「さっきキャップ触れたからいけるかと思ったけど、やっぱり無理っぽいや」

ドアノブを見ると、田辺の手はすり抜けて向こう側に消えている。 

「開けるね」と言って、田辺の代わりに扉を開ける。 自然と、扉の外に誰かがいないか確認してしまうから、傍から見れば怪しさ満点だろうなと思う。

「それで、次に行くとこは?」

「駅かな」

「わかった」

階段を降りて、リュックを自転車のカゴの中に押し込む。

「後ろ、乗っていい? 多分、軽いと思うんだよね」

「……分かってるよ」

サドルに跨って、田辺も後ろに乗ったことを確認してペダルを踏み込んだ。

田辺の言う通り、自転車にはもう一人が乗っているような感覚は全く無くて、一瞬不安になって自分の左後ろを見た。

視界の隅に、田辺の足が映っている。 それでもやっぱり不安で、「田辺」と後ろに向かって名前を呼んだ。

「なに?」

「駅行くのは分かったけど、そっからどこに行くの」

「んー、内緒」

「え、怖いんだけど」

「大丈夫。 言うて、そんな遠くないし」

そう言う田辺は後ろに仰け反っているのか、ほんの少しだけ声が遠くなる。

「俺、チャリの2ケツ初めてだわ」

「そんなの私もだよ」

「そっか。 そうだよね。 今やっちゃダメなんだった」

他愛もない会話だと思った。 屋上で話していた内容と、何ら変わりない。

それなのに、田辺は死んで幽霊になっていて、何故か私はそんな田辺と行先の分からない場所に行こうとしている。

これが、田辺が死んでなくて幽霊でも何でもなくて、この自転車にもう一人分の重みがちゃんとあったなら。

こんな非現実的なあり得ない出来事をどんなに否定しようとしても、私以外の全部が現実なのだと突き付けてくる。

私は自転車を漕ぐ力を少しだけ早くして、額に滲む汗を振り切った。