そう田辺に言われると、私は胸の辺りがくすぐったくて嬉しい気持ちが沸き上がると同時に、なんだか落ち着かなくなる。
けれど、それをはっきりと自覚してはいけない気がして、私は笑って誤魔化す。
こんな風に、馬鹿笑いするわけではなくて、たまにふふっと笑えるくらいの調子でだらだらと話しながら過ごせるのが、私にはちょうど良い。
でも、田辺はどう思っているのかは知らない。 あの日からなぜ毎日ここに来るようになったのか理由も聞いたことはない。 聞きたい気持ちはあるけれど、なぜか今も聞けないままでいる。
私はただ、何も起きず、このゆったりとした時間が続けば、それでいい。
だから、余計な詮索はしない方が無難で、安全だ。
「あ、新名見て。 飛行機雲」
田辺が指差す方へ視線を向けると、向こう側の灰色の雲から水色の空にかけて真っ直ぐ白い線が引かれていた。
その線はゆっくりゆっくり、距離を増やしていく。
「あの飛行機、どこ行くんだろ」
「北海道」
「まじ?」
「ごめん。 適当」
そう言うと田辺は「おい」と突っ込んで笑って、「でも北海道行ってみて〜」とのんびり言う。 田辺は中学の修学旅行は、大阪だったと言っていた。
それからひとしきり話した頃、田辺は視線を上げて塔屋にある時計を見る。
私も同じように時計を見て、思わず下がってしまう気分を自覚する。
「あの時計、時間ズレてるよ」
「そうだった」
田辺はスマホを取り出して画面を見ると「5時か」と呟いた。
「新名は、まだ帰らないの?」
「うん、もう少し」
「そっか」
もう時間になってしまった、と思いながら、現在時刻として4時55分を示している塔屋の時計を眺める。
どうして、楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去っていくんだろう。
そういえば、田辺は映画館には行ったことあるのだろうか、と今になって思う。
私は最後に聞こうかなと思って隣を見ると、田辺は、アスファルトにぼうっと視線を落としている。 風に前髪が揺れて、目元を隠す。
田辺は時々、ほんの一瞬だけ、呼吸を忘れてしまったみたいな、頭の中を空っぽにしたような、感情の読み取れない顔をする。
でも、こんな風に思うのは私の気のせいで、ただの勘違いかもしれない。
そう思っても、私はなぜか何とも言えない、不安な気持ちになる。