台所では快人くんが踏み台に乗って、大塚さんからにんじんの微塵切りを指導されていた。隼人くんは興味津々に快人くんの手元を覗ている。「あの、卵持ってきました」と声を掛けると、大塚さんはパッとこちらを向いた。その視線は一度私に向けられた後、私の左右を、何かを探すように僅かに揺れた。私のすぐ後ろには、田辺が立っている。

 「……ああ、ありがとう。 隼人、卵を受け取ってくれ」

 「うんっ。 おねえちゃん、ありがとう!」

 隼人くんに卵のパックを手渡してから改めて台所を見渡す。厨房もそうだったけれど、調理用具や色々な物がきちんと整理されている。ふと、田辺の部屋も整理整頓がされている綺麗な部屋だったなと思い出す。もしかすると、田辺は大塚さん似のところがあるのかもしれない。

 「よし、じゃあ次は鶏肉だ。 触ったことはあるか?」

 「な、ない……」

 「ものは試しだ。 包丁の使い方は上手いから、自信を持て」

 快人くんは頷いて、鶏肉に包丁を入れていく。その横顔は真剣で、今はやたらに声を掛けてはいけないと思い、私は茶の間で待つことにした。

 「じいちゃん、全然変わってない」

 私と同じように茶の間に戻ってきた田辺は「ものは試しだ、って口癖でさ。それで俺、色んなことさせられたんだ」とどこか嬉しそうに続けた。

 「色んなって、どんな?」

 「料理もあんな風に教えてもらったし、あと、近くに川があるんだけどそこでモリ使ってカジカ獲りしたり、山に山菜採り行って猿の群れに囲われてさ」

 「猿? それ、めっちゃ怖そう?」

 「怖かったよ。 猿と目を合わせるなよって言われてさ、じいちゃんはそのまま山菜採り続行するから、俺は半泣きになりながらじいちゃんくっついてた」

 その場面を想像するとなんだか可笑しくて私は思わず笑う。田辺は「笑うなよー」と言いながらも、同じように笑っている。

 ふと、あ、この感じ、屋上の時と同じだ、と思う。会話のテンポとか、空気感が同じだ。田辺は他にも、学校で調理実習の予定があると大塚さんは「予習だ」と言って練習をしたり、新メニュー開発のために夕飯が連日同じ献立だったことがあったと楽しそうに教えてくれた。

 そのうちに縁側で寝ていたまめ太がこちらにやって来て、田辺と私の間に座ったので、私は思わず「えっ」と驚く。

 「たぶん、新名に撫でてほしいんだと思うよ」

 「え、そうなの?」

 「たぶん」

 まめ太はこちらをじっと見ている。撫でてみるか……と手を出してみたけれど思わず躊躇した。

 「犬苦手?」

 「いや……触ったことないだけ」

 これまで動物を飼ったことはないし、小学生の時に学校で飼っていたうさぎの世話もまともにしたことがない。

 「まめなら大丈夫だよ。 噛んだりしないから」

 恐る恐るまめ太の顔の前に手を差し出すと、まめ太は興味ありげに手の匂いをスンスンと嗅ぐ。すると、まめ太はまるで“撫でてほしい”と言っているみたいに私の手の下に頭をひょいっと下げた。

 そっとまめ太の頭に手を添えて、毛流れに沿って撫でてみる。まめ太は頭を上げて少し笑っているみたいな顔をした。

 「はは、嬉しそう。 尻尾振ってる」

 確かに尻尾は左右に揺れていて、すごく純粋な反応で可愛かった。表情は目を細めていて、気持ちが良いと言ってくれてるみたいだった。

 「……じいちゃんも、まめ太も元気そうなのが見れてよかった」