどこかで見たことあるな。あぁ、僕の事助けに来てくれなかったアデルか。今更何の用だよ、今更来たって遅いんだよ。僕は知ってしまったから、人間の醜いところ全部を知ってしまったから。今更僕に何をするんだよアデル、帰れよ――帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ!」
「どの面下げて僕の前に現れたんだよ。僕が一番大変な時に助けに来てくれなかったのになんて顔してんだ、ふざけるな。もう僕の事はほっといてくれよ。いや、僕はもう何もしなくていいや、全てイゴールに任せよう。あいつが全て上手くやってくれる」
「レイに何をした!」
炎の厄災と対峙したアデルが叫ぶ、その声に後ろの小さなレイが肩をビクッと震わせた。
「直接少年に尋ねるといい、返答があるとは思えないがね」
その表情は一切揺らぐことなかった、引き裂かれた口は顔いっぱいに広がり不気味に笑っている。目は見開いているが眼球はない、その代わりに白い光のようなものが見える。一度も瞬きする事無く、一度も口を閉じることも無い。
「野郎っ!」
アデルはグルブエレスを逆手に持ち替えるとその場を飛んだ、炎の厄災に急速接近し首に狙いをつける。確実に首を跳ねたと思った。が、グルブエレスは空を切った。炎の厄災が避けた訳じゃない、すり抜けてしまった。勢いが付いたアデルは体制を崩し、顔から焦土に落ちる。
「イテテテ、てめぇ!」
「頭を冷やせ馬鹿者、こやつに刃物なんぞ通じるか!」
炎帝が叫ぶ、その声に炎の厄災がピクリと反応した。まさに千年以上前に聞いたその声に懐かしさを覚えて。
「そうですか、あなたが私を焼き、私に炎の力をくださったのは」
アデルを見ていた顔がゆっくりと炎帝へと振り返る、その表情には怒りと感謝が見え隠れしていた。不気味に笑うその口から次々と言葉が出てくる。
「アレは熱かった、だがそのおかげで私はこれほどの力を手にすることができた。感謝しますよご老人、あなたのおかげで私は人間に復讐するという目標を作ってくれた。これほどまでに執念深く、憎悪に満ちることはない! かつて私が受けた苦しみ、憎しみ、全てをあなたに感謝せねばなりません」
「貴様、壊れているな」
「壊れている? 何を今更、何もない空間に封印され千年もこの憎悪と憎しみに囚われ続けていれば壊れもするさ。いや、壊れることを助長したと解釈するべきか――ハハハ、言うのが千年遅いんじゃないかね?」
先程までとは違い明らかに殺気を放ち始めた、重い空気が辺りを緊張させる。ピリピリと伝わるその殺気に思わずアデルが身を引いた。彼は恐怖した、かつてこれ程までに恐ろしく禍々しい殺気を見たことがあるだろうか。否、それは人を超越した存在でしか発する事の出来ない非常に重い私怨だ。憎悪が憎悪を呼び、憎しみが憎しみを重ねる。長年積み上げられてきた殺気とは人を畏怖させる。
「テメェが人間に何されたかは知らねぇ、知らねぇけど俺のダチは返してもらう!」
厄災の後ろでアデルが叫ぶ、その声を聴いて厄災は肩を震わせ始める。そして両手を広げて大いに笑う。
「ハハハハハハ、返してもらう? 馬鹿を言ってはいけないよアデル。少年は自分から殻の中に閉じこもったのだ、私が閉じ込めたのではない!」
ここで初めて厄災の表情に変化があった、正確にはあったように見えた気がする。変わらずの表情だったがほんの一瞬だけ口元の広がりが増したように見えた。
「さぁ、君にも見せてあげよう! 人の醜さを! 私が受けた苦しみ、憎しみ――恐怖を!」
厄災の足元から黒い影のようなものが辺りの景色を包み込み始める、徐々にではなく即座にといった方がいいだろう。あたり一帯が真っ暗になると即座にその空間全体にヒビが入る。大きな音を立ててソレは粉々に割れてしまった。厄災の足元から噴き出した影はその場にいた全員の身動きを封じていた、指一本動かせず、瞬きすらも許されない強烈な束縛。
「くそ、うごかねぇ……」
次にアデル達の目に映ったのはレイが見せられた厄災の記憶だった。内容は全く一緒だった、だが視点が異なっている。レイは上空からその景色をただ見せられていただけだったが、アデルは異なっている。同じ炎の厄災が起こる直前、酷使され用済みとなった魔人の子供たちを小屋に押し込め火をつけるまさにその瞬間。アデル達はその小屋の前にいた。終始上空からただ見ていただけのレイの状況とは異なっている。
「さぁ、見るがいい! これから起きる光景を、残虐を!」
小屋に火が放たれた、最初に小屋の周りを囲うように火が付けられて徐々に取り囲むように炎が上がった。ジワジワと燃え広がっていく。次に小屋の周りに置かれていた枯れた稲から火の手が上がり、それが一気に火柱を上げた。
