「……田辺」
居心地の悪い沈黙を断ち切るように、田辺の名前を呼ぶ。
「ん?」
田辺は、ふっと呼吸を吹き返したようにしてこちらを見て、いつものように微笑む。
「どうした?」
「……ううん、なんでもない」
「そう?」
「うん」
私は、沈黙がなくなったことだけに安堵して曖昧に微笑む。 きっと私の笑顔は、とてもぎこちないのだろう。
「じゃあ、俺帰るね」
「うん」
田辺は立ち上がってリュックを背負う。 田辺の影が落ちている隣のアスファルトを見ながら、映画館のこと聞けなかったなと思う。
何なら、別に今この瞬間にまた名前を呼んで聞いたっていいくらいのことだけど、なぜか、躊躇してしまうのは、私が臆病だからだろうか。
「新名」
名前を呼ばれて顔を上げると、こちらを見下ろす田辺と目が合う。
けれど、田辺の顔は陰っていて、表情がうまく見えない。
「俺さ……」
「え?」
田辺との間に風が通って声が流されてしまい、よく聞き取れず、聞き返す。
「田辺、なに?」
「……いや、何でもない! 雨降りそうだから、新名も早めに帰ってね」
「あ、うん」
「うん。 また、明日な」
田辺はさっきよりも大きな声でそう言って、屋上の扉の方へと向かう。
私はいつものようにその背中が扉の向こうに消えるまで見送ってから、田辺が貸してくれた漫画に視線を落とした。
……もし、私が一緒に映画観に行こうなんて言ったら、田辺はどんな反応するだろうか。
多分、やんわり断られるんだろうな。 それしか、想像しか出来ない。
勝手に想像して、勝手にショックを受けてしまう。
よく考えれば、そもそも私は自分から友達を遊びに誘うということをしたことが無いなと思って、自分の根暗さに、思わずため息が溢れた。
立ち上がってフェンスの隙間から校門を見下ろしていると、下校していく生徒の中に、田辺らしき生徒が誰かに手を振りながら校門に向かっていくのが見えた。
やっぱり、“こんなの”とは、全然違う。
私は、田辺の隣を歩けない。 そんなところを、誰かに見られるのは怖い。
こんな理由、田辺に言ったら笑われるのだろうか。 それか、自意識過剰と思われて、引かれるかもしれない。
無意識に顔を俯かせてしまっている事に気が付いて顔を上げると、さっき田辺と見た飛行機雲は色が薄くなって霞んでしまっていた。
その代わりに、灰色の雲がもう屋上を覆ってしまいそうなほど近くまで流れ込んでいる。
もう一度校門の方へ視線を落とすと、もうそこには田辺の姿は無かった。