舞台に設置されたベッドの上、沢村は一言も発することなく上を見上げ続けていた。ボクはそんな彼女の右手を両手で包み込み、彼女に向って笑い掛ける。しかし、反応は一切帰ってこない。

「さぁ、君のやりたいこともこれで最後だよ。だからほら、もう少しだけ頑張って」

 普段と変わらぬように接するが、彼女は瞬き一つしなかった。

彼女の枕元に置かれたやりたいことリストと書かれたメモ帳を開き、最後のページを確認する。そしてメモ帳に書かれた文字に、ボクは大げさに目を開けた。

「ボクが父親と仲直りして、自分のやりたいように生きる」

 書かれた言葉を再確認するように読み上げる。彼女の人生最後の願いは、どうやらボクの幸せな日々らしい。

 ボクは椅子から飛び降り、彼女を強く抱きしめる。さっきまで微動だにしなかった沢村は、顔をゆっくりとこちらへ向け、弱々しい笑顔をボクに見せた。表情筋を動かす気力もないといったような、弱り切った笑顔に頬に涙が伝い始める。

「かなえ、て、ね」

 彼女はかすれた声でボクに告げると、ゆっくりとまぶたを閉じた。舞台上には心肺停止を知らせる電子音が響き続ける。彼女とボクの別れの合図だ。

 ボクは沢村をベッドに乗せると、両手を包んで涙を流す。肩を震わせ、しゃくりを上げる。彼女の青い病衣は、より濃い青へと変色していった。

「もちろん、最後まで、約束は守るよ」

 聞くに堪えないだみ声で、彼女の言葉に返事を返す。こうして、波乱万丈の劇は幕を下ろしたのだった。



「凄い歓声、成功したんですね」

 車椅子へ移動するためにボクの腕に収まる沢村は、頬を高揚させながら、降ろされた幕の方を見つめていた。彼女の言う通り、幕の向こうでは、開始時と比べ物にならないほどの歓声が響き渡っていた。その様子は満席会場顔負けの盛り上がりだった。

 あの少人数では上がるはずのない拍手に違和感を覚えながら、袖幕の方へと彼女を運ぶ。すると、先に出番を終えていた学が、スマホを片手に此方へ駆け寄ってきた。

「こっち来てみろよ!」

 興奮状態の学にあっけを取られ、ボクは沢村を腕に抱いたまま、学に言われた通り幕越しに客席をのぞき込む。客席は埋まり切っており、中には立ち見する者まで存在していた。いつの間にか、ボクたちの劇は満員になっていたのだ。

「は、なんで?」

 舞台が始まったとき、座っていたのは間違いなく数人程度だったはず。それが何倍にも跳ね上がっている現状に、ボクは驚きを隠せなかった。それは沢村も同じらしく、彼女もこの異様な風景をぽかんとした顔で眺めていた。

 学はスマホを操作し出し、ボクらの前に出す。

「お前のアドリブのやつ。あれを気迫がやべぇってSNSに投稿したやつがいてさ、それを見たうちの学生が次々と入ってきたんだよ!」

 やっぱりお前は劇の天才だなと、学は強い力でボクの背中をたたく。学のいう通り、スマホには沢村の声が出なくなったときの動画と、感想がつづられた投稿が映し出されていた。その投稿は多くのいいねが付けられており、リプも大量に寄せられていた。

 今回の劇は、まごうことなき大成功である。

 夢を叶えられたあんど感と、観客を楽しませることができた喜びが一気にせり上がり、思わず笑いが零れる。自分の為だけに磨いてきた演技力は、人に笑顔と喜びを与えることが出来る。そんな今更気付いた事実が、嬉しくて仕方がなかった。

「礼をするぞ」

 未だに鳴りやまない拍手に背を伸ばし、ボクは沢村を抱えたまま舞台の中心に足を進める。その状態に待ったをかけたのは学だった。

「おい、沢村を車椅子に乗せなくていいのかよ」

 舞台の中心に立つと同時に、ボクはしゃがみ込んで沢村をの足を地面に降ろす。地に足がついたのを確認した後、ボクは彼女の上半身を抱えたまま立ち上がった。ボクの急な行動に、沢村は無意味に瞬きを繰り返した。

「最後ぐらい、立って皆の前に出たいだろ?」

 彼女は頬を真っ赤にし、嬉しそうな顔でこちらを見上げた。そして首を何度も上下し、ボクの考えに賛同する様子を見せる。学はあきれたようにため息をつくと、ボクらの方へと駆け寄りだす。そして彼女の右腕を自分の首に回した。

「お前らはほんと、仕方ねえな」

「ありがとう、学」

 彼女の左手を自分の肩に回し、幕を上げるように指示をする。すると幕は徐々に上り、眩しいほどの観客の笑顔があらわになる。割れんばかりの拍手は、ボクらの登場により一層勢いを増した。

「ありがとうございました!」

 ボクらは頭を下ろし、最上級の感謝を込めた言葉を観客に向ける。すると客席からはボクらの名前や、良かったぞといった感想が拍手とともに投げかけられた。ボクらは頭を上げ、世界一愛に満ちた光景を目に焼き付ける。

「舞台って、本当に綺麗」

 沢村のつぶやきに心の中で同意しながら、幕が下りる寸前まで、ボクらはこの宝石箱のように輝く風景を満喫する。

 こうして沢村にとって最初で最後の舞台は、大成功を収めたのだった。