アデルは瞬きを許される事無くその光景を見続けた、レイと同じく人間の残虐性を知り絶望するかと思われた。しかし、その光景にアデルは猛烈な違和感を感じていた。
「おかしい、何かがおかしい」
違和感は次第に確信へと変わり始める。アデルが感じていた違和感は主に二つ、一つは何故殺すのに火を使った方法を取ったのか。単純に不治の病に掛かったとはいえ動けなくなるまで酷使し、その後動けなくなれば捨てればいいだけの話。それを何故火をつけて殺すという手段を取ったのか。
二つ目はそこに魔人以外の子供が混じっていることだった、厄災は多分気が付いていない。その多くは魔人の子供だったからかも知れない。数人の人間の子供も一緒に混じっている、それが猛烈に違和感を感じていた。厄災が見せてきた記憶では奴隷として仕事を強制的に行わせてきたのは魔人の子供だけ、そこに何故人間が混じっているのだろうか。また、魔族の子供はその中に存在していない。それも違和感の一つでもあった。
その後、厄災が封印されるまでの一部始終を見せられたアデル達は再び焦土が広がるレイの記憶の中に戻ってきた。体を拘束していた厄災の影も消え動けるようになっていた。つっかえが外れたように炎帝と小さなレイは崩れ落ちて地面に膝をつく。
「あ――あぁ――あぁぁぁぁぁぁ……」
「少年には荷が重すぎたかな? 一度ならず二度もアレをみたんだ、もう二度と戻ってくることも無いだろう」
小さなレイが頭を抱えてその場に蹲る、それを見ていた厄災は再び大きな声で笑い始めた。その姿を見た炎帝が急いで小さなレイへと駆け寄ろうと。が、再びその体がぴたりと動きを止める。
「イゴール――貴様っ!」
「ご老人は動かないで頂こう、もう少しで私の目標は完遂するっ!」
炎帝の体の周りには黒い影が渦巻いていた、厄災が再び炎帝の動きだけを止めていた。そしてゆっくりとアデルのほうへと体を向けると笑顔のまま続ける。
「さぁアデル君、君も私と一緒に人間を一人残さず根絶やしにしよう。君も見ただろう? これが君達人間の性なのだよ」
無表情のままアデルはその場に立っていた、視線だけを厄災へと向けピクリとも動かないでいる。だがアデルには厄災による束縛は受けているように見えない。
「炎の厄災。いや、イゴール――お前は勘違いをしているよ」
「勘違い? 何を言いますか、君も見たでしょう。人間が我等魔族に対して行った仕打ちを――残虐さを!」
淡々と口を開いたアデルに厄災が叫ぶ、その声には先ほどと同様に怒りと憎悪が混ざっている。だがアデルは眉一つ動かさずに厄災を見つめた。
「確かにテメェの記憶はきちんと見た、人間がお前らにやったことや魔人に対して行った仕打ちは確かに非道だ。それを否定するつもりはねぇ」
一度帽子を深く被りなおす、大きく開いた鍔を右手で顔つかみ切れ目の隙間から左目だけをのぞかせる。
「では何を勘違いしているというのですか、我等魔人だけがあれだけの事を受けたのです。勘違いもなにも――」
「不治の病『黒色塩化結晶症候群』、通称:黒色病」
厄災が叫びながらアデルへと近づくが、その声を遮るように一つの病名をアデルは口にする。それを聞いた厄災は足を止めた。
「当時の医療技術じゃ治せなかった病だ、一度発症すればそれは空気感染する。初めに倦怠感が体を襲い次第に発熱を伴う。この発熱期間が長くて一見風邪の症状にも似ているため早期発見が難しいと言われているがその症状は次第に変化を見せる。発熱が続いた後最初に体の一部分が黒色化する、次第に患部は広がり始めて全身を覆い、最後には塩の塊となって体が朽ちていく。治療技術はテメェが生きていた西部戦争時代から六百年後に確立され不治の病ではなくなった。当時は感染したら最後、原因となるウィルスは熱に弱く八十度以上の高温下では生きていくことができない。空気感染を防ぐためにも感染者を焼き払う必要があった」
次々にアデルは自分が知っている病気の歴史を話し始めた、何故彼がこれを知っているのかというとそれはガズルにある。この世界を旅するにあたって一番の悩みは病気にある。それも危険な病気だけでも覚えておけばいざという時に役に立つとガズルが幾つかの感染症について説明していたからだ。
しかし、何故アデルがこの病名を口に出したのか。それは厄災が見せた記憶と厄災本人に答えがあった。
「黒色病は一度発症するとワクチンを打たない限り完治しない、仮に患部を切り落とし焼こうものなら一気にウィルスが増殖し症状が進行する。本来なら数週間かけて進行するものがものの数秒で体全体に症状が発生する。ウィルスの自己防衛機能で爆発的に増殖を始める――」
「デタラメを言うな、焼かれたのは我等魔人の子供達だ! お前たち人間は我等を迫害し、奴隷として労働を強制してきたではないか!」
厄災はアデルの襟を両手でつかみ持ち上げた、身長差でアデルの体は簡単に持ち上がり地面から十数センチ浮き上がる。