「あれ剥いでくれる?」
「…………」
もう何も言うまいと、私は空っぽになったその空間に手を突っ込んで、貼り付いたそれに親指を引っ掛ける。 けれど、中々取れず力を込めるとベリリッと音を立てて勢いよく剥がれた。
取り出すと、養生テープが貼り付けられた茶封筒だった。
「……これ、お金?」
「そう。 バイト代、貯めておいたんだ」
「なんで、こんな所に……」
「こうしておけば、盗られないからさ」
予想もしてなかった言葉に驚いて、思わず聞き返しそうになった。 だけど、気軽に聞いてはいけないことのような気がして、喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。
けれど、田辺は私が聞きたかったことが何となく分かったみたいに「うち、変わってるからさ」と少しだけ肩をすくめて、冗談っぽく言う。
「知ってるかもだけど、うち母子家庭で、母親は仕事してなくてさ。 バイト代、ほぼ家に入れてるフリして、毎月2万とかはここに隠してたんだ」
田辺の家庭事情は、去年、1年生だった頃にその時のクラスメイトが噂しているのを聞いたことがある。 だけど、そういうことを聞くと、自分の家庭事情もあんな風に噂されているのかもしれないと思うと、居心地が悪すぎて、聞かないようにしていた。
どうして、家族の形が人と違うだけで噂されないといけないんだろう。
「使わずに、貯金してたの?」
封筒が破けないように、べっとり張り付いた養生テープを慎重に剥がす。
「うん。 目指せ100万と思ってた。 結局、貯まらなかったけど」
「100万……」
じゃあここには、いくら入ってるんだろう……なんて思ってしまう。 養生テープは、綺麗に剥がすことができた。
「新名さ、着替えって持ってきた?」
「え? いや……持ってきてない」
そういえば、荷物なんてまともに詰めてこられなかった。
「制服のままだと補導されかねないから、適当に俺の服着て」
「えっ」
「新名が警察に連れてかれたら俺も困るし、新名も嫌でしょ? その押し入れに服あるから」
田辺は「俺、向こういるね」とまた一方的に話して部屋から出てしまった。
そもそも、田辺が言う“遠く”とは、どれくらい遠くなのだろうか。 そんなことも考えずに、私は着替え一つ持たずに来てしまった……。
とりあえず、さっき田辺が言っていた押し入れ開けようと部屋の左側に視線を移すと、押し入れ扉と勉強机の間に本棚が置かれていた。
並べてある漫画は、全部田辺から貸してもらって読んだことのあるものばかり。 一番上の段には、いま読んでいる漫画が6巻までが揃っている。
そこに、一昨日田辺に返した7巻と8巻が並んでいないことが、田辺がその日からこの部屋に戻っていないことを裏付けるみたいだった。
私はリュックを下ろして、押し入れの戸を開けると中には服やジーンズがハンガーに掛かって並んでいる。
「ねえ、ほんとに何着てもいいの」
部屋の向こう側にいる田辺に声を掛けると「いいよ」とすぐに返事が返ってきた。
適当に物色して、グレーのスウェットとジーンズを選んで、脱いだ制服はリュックの中に仕舞った。
スウェットは大きくても困らないものの、ジーンズはどうしてもウエストのサイズが大きいし裾が長い。 もう一度押し入れの中を覗くと、S字フックに引っ掛けてあったベルトを見つけたので、それを腰に巻いて裾は引き摺らないように折り上げた。
「着替えたよ」と声を掛けると、田辺は襖から顔を覗かせて私を見ると、うん、と満足げに頷く。
「似合うね」
「どうも」
「あ、でも一応キャップも……」
田辺は壁のフックに引っ掛かっていたカーキ色のキャップを一瞬掴んだけれど、キャップはそのまま田辺の手をすり抜けて床にボトッと落ちた。
私は落ちたキャップと田辺を交互に見ると、田辺は「すげえ、一瞬触れた」と手をぐーぱーしながら言う。
「こういうのを心霊現象って言うんだろうな」
「なるほど……」
何を関心してるのだろうと思いつつ、私はキャップを拾う